Over Eats⑵
部屋にある55インチの大型テレビにまず映し出されたのは、事件のあった307号室から一番近い位置に設置された防犯カメラ(防犯カメラC)であった。
なゆちが指摘したとおり、やはり307号室の入り口そのものは映っていない。
映っているのは、305号室と306号室と、307号室の直前の廊下までである。
事件が起きたとされるのは、12時50分頃である。
まず、篠塚は、その5時間弱前である、8時頃の映像を再生した。
そこには、307号室を出て、エレベーターの方向へと廊下を進む女性が映っている。
目深に帽子を被ってはいるが、今朝、湊人となゆちが会った夕利果で間違いない。カラオケに行くために家を出て行くところが映っているのである。
そこから篠塚は、しばらく動画を早送りする。
この間、湊人は注意深くテレビの画面を見ていたものの、まるで静止画を見ているようであった。
廊下を通る者は誰もいない。
ようやく静止画に変化があったのは、事件が起きたとされる12時50分頃、306号室のドアが開き、中から穂奈美が出て来たシーンである。
ここで篠塚は再生速度を通常に戻した。
穂奈美は小走りで、307号室の方へと向かっていく。
そして、穂奈美は、防犯カメラの死角に入る。
穂奈美の証言によれば、穂奈美は、307号室のインターホンを鳴らしたとのことである。
防犯カメラには映っていないが、穂奈美は、しばらくはドアの前で待機し、インターホンに対する反応を待っているに違いない。
その後、穂奈美は、鍵の掛かっていなかった307号室のドアを開け、玄関から部屋の様子を覗き込むことによって、獅子男の死体を発見したとのことである。
なるほど、穂奈美の姿は防犯カメラには映っていなかったが、防犯カメラの映像は、穂奈美の証言と矛盾していなかった。
穂奈美が防犯カメラの死角に消えてから約1分後、307号室の方から306号室へと駆けていく穂奈美の姿が映っていたのである。
この約1分の間に、穂奈美が獅子男を殺害し、部屋を荒らすということは、湊人には不可能のように思えた。
穂奈美が306号室に駆け込んでから、10分もしないうちに、警官が307号室の付近にぞろぞろと集まってきた。
306号室に戻るやいなや110番通報をしたという穂奈美の証言も信用できそうである。
なお、警察が来るまでの間、防犯カメラCには誰の姿も映っていなかった。
防犯カメラCの映像の後に、篠塚は、屋外に設置された別のカメラの映像を、湊人となゆちに見せてくれた。
それは、307号室のベランダを映している映像であり、事件発生時刻の前後にベランダからの侵入者もいないことを如実に語っていた。
「うーん、やっぱり犯人は透明人間なのかな……?」
「さすがにこの事件は、名探偵なゆちでもお手上げかい?」
なゆちは篠塚に対して敗北を認める代わりに、縋るような目で湊人を見てきた。
なゆちを助けたい気持ちは山々なのだが、正直、湊人にも事件の真相は少しも見えていなかった。
「篠塚さん、念のため、別の防犯カメラの映像も見せてもらえませんか?」
「別の防犯カメラって?」
「防犯カメラBです」
「307号室に一番近いのは防犯カメラCなんだから、防犯カメラBの映像を見ても意味ないんじゃないか?」
「そうかもしれませんが、念のためです」
湊人も、防犯カメラBに、事件の真相に迫る何らかの証拠が映っているとは考えていなかった。
ただ、このままギブアップするのは嫌だったので、時間を稼ごうと思っただけである。
篠塚は、露骨に嫌な顔をしてから、渋々湊人の指示に従った。
防犯カメラBは、303号室と304号室の玄関ドアを映したものである。
先ほど確認した防犯カメラCの映像との違いは、303号室と304号室の住人や来訪者を映していることくらいだろう。
実際に、早送り映像には、朝8時頃にカラオケに行く夕利果の姿が映っていたことを除けば、303号室ないし304号室から出入りする人の姿しか映っていなかった。
やがて、穂奈美の通報によって何人もの警察官が訪れる様子が、防犯カメラBにも映し出された。
——あれ?
「一時停止してください」
警官の群れの中に、1人だけ明らかに違う服装の人物がいることに気付いた湊人は、篠塚に指示をした。
停止した画面に映っていたのは、白いトレーナーを着て、黒い大きな四角いカバンを背負った男だった。
湊人は、この人物には一切見覚えがなかったが、背負っているカバンには見覚えがあった。
これはたしか——
「Over Eatsの人じゃない?」
答えを与えてくれたのは、なゆちだった。
「これってOver Eatsの配達用のカバンだよね?」
「そうだね。なゆちの言うとおりだ。さすが名探偵なゆち」
篠塚が一時停止を解き、通常の再生速度で動画を再生する。
防犯カメラ映像に映っていたOver Eatsの配達員は、しばらく廊下で立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回していたが、やがて、どの部屋にも入ることなく、カバンを背負ったまま帰っていった。
「もしかすると、獅子男さんがOver Eatsを注文していたのかな? それで配達員は獅子男さんの部屋に料理を届けようとしたんだけど、獅子男さんの部屋の前に警察が群がってたから、料理を届けるのを諦めたんじゃないかな?」
なゆちの推理は正しいように思えたので、湊人は相槌を打とうと思ったが、何かが引っ掛かった。なゆちのストーリーには違和感があったのである。
その違和感の正体に気付けないうちに、「もうこれでいいだろ?」と言って、篠塚はテレビの電源を消した。
「なゆちでも解決できなかったなら、俺はそれはそれで仕方ないと思うよ。俺はこうしてなゆちに会えただけでも満足だし」
別に篠塚のために一肌脱ごうと思ったわけではないのだが、篠塚に見切りを付けられてしまうのはそれはそれで癪である。
とはいえ、実際に謎は解けていないため、湊人は、篠塚の話に横槍を入れることはできなかった。
「そもそも、別に俺が犯人として疑われているわけでもないし、真相は闇の中であっても、俺は一向に構わないんだ。事件の真相が分かろうが分からなかろうが、307号室は『事故物件』に変わりはないしな」
「たしかに次に貸すのは難しそうですね……」
「そもそも、207号室と307号室は、『事故物件』じゃなかったとしても貸すのは難しいんだけどな」
「……どういう意味ですか?」
篠塚がわざとらしく口を手で押さえる。
「すまない。少し口が滑った。みなと君には関係のない話だよ。マンション内部の話だ」
207号室と307号室を貸すのは難しいというのはどういうことだろうか?
この2室には何か問題があるということだろうか?
湊人は、このことが事件に関連がある気がして、篠塚に追及したが、篠塚は口を割らなかった。
なゆちがちょっとしたお色気を使って問い詰めても同様だった。
どうやら篠塚にとっては、そのことはどうしても隠したい話のようだ。
本シリーズは,実質上の探偵役である湊人主観であり,探偵の判断がすべて読者に流れてしまうため,いわゆる「読者への挑戦状」には向いていません。
ただ,仮に本作で「読者への挑戦状」を出すとしたら,このタイミングかなと思います。
最大のヒントは,最後の篠塚の発言です。
篠塚が貸せないと言っているのが,307号室だけでなく,207号室もである,ということが最大の手がかりかと思います。
あと2話で完結します。
おそらく本日中に完結できるのではないかと思います。