Over Eats⑴
「わあ! ステキ!」
「……何ですか? これ?」
シノヅカ第2マンションの5階にある管理人室の内開きの玄関ドアを押すと、まず目に入ったのは、色とりどりの花々だった。
リビングから玄関へと向かいながら、篠塚が自慢げに答える。
「おそらく今日もなゆちがここに来るだろうと思って、なゆちのためにスタンドフラワーを用意したんだ」
「ステキ過ぎ!」
「篠塚さんって、バカなんですか?」
台座の上に花束やバルーンを飾るスタンドフラワー、いわゆるスタフラは、アイドルの生誕祭や卒業ライブなどでライブハウスに立てるものであり、個人宅に立てるようなことは、まずない。
「みなと君、バカとは失礼な。こういう日々のサプライズが女の子を喜ばせるんだよ」
「さすが篠塚さん、女心が分かってるね!!」
靴を脱ぎ捨て、スタフラに駆け寄ったなゆちは、スタフラの前で自撮りを始めた。
バカ2人組には付き合ってられない。
心底呆れた湊人は、なゆちと篠塚をスルーし、前回話し合いに使ったテーブルへと向かった。
「この建物の玄関ドアは全て内開きなんですか?」
上機嫌でスタフラの前で2ショットまで撮っていたなゆちと篠塚が席に着くのを待ってから、湊人は尋ねる。
「ああ、みなと君の言うとおり、たしかに全部内開きだよ」
「珍しいですよね」
「たしかに日本では珍しいかもしれないね。でも海外ではどちらかというと内開きが主流だよ」
「どうして内開きに設計したんですか?」
玄関スペースが使えなくなってしまうため、内開きだと不便が多い。
先ほどこの部屋に入るときも、やはり玄関が窮屈であり、脱いだ靴もわざわざ端に寄せなければならなかった。
「防犯のためだよ」
「防犯?」
「ああ。たとえば、不審者が家を訪ねてきて、無理矢理家に入ってこようとしてくるとするだろ? 外開きの場合、不審者を入れないためには、ドアを思いっきり引っ張らなきゃいけないが、不審者の方が力が強い場合には、家に入られてしまう危険性がある。他方、内開きの場合には、不審者を入れないためには、全体重を掛けてドアを押せばいい」
「なるほど」
「実際に、このような理由で海外の多くの国が内開きドアを採用してるんだ」
それに、と篠塚が続ける。
「近年、AmazonだとかOver Eatsだとかで、知らない人が家を訪ねてくる機会が増えただろ? まさに今のご時世には内開きの方がうってつけなわけだ」
「そんな、AmazonだとかOver Eatsの人を恐れる必要があるんですか? 物を届けに来て、それで終わりですよね」
チッチと篠塚が舌を鳴らす。
「みなと君、現状認識が甘いね。実は、1ヶ月くらい前に、このマンションではないけど、ここから近いマンションで、Over Eatsの配達員が、一人暮らしの女性の家に押し入ろうとした事件が起きたんだ」
「そうなんですか?」
「この近辺に住んでる人の間では有名な話だよ。料理を届けに行ったら、玄関先で対応した女の子があまりに可愛かったんで、欲情したってわけだ。女の子が悲鳴を上げ、隣の部屋の人がすぐに出て来たから事なきを得たけどね」
なるほど。実際にそのような事件が起きているということか。だとすると、たしかに防犯対策は必要かもしれない。
ただ——
「防犯対策のためなら、そもそもこのマンションのエントランスをオートロックにすればいいんじゃないですか?」
最近のマンションでは、入り口にオートロックシステムがあり、インターホンで入居者を呼び、ロックを解除してもらわない限り、そもそも建物に入れない、という仕組みになっているところが少なくない。
しかし、このシノヅカ第2マンションに関しては、入り口にそのようなシステムはなく、また、警備員を置いているわけでもなかったため、マンションへの出入りは自由だった。
「みなと君、言うは易しだけど、実際にそのようなシステムを付けるとすると、莫大な費用が掛かるわけだよ」
「つまり、経費削減のために、オートロックは付けずに、玄関ドアを内開きにすることによって代替したというわけですね」
「その理解で間違ってないが、なんか悪意のある言い方だな」
「悪意なんてありませんよ。資産の運用において、コストをどう抑えるかは大切な観点だと思います」
湊人は、内心、この成金男のメッキを一枚剥がせたことに満足していた。
「篠塚さん、話は変わりますが、事件当日の防犯カメラ映像は持っていますか? それとも警察に渡してしまって手元にないですか?」
「もちろん持ってるよ。警察にはコピーを渡しただけだからね」
「今見せてもらってもいいですか?」
「うーん、どうしようかな……。入居者の個人情報も含まれてるからね……」
湊人は、目でなゆちに合図をした。
なゆちは上半身をテーブルに乗り出す。
篠塚の視線が、露骨になゆちの胸元に釘付けになる。
「篠塚さん、お願い。私とみなとが今回の事件を捜査する上で、どうしても必要なの」
「……もちろん見せるよ。俺はなゆちのためだったらなんでもすると誓ったからね」
「ありがとう!!」
なゆちが平手を差し出すと、それに応じ、テーブル越しに篠塚はなゆちとハイタッチをした。
やはりバカとハサミは使いようである。