なゆちへの感情⑵
「とすると、犯人は穂奈美さん?」
穂奈美が犯人だとすると、事件は極めて単純である。
306号室を出た穂奈美が、307号室に直行し、307号室にあった花瓶を使って早業で獅子男を殺し、307号室を出て、306号室で第一発見者を装った通報をした、というだけの話だ。
「物理的には、穂奈美さんが犯人である可能性はあるだろうね。ただ、夕利果さんと対照的に、穂奈美さんには動機がない。他にも不自然なところがいくつかある」
「どういうところ?」
「防犯カメラの映像によれば、穂奈美さんが307号室に滞在していた時間はごくわずかだから、穂奈美さんは迷わずに、いわば計画的に獅子男さんを殺してることになるけど、それにもかかわらず、穂奈美さんが凶器を持ち込まず、307号室にあった花瓶を使ってるというのはあまりに不自然だよ。それに、部屋のタンスは荒らされてたんだけど、ごく短時間で、獅子男さんを殺すだけでなく、タンスまで荒らすのは不可能じゃないかな? それに、そもそも、殺害現場の小部屋には、穂奈美さんが立ち入った痕跡は残されてないらしいし」
「それって、全部穂奈美さんの証言を前提としてるよね。実際に私たちは防犯カメラ映像を確認してないから」
「それはそうだけど」
たしかに湊人となゆちは防犯カメラ映像を確認していないが、篠塚に頼むことにより、その気になればいつでも見れるものである。
穂奈美が、防犯カメラを確認すればすぐに分かるような嘘を吐くとは考えられない。
「というか、仮に穂奈美さんが犯人だったとすれば、警察の捜査がこんなにも難航するはずがないと思うんだよね」
「じゃあ、みなとは、犯人は強盗目的の第三者だと思ってるの? 陰陽師は信じないのに、透明人間は信じるわけ?」
たしかに消去法からすると、犯人は夕利果でも穂奈美でもない第三者ということになる。
強盗目的だとすれば,動機の面は満たすことになる。
しかし、この第三者説の最大のハードルは、言うまでもなく、防犯カメラ映像である。
「最初にも言ったでしょ? 透明人間なんてこの世に存在しない」
「でも、ステルスはこの世に存在してるよね?」
「式神」に引き続き、一体どこで覚えてきた言葉なのかと湊人は疑問に思ったが、冷静に反論することにした。
「たしかにステルスはこの世に存在してるけど、ステルスで透明になるというのは、ゲームとかマンガの世界だけだよ。たとえば、ステルス戦闘機は、ボディーを凸凹にしてレーダーの光を分散反射させて、レーダーに察知されないようにはなってるだけで、目にはハッキリと見えるから」
それに、と湊人は続ける。
「仮に人間が何らかの方法で透明になれたとしても、ドアの開け閉めはしないといけないでしょ?」
「どういう意味?」
「つまり、たとえ透明人間であっても、307号室に出入りする限りは、ドアを開け閉めする瞬間のドアの様子は防犯カメラに映ってるはずなんだ。だけど、篠塚はそんなことを一言も言ってなかった」
「ダウト!!」
なゆちが、したり顔で、パフェ用のフォークを湊人に向けて突き出す。
全く予想だにしないなゆちの反応に、湊人は度肝を抜かれ、変な声を出してしまった。
「……へ?」
「みなとは大事なことを見落としてるよ」
「大事なこと?」
「実はこのマンションの玄関ドアは内開きなんだよ」
「……へ?」
やはり変な声が出てしまう。
普通、日本家屋では、玄関ドアは外開きになっている。日本人は玄関スペースに靴を脱いで置く習慣があるため、内開きだと邪魔になってしまうからだ。
それにもかかわらず、シノヅカ第2ビルの玄関ドアは、日本家屋の主流に反し、内開きだったというのか。
穂奈美の事情聴取の際、ドアの開け閉めをしたものの、湊人はそのことに気付いていなかった。
もしかすると、こういう細かいところは、女性の方がよく気付くのかもしれない。
「307号室のドアは内開きだから、もし開け閉めをしても監視カメラには映らないんだよ。防犯カメラの位置を確認してみてよ」
なゆちの催促に応じ、僕は、篠塚から話を聞いて作成した例の図を鞄から取り出した。
「307号室の入り口そのものは防犯カメラの死角になってるんだよ。玄関ドアそのものは映ってないから、内開きの場合には、開け閉めしても監視カメラにドアが映り込むことはないでしょ?」
たしかになゆちの言う通りである。
「だから、もし犯人が透明人間だったら、犯行は可能なんだよ。監視カメラの死角でドアを開け閉めすればいいんだから」
理論上はそういうことになる。
いや、そもそも透明人間なんてものが理論上存在しないのであるから、そうはならないのか。
結局、思考を可能な限り整理したところで、夕利果犯人説も、穂奈美犯人説も、第三者犯人説も同じように可能性が薄いのである。
これ以上どのようにして手掛かりを得ればいいのだろうか。
「ねえ、湊人、これからシノヅカ第2マンションに行くんでしょ」
「まあ、そのつもりだけど……」
「じゃあ、もう一度篠塚さんに会いに行かない?」
「……どうして?」
「だって、警察から色々話を聞いてるのも篠塚さんだし、何より、防犯カメラ映像を持ってるかもしれないじゃん。見せてもらおうよ」
なゆちの言っていることはごもっともである。
ただ、僕は気が進まなかった。
そのことが露骨に顔に出てしまっていたのだろう、なゆちは、ニターっと笑うと、
「みなと、もしかして妬いてるの?」
と嬉しそうに訊いてきた。
「妬いてる!? そんなわけないじゃん!?」
焦った態度も露骨に出てしまった。
「図星だね。篠塚さんはお金持ちだし、イケメンだから、みなとは私と篠塚さんを会わせたくないんだ」
「いやいや、そんなことはないよ。……っていうか、篠塚ってイケメンなの? ただチャラチャラしてるだけじゃないの?」
「たしかにちょっとチャラいけど、イケメンの部類に入ると思う。肌も綺麗だし、目もパッチリ二重だし」
男性が見てイケメンと思うのと、女性が見てイケメンと思うのはだいぶズレているのかもしれない。
「じゃあ、なゆち、篠塚のことが好きなわけ?」
「やっぱりみなと、嫉妬してるんでしょ?」
「してないって!!」
なゆちがキャッキャと無邪気に笑う。
湊人は完全に手のひらの上で転がされてしまっているではないか。
ここまでなゆちに言われてしまった以上、湊人は、篠塚との面会を拒絶するわけにはいかなくなってしまった。