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第一発見者の証言

「わあ、可愛い! 何歳!?」


「まだ1歳になったばっかりで」


「可愛い! お名前は?」


択斗たくとっていいます」


「択斗君!! 抱っこしていいかな!?」


「もちろんいいですよ」


 もうかれこれ2年間くらいなゆちのヲタクをやっているが、なゆちが子ども好きだということは初めて知った。

 地下のライブハウスに子連れ客が訪れることなどまずないので、知る機会がなかったのだ。


 添田穂奈美の息子である択斗君を抱き上げるなゆちは、今までヲタクに見せたことのないような満面の笑みだった。

 その光景を眺めていた湊人は,まさか1歳児に嫉妬するようなことはないとはいえ、不思議な気分だった。



 穂奈美は、1ヶ月前の事件を捜査している男女2人の凸凹コンビを、いとも容易く306号室に案内してくれた。


 リビングにはベビーベッドが置かれており、柵の上からつかまり立ちをした択斗君が顔を覗かせていた。


 択斗君を見つけたなゆちは、まるで宝石でも見つけたかのように目を輝かせ、ベビーベッドへと駆けていったのだ。



「私、すごく子どもが好きで、アイドルで売れなかったら、保育士になろうと思ってて」


 これも湊人は初めて聞いた。てっきり、アイドルで売れなかったら、コンカフェ嬢かキャバ嬢にでもなるのかと思っていた。



「でも、最近、売れてるんですよね? YouTubeの推理動画が話題だそうで」


 たしかに前回の「ジェイソンの襲撃」は、前々回の「踊る飛び降り死体」以上にバズり、なゆちの知名度をかなり押し上げた。

 とはいえ、ワイドショーで取り上げられるようなことまではなかったので、主婦である穂奈美にまでその名が轟いているとは思えない。

 

 おそらく篠塚が事前になゆちのことを話したのだろう。

 そう仮定すると、穂奈美が無警戒で湊人となゆちを家に通したことにも納得がいく。


 なゆちは択斗君の機嫌を取るために高い高いをするので必死のようで、せっかく穂奈美がお世辞を言ってくれたというのに、


「おかげさまで」


などと適当に返事をしただけだった。


 完全に子どもに気がいってしまっているため、なゆちは戦力にはならなそうだ。


 結局、(いつものことながら、)湊人が事情聴取をすることになった。



「穂奈美さん、僕は助手のみなとといいます。僕から穂奈美さんに何点か質問をしていいですか?」


「ええ。いいですよ。私も早くあの事件の犯人は捕まって欲しいので」


 やけに話がスムーズである。やはり篠塚が事前になゆちと湊人のことを伝えていたのだろう。



「1ヶ月前、穂奈美さんが事件に気付いたときの状況を教えてください」


「私、元々は仕事をしていたんです。いわゆる寿退社で会社を辞めて、それからずっと専業主婦をやっています。択斗が生まれてからは育児に掛かりっきりで」


 穂奈美は、おそらく30代前半くらいで、現在30歳の湊人とはほとんど年齢も変わらないだろう。

 しかし、結婚をして出産もしているためか、湊人よりもだいぶしっかりしていて、落ち着いているように見える。



「とにかく、そんなわけですので、事件の日もずっと家にいました」


「この306号室にいたということですね」


「ええ。もちろん。そうしたら、突然、男性の悲鳴が聞こえてきたんです」


「獅子男さんの悲鳴ですね」


「ええ」


「12時50分頃だったとか」


「そうなんです。専業主婦って時間に縛られないように見えて、この時間に子どもにご飯を食べさせるとか、この時間に掃除機をかけるとか、実は細かいスケジュールで動いているんですよね。ルーティーンワークというか」


「そこから時間が特定できるんですか?」


「そうそう。ちょうど子どもにミルクを飲ませて寝かしつける時間がだいたい12時50分頃で、そのタイミングで悲鳴が聞こえたんです」


 主婦のルーティーンワークというものがどの程度徹底されたものなのかは分からないが、時計で確認した場合などに比べれば精度を欠くに違いない。

 とはいえ、防犯カメラ映像や110番通報の時刻などと照らすことにより、より正確な時間は分かるだろうから、ここで穂奈美をあまり追及する意味はないだろう。



「悲鳴は獅子男さんのものだとすぐに特定できたんですか?」


「ええ。男性の悲鳴でしたし、307号室の方から聞こえましたので」


「聞こえた方角まで分かったんですか?」


「ええ。先ほどもお話ししたように、この時間は、お昼寝のために子どもを寝かしつける時間なんです。テレビも消していましたので、悲鳴ははっきり聞こえたんです」


 なるほど。たしかにその状況であれば、悲鳴がどの部屋から聞こえたかまで正確に分かるだろう。



「どんな感じの悲鳴だったんですか?」


「今まで聞いたことないような、低く唸るような悲鳴でした。苦しそうというかなんというか……」


 あ、それから、と穂奈美は続ける。



「聞こえたのは悲鳴だけじゃなかったんです」


「悲鳴以外にも何か聞こえたんですか?」


「ええ。ゴンっと鈍器で頭を殴るような音が聞こえたんです」


「ああ。なるほど」


 「鈍器で頭を殴るような音」というのは、おそらく後付けの説明だろう。実際に獅子男が頭を殴られていた事実からそのように説明しているのだ。

 正確に言えば、穂奈美が聞いたのは、「鈍器で頭を殴るような音」と考えても矛盾しないような音、ということである。



「悲鳴の直前に、鈍器で頭を殴るような音が、()()()()()()()()()んです」


「2回ですか?」


「ええ。間違いなく2回聞こえました」


 篠塚の話によれば、獅子男の頭にあった殴打跡は1箇所ということである。だとすると、なぜ2回音が聞こえたのだろうか。



「悲鳴と殴る音を聞いた穂奈美さんは、すぐに307号室に行ったんですか?」


「ええ。すぐに択斗をベッドに置いて、急いで307号室に行きました」



——待てよ。



「犯人に鉢合わせしたらマズイと思わなかったんですか? もしかしたら穂奈美さんが襲われてしまうかもしれないじゃないですか」


「襲われることは考えていませんでした」


「どうしてですか?」



 穂奈美は少し考える素振りを見せてから、口を開いた。



「ぶっちゃけて言うと、私、獅子男さんが夕利果さんに殴られたんだと思っていたんです。花咲さんの夫婦は喧嘩が絶えなくて、夕利果さんが獅子男さんを怒鳴りつける声も普段からよく聞こえていたんで」


 獅子男と夕利果は不仲だったということか。

 殺されたとき、獅子男は66歳だった。

 これは勝手な想像だが、もしも獅子男が65歳で定年を迎え、そこから毎日家にいるようになったことがきっかけで、夫婦の折り合いの悪さが顕在化したということかもしれない。典型的な熟年離婚のパターンである。



「だから、私は獅子男さんと夕利果さんの喧嘩を止めて、仲裁に入ろうとしたんです。まさか獅子男さんが殺されているとも、それが第三者の手によるものだとも想像していませんでした」


「それで、迷わずに307号室に行ったわけですね。特に武器となるような物を持っていくわけでもなく」


「ええ。そのとおりです」


「307号室に着いた穂奈美さんは、まず何をしましたか」


「まず、インターホンを鳴らしました」


「反応はありましたか?」


 穂奈美は首を振る。



「いいえ。一切反応がありませんでした。ですので、ドアを開けたんです」


「ドアを開けた? 鍵は掛かってなかったんですか?」


「ええ。私も鍵は掛かってると思っていたんですけど、ダメ元でノブを捻ってみたら、鍵は掛かっていなくて、ドアが開いたんです」


——鍵が開いていた。


 これは何を意味するのだろうか。

 単に戸締りが不十分だったということなのか。それとも、犯人がドアから脱出した後だから鍵が開いていたということなのか。



「ドアを開けて、玄関から室内の様子を確認したところ、奥の小部屋まで見えたんです。獅子男さんが倒れているところ、そして、部屋が荒らされているところが見えました」


「部屋が荒らされているというのは、具体的にどのような状況でしたか?」


「私は、玄関より中には入っていかなかったので、細かい様子までは分からないです。ただ、書類とか通帳とか、そういったものが散乱しているように見えました」


——書類や通帳。

 篠塚は、タンスの中身が荒らされていた、と説明していた。タンスから書類や通帳が出され、放置されていたということだろう。



「私は、その様子を見て、獅子男さんが強盗によって襲われた、ということに気付いたんです。それで、すぐに自分の家に戻りました」


「306号室に戻った? なぜですか?」


「警察に通報するためです。悲鳴を聞いて慌てて307号室に向かったので、携帯電話は家に置きっ放しだったんです。家に戻って、すぐに携帯で110番通報しました」


「なるほど」


 穂奈美の証言には、特に不自然な点はない。

 むしろ、第一発見者として適切な行動をとっていると評価できる。



「穂奈美さんは、犯人を目撃しなかったんですか?」


「見てません」


「足音や気配は?」


「ありませんでした」


 306号室のドアを出ると、右手すぐに307号室がある。

 306号室から307号室に行くための所要時間は数秒である。悲鳴を聞いた穂奈美がすぐに307号室に向かったのだとすれば、その間に1分も掛からないだろう。


 獅子男を襲った犯人は、そのわずか1分弱の間に、一体どこに消えたというのだろうか。


 しかも、廊下に設置された防犯カメラに一切映ることなく。



 もしくは——



「失礼な質問ですが、穂奈美さん、警察からしつこく事情を聞かれませんでしたか?」


「どういう意味ですか?」


「……つまり、警察から犯人として疑われませんでしたか?」



 これまで淡々と質問に答えていた穂奈美も、さすがにこの質問には顔を歪めるかと思いきや、


「疑われてましたよ。警察署に任意同行も求められました」


と涼しい顔で答えた。



「でも、私の証言と防犯カメラの映像が一致していたこと、それから、私の指紋が犯行現場に存在していなかったことを確認してから、警察が私を犯人扱いすることはなくなりました。防犯カメラには、306号室から307号室に向かう私の姿と、それから1分後くらいにまた307号室に戻る私の姿がハッキリ映っていたんです。わずかその1分くらいの間に、私が指紋も残さずに獅子男さんを殺すことは不可能だと警察は判断したんです。みなとさんも防犯カメラをチェックすれば分かると思いますよ。犯人は私ではないと」


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