6.面会
翌日――。
目覚めた守は、隣で寝ているロゼッタの寝顔を見つつ笑みを浮かべる。昨夜も、ロゼッタが一緒に寝ようと提案してきたため、同じベッドを共有したのだ。
――痛みがなくて安心できたみたいだな。
ロゼッタの言い分を思い出す。『もしかすると痛むかもしれないでしょう』、とひたすら訴えかけてきたのだ。
これにはもちろん守も反論した。しかし、ロゼッタに押し切られてしまったのである。『貴方の世界では常識なのでしょう。ですが、私たちの世界では前例がないのです。とにかく不安なのです』と言われては、どうしようもなかったのだ。
「……さて、昨日の人が受診しに来る前に着替えるか。……というか、別世界でも結局歯医者なのな、俺……」
一人ぼやきつつ、約束を守るために守は白衣へと着替える。昨晩ロゼッタに魔法で洗濯してもらったため、ふんわりとしていた。
目の前で水洗いと乾燥を同時並行する様は、否応にも別世界に来たことを呼び起こさせるのだったが、守は洗濯機いらずで便利だな……と現実逃避。いちいちそんなことで驚いていたら身が持たないと思ったからだ。
「失礼してもよいか」
「はい。大丈夫ですよ」
ちょうどそんな折、扉の外から声をかけられた守は返事を返す。
すると、昨日の患者――エリクシル王国国王、ヨーゼフが部屋の中に入ってきた。……ちなみに昨日と同じ格好のため、守は未だ国王であることには気付いていない。
「では、今日は歯型を取りましょう」
営業スマイルを作り、守は約束通り施術を行い始める。この時はまだ、のほほんとしているのだった。
そして時は流れ――。
ヨーゼフの施術を終えた守は、少しの間まったりとした時間を過ごす。それから、ようやく起きてきたロゼッタと共に、国王の間へ向かった。昨日は忙しすぎて話せなかった、今後についてを話し合いに行くためだ。
「お父様、入ります」
ロゼッタの声に反応して扉が開く。大広間にはいかにもと言うように、王座に座る一人の男性がいた。そう、今しがた守が施術を行った男性が、威厳に満ちた服に着替えて座っていたのだ。
――ぶほっ!
心の中で吹き出す守。だが以外にも表には出さなかった。医者という、どんな患者が来ても思いを胸の内に秘めておかねばならない職業のため、慣れていたからだ。
「マモル殿。黒化病の治療、感謝する」
そんな守の胸中など知らないヨーゼフが、王座から立ち上がりつつ礼を述べる。さらに、自ら守の方に歩き始めた。
「お父様! マモルは凄いのですよ!」
喜び勇むロゼッタ。
しかし、それを見つめるヨーゼフの表情は非常に険しい。まるで射抜くような目つきをしていて、好意的にはとても見えない。どこか嫌な感じを漂わせるものだ。
「……マモル殿、大変申し訳ない。この通りでございます」
予感は、ヨーゼフの土下座という形で的中した。守の目の前まで移動したところで、ヨーゼフが土下座を行ったのだ。
「えっ、いや……」
唐突な展開に守は混乱。まさか一国の王に頭を下げられるなど予測できるわけがない。故に言葉を発しようとするが、うまく言葉にならず、口をパクパクさせてしまう。
だが、本当に混乱しているのはロゼッタの方だった。
ただ小さく口を開けて突っ立っているだけのように見えるが、実のところそうではない。父が――国王が異世界からの召喚者とはいえ、額を地につけるかたちで頭を下げたのだ。
それにどういう意味があり、何を指すのかが読み取れなかった。とにかく重大な事態であるということは認識できたのだが、どう対応すればいいか判断することができなかったのだ。
そんな二人を気にせず、ヨーゼフが立ち上がる。
「ロゼッタよ。なぜ余が頭を下げたかわかるか」
ロゼッタがビクリと肩を震わす。表情は、返す言葉がありませんと言うように固まっていた。
「わからぬか……。なら説明しよう。ロゼッタ。お前は黒化病の解決策として、異世界から英雄を召喚する方法を選んだ。禁呪による短絡的な解決方法に頼ってしまったのだ。そして、結果的には成功を得たのだろう。マモル殿は黒化病を治せる。余自身が治療を受けたから間違いはない。マモル殿は素晴らしい技術の持ち主だ。だが……」
逆説の接続詞の後に間ができる。
しん、と静まり返る王座の間が非常に不気味だ。
「それは言い換えると、こことは異なる世界から技術者を奪ったということだ。本来、マモル殿によって黒化病から救われる患者を不幸に陥れたということだ。どうしてそのことが想像できぬ。なぜ禁呪に頼ってしまったのだ」
紡がれる言葉に悲痛が乗る。己が子に向ける言葉が深く傷を与えていることなど理解している。
それでも、ヨーゼフが声を止めることはなかった。
「ロゼッタ、詫びよ。余が国王として――いや、親として半分罪を背負う。だから詫びよ。そしてその上で、一生をかけて償っていくのだ。余と共に」
瞬間、ロゼッタが額を地に擦りつける。ヨーゼフの言葉で全て理解することができたのだ。己の犯した罪を全て理解することができたのだ。
「申し訳ありません! 申し訳ありませんっ!」
力の限り叫ぶ。それで許してなどもらえないことを知りつつも、力の限り叫ぶ。なぜなら、そうする以外に何も考えつかなかったからだ。
「そ、そこまで……」
呆気に取られていた守だったが、ロゼッタの様子に思わず言葉が出る。しかし、冷静に考えてもみれば、謝られて当然のような状況なのかもしれないと思ってしまった。
――安田のおばちゃんは大丈夫だろうか。鈴木家のケンちゃんの予約が入っていたんだけど……。
日本に患者を置いてきた。医者としての責務を放棄させられてしまったのだ。
守の歯医者があった近場に、別の歯医者は無い。一番近い歯医者までは、電車で三時間揺られた後に、三十分ほど歩く必要ある。
つまり遠いのだ。子供や大人ならいいが、足腰の悪い老人には相当な負担である。おまけに治療を受けて体力を奪われるのだから、辛いことこの上ない。短い間隔で通う必要がでてきてしまったら、たまったものではないだろう。
「申し訳……ありません……」
守がそんなことを思っているうちに、ロゼッタの語勢が弱くなる。嗚咽が混じり始め、何回もしゃくりあげるようになっていた。
「……王様。私は元の世界に戻れるのでしょうか」
「戻れます。ただ、異世界との繋がりが再び結ばれるのは三百日後。それまではこの世界に留まっていただく他ありません」
「三百日……」
現実がのしかかる。守にとって重い現実がのしかかる。
そもそも、地球と異世界とで同じ時間軸の保証はない。戻ったはいいが、浦島太郎のように時が過ぎ去っている可能性を否定できないのだ。
だが――。
「それでは仕方ありませんね。なら、この世界に滞在している間に、黒化病を――虫歯を何とかしないといけませんね」
守は笑顔を返した。
どうしようもないないなら、いっそ楽しんでやろうと考えたのだ。
「ロゼッタさん。君には罰を与える」
「ひっぅ……は、はい。どのようなものでもお受けします」
怯えながらも、ロゼッタがハッキリとした声を返す。どこか覚悟を決めたように、守を見上げながら。
「では、君には歯医者になってもらおう。そして、この国に正しい歯の知識を広めてもらう。それを持って、君の罪を許そう」
それに対し、守が答えを返す。
こうして、守とロゼッタの間に奇妙な師弟関係が出来上がるのだった。