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13.ロゼッタのファーストキス

 守が日本へと帰還してしまう日は刻一刻と迫っていた。具体的に言うと、あと十日しか残っていない。


 にもかかわらず、ロゼッタは肝心なことを聞き出せずにいた。守への報奨。守が真に欲しい物を、聞き出せずにいたのだ。


「……どうしましょう」


 もちろんこうなったのには理由がある。ここまでの日々があまりにも忙しい。守から歯について学ぶことが多すぎたため、時間が取れなかったのだ。


 ロゼッタを含め、七人の歯医者候補生達は必死にくらいついて勉強した。その証明と言わんばかりに、国語辞典のような歯の専門書が書き記されたり、歯の模型が作られたりなど、様々な結果を出す。


 代わりに、それ以外の事をする時間などほとんどなかったのだ。雑談すら歯に関することで埋め尽くされ、暇があれば歯の削り方や抜き方を練習。イメージトレーニングなども積極的に行った。


 そして、何をするにしても中心は守だった。


 守しか真の技術と知識を持っていないのだから、当然の事ではある。だが、そうなると守は常に忙しい。食べる、寝る、治療と指導。ほぼ休みなしで、とても呼び止めて話すような時間がなかったのだ。


「……患者の笑顔……ですか」


 しかし、本当の理由は時間がなかったことなどではない。(すき)を突いて話をするなど、ロゼッタには容易(たやす)いことである。もちろん守との会話には成功していたのだ。


 だが残念なことに、期待した答えは得られなかった。守が無欲過ぎたのだ。ロゼッタがそれとなく欲しい物を聞いた時に、守が返した返答はこれである。


『患者の笑顔かな』


 つまり、守の欲しい物は常に得られていたのである。患者の笑顔。歯が治った後、感謝を言いに訪れる患者達の姿などがいい例だ。


「……そんなことを言われては、私がどうすればいいかわからないではありませんか」


 愚痴を零しつつ、ロゼッタは守の部屋の前で足を止める。今は深夜。もう守は疲れて寝ているような時間。訪ねるのは失礼にあたる。


 もちろんそんなこと、ロゼッタはわかっていた。それでも訪ねることをやめる選択肢はない。今一度、欲しい物を聞き出さなければならない。何としてでも聞き出さなければならないのだ。


「マモル、失礼します」


 ロゼッタが扉を開ける。すると守と目が合った。

 こんな時間にも関わらず、守は起きていたのである。


「こんばんは、ロゼッタ。どうしたんだい」


 いつも通り、割とのほほんとした声が部屋に響く。守はどんな時でも守ということだ。


「いえ、その……もうすぐ帰られてしまうので、お話がしたいなと……」

「……そうか。なら、そんなところに突っ立っていないで、ここに来てほしいな」


 守がトントンとベッドの横を――隣に座ってはどうだと叩く。


 そのため、ロゼッタは守の隣へと移動した。部屋が薄暗いため、頬が染まっていることを隠して移動することができた。


「「……」」


 だが、その後に続くのは沈黙である。守とロゼッタ。お互い話し出せず、静かな時が流れていく。


 物音一つない暗い部屋。

 決して雰囲気が悪いわけではないが、言葉を発するのをためらう雰囲気。

 二人の脳内にそれぞれ浮かぶ、出会いから今日までの日々。


 それらが合わさりあい、とっかかりが見いだせない。感傷に浸っていると言い換えても差し支えない状況だ。


 しかし――。


「……忙しいけど、楽しい日々だったなぁ」


 守がおもむろに口を開く。そして、どこか懐かしむように感慨深げな声を上げた。


「それ、本音ですか。私は迷惑をかけてばかりだったハズですが」

「ははっ、確かに。最初は思いっきりパンチされたしな」


 ロゼッタが不機嫌そうに(うな)る。暗い中でも、頬を膨らませる様子はハッキリと見て取れた。


「施術ミスだってあったし、所かまわず歯についての指導をねだられたし、正直踏んだり蹴ったりだったよ。一体いつ寝ればいいんだって毎日思っていた。でも――」


 一旦言葉を区切る。

 本当に伝えたいことを強調するための間。

 なぜか緊張感が漂う不思議な魔法。


「ロゼッタが笑顔だったから。まっすぐにひたむきだったから、全部帳消し。いや、幸せの方が大きい。うん、間違いない」


 紡がれた殺し文句。

 ロゼッタの心臓を跳ね上げる殺し文句。


「そ、そうですか……」


 ロゼッタが慌てたように上ずった声を上げた。


 さらにわたわたと手を動かしてから、少しうずくまるようにして肩を丸める。それはもう恥ずかしそうに。


 そして、その動きを見て守は微笑む。どこか(いと)おしい者を見るようにして、優しげに微笑む。


「……ロゼッタ。俺もう、元の世界に帰らなければならない。帰った先に患者が待っているかはわからないけど、また歯医者として頑張っていくつもりだ。だから、ロゼッタも頑張って歯医者を広めてほしい。ロゼッタならきっとできるから」

「……マモル」


 ロゼッタから(うる)みを含んだ声が漏れる。

 同時に、守の目から涙が零れた。


「あ~あ。弟子なんてとらなきゃよかった。こんなに優秀に育つなら、いっそ助手として傍にいてくれたら、どれだけ幸せだっただろうか。別れなんて来なければどれだけ楽だっただろうか」


 守の口から、隠しておくつもりだったセリフが漏れてしまう。胸の奥にしまっておくつもりだった言葉が漏れてしまう。つい勢いがついてしまったために。


「なら――」


 それに対し、ロゼッタが何かを言おうとしてやめる。守をエリクシル王国に留めようとしてやめる。


 なぜなら、残念なことにロゼッタは賢い。守の決意を正しく理解していた。父親(ヨーゼフ)(さと)された後、守の口から元の世界の患者を治療しなければならないということを聞き出していたからだ。


 故に自制する。そして沈黙を選んだ。


 再び部屋の中が静寂に包まれる。だが、先ほどとは違うことが一つあった。それは、二人の息遣いが部屋に響いているということである。


「……マモル。私は立派な歯医者になれましたか」

「もちろん。でもまだまだ未熟だから、今後も励むように」

「もう、手厳しいですわ。こういう時は褒めるだけにするものですよ」


 ロゼッタが笑う。

 守もつられて笑う。


「……師匠。弟子にご褒美、いただけませんか」

「ご褒美か。俺にできる範囲でなら喜んで」


 言質(げんち)取ったり。

 そんな表情で、ロゼッタが悪戯じみた表情となる。


「では、キスしてください」

「そうか、キスか……って何言っているんだ!」


 守の大声が木霊(こだま)した。


「大声を出さないでください。皆、寝ているのですよ」


 形勢逆転、ではないがロゼッタが守を(さと)し始める。ペースは一気にロゼッタのものとなってしまった。まるでお返しだと破顔する、ロゼッタのものとなってしまったのだ。


「お別れのキス。私とでは嫌ですか」

「えっ、あっ……嫌ではないが――」


 守の唇がロゼッタに奪われる――。

 電光石火の早業。


「……(まな)弟子(でし)からのプレゼントです。私のファーストキスなので、一生忘れないでくださいね」


 その時。ロゼッタは覚悟を決めた。覚悟を乗せたキスをした。


 もちろんそんな思いが乗っていることなど、鈍感な守が気付くはずもない。だから、何度も(まばた)きを繰り返して、顔を真っ赤にして固まってしまうのだった。

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