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天国の父が遣わした男

作者: yasuko

≪ だめだよ ≫


あの時、私が受け入れてしまっていたら私達の関係はどうなっていただろうか。今でも少しの後悔が私の心の奥深い所で疼いているような気がする。

もう時系列がどうなっていたのかも覚えていないが、あれは週に2~3回「メシ行く?」と彼から連絡があり、2人で食事をすることが多かった時期であった。いくつかの団体の代表やら理事やらを兼任していた彼は、美味しいつまみを出す居酒屋を良く知っていたので、「下戸」の私の為にそういう居酒屋にも連れて行ってくれたものだった。或る日、例の如く少し酔っぱらった彼と私は帰路についていたのだが、途中で持病の不整脈が出た私は立ち止まってしまった。人通りがなかったとは言え、バス通りの歩道で、驚いたことに戻ってきた彼が私を引き寄せてキスしようとしたのだ。私は咄嗟に彼の口を手で押さえて「だめだよ」と制止してしまったのだ。どうしてか、は今もって分からない。自由奔放そうでいてもやっぱりこれは家庭人として許されないことだ、という理性が働いたのかもしれない。彼の大胆な行動に、よりも、大好きなのに彼のキスを受け入れられなかった自分に私自身が一番驚いていた。あぁ、私は縛られた女になっているのだなぁ、と。


≪ オトナの恋 ≫


最初に興味を持ったのは私の方だった。彼は今まで私の周りにいたどの男性とも違っていた。興味本位でどんどん近づいて来る私に、彼は困惑の色を隠さなかった。遠慮のない私と、いつも一歩引いた位置に立つ彼とでは、相容れることは皆無であるかのように見えた。しかし程なく、私達はある団体で一緒に仕事をするようになり、彼は少しずつ私に心を開く様になっていった。いつも元気で豪胆な感じだが、実のところ心臓に持病があり、不整脈も頻発するし、足も少し悪い、という私を目の当たりにした彼は、実に優しい瞬間を見せた。危ない道では手をつないでくれたり、出かける用事がある時には必ず車で迎えに来てくれたり、と。極めつけは持病を持つ私が、更にもうひとつ持病を持つことになった時だった。検査結果が出た日、私は「どうして私ばっかり」とガックリし、結果が分ったらすぐに連絡しろと言っていた彼にメールを打った。すると彼はたちまちネットで調べ「治らない病気じゃないよ、大丈夫」と病気の詳細をメールで送ってくれたのだが、それを読んでいる最中にも彼から電話の着信があった。「今どこ?まだ病院?」こんなにも心配してくれる彼の気持ちが嬉しくて、不覚にも座り込んで泣いてしまったのを昨日のことのように覚えている。

この感情がどういう類いのものであるか定かではないが、私達の間には何か「情」が通っていると確信している。「大好きだよ」「愛してる」と言う私に「あ、そう?」としか答えなかった彼だが、今では用事がなければ連絡もないし、もう数年会ってもいないが、私達の間の「情」はまだ繋がっていると信じている。そして、究極のオトナの恋とは「行ったり来たりの繰り返し」がずっと続くようでもあり、派手な打ち上げ花火より線香花火のようでもあり、消えそうで消えない蝋燭の灯火のようでもある、と思うのである。


ここからは、実は私の心の安定の為に、亡くなった父が私の元に彼を寄こしたのではないかと感じた出来事をお話ししよう。


≪ ある年の二月 ≫


「あ・・・・」

「なに?」

「いや、これ・・・これ、何ていう梅?」

「あぁ、これ?青軸系の月影だよ。キレイだろ?」

ゆっくり近づいて来たこの友人は神職についている。

代々神主という家の長男に生まれ、ただ何となく家業を継いだ男。

それが二十年以上の時を経て、今では「生まれながらの神主」の体なのだから不思議である。

この男はちょっと見、どんなことにも動じず、穏やかで、ある種「達観」しているように見えるが実は、警戒心が人一倍強く、自分の内面を決して人に見せようとしない臆病者である。この男がそうなった理由は簡単、この町に彼のプライバシーが無いからである。さもありなん・・・、「地元で有名な○○神社の神主」であるからして。

私達はひょんなことから知り合ったのだが、私は彼とは対極に位置する人間と言えるだろう。ちょっと見も内面も殆ど変わらない私は、警戒心の欠片もなく、あけすけで、いつも自分の心に正直でありたいと願う女である。自分が心を開けば相手も必ず心を開いてくれると信じる女でもある。そんな私のストレートボールを受け続けたこの男は、少しずつ私に心を開きかけている。と言うか、本来の性格を取り戻しつつある・・、と言ったほうが正しいのかもしれない。しかし、誰にも見せなかった「自分」を、いや本人すら知らずにいた「自分」を女である私の前でさらけ出し始めていることに、きっと戸惑っているのだろう、開いたと思った心は時としてピシャッと閉じてしまい、その度に私は「なんだ?」と理解に苦しむのである。まぁ、しかし、何だかんだと言いながらも、私達はあっと言う間に「何十年来の親友」のような関係になった。

彼の神社は繁華街のすぐ傍で、しかも電車の音のやかましい線路脇にある。

「風情」という点では誰も及第点をつけないだろうが、私にはこの境内に大好きな場所がある。そこに一歩足を踏み入れると、羽衣がフワッと空から舞い降りてきて私を包み込む。今は使われていないその古い社殿には絶対に神様が棲んでいる、と私は信じている。

今日も用事で出向いた私は、まずその社殿に行き、腰を下ろし境内を眺めていた。そして、まだ寒いというのに一斉に蕾をつけ始めた沢山の梅の木の中のただ一本が、私の目を惹いた。薄い緑色の額に白い蕾が目にも清々しい一本の木。それが、彼の言う青軸系の「月影」である。近づいて顔を寄せると、私が目を奪われた枝には、ふっくらと丸い小さな蕾が行儀良く並んでいた。触れてみたいという願望が、私の手を無意識のうちに動かしたその時、何かがグッと私の手を引き寄せた。

「だーめ!」

ビクッとして振り返ると、彼が私の手を掴んでいた。

「おまえさー、欲しいんだろ?その枝」

「いや、触ろうと思っただけだって・・・」

「嘘をつけ、嘘を!分かりやすいよな、その欲しい時の癖。じっと見てそっと近づいて、手を伸ばす」

「嘘じゃないって・・・」

「正直に言ってごらん?欲しいんだろ?」

「え?まぁ、実はちょっと・・・」

「ほれ見ろ!」

「桜は艶やかけど梅は綺麗だよな。楚々として、しかも凛としてる・・・」

「だね」

「梅にはさ、絶対に精霊が宿ってる」

「そっかぁ?」

「うん、梅って美しいよな・・。私、梅が好きだ」

「しかも青軸系の、か?」

「うん、これ見ていると思い出すんだ」

「なにを?」

「北海道のこと・・・」


私がこの友人を「羨ましい」と思うのは、この町を「地元」と呼び、愛しているところである。私には「故郷」「地元」と呼べる場所がない。それは、父が「転勤族」であったことに起因している。しかし、そんな私にも唯一「あそこが私のルーツ」と思える場所がある。目を閉じれば、いつでも風景が蘇ってくる私のパラダイス・・・。そこは、父の勤務する会社が所有する「鉱山」の町で、オホーツク海に程近い山奥にあった。町全体が「社宅」であり、どんな噂も一日にして町じゅうに広がるという怖い場所。この劣悪な環境は、母にとっては苦痛の連続だったに違いない。だって、留守がちな父の分まで家を護っているのに、娘はとんでもない問題児だったのだから・・・。

今の私があの山奥で生活できるか?と言われれば答えはNOだが

子供の私にとって一歩外に出れば冒険が待っている自然豊かなその町はパラダイス以外の何ものでもなかった。

自然が多いということは同時に危険もいっぱいある。

だから母は私に「してはいけないこと」をゴマンと言って聞かせた。

例えば「裏を流れる川は急流だから遊んではいけない」がその一つであった。

我家からすぐのところにあった川はいつでもゴーゴーと凄い音を立て、「立ち入り禁止」の立て札がしてあった。

危険であることは一目瞭然で、そこで遊ぼうと考える子供はいなかった。私以外には・・・。

小さな橋を渡った所に獣道があり、そこを降りると川に大きな岩が突き出している魅力的な場所があったのだが、実はそこが私の「秘密基地」であった。

勿論母には内緒の「秘密基地」なのだが、そばの野いちごを食べて口の回りを汚したり、漆の木に触ってかぶれたりするおっちょこちょいの私は、結局一度も母をあざむくことが出来なかった。

例えば「熊放送があった時は中学校に行く山道には行かない」もその一つ。

当時、この町の電信柱にはスピーカーが取り付けられていて、朝夕のチャイムの他に主要なお知らせは全て会社が有線放送で流していた。

その中でも「熊放送」は、危険この上ない放送であった。もし熊が町まで下りて来たら大ごとである。が、しかし、私はこの放送があると納屋から草刈用のナタを持ち出して出かける。大人たちが大騒ぎするほどの熊に一度会ってみたい、と真剣に思う少女だったのだ。残念ながら、一度も会えなかったことが今でも悔やまれる。

そして厳寒の地の冬は「遭難」という危険をはらんでいたから、当然「禁止令」はたくさんあった訳で・・・。家の一階部分は雪で覆われ、玄関の前に階段をこしらえなければならないほどの豪雪地帯。毎朝、暗いうちからブルドーザーが道を作ってくれるのは、うかうかしていると家から一歩も外に出られなくなるからだ。沿道は背丈よりも高い「雪の壁」になる。登下校時にわざと「壁」に登ってはいけない・・・レッスンバッグをそり代わりに使って道路で遊んではいけない・・・5~6時間目の体育がスキーの時にはそのまま道路を滑って帰って来てはいけない・・・学校がお休みの時にスキー場で遊ぶ場合は明るいうちに帰らなければいけない・・・。どれもこれもが「やってごらん?面白いよ!」と私の耳元で囁きかけた。

「北海道?」

友人の声で我に帰った。

「うん」

「あぁ、小学校まで住んでいた?」

「うん、あそこは天国だった」

「そりゃ、お前にとっちゃパラダイスだっただろうなぁ」

「うん」

「目に浮かぶな、お前の破天荒ぶりが、アハハ!」

「そこまで言うか・・・」

おっしゃる通りである・・・。

一度家を出たら、どこに出没するか分からない私を、知らない大人はいなかったと思う。町は5~6つに分かれていて、会社に近いほど地位の高い人が住んでおり、一番遠い所は炭鉱夫さんたちが住んでいた。学校に行けばその生活レベルの差は一目瞭然で、子供心にでも分かるものだった。炭鉱夫さんの子供達はツギハギだらけの服を着て、お風呂に行かないからそばに来るとプーンと匂う。子供は残酷な生き物だから、諍いや虐めがあっても可笑しくなかった筈なのに、なぜか私にはそういう記憶が無い。それは、きっと先生達のおかげである。先生達はきちんと子供達を躾けて下さっていたのだと思う。

我家は会社に一番近い所にあり、そこは言わば「エリート集団」が住む場所であった。当然その奥様達の中にもエリート意識はあったのだろう。だから炭鉱夫さんの居住地に行くなと子供に言いきかせる人もいたらしい。幸いにして、私の母はそんなことを言う人では無かった。歩けば一時間もかかる炭鉱夫さんたちの住む地区まで私が遊びに行けたのは、母のお蔭であることは間違いない。ガキ大将をも手中に収める「オテンバ少女」でもあった私は、ちょっとした「町の有名人」でどこに行っても「今日は早く帰るのよ」「遠くまで行っちゃ駄目だぞ」と声を掛けられた。そして、妙に人懐っこかった私は、あらゆる地区でお菓子やジュースをご馳走になり、酷い時は晩ご飯までご相伴に与りと、この上なくラッキーな子供だったのだ。多分、父は会社で上司や同僚に、母は近所で奥様たちに、そんな私の素行について色々と言われていたに違いない。学校でもバケツを持って立たされる娘であるからして、きっと母は米搗きバッタのように謝っていたであろう・・・。しかし不思議な事に、私は両親からそういう話を聞かされた記憶が無いのだ。

「で?なんで梅なの?」

「うん、父がね・・・」

「亡くなったお父さん?」

「そう・・・」

父は、地質学者だった。

子供の頃から山歩きが趣味だった、というのは父の葬儀の日に父の従姉妹だという初対面の老婦人から聞いた話しだ。

転勤が決まり、パラダイスに一歩足を踏み入れた父は、どう思ったのだろう?

四方を山で囲まれたシチュエーションはきっと父の「血」を騒がせたに違いない。この山を全部掌握してみせる・・・そう願ったに違いない。

しかし、父の願いは叶えられることはなかったと思う。

何故って、ゆっくり家にいる時間もない程、年がら年中出張に出かけていたから。父の出張はいつも「何ヶ月単位」で、長い時は半年以上も帰ってこなかった。大正生まれの父は、同年代の男性の多くがそうであるように、家庭を顧みる人ではなかったし出張で家にいることが少なかったから、娘達とコミュニケーションをとるのが下手くそだったのだろうと思う。それは晩年まで続くのだが、私は父を亡くしてから痛切に感じていることがある。

父が大好きだった・・・・・。

父のことをもっと知りたかった・・・・。

父がどんな青年だったのか、何故大学に残らずに企業に就職したのか、どんな本がすきなのか・・・・。

クラシック音楽のどこが好きなのか、どのスポーツが一番好きなのか、そして・・・私のことをどう思っているのか。

私は何一つ父と話さずにいた自分を今でも恨めしく思っている。

父は山歩き好きが高じて、地質学を学んだのだろう。

暗室を持っていたのも自分が写してきた写真を自分の手で現像したかったからだろう。山を歩いていると様々な植物に出会うから、それで植物も好きだったのだろう。こんな風に、何もかもが想像でしかないことが悲しい限りである。

パラダイスの前に二年ほど住んでいた札幌では薔薇、パラダイスの我家はとても広い庭がついていたから、芥子や鈴蘭の他に野菜を栽培し、終の棲家となった東京近郊の家では、蘭・・・。どんな植物でも、父の手にかかるとスクスクと育った。どこに棲家を変えようと、私の中の休日の父の印象は「庭いじりをする痩せた大きな背中」なのである。私は父に似なかった。花も植物も好きなのにすぐに枯らしてしまう・・・。

パラダイスでのお隣は、病院の院長先生のお宅で、私は例に違わず良くお邪魔していた。院長先生のお宅の庭にも色々な花が咲いていたが、その中で毎年私を惹きつける一本の木があった。我家の庭には無かった梅の木がそれである。

パラダイスの春は遅いが、梅は寒さに負けず蕾をつける。まだ雪が残っていようと、これから名残雪が降ろうと、梅はひるむことを知らない。枝には小さくてふっくらと丸い真っ白な蕾がお行儀良く並んでいた。

可愛い・・・

そしてある年、私はとうとう一枝しっけいしてしまったのである。

家に戻り、コップに水を入れ、枝を刺して机の上に飾り、父の帰りを待った。

仕事から戻った父は「ほら、キレイでしょう?」と言おうとする私をひどく叱った。どうして手折ってきたんだ? 花はあるべき場所で咲くから意味があるんだぞ!確かそんな意味合いのことを言われたと思う。ただ父を喜ばせたかっただけなのに、父の嬉しそうな笑顔を見たかっただけなのに・・私は、父が娘よりも植物の方が好きなのだろう、とショックを受けた。

だからなのか余計に、梅は私の中で最も好きな、印象深い花なのである。

「てか、何だかんだ話しながらも、その枝狙ってない?」

「人の話し、聞いてたのか?だから、狙ってないってば・・・」

数日後、この男から写メールが届いた。

「欲しがっていた月影の枝。写真だけプレゼント」

携帯の画面には白く綺麗に花を開かせた梅が写っていた。

あの日、家に戻りネットで検索した所、最近の現地の写真にヒットした。

とうの昔に閉山したパラダイスは変わり果てていた。

画面に映った数枚の写真を見ながら、私は泣いた。

学校も病院も住宅も何一つ残っていないパラダイスが妙に悲しかった。

「ありがと・・・」

「挿し木して、上手くついたら分けてあげるから」

「待ってるよ」

子供の頃の私を魅了して止まなかった梅が「青軸系」であることを教えてくれたこの友人がどうして父や故郷のことを私に思い出させるのだろう・・と、私はこの時考え始めていた。


≪ ある年の四月 ≫


ある団体で知合った私達は、その日の午後、会議に出席する予定になっていた。

「迎えに行くよ」

「何時?」

「10時だな」

「10時?会議は午後からじゃん」

「メシ食うんだよ、メシ・・・」

迎えに来た彼の車に乗り込み、私はすぐに提案した。

「桜、見に行かない?」

今は桜が満開の季節である。

「うん、そのつもりだった。お花見したいって言ってただろ?」

覚えていてんだ・・・、聞き流していると思っていたのにちゃんと覚えていたんだ・・・。

「そうだったのか、だから早目に迎えに来たんだ・・」

「また、一人で遠出されたら敵わんからな・・。フラフラと・・。」

体調があまり良くないのに静岡まで一人で車を飛ばして梅を見に行った時のことを言っているのだろう・・。

「あ、あの時のこと・・ソーリー・・」

「でもな、どこに行っても誰かに会うし・・・。じゃ、あそこに行くか・・」

連れて行ってくれたのは少し離れた所の川沿いにあるお寺だった。

駐車場に車を停め歩き出した彼が、ふいに立ち止まった。

「あっ!」

「なに?」

屈みこみ、駐車場の砂利の中から何かを拾い上げた。

「ほら、黒曜石」

「あ、ホントだ」

「駐車場に敷きつめてある砂利の中には黒曜石が混ざってるんだよ」

「ほら、ここにも!」

嬉しそうに拾い集める彼を眺めながら、私は父を思った。

山歩きが好きで石が好きだった父もこうやってほんの少しのことにでもアンテナを張りめぐらし、興味を惹かれる石を拾い集めていたのだろう。だって、家には訳の分らない石がいっぱいあったもの・・・。

父も、石が好きだったな・・・、まぁ、仕事だったしな・・・。

この人は本当に父と・・・。

「なあに?」

「ううん、なんでもない。拾い集めてどうするの?」

「ん?家にもって帰って洗って飾る!」

「ふふっ」

「何が可笑しいのさ?」

「いや、別に・・・」

お寺の境内には立派な桜の木があった。

「満開だ・・」

「うん、派手だな~」

「桜は艶やかだよね。梅とは違う・・・」

「だな・・」

桜は風に揺れ、少しずつ花びらを散らしていた。これからやってくる新緑の季節を暗示するかの如く。

お寺の裏側は小高い山になっていた。

「あ・・・、知らなかったな。行ってみるか?」

「うん、良いよ」

この男は植物を愛でることに秀でているから、どんなことも見逃すまいとアンテナを目いっぱいに張る。

「あ・・、これはさ、知ってる?昔の人が葱として食べてたんだぜ」

足の悪い私と手をつなぎ、ゆっくり歩きながら、時々立ち止まってはそんなことを話してくれる。彼との時間は、妙に私を落ち着かせる・・・。どうして?どうしてだろう・・・。

「デジカメ、忘れた・・・」

「ククッ・・」

「なんだよ?」

「ううん、なんでもない」

私は、この男と知り合ってビックリ仰天したことが二つある。

一つは、会ったばかりの人に携帯のメールアドレスを教えてしまうこと。

もう一つは、いつもバッグにデジカメを入れて持ち歩いていることであった。

つい笑ってしまったのは、普通のおっさんはデジカメなんて持ち歩かないし

だから「デジカメ忘れた」なんて台詞は、きっとこの男からしか聞けないだろうと思ったからだ。少なくとも、今迄私の周りにいた男性に、こういう人はいなかった。


≪ ある年の九月 ≫


彼は生まれてからずっとこの町で暮らしている。だから、この町の事なら何でも知っているし、勿論、どこにいつどんな植物が芽を出し、花を咲かせるかも熟知している。

「あっ!やっぱり咲いてる!」

「なぁに?」

「うん、ちょっと待って!近づけてあげる」

あるイベントに参加する為、車で移動中だった私達。それは細い脇道に入ってすぐのことだった。彼は林の傍に車をピッタリと寄せて停め、自分は降りていき斜面に足をかけデジカメを向けた。良く見ると、真っ直ぐに上に向かって小さなピンクの花を付けた植物が生息している。

「かわいいね」

私は助手席の窓を開け、そう言った。

「うん、かわいいだろ?ツルボっていうんだ。そろそろ咲くだろうと思ってたんだ」

私をドキッとさせたのは、斜面に足をかけデジカメを被写体に向けているその姿だった。

お父さんだ・・・、まるでお父さんだな・・・。

散歩に出かける時の父は、必ず愛用の一眼レフを持っていた。八ヶ岳の別荘にいる時もそうだった。歩いていると、おもむろに草むらに入っていき、何かにカメラを向ける。聞いた事はなかったが、多分そこには父の好きな植物が生息していたのだろう。とは言え、私が父のそんな姿を目にしたのは、ほんの数回でしかない。もっと父のことを知りたかった私にとって、ほんの少しのこの父の印象が「父の全て」なのである。だからこそ、彼のこういう行動が父を思い出させ、私を感傷的にさせるのかもしれない。

「うまく撮れた?」

「うん・・ほら」

車に戻って来た彼が、デジカメの映像を見せてくれた。

接写モードで撮った花の写真はとても上手に撮れていた。

「上手に撮れてる・・・、愛情が感じられるな・・」

「だろぉ?」

「ツルボって線香花火みたい・・」

「あぁ・・そう言われればそうだな・・」

この人はお店に並んでいる花より、野山にひっそりと、だけど逞しく咲く花を好む。私の彼に対する第一印象は「器用で、人のあしらいが上手い人」だった。だけど、ここ数ヶ月で見事にその第一印象が違っていたことに気付いた。思ったよりずっと不器用でシャイな男なのである。自分の気持ちですら持て余し、表現する前に面倒になって投げ出してしまうタイプ。そういう人は植物を愛でる。

私はそのお手本を知っている・・・父である。

私は、容姿も風貌も父とは似ても似つかないこの人が、ことある毎に父を思い出させるのがこの性格的な部分と、もう一つは「周りを流れる時間」であることに辿り着いた。この人を取り巻く「時間」は父のそれと同様、ゆったりと流れる・・・。時々、家族よりも・・・、と言うより「血の繋がりよりも」と言ったほうが正しいかもしれないが何しろ、そんなものより「濃い」ものを彼に感じる時がある。体の一部、もっと言えば「自分」を彼の中に感じる。

だから、一緒にいる時間がシックリ来るのではあるまいか・・・。


私は最近つくづく思う。この人は、ひょっとすると天国の父が私に遣わしたのではないだろうか?と・・・。もう会うことも触れることも話すことも叶わないけれど愛して止まない娘に自分の「愛情」をこの人を通して伝えているのではないだろうか?と。それが伝わってくるからこそ、愛していた父や故郷のことを思い出すのではなかろうかと。

「きっとお父さんが天国からアンタをよこしたんだね」

今度そう言ってみようか・・。

「はぁ?またそういう訳の分からんことを言う!」

きっとそう言って歯牙にもかけないのだろうな・・。

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