074-すべては美しい世界のために
【聖王歴124年 青の月14日】
後日、ジェダイト帝国から戻ってきた使者が一冊の本をテーブルの上に置くと、力無く椅子へ腰掛けた。
その本は表紙が酷く焼け焦げていて見る影も無いが、ツヴァイは表紙に飾られた装飾を一目見て、それが何であるかを察した。
『先生の聖書……!? アインツ先生が見つかったのですかっ!!』
ツヴァイの問いかけに、使者の男は悔しそうに首を横に振る。
「旅の馬車が何者かに襲撃された後、先生の所持品は積み荷ごと焼かれたらしい。奇跡的に聖書だけは道の脇に落ちていて焼け残ったが、先生の消息は分からないと……。だけど、恐らく先生はもう……うぅ……」
そこから先は言葉が詰まり、使者の男はテーブルに伏せて泣き出してしまった。
状況からその答えは言わずとも分かるが、どうしても彼はその言葉を口にすることが出来なかった。
何故ならば、彼もまた絶望の縁からアインツに救われた一人だったのだから……。
『なんという事だ……』
真実を聞かされ、ツヴァイも力無くその場に座り込んだ。。
「帝国の連中は、恐らく金銭目的で襲ったのではないかと白々しく言っていた……だが、金銭目的で馬車を襲って焼く奴が居るものか!」
恐らく犯行に及んだのはジェダイト帝国の者であろう。
つまり、力こそ正義という国の価値観に対し、神という新たな価値観を持ち込もうとしたアインツの存在は反対勢力と見なされ始末された、と。
この状況においては、それ以外の理由を考えられない。
『……まだ私から奪おうと言うのか、連中は!!!』
ツヴァイは激高し、少年時代の自分と同じようにテーブルへ拳を叩きつける!
……幼き日の自分を苦しめるだけに止まらず、離別した今も立ちはだかる元凶。
その全ての頂点となる帝国を統べる者、獣王ビスタイガー……。
『だがこれで確信した。やはり旧来の教え通り、神は人を創り、悪魔が獣共を創ったに違いない……! 例え人と同じ言葉を使おうとも、悪魔の手下共に神の教えなど理解出来るわけがなかったんだッ!!!』
そう叫んだ自らの身体にも、半分は汚れた獣の血が流れている。
だが、残る半分の「人である自分」が正しい道を拓けと訴えかけてくる。
そのためには何が出来る!?
無力な聖職者たる自分に出来る事は何だッ!!!
『……ん?』
そのとき、ツヴァイは焼け焦げた聖書に違和感を覚えた。
焼け焦げて剥き出しになった裏地に、何かが見えたような気がしたのだ。
『すみません、先生の聖書を貸して頂けますか?』
「あっ、はい! むしろ、私がこのような大切なものをずっと預かるわけにはいきませんので、教会で管理して頂けると助かりますっ!」
『ありがとう。これは裏地装飾……いや、神聖文字……?』
使者から手渡された書の表紙の焦げ跡に書かれている文字を見て、ツヴァイはハッとなる。
『き、君はこれを見て何か思わないのかっ!?』
「えっ!? い、いえっ、そんな事はっ! 美しい装飾が焼け落ちて、無地がさらけ出されている様が痛々しく……」
『無地……ですか?』
「は、はあ」
ツヴァイは思わず本と相手の顔を交互に見てしまうが、彼の表情や反応を見たところふざけているようには思えない。
『……まさかっ!?』
これが見えているのは……私だけなのか?
使者の表情を見て、彼はそう確信すると焼け焦げた表紙に浮かび上がった文字を目で追った。
そこに書かれていたのは――
【天地創造の書】
ゼロから始める第四世界
◇◇
それから部屋にこもったツヴァイは、ひたすらにアインツの遺した書と自分の持つ「写本」を比較し続けた。
そして、全ての差異を調べ上げた結果、アインツの聖書にはところどころ「本来とは違う文面」が書き足されている事が判明した。
その不思議な文字はアインツのものとは筆跡が異なるうえ、インクの劣化具合から考えて「書かれていた内容に上書きするように聖書の文章が追記された」と考えられる。
しかも、驚く事にそれが見えているのは自分だけで、他の人には普通の聖書にしか見えなかったのだ。
彼にしか見えないのは自分が半獣人だからなのか、それとも神が彼にだけ見せているのか、そこまでは分からない。
『全ての魂を捧げし時、救済は訪れる……』
だが、その一行に心を強く動かされた彼は、この聖書の言葉が全て神の意志であると信じる道を選んだ。
それが実現すれば、かつての美しい世界を取り戻す事が出来る……!
実現のためにどのような犠牲があろうとも、引き下がるわけにはいかない。
『全ては神の導きのままに――』
【聖王歴125年 白の月 1日】
その後、ツヴァイはアインツの代行者として立派に務め、ついに皆の推薦によって偉大なる大司祭の名を継ぐ事となった。
このとき彼の年齢はわずか三十五歳。
二十九歳で大司祭となったアインツに次いで二番目という異例の若さではあったものの、彼が大司祭になる事を反対する者は誰一人としていなかった。
『生きとし生ける者すべてに神の祝福を』
アインツを失った失意の底にありながら皆を不安にさせぬよう笑顔で導き、貧富を問わず誰にでも平等に接し、悩める人々を救う姿……。
彼は紛れもなく聖者であり、燦然と輝く聖王都中央教会史における模範とも呼べる存在となった。
『……』
だが、ツヴァイの笑顔の裏側に潜む決意を……彼の真の目的を知る者は誰も居ない。
約一年をかけて聖書を全て解読した彼は、既に自らの運命に向けて歩み出している。
『あと少しです、先生』
大司祭室に戻った彼は、自らが翻訳し書き上げた『真実の書』を手に、窓から遠く東を眺めていた。
他の人には決して見せる事のない冷たい目が向かう先には、木々の生い茂る深い森……人類誕生の聖地。
今はまだその時ではないが、いつか来るべき運命の日には、そこにあるとされる『賢者の石』へ終末を宣言する事で、この世界を新たに創り直す事が出来る……。
彼がたどり着いた真理は、神による世界創造ではなく、その対となる考え方であった。
つまり、彼の最終目的とは――
『私に課せられた使命はただ一つ! かつて悪魔の手下共に奪われた聖地を奪還し、心清き人々と共に美しい世界を取り戻す事!!』
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こうして、大司祭ツヴァイは全ての人々を救うために戦う事を誓った。