聖女の婚礼
聖女が今日、王太子殿下と結婚した。
聖堂から出て来た二人は、純白の衣裳に身を包み、祝福の鐘と降り注ぐ花びらに彩られ、それは神々しくも幸せそうな光景だったそうだ。
朝から神殿の掃除や祈祷に忙しく、エレンが漸く昼食にありついたところに、同僚の女神官フィーナからそんな話を聞かされた。彼女は思う。
聖女、ここに居るんですけど。
取り敢えず、固くてボソボソするパンをスープに浸して食べる。腹が減っては力が出ない。午後も仕事は山積みなのだ。
偽者の正体は分かっている。浄化の旅に出た際に雑務に雇われていた、エレンと同じ平民の少女アリアだ。
聖女は人や魔物が出す瘴気を浄化するのが務めだ。それしか出来ないとも言える。毎朝の祈祷で王都とその周辺の瘴気は浄化しているが、流石に国全体までは及ばない。その為十年程の周期で、主要地点に設けられた祭壇へ祈りを捧げる巡礼の旅に出るのだ。
エレンは12の年に聖女として見出され、14歳で一度目の旅に出た。
その時は初めての事だらけで、全て周りの大人達に言われるがままに動き、神輿に担がれるようにして何とか終える事が出来た。それから十年の間に研鑽を積み、二度目となった今回の旅では名実共に指導者となるはずだった。
全ては同行予定に無かった王太子の登場でおかしくなっていったのだ。
「でも、聖女って貴方の他にもいたのね〜」
「そんな訳ないでしょ」
いたら神殿に囲われている。
「え? だって王子と式挙げてたよ」
とその時、こちらに近づいてくる多数の足音に気が付いた。
普段静かな神殿で何事だろうと二人で顔を見合わせていると、扉が開け放たれ、着飾った人達と兵が入り込んで来た。
「ここにいたかエレン! 聖女を騙った罪で、貴様を処罰する!」
式を挙げたばかりの王太子殿下御一行だった。
聖女を騙る事で処罰されるなら、貴方の隣にいる奥さんからどうぞ——そう考えながらも、エレンは言うべき事を言った。
「王太子殿下、ご成婚おめでとうございます」
「うむ。——何を呑気な事を言っておる。これより貴様の罪を詳らかにするゆえ、覚悟するがいい」
「そうですよ、エレンさん。聖女と共に旅に出たのをいい事に、自分が聖女だと名乗ったと聞きましたよ! 悔い改めるなら今のうちですよ!」
果たして反論は許されるのだろうか、そして自分は食事の途中だったのだが、食い改める事は出来るのだろうか。それがエレンの現在最大の関心事だ。
「先ず一つ、貴様は自分の役目を放棄して、このアリアに下働きの仕事を押し付けたな」
「エレンさん、私にそんな事してたんですか?! それは駄目です。私的には既に有罪です!」
その場にいた全員がアリアを見た。
「ん? なんですか?」
きょとんとして何も分かっていない様子の彼女は、王太子の方を窺う。
「気付いてなかったのか。全く君は優しいな。正に聖女に相応しい」
愛おしげにアリアの頬を撫でた。
「えへへ、褒めすぎですよ」
「あのー、発言よろしいでしょうか」
甘い空気にも負けず、フィーナが果敢に切り込んだ。
「許す」
少女の頬にキスを落としてから、王太子が向き直る。
「あの、エレンが職務を放棄していたら、国の浄化は終わっていないはずです。それから、アリアさんは下働きとして雇われたのでは?」
「その女は寝てばかりいて、最初からやる気など見られなかった。起きている時には雑事を押し付け、アリアの浄化の邪魔をしていたくらいではないか!」
「え? 私、浄化してたんですか?! あ、洗濯物や食器をキレイにするとか?」
再び少女に注目が集まる。
「何を言っているんだ。大丈夫、アリアが頑張っていたのは知ってるよ。いつも祭壇の間に篭った後はフラついていたから、とても心配していたんだよ」
「はい、人生最大と言っていい苦行でした。お祈りの時、正座で待機してるんですよ。ずっと座ってるから、もう足が辛くって!」
「え?」
困惑する殿下にエレンは説明することにした。
「祭壇の間には私に何かあった時の為に、見届け人を付けることになっています」
「お前が部屋から出て来るところなぞ見た事がない。どこかで油を売っていたのだろう」
「疲れて動けないので中で休んでいました」
エレンは夜明け前から部屋に篭り、祭壇自体に祈りの力を込めまくっていた。そうする事で、祭壇が浄化の力を発するようになる。体力温存の為、日中は横になっていることが多かった。
朝ゆっくりと起きる王子は中に誰がいるのか知らず、出て来た人物だけで判断していたのだ。
ちなみに見届け人は交代制で、アリアは最後の一時間を担当していた。
「し、しかしだ。まだ年若い少女に雑用を押し付けていただろう」
「雑用係りとして雇っていましたから。主に私の身の回りの世話をする為でしたが、殿下から『旅の最中だと言うのに自分の事も出来んのか』とご意見いただきまして、彼女はほぼ仕事をしておりません」
「そうなんですよ〜。実入りは良かったですけど、もうヒマでヒマで〜」
いや〜参りましたと少女も相槌を打つ。
「なんだ、何も間違ったことは言っていないではないか」
王子が安心したように言ったが、それは話が逆なのだ。
「平時は私達神に仕える者は、身の回りの事は自分でやっております。ただ旅の間は別です」
「……旅の間こそ身を処すべきだろう」
「移動だけでも長期間王都を空ける事になります」
王都にも祭壇はあるが、人が多い分瘴気も多い。犯罪率も上がって行くのだ。
「三ヶ月はかかったな」
「その通りです。その為最短での帰還を求められる聖女は、長期間持つようにぶっ倒れる程全力で力を注ぎ、かつ休憩は短時間で移動を繰り返さないといけないのです。とても疲れて髪も梳かしたくありませんでした」
王子の判断により、本当に迷惑していたのだ。『聖女は清貧でなければ』と同行する女神官の人数を減らされ、祈りを捧げた後はフラフラになりながらも、たった一人の女神官の協力を得て、なんとか洗濯や身支度を済ませることができた。それどころか、アリアの分まで任されそうになったが、『自分の事は自分で』と言い返し、なんとか回避した。
彼女もおかしいと思ってはいたのだ。恐らく彼は、顔合わせの時に自分の話ばかりしていて、肝心の聖女の顔は碌に見ていなかったに違いない。旅に出てからは、皆似たような旅装だった。
最初は親切にしてくれていた護衛達も、王子の対応を見てから扱いが雑になって行った。
エレンは当時、これも神の試練かと受け入れていたが、今になって思い返せば、王子の人気取りの為に余計な苦労を負わされただけであり、恨み言の一つも言ってやりたいところだ。
おまけに彼自身は従者もついて、祈るわけでもないので移動時間に余裕もあった。少女も彼に呼ばれて一緒に移動していたので、本当に一時間見届けるくらいしか仕事をしていない。しかも祈り終わって倒れているエレンは放置だ。巡礼三箇所目にはアリアが出て来た事が合図になって、他の者が介抱に向かうという首をかしげるような流れになっていた。
エレンの話を聞いた王子は、青くなって動かなくなった。
彼はいくつかの罪状を用意していたが、『聖女を騙り、本物の聖女を虐げた』という大前提が覆った為に、全て使い物にならなくなったのだった。そして聖女ガン無視で、実は足が痺れただけだったアリアを抱き上げ労っていたという事実が己を苛む。
その間に少女は御付きの者から丁寧な説明を受け、「え? 聖女って私のことだったの?! 同じ日に聖女様が別の王子様と結婚するんだと思ってた!!」と追い討ちをかけていた。
黙っていた王子が漸く口を開いてこう言った。
「今日は王太子の婚礼という目出度い日だ。私は、私自身に恩赦を出したいと思う」
この国には最近出来た教訓話がある。
そこに至るまでの経緯は色々と創作されているが、結論は「逃げ道を用意しておけよ」というものである。
その話を耳にしたエレンは思うのだ。あの時のキモはそこじゃ無かった。必死に取り繕った王子に可愛げを感じたから自分は許したのだと。あの発言を思い出すと、すっかり冷めていた食事も美味しくいただけた。スープは少々噴き出してしまったが――。
あれから王子は神殿には寄り付かず、彼女がたまに城に上がると、「よく来てくれたな。じゃっ」と片手を挙げ、すたこらさっさと逃げて行く。それが面白くて、以前より頻繁に足を向けるようになってしまった。
国王からは、「儂は『健気な少女と結婚したい』としか聞いてなくてな。害意はなさそうなので許可したのだ。下手に利口な女よりは始末が良いからな」と若干黒い説明を受けた。
もし王子の失態で国が傾くような事になれば、浄化を理由に神殿を出て他国に逃げるつもりだが、あの様子ならそこまでの事にはならないだろう。
瘴気を浄化するついでに、ちょっとだけ心も浄化されている呑気な国民は、今日も愛するべき聖女様に感謝を捧げる。
祈りの間で民の感謝を感じ取った聖女は、自身も平和に感謝し、平和を体現したかのような間の抜けた王太子夫妻の断罪劇を思い出しては笑みを浮かべるのだった。
前後編で復讐系ざまぁ物語の予定でしたが、王子が「うむ」と応えたことでその後の全てが変わってしまいました。面妖な……。






