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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第二話 女神の輪郭
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3 紅

 

3 紅




 姫の部屋は屋敷の西側にあるが、南向きで非常に日当たりがいい。 


 部屋と外界を隔てるいまいましい戸という戸をすべて開け広げると、広々とした庭が一望できた。最初に目に飛び込んでくるのは、緑から朱や黄のドレスにお色直しをしつつある楓や銀杏。 

 重力に身を任せ、ヒラヒラと最後のダンスを競い合っている。 

 その木々の足下には鯉が優雅に水音を重ね、大きな池に波紋を描く。 

 池を挟んで反対側には、梅、桃、そして桜の木たちが、お互いにお互いを引き立てるように立ち並んでいた。 


 どちらも冬仕度にかかるという頃合いにも見える。 


 つい今しがたまでバタバタとしていた姫の部屋も平安が訪れたと思えば、部屋に姿を現した藤乃が嵐を運んできた様子。 

 藤乃は軽く一礼すると真っ直ぐに姫の前へと進み出て、言い放った。 


「父上様がこちらへ参られます」 


 その言葉に、姫は息をのむ。 

 藤乃は姫の返事を待たずに、館の主を部屋へ迎え入れる準備を始めるように部下たちに指示をだす。 

 指示をうけた女官たちは、大急ぎで姫の乱れた衣服を着替えさせ、髪を整え始める。部屋も、普段は用をなしてない几帳が並べられ、花の生けられた花瓶がどこからか運び込まれる。 


 父親相手にここまで取り繕ったとしても、もうバレてると思うのだが。 

 姫は、あっという間に様変わりしていく部屋と自分の姿に毎度ながら呆れた。 

 そんな様子を藤乃の鋭い目が見守る。姫に異を唱えさせるものか。その目が口よりもはっきり物を言っているように姫には感じた。 


「ち、父上はなに用で?」 


 されるがままの姫は、顔をひきつらせながら藤乃に問いかけた。 

 また説教だろうか。それとも、先ほどの用件だろうか。 

 思い当たることが多すぎて、かえってわからない。 


 (今くるなんて……間が悪く目を覚ましたりしないといいけど……) 


 姫は襖で仕切られた隣の部屋をチラリと盗み見る。 

 隣の部屋を父に見られたら大変だ。 

 何を言われるかわからない。 

 その前に藤乃にバレるわけにもいかない。というのも、そこに年端もいかぬ子供が寝ているからだ。 

 内心どきまぎしながら姫は素知らぬ顔を決め込む。 


「さあ?」 


 低く重い声が帰ってきて、姫は打ちのめされた気分になる。 

 知っているくせに、と恨めしそうに睨めば、日頃から慎みを持って行動してください、という藤乃の反撃にあえなく敗退することとなる。 

 そうこうしている間に、部屋に父が姿を表した。 


「尚子」 


 父は大股で姫のところへ歩み寄る。姫はさっと上座を譲りひれ伏した。 

 それとほぼ同時に父は女官たちを部屋から下がらせる。 


「はい」 


 女官たちの着物のすれる音を聞きながら、姫は伏せたまま短く答えた。 


「おまえ、あの男をどう見た」 


 姫はすっと顔をあげ、父を見た。どうやら説教をしに来たのではないらしい。 

 姫は数秒父を見つめた。父の意図は表情からは何も読みとることはできない。 


「……あの男……ですか」 

「将門だ。あやつをどう見る」 


 姫は再び思案するように数秒間をあけてから、観念したように口を開く。 


「……探りに来たのでしょう」 


 姫がはっきりとした口調で父に告げると、父は嬉しそうな顔をした。 

 口端を僅かに上げて続けて問う。 


「何を探りにきたと思うのだ」 

「……それは」 


 姫は口ごもった。 


「よい。申してみよ」 


 渋々姫は、再び口を開く。 

 その声にはすでに遠慮というものはなく、真っ直ぐに父を貫いた。 


「……父上とこの国が手に入るか否か」 

「ほう…」 


 父は、ふんと鼻を鳴らした。 

 どうやら父は想像していた以上の良い解答を姫から得たようだった。しかし、同時に悔しさもこみ上げる。もちろん、忌々しい甥っ子に対してである。 


「なぜそう思う」 

「父上と国香伯父上が良将叔父上の領地を我がものにせんとしていると噂で聞いたのは本当でしょう。そしてそれは事実……」 


 姫はそこで父の顔を伺った。父は無言で姫を見つめる。 

 それが肯定であるのは姫にはすぐにわかる。 

 やはり、父は将門親子の領地を取り上げようとしているのだ。 


「私が将門でありましたならば……まず噂を確かめる必要もある。そして、父上や国香伯父上の下に付くべきかそれとも逆に……。しかしそれを判断すべき材料が足りない。そう考えると思います。ならばいっそ敵陣に乗り込む。手っ取り早く、噂などに惑わされず、自分の五感で判断材料を得ることができますゆえ」 


 姫が口を噤むと、部屋に静寂が訪れた。風で庭の木々がざわめいたように感じた。 


「ふふ……ふふふ……」 


 父の不気味な笑い声が部屋に響きわたった。 

 だからこの姫が父は好きなのだ。同時に、なぜ男に生まれてこなかったとかと、悔やまれてしかたがない。 

 姫が男であったなら……父の知恵も財力も、自分の持つものすべてを与えるというのに。 


「尚子」 


 父は低い声で姫の名を呼ぶ。 


「今宵、やつを部屋へ引き込め」 


 姫は一瞬何を言われたのか理解できなかった。 


(引き込む……?) 


「そして、やつが油断している間にこれで刺せ」 


 ゴトンと重たい音が部屋に響き渡った気がした。父の懐から放り出された短剣に姫の目が釘付けになる。 


「あの手の男は、若くて美しい姫がこの屋敷におると知れば、必ずや夜這いに現れる。その時に応じたふりでもして──殺せ。よいな」 


 姫は父の顔を見ることができなかった。 

 見たくない。きっとそこには鬼がいる。 

 赤い血で染まった鬼が。 

 


(私にも鬼になれというのか父上は──) 

 


 遊女のように男を誘い、そして体を許し、安心させ、隙をみせた時に殺す──だまし討ちのように。 


(私は……道具でしかない……父上にとってはただの女という道具) 


 父は自分の甥も殺せるのだ。 

 自分の娘がその男に好きなようにされても痛くもかゆくもないのだ。 


「なに、安心しろ。鷹男といったか──あの男を部屋に控えさせておけ」 


 姫のひきつった表情から父は心うちを読みとったのだろう。姫を安心させるように、優しくほほえみかけた。 


「お前は大事な私の一人娘。婿は決まっておるからのう。お前を傷物にされてたまるか。だから安心せよ」 


 それは姫のよく知る、大好きな父の暖かい笑顔だった。 

 姫はつられて微かにほほえむ。 


「承りました」 


 そう言って姫が頭を下げたので、父は満足げに部屋を後にした。 

 姫は再び静寂に包まれた部屋で一人取り残された。出口のない闇の中に落とされた気がした。もがけばもがくほどに、苦しく息ができない、そんな闇の中に――。 


「ん……」 


 ふすまの向こうの部屋から小さな声が聞こえて、姫ははっとなった。慌てて立ち上がり、ふすまを開ける。そして布団に横になる少年の枕元へと急いだ。どうやら、寝返りを打っただけのようで、まだ目覚める気配はない。 


 しかし、その無邪気な寝顔を眺めていると、なんだか心が軽くなった。救われた気分だった。 

 姫は、そっと少年の頭を撫でる。その頃には、姫の顔に柔らかな笑顔が戻っていた。 

 






「鷲太」 


 ぼんやりとした視界の中、はっきりと頬に誰かの暖かい手のひらを感じた。 


(あ……) 


 やっと定まった視線の先に良尚の春の日差しのような笑顔があった。 

 なんだか、ずいぶん怖い夢を見たような気がする。 


「鷲太、私がわかるか?」 


 良尚が自分のおでこ、鷲太のおでこにこつんと当てる。ふわりといい香りがして、ほっとする。 


「……」 


 鷲太の口がパクパクと動いたがかすれて声にはならない。 


(あれ?) 


 声がでない。なぜだろう。 

 ひどく体も重たい。腕を動かすのも辛いくらいだ。 

 いったいなぜ? 

 どうして、良尚は心配そうに自分を覗き込んでるのだろう。 

 そもそも、自分は何で横になってたんだろう。 


(ここどこ?) 


 キョロキョロとあたりを見回すもまったく検討がつかない。立派な天井、上等な布団。 

 記憶をどうたどっても、見覚えがなさそうだ。 


「お前が心配だったから、私の屋敷へ運んだんだ。落ち着くまでここに私が一緒いるから安心しろ」 


 遠くからそんな良尚の声を聞いたきがした。 

 まだ夢心地のままに、鷲太はゆっくりと体を起こそうとした。思うように力が入らなかったが、良尚が手を貸してくれた。 


 柔らかな絹の着物が鷲太の肩にかかる。あでやかな赤い着物だ。同時にさらさらと長い黒髪が鷲太の目の前に落ちてきた。 


 そこでやっと鷲太は気がついた。 


(え? 誰!? 良尚様じゃない!) 


 目の前にいるのは、良尚じゃない。声も顔もたしかに良尚なのに。 

 驚いた鷲太は、思わずその人を押しのけて立ち上がった。 


「鷲太?」 


 不思議そうに見上げる視線に脅えながら鷲太はか細い声を押し出す。 

「だ、誰?」 


 言われた方はきょとんと目を丸くしている。 


(この人、良尚様にそっくり……でも、どう見ても……) 


 鷲太はじっとその人の返事を待った。鷲太には分からないが、その人は、小袖(こそで)といわれる白い着物に紅の打袴(うちばかま)といういわば下着の上に、(ひとえ)五衣(いつつぎぬ)小袿(こうちぎ)という着物を7枚も重ねて羽織っている。 


 わかりやすく言えば、十二単がフォーマルドレスなら、この女性の装いは高級ブランドのワンピースといったところだろうか。いわゆる貴族の女性の略装であった。 


 華やかな色の着物は、その人の紅の白くすけるような肌によく栄える。ほんのりピンクに色づく頬と小さな唇はふっくらとしていて柔らかそうだ。絹糸のように艶のある黒髪は、肩で緩やかに波打っている。


(綺麗……) 


 鷲太は胸がどきどきした。顔が沸騰するんじゃないかと思うくらいに、かーっと熱くなってきた。 

 が、そんな鷲太の緊張は、一瞬で吹き飛ばされる。 


「ぶぶっ」 


 目の前のお姫様は、それはもう豪快に噴出し、腹を抱えて大声で笑い出したのだ。今度は鷲太が目を点にする番だった。 


 そんな鷲太の様子がますます可笑しくてしょうがないようで、しまいには目に涙をいっぱいにためて、ひーひー言い出した。 


「あ……あの」 


 気品あふれる外見とは、まるで不釣合いなその挙動に、鷲太の脳内は許容範囲をあっという間に飛び越えていた。 


「ああ、ごめん。私だよ鷲太」 

「……え?」 

「村のみんなには秘密だぞ」 


 鷲太は、愕然としながら、目の前でいたずらっこのように微笑むその人をまじまじと見つ返した。 


(ま、まさか……本当に良尚様!?) 


 鷲太は驚きのあまり、へなへなとその場に座り込んでしまった。 


「鷲太?」 


 少し心配そうにその人が鷲太をのぞき込む。と、鷲太の膝の上に生温かい温もりを感た。鷲太はぎょっとして自分の膝の上に視線を送る。二つのドングリ眼に捕らえられ息を呑む。 


「!」 


 鷲太の膝の上には、両手の平に乗りそうなほど、まだ小さな白猫がこちらを見上げていた。そんな鷲太の様子に、その人は軽やかに笑った。 


「私には拾い癖があるみたいだ。屋敷の前で野垂れ死にしそうだったから部屋へ連れ帰ったんだよ。……お前が気に入ったらしい。雪白(ゆきしろ)だ。この部屋に関しては、雪白のほうが先輩だからな、仲良くしてやってくれよ?」 


 くすくすと笑うその人の言葉を、すんなり受け入れる事ができなくて、鷲太は僅かに首を傾げた。 


「ここは私の部屋だ。鷲太が落ち着くまで、ここに居ていいからな」 

「良尚様の……?」 

 


尚子(たかこ)。この姿では尚子だよ。よろしくな、鷲太」 

 


 

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