2 いっそこの手で
2 いっそこの手で
「どうかしたのか?」
背後からの声で、良尚は我に返る。
振り返れば、腰を上げた小次郎が腕を組んでこちらの様子をうかがっている。先ほどまでのしおらしさは、どこへやら。
(すっかり騙されたじゃないか)
良尚はじろりと睨み付ける。
(何が相馬小次郎だ。平将門と名乗れば、私だってすぐに分かったものを)
だが、それを本人に言ったところで、「嘘はついてない」などと言われるに決まってる。
それにしても、何故気付かなかったのだろう。
自分も幼少のみぎり、この屋敷で会ったことがあると言うのに。
でも、その時の印象は、目もくりくりとして大きく、笑顔の柔らかい心優しいお兄ちゃん、という感じだった。幼心に、淡い憧れすら抱いたような記憶もある。それなのに、こんなに不貞不貞しく、しかも図体もでかく、態度も威圧的な無骨者に育つなどと誰が想像しただろう。
(詐欺だ。あの人がこんなになるなんて……あんまりだ!! まさか……いずれ鷲太も……)
良尚は、自分の想像に悪寒を覚え、激しく首を振ってそれを吹き飛ばす。
そんな良尚の胸中を一切察するすべがない小次郎は、良尚がものすごい眼光で自分を睨み付けていたかと思うと、突如、首が振り切れて飛んでいってしまうのではないかと思う勢いで左右に振るので、ギョッとするしかない。
「な、なんだなんだ。おまえ大丈夫か?」
おそるおそる小次郎が声を掛ける。
「うるさい!!」
「……いい加減、機嫌直せよ〜」
「お前、いったい何しに上総に来た」
良尚は小次郎に詰め寄る。
「……俺の話は無視かよ」
小次郎は肩をすくめて見せたが、その顔は面白いものを見つけた子供のようにも見える。ますます良尚の気を逆なでする。
「返答次第では、追い返す」
「おいおい、伯父上はゆっくりしろっておっしゃっていたぞ」
「あれは、翻訳すると『とっとと帰れ、狸野郎』という意味だ」
「……お前口悪いな、意外と」
ますます、小次郎は面白そうににやりと笑う。
「お前、ではない。良尚だ」
良尚は胸の前で腕を組んで、わざとらしく胸を反らす。そんな良尚の様子に小次郎はふっと笑った。
「良尚ねぇ……」
小次郎は探るように良尚の顔を覗き込む。しかし良尚の表情につけいる隙は見られない。
二人は数秒、無言で見つめ合った。お互いに昔の面影を相手に捜していたのかもしれない。
「恐れ入ります」
第三者の声が二人の間を割って入るまで、ずいぶん長い時間だったように思えた二人だった。
声の方を振り返ると、良尚付きの女官、藤乃が床にひれ伏していた。
「げ、藤乃……」
思わず良尚の顔が引きつる。
「良兼様から、相馬様に客室をご案内するようにと、承りました。藤乃にございます」
藤乃はうやうやしく一礼した。そして、後ろを少しだけ振り向き、一緒に控えていた女官たちを紹介する。
「こちらは、相馬様のご滞在中、お世話をさせていただきます女官にございます」
女官達は、ずっとひれ伏したままであったのに、さらに深々と頭をさげ、口々に名を名乗る。
「小萩にございます」
「梅花にございます」
藤乃はすっと立ち上がり、小次郎の目を捉えた。小次郎はその瞳の中に、好意とは別の種のものを感じ取った。
「部屋へご案内いたします。さあ、どうぞ」
藤乃はそのまま、小次郎を先導しようとする。
「かたじけない。よろしく頼む」
良尚は、ちらりと小次郎に視線を送った。そう言った小次郎は、事もあろうにさわやかな笑みを浮かべていたのだ。
(ま、また偽小次郎!!)
どうなってるんだ。この変わり身の早さはいったい何なのだろう。
藤乃たち女官に、騙されるな!! と言ってやろうかと口を開いたところで、歩き始めた小次郎がくるりと良尚を振り返ったので、口をパクパクと開閉させ言葉を飲み込んだ。
「あとで、このあたりを案内してくれ」
小次郎は、にこりと微笑んで見せた。
(なんで私がそのようなことをしなくてはならないのだ。冗談じゃない。これから、鷹雄の後を追って盗賊退治に合流しようと考えていたのに)
藤乃の手前、そう言えない良尚は、どうやってその申し出を断ろうかと考えあぐねていると、再び小次郎がふっと笑う。そして、すっと良尚に顔を近づけた。
ぎょっとして固まった良尚の耳に、小次郎がそっと囁く。
「口実を作ってやる。口裏を合わせろ」
離れていく小次郎の顔を目で追うと、柔らかな微笑みに捉えられた。
(な、なっ!?)
お見通しなのだ。
良尚が再び屋敷を抜け出そうとしていたことも。それが、彼に許されていないことも。
その上で、なんの目的か知らないが、良尚に手を貸そうと言うのだ。
「……承知した」
「決まりだな」
小次郎は、ニヤリと口端を上げて、再び藤乃の後を追う。
「あとで部屋へ行くから、ちゃんと、支度しとけよ」
含みのある言葉を残し、振り返らずに良尚に手をふる。その後ろ姿を良尚はじっと見つめた。
お前は何のために私に近付こうとする。
何を考えている。
何をしに上総へ来た。
お前の命を狙う者がいるこの、上総へ……。
◇◆
小次郎は、廊下を歩きながら、口元が緩むのを押さえるのに必死になっていた。
(あいつ、ほんとウツケだな)
あの時の顔ときたらどうだ。鳩が豆鉄砲を食らった時の顔とは、あの事だ。
もともと大きなドングリ眼が、本当にまん丸に見開かれて、ぽかんとしていた。
「ぷっ……」
思い出し笑いに思わず小さく息が漏れる。
「何か……?」
先導していた女官が表情を変えずに、こちらを振り返った。
「いや、何でもない」
優しく微笑みかけると、藤乃はにこりともせずに再び歩き出す。後続の女官は、頬をほんのり染めているというのに、食えない女官だ。
小次郎はまたしても、要注意人物の発見に、自分の現状を思い出して顔を引き締める。
そう、ここは敵陣まっただ中だ。
さっきの良兼との対談で明らかになった。
良兼とその兄、国香。そして、二人の義理の父、源護。この三人が、自分を亡き者にして、父良将の領土を自分達の者にしようとしているのだ。
(首謀者はおそらく、源護)
源護は前任の常陸の国司である。任期を終えても、都へ帰ることなくそのまま常陸の国に土着した。
この護がこの地で蓄えた富と権力を平国香は後ろ盾として利用した。 それは婚姻という形で、現れている。
源護の娘が、国香をはじめ良兼、そして、二人の腹違いの弟良文にも嫁いでいる。
当然、小次郎の父良将にも、この護の娘との縁談話は来た。
しかし、良将はこれを拒否。長兄、次兄からは「義父の娘を突っぱねるなどあってはならぬこと」と激怒されたのは言うまでもない。
以来、兄弟間の確執はますます大きく、いつしか修復不可能になり今日まで来てしまっている。
(長居は無用だな)
しかし、良尚という男に興味を持たずにはいられなかった。
先ほどの、良兼との謁見の際、序盤は小次郎も息を呑む豹変ぶりだった。身につけている着物は、村の火事現場で付着した泥や煤で汚れ、髪も乱れている。
それなのに、父親を前にした良尚はどこから見ても、貴族の嫡子であった。こんな都から忘れられた遠く離れた土地の田舎貴族の嫡子ではない。明らかに、帝の血を引く皇族の嫡子だ。
小次郎は、ひれ伏しながら息を呑んでいた自分に気がついた時、思わず笑ってしまいそうだった。自分だって帝の血を引いているのに。
(どうやら俺は、気品というやつを母親の腹のなかに忘れてきたらしい)
そう思い、やっとの思いで笑いをかみ殺した。
そんな時、部屋の外からのさわやかな秋の風が、小次郎の鼻をそっと撫でていったのだ。
(……この時期に?)
花の香りがした。庭の花から、風に乗ってきたのだろうか。どこか懐かしさを感じる、心地よい香りだったので印象に残ったのだ。
しかし、その謎は先ほど思わぬ形で解決する。
先ほど、今にも触れそうな距離で同じ香りを嗅いだ。そう、良尚からだ。
(香をたしなむとは、さすがに貴族の嫡子。都でもあるまいに、女を口説くのに忙しいと見る)
なかなか角におけない。あの華奢な体で、恋人がいるのか。
小次郎はそれに付随した諸々を勝手に妄想して、再び、ぷっと噴き出してしまった。
ちなみに、風呂になかなか入れなかったこの時代、体臭を隠すために、香を服に炊き込む風習があった。現代も趣味趣向で香水を使用する人はいるが、当時ではエチケットに近かったかもしれない。
好きな人と一緒に夜を共にすると言うのに、“髪が臭い! 脇が臭い! 臭すぎて耐えられない、帰ります!! ”ではムードもへったくれもないではないか。
余談であるが、貴族は自分でこの香をブレンドする。つまり、一人一人オリジナル品なのだ。同じ香りの香を使う人はいないので、香で人を識別できたとかできないとか。
「こちらでございます」
藤乃は客間の戸を開き、小次郎を案内する。
「ご苦労だった。下がってくれ」
小次郎は入り口でそう女官達に伝えると、女官達は同時に一礼する。下がろうとした女官達の中で、その場を動かない者がいた。藤乃だ。
「相馬様」
部屋へ入ろうとしていた小次郎は呼び止められ、足を止める。
「……早々にお帰りになられた方が良いかと存じます」
その内容に、小次郎は正直驚いた。どういう意味だというよりも、その女官の意図がわからなかった。
(見方か敵か)
瞬時に小次郎の心が身構える。もちろん表情には何一つ出さないままに。
「それはどういう意味だ?」
「“そのまま”にございます」
つまり、命が危ないと。
しかしそのようなことは、小次郎にはとうに分かっていた。今更言われるまでもない。
だが、何かが小次郎の中で引っかかった。
「……良尚様を巻き込まれないでくださいまし。あの方は純粋なお方。白いままお育ちになられた方です。どうかお帰り下さい」
力強い言葉だった。
(しかし、そのままでいいられないことも分かっていように)
藤乃大切に思う良尚とて、嫡子である以上、この腹黒い権力闘争の中にどっぷりつかって、もがき苦しみながらも生きながらえなくてはならないのだ。
彼の父がそうであるように。
祖父がそうであるように。
――――小次郎自身がそうであるように。
(そうか……)
だから自分は良尚が気になるのだ。あまりにも白く眩しい良尚が。
自分も、そうであったのに。
いつの間にか、真っ黒に染まって……夜の闇とも見分けがつかぬほどに……。
(いっそ)
小次郎の瞳に怪しげな光がともる。
(黒く染めてやろうか……)
戻れぬほどに、真っ黒に。
触れたモノまでも、黒く染めてしまうほど……深い深い闇に……。
いっそ、この手で――――。
◇◆
まるで脱獄でもするように、慌てて屋敷を後にした男たちがいた。良尚と小次郎である。
良尚は小次郎など見向きもせずに、一心に馬を走らせている。そんな良尚に小次郎はしばらく黙って従った。
(こいつ、ちゃんと考えてるんだろうか)
どう見ても、小次郎には闇雲に走っているようにしか感じられない。
盗賊の討伐隊の行き先は掴んでいるのだろうか。
(適当につっぱしってるだけじゃないのか?)
小次郎は、舌打ちして前方の良尚に声をかける。
「おい、行き先に当てはあるのか!?」
しかし、小次郎の声はむなしく置き去りにされた。良尚は返事どころか振り返ることすらしない。
(愚行か……それとも?)
良尚と小次郎が離れたのは、ごくわずかな時間。その間に賊のアジトに繋がる情報を手に入れたのだとしたら、かなりの手腕と認めざるを得ない。
(どっちだ)
小次郎は黙って良尚の小さな背中に視線を送り続けた。
しかし、小次郎は結局判断する機を逸した。前方から良尚の弟と鷹雄が率いる屋敷の私兵が現れたからだ。
ずっと馬を飛ばしてきたので、さすがに小次郎も息が乱れていたが、それどころではない。眉を細めて事の次第を見守る。
(闇雲に走ってたわけじゃなかったのか……?)
良尚は肩で息をしながら、弟と鷹雄から報告を受けていた。その内容は小次郎の耳までは届かなかったが、良尚の表情から、満足のいく結果ではなかったと簡単に推測できる。
後で小次郎の得た情報によると、賊にはうまく撒かれてしまい、連れ去られた女子供の消息もまったくつかめなかったようだ。
一心不乱に駆けて来た往路とは違い、帰路はまるで魂が抜けたような良尚の姿に、小次郎はまったく目が離せなかった。肩を落とし、今にも落馬しそうなほどに意気消沈している。
(まったく、わけが分からないやつだ)
てっきり、感情にまかせて無策なままに盗賊退治にでかけたのかと思っていた。
村人たちを取り返すことも出来ず、すごすごと引き返すことになっても、思いのほか動じずに屋敷へ引き返す指示を下していた。
(泣き叫ぶか、怒鳴り散らすかするかとおもったんだがなぁ〜)
小次郎は斜め前方の良尚の顔をちらちらと伺う。
納得はしていないのだろう。村人を助けられなかったことを。
もっと色々な場所を捜索したい、もっと兵を増やして。
もっと、もっと──。
しかし、ここで捜索を打ち切ることを選んだ。父の良兼の貴重な私兵を長期にわたって独占するわけにはいかない。特に、今、得体の知れない男──小次郎が屋敷にいる、このような時期に。そう考えたのかもしれない。
(あの男、鷹雄の入れ知恵かもしれないがな)
小次郎は良尚に併走する鷹雄を盗み見た。
全力で良尚の身を案じているようにしか見えないが、小次郎の挙動の一部始終にも気を張っているに違いない。その鉄仮面のような表情の下で何を思っているのだろう。
考えるまでも無い。主人良尚のことだけだ。何が良尚にとって最善であるか。
それが、たとえ主人の意に反することであったとしても、先を見越して主人に最善の結果を用意する。
(そういう男であってほしい。それでこそ口説く価値があるってもんだ──買いかぶり過ぎか?)
小次郎からくすりと笑い声が漏れた。
「相馬殿」
前方から鷹雄の声がすぐさま飛んできた。小次郎はますます口元が緩むのを抑えることができない。
(理想通りの反応で嬉しい限りってもんだ)
小次郎は胸の高揚を押し殺して、返事をする。
「呼んだか?」
「良尚様は村に寄って行かれるとのことですので、相馬殿はどうぞこのまま屋敷へ」
「……俺も同行しよう」
小次郎の返事に、鷹雄は馬を小次郎の横へ移動させた。
「遺体のごろつく村へ客人をご案内するわけには参りません。どうぞこのまま屋敷へ」
「いや。気遣いは無用。何もしらないわけじゃないからな。むしろお前さんより当事者だ。俺も行く」
「…………」
二人は数秒無言で見つめあった。お互いに思惑を探るような視線が交差する。
「……承知しました」
鷹雄は無表情のままにいい置き、再び良尚の隣へ馬を移動させた。
こうして、小次郎は良尚たちに同行し、惨劇の舞台となった村へ再び足を踏み入れた。
村へついた途端、良尚は再び息を吹き返したようにくるくると動き回った。生き残った村人一人ひとりに声をかけてまわり、元気付けるように笑いかける。その微笑に人々は、春の雪解けのように、柔らかな表情へかわっていく。
小次郎はなんとも信じがたいものを見ている気分になった。
ついに、良尚が眠り続ける子供を抱きかかえて村を後にするまで、小次郎は少し離れた所から、ただただ良尚を目で追った。追わずにいられなかった。
(笑ったり、泣いたり、忙しいやつだ)
小次郎は、自分でも気がつかないうちに、頬が緩んでいたのだった。