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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第二話 女神の輪郭
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1 タヌキとキツネ

 

 1 タヌキとキツネ




 一瞬にして部屋の空気が変わった気がした。 

 大股で部屋に入ってきたのは、良尚の父、平良兼(たいらのよしかね)その人である。 

 良兼は身にまとう権威を振りかざすように上座へ座り、ひれ伏して彼を待っていた良尚と小次郎に代わる代わる刺す様な視線を送った。


 京の都から良尚の祖父、高望王(たかもちのおおきみ)がこの上総の国に赴任して十数年。上総の(すけ)として絶大な力を振るった。任期を終えた高望王は都には帰らず、そのまま土着し、豪族となってめきめきと力をつけてきたのだ。 

 祖父の後をついで上総の介に着任したのが、父の良兼である。 


 高望王のように、天皇家の直系ではない皇族は、朝廷にとって稼がず浪費するばかりの厄介者。そのため地方の役人として職を与えて働かせるのが慣例になっていた。  


 余談ではあるが、高望王の祖父が794年に平安京創設したことで有名な桓武(かんむ)天皇ある。 



 ちなみに、介とは国司(こくし)のうち次官をさす。国司は上から順に、(かみ)・介・(じょう)(さかん)という4つのランクがある。今で言う県庁に勤める高給取りのオエライ様方のことであり、上総の介というのはつまり、上総の国のナンバーツーということだ。


 しかし、長官である守は、ほとんど京の都にいて地方の田舎の政治には首を突っ込むことがなかったり、そもそも守自体が空席だったりで、その実、次官の介が統治していた。



「この者は、下総の良将叔父上の名代で参ったと申しており、こうしてお連れいたしました」 


 うやうやしく良尚は頭を下げながらはきのある口調で告げると、顔を上げた。 


「ほう、良将と、のう…」 


 良兼の眉がピクリと『良将』という言葉に反応した。 良将は良兼の同母弟であり、幼き頃からの目の上のタンコブである。その名を聞いただけで、まるで条件反射のように苛立ちを覚える。 


 とにかく気に入らない。何もかもが鼻につく。なぜあれが弟なのかと何度思ったことか。 


 なんと言っても、兄の国香(くにか)と自分よりも高い身分にある。そのため、一族の氏を束ねるのは三男の良将なのである。長兄の国香を差し置いてだ。人の良い国香は、力のあるものが氏長になればよいのだ、などと笑って言うが、良兼は甚だ気に入らない。 


 まだある。奥州で蝦夷(えみし)との戦いに勝って、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と言えば、中学校の教科書でも登場する有名人物であろう。 

 その奥州を監視する役として『鎮守府将軍』という長官がいる。この長官に国香が抜擢された。 

 長兄の国香の任期が終われば、次は次兄の良兼か、と当然思うではないか。しかし、命を受けたのは三男の良将。腸が煮えくり返る思いで兄からその連絡を受けたのが昨日のことのようだ。 

 


 そんな良兼の胸中などしるわけもない小次郎は、顔を伏せ床の木目の一点を見つめながら全神経を耳に集中させていた。 


 久しぶりに耳にした良兼の声は低く重い。記憶の中の声とは少しずれていた。とは言っても、数えるほどしか接点もなく、自分の幼い頃の記憶だから仕方のないことだろうとすぐに納得した。 


「面を上げよ」 

「はっ」 


 良兼の重たい視線を感じながらも、小次郎は顔を上げ、臆せずに見つめ返した。 


「お前は……」 


 良兼の口元が緩む。しかし目は笑っていない。逆にぴりりと痛みすら感じるほどの鋭さをはらむ。 


「お久しぶりです、伯父上」 


 小次郎は堂々とした声で言い放った。斜め前方にいる良尚の驚きの視線を感じながら小次郎は続ける。


「相馬の平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)にございます」 

「将門……? おまえ良将叔父上の嫡子か!?」 


 良尚の声が部屋に響いた。小次郎は、一瞥(いちべつ)するだけでそれを肯定する。 

 しかし、良兼の顔に驚きの表情は微塵もなかった。 


「都から戻ってきていたのか」 

「はい、先日。その足でこちらへ。父の良将が亡き後、頼れるは常陸(今の茨城県北東部)の国香伯父上と、この上総の良兼伯父上しかおりませぬ。なにやら良くない噂も道中で耳にいたし……どうか、お力添えのほど宜しくお願い申し上げまする」 


 この小次郎の低姿勢には、良尚も驚いた。さっきまでの、でかすぎる態度はどこへいったのだろう。 

 図体がでかいから余計に横柄に聞こえるあの物言いは。思わずパクパクと口を動かしてしまう。 


(え、演技!?) 


 それにしては、なんと自然。 こうやって、恐ろしい都の政争を生き抜いてきたのだろうか。良尚は呆れる返って逆に、関心してしまっていた。 


「良くない噂とな」 


 良兼は面白そうに問う。だが、眼光は鋭いまま、小次郎を捕らえて、一瞬の隙も見逃すまいとしているようにも見える。 


「なにやら、常陸の源護(みなもとのまもる)殿が我が亡き父の下総の国をのっとろうと画策している…………とかいないとか……」 


 良尚はぎくりとなった。小次郎は困った困ったと言わんばかりにため息をついていたし、父は「ほう、それは聞き捨てならぬのう〜」となぜか暢気に言う。 


 そんな様子に、なぜか良尚は背中が凍るような冷たい感覚を覚えた。 

 一見穏やかにかわされている会話。ゆっくりとかわされる久しぶりの伯父と甥の談笑。 

 もし、今、この場が小次郎との初対面だとしたら気がつかなかったかもしれない。 


(キツネとタヌキ……) 


 腹の探り合いだ。 そう、それはまるで、自分と義母のように……。 

 そう感じた瞬間、良尚の体を言い得ぬ嫌悪感が襲った。鳥肌が全身を駆け巡る。 


 汚い。

 醜い。

 大人は、男は、政治は。 


 権力を得るために、平気で人を蹴落とし嘲り笑う。女を蔑み道具のように扱い、人を殺し勝利と歌う。


(……女も同じだ。醜い) 


 良尚は急にむかつきを覚えた。口元を思わず押さえる。 


「どうした!?」 


 父の声が慌てた様子で声をかける。どうやらキツネとタヌキの化かし合いは一旦終結していたようだ。


「大事はございません」 


 かすれた声で答えるも、急激に目が回り朦朧としてきた。真っ青な顔で後ろに倒れそうになる良尚を、間一髪、小次郎のたくましい腕が受け止める。 


「良尚殿!?」 


 覗き込む小次郎の顔がぼんやりかすんで見える。 


(…………誰だっけ……この人……) 


 と一瞬、寝ぼけた良尚は、それまでが嘘のように、がばりとすばやく起き上がる。 


「……ぎゃあ!!」 


 大げさまでに、小次郎の腕の中から飛びのく良尚。 

 小次郎はその良尚の突飛な行動に驚き、固まっている。手など、先ほど良尚を抱きかかえた時のまま、宙に浮いている。 


「……お前というやつは……何をやっとるんじゃ、馬鹿者っ!!」 


 良尚の高貴でない、気品もない、知性もない、ないない尽くしの行動に良兼の雷が落ちたのは言うまでもない。ぽかんと口を開けたまま、小次郎はこの親子喧嘩をしばらく見学していた。が、どこを探しても、先ほどまでの恐ろしい良兼や平氏の子息である良尚の姿は見当たらない。だから、不意に、ぷっと吹き出してしまった。この場合不可抗力であろう。 

 その笑い声で我に返った良兼がばつの悪そうな顔で咳払いをする。 


「とにかくっ!! 将門、長旅で疲れたであろう、ゆっくりしていくがいい」 

「はっ」 


 真顔に戻った良兼は、部屋を後にしようと将門に背を向けた。その時だった。 

 良尚は聞いた。確かに聞いた。

 鬼の声を────。

 


「やつを殺せ」

 

 


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