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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第一話 赤い詩
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  妖の子(2)

 

 ◆◇




「格子を開けよ」


 姫はそばに控える女官に言い放った。女官はその命令を聞くべきか否か迷っているようだった。


「部屋に風を入れたいのだ。格子を開けよ」


 苛立ちを隠さずに、姫はそう言うと、手に持っていた扇を広げて立ち上がった。


「どちらへ?」


 女官が慌てて声をかける。


「そなたたちが、やらないのなら私がやる」


 女官は慌てて、姫の部屋と外界とを隔てている格子戸を押し開けた。姫にそのようなことをさせるわけにはいかない。


 そんな女官の様子を横目に、姫は開けられた格子戸の向こうを見やる。透けるような青空に、簡単に心を奪われた。今の今まで感じていた苛立ちもどこかへ消えていってしまったように、胸の中がすっと晴れ渡っていく。

 その青空に誘われるように、姫はそのまま足を進めた。御簾(みす)を押し上げて格子戸の方へ近付く。


「ひ、姫様!」


 女官が慌てて姫を御簾の中へ戻そうとした。


 普通、身分の高い姫様は、その顔を人の目に触れさせないものだ。御簾というベールの向こうに身を置き、さらに、几帳と呼ばれる布の影に身を隠し、さらに大きな扇で顔を隠す。それがこの姫は、自ら御簾を持ち上げ、誰の目に留まるかわからない、開け広げられた格子の前に平気でたっている。広げられた扇などは、無造作に片手で握られ床を向いていて、用をなしていない。


 天皇の血を引く血筋である平良兼の娘ともあろう高貴な姫の、このようなはしたないところを屋敷の別の女官に見られたら、自分は罰を受ける。女官なら誰でも考えることである。懇願するように、自分にひれ伏す女官を姫は冷ややかに一瞥した。


「姫様、お戻りください!」


 別にこの女官が嫌いなわけではない。困らせてやろう、などと思っているわけでもない。

 ただ、不憫に思う。姫が何を考え、何を思い行動しているのか理解しようとしない。理解しようとも思わない。それでいて、なぜ姫がこのようなことをするのか、言うことを聞いてくれないと嘆いてばかりいる。上の命にしたがっている彼女には何も非はないのだろう。


 だが、姫自身はそんな生き方はしたくない。納得の出来ないことに、二度と戻らぬ貴重な時間を捧げるなど愚の骨頂。そう思うだけだ。


 姫は再び視線を部屋の外へ向けた。次の瞬間、目を見開いた。


「あれは……なんだ」


 見る見る打ちに姫の顔から血の気が引いていく。


「あれは何なのだ!」


 わけが変わらず、女官が姫の視線を追う。女官の目にも、青空の中に黒い一筋の煙が上がっているのが見えた。方角は、この屋敷の南。


「まさか……」


 姫は一瞬、唇をかみ締めたかと思うと、声を張り上げた。

 この黒煙の方角は……!


「鷹雄ーー!」


 数秒後、姫の声を聞きつけた身分の低い男が現れた。男は静かに膝を折り、頭を深く下げる。

 姫が決死の表情で口を開きかけた、その時だった。 


尚子(たかこ)様」 


 姫と女官はまるで稲妻にあたったかのように動けなくなった。 

 なんとか姫がその声の方を見ると、般若(はんにゃ)の形相をした年配の女官が立っていた。 


「ふ、藤乃……」 


 姫が顔を引きつらせる。 


「下がれ」 


 藤乃は膝をついたままの鷹雄に、怒りのこもった低い声で命じた。そして姫に向き直る。 


「なりません」 


 藤乃が先手を打った。 


「でも……」 

「なりません。由緒正しき、帝の血を引く姫なのですよ、あなた様は」 

「わかっている。しかし……」 

「なりません!」 


 藤乃はぴしゃりと言い放つと、自分の後ろに控えていた女官たちを勢いよく振り返った。 


「姫を部屋へお連れしなさい。さあ、早く!」 


 御簾の中へ押し戻そうとする女官たちに、姫はあせりを覚えた。 


「藤乃!」 


 姫は引きずられるように、部屋へ押し戻されて行った。 

 





 鷹雄は、姫の表情から何か異常事態が発生したことを察知していた。  

 姫からは何の指示も得られなかったが、彼女が何かを自分に訴えてようとしていたことは伝わったのだ。詳しく事情を聞きたかったが、女官の長である藤乃から下がれと命じられたのでは無言で身を引くしかなかった。 


 身分の低い鷹雄から姫に声をかけることは許されない。本来ならば、一生涯、目をあわすことすらかなわぬ高貴な姫なのだから。 


 しかし、何事かがあったのは明白。なんとかして調べるしかないな、と鷹男は思った。 

 そもそも、命じられたことだけするような家臣は主人の本当の望みをかなえられるとは思えない。ただ指示を待ち、それを遂行するだけならば二流。主人が必要な時に、必要な分だけの手を差し出せる必要がある。


 無論、その手には主人の一番ほしいものが握られていなければならない。それは、武器であったり、助言であったり、自身の命であったり──。


 そのためには、普段から主人の思考に寄り添って、同じものが見えていなければならない。主人が、何を感じているのか、何を思っているのか、何を欲しているのか。

 今だけではない、これから先のこともすべてだ。それが分かれば、おのずと自分の行動は決まってくる。 


 鷹雄は姫の部屋の前から下がろうと、一礼して踵を返した。その鷹雄の視界を何かがかすめる。 


(……あれは!)


 鷹雄は、無礼と知りながら再び姫を振り返る。

 すると、女官3人がかりで部屋の中へと引きずり込まれていく姫と目が合った。姫が、力強く頷いた。その姿が、自分に“頼んだ”と言ってる。これは確信に近い。


 鷹雄はすぐさま屋敷を後にし、馬に跨る。そして、南の空に上る黒い煙の元へと、馬の腹を何度も蹴り、急ぎ向かった。






 鷹雄と姫の悪い予感は当たった。

 鷹雄が肩で息をしながら村の付近までくると、目を覆いたくなるような光景が待っていた。


 普段、この時間は農作業をしているはずの村人たちの姿が見当たらない。あるのは、むごたらしく惨殺された村の男たちが田畑にころがっているという現実。あまり感情を表に出さない鷹雄も、思わず顔をしかめた。


 鷹雄は馬を降り、近くの木の枝に馬を繋ぎ、煙の立ち上る村へと急いだ。 

 主は、自分が報告するまで、この煙は村のボヤだと信じているに違いない。 

 残念だが、盗賊に村が襲撃されたことは間違いないだろう。彼女の悲しむ顔が脳裏に浮かび、鷹雄の胸を締め付ける。 


(せめて、鷲太が生きていてくれれば……) 


 鷹雄は村の様子をうかがうべく、村を囲う垣を迂回し、入り口へと忍び寄る。そして、村の中をそっと覗き込んで目を丸くする。 


(あれは……なんだ!?) 


 鷹雄は自分の目を疑った。 


 どう見ても、ありえない。

 信じられない。 


 鷹雄は、よろよろと、それに引っ張られるように近づいていった。 


「どうなってるんだ……」 


 鷹雄は、それを見つめながら、呟いていた。 


「わからん。もうずいぶんと、あの調子だ。水をかけても火が消えん」 


 鷹雄の驚きは、その場に人がいたことに気付かないほどだった。 

 それもそのはず。


 鷲太が燃えている。

 燃えているのだが、どこも燃えていない。 


 鷲太の体は確かに真っ赤に燃え盛る炎の中にあるのだが、鷲太の髪も肌も着物も何も燃えていない。鷲太自身も痛みや熱さは感じていないようで、その表情は穏やかだ。つまり、文字通り“炎に包まれている”だけなのだ。それは、まるで炎の殻に護られて眠っているようだった。 


「鷲太……まさか――」


(――妖の子どもなのか……?)


 しかし、短いながらも、彼と共に過ごした時間が鷹雄にその事実を拒ませる。

 鷲太はどこからどう見ても人間の子供だった。姿かたちはもちろん、彼のどこか寂しげな微笑みも、不器用な優しさも。彼が、人を喰らうような恐ろしい妖であるとは、到底思えない。


 鷹雄は吸い込まれるように、鷲太に手を伸ばそうとしたが、隣にいる男にその手を掴まれる。 


「やめておけ。焼かれる」 


 男は強い口調で鷹雄を制した。 


「見ろ。あの子供があの馬小屋を焼いた。ついでに、そこに転がってる黒い塊になりたくなければ、手を出さないほうがいい」 


 鷹雄は男が顎で示した方を見た。

 確かに、そこは村の馬小屋があった場所だった。黒い煙が上がっていたのはこの馬小屋からだったようだ。今は真っ黒な墨が転がっているだけだった。 

 その横に、二つの黒い塊が目に入った。


(あれは……まさか……) 


 鷹雄が男を振り返ると、男は臆せずに言い捨てた。


「俺の馬と、こいつが隠れていた飼葉の山に火をつけた運の悪い男のなれの果てだ」 


 鷹雄はぞっとした。原型をとどめていない。


「それより、こいつ……どうにもならんぞ」

 

 男は、ごうごうと音をたてる炎の中に身を置く鷲太を眺めやる。


「矢を射てみたが、あっという間に燃え落ちた。今、この刀を投げ射てみようかと思っていたところだ」


 そう言って男は腰に下げた刀を抜いた。甲高い金属音が響き渡る。 

 確かにこのままでいいはずが無い。 

 しかし、殺すのか? 


(……絶対に泣くぞ……あの方は……) 


 脳裏に浮かぶその泣き顔に、鷹雄は男の提案を受け入れることができない。 


「水……水はかけてみたのか?」 

「やってみたさ。消えたのは水のほうだがな」 


 男は肩をすくめた。


(殺すしかないのか……) 


 鷹雄は苦い気持ちでいっぱいになった。


 出来れば殺したくない。

 生きていてほしい。


 自分の主人の悲しむ顔が見たくないから、というだけではない。鷹雄は鷲太に幼い頃の自分を重ねていたのだ。


 ────『死ぬくらいなら、私のために生きよ』


 自分よりも5つも年下の小さな子供が、鷹雄の主人になった瞬間だった。あの時の幼子の笑顔は忘れない。


 この人のために生きよう。

 そしてこの人のために──死のう。

 その時、そう心に誓ったのだ。


「刀でも刃が立たないかもしれないがな」


 男は刀を構えた。今にも投げようとしているが、鷹雄はそれを止めることも促すこともできない自分を情けなく思った。


 どうしたらいいんだ。

 何か他にないのか。


 鷹雄の気持ちだけがはやる。


「鷲太ーーっ!!」 


 背後からの声に鷹雄は勢いよく振り返った。そこには、鷹雄の主人の姿があった。

 主人は、長い髪を一つに束ね、着物に袴という姿だ。慣れた様子でひらりと馬を飛び降りると、目の前に広がる想像以上の光景に呆然と立ち尽くしている。無理も無い。目の前で、子供が生きながら焼かれているのだから。


 それにしても、と鷹雄は思った。


(……まさか、屋敷を出て来れるとは……) 


 鷹雄が屋敷でひと悶着あったにちがいないと、藤乃の鬼の形相を想像して、ぐったりしてる間に、主人がふらふらと歩きだした。


「……良尚様!」


 鷹雄は鷲太に近寄ろうとする細い良尚の体を抱き止めた。


「近づいてはいけません!」

「何をしている! なぜ、火を消してやらない!」

「消せないのです……」 

「何を言っている」

「水をかけても、矢で射殺そうとしても、だめだったそうです」 


 そう鷹雄が言ったとたんに、良尚の表情が変わった。


「射殺そうとしただと!? 誰が殺せと命じた!!」


 良尚は鷹雄を突き飛ばした。そして鷲太に駆け寄ろうとする。が、今度は違うところから良尚に静止の手が伸びた。


「やめておけ。死ぬぞ。どう見てもこいつは人間じゃない」


 良尚は、男をにらみつけ、その力強い腕を振り払う。そして低く唸った。







「離せ」


 男は、確かにその少年の言葉に魔力を感じた。自分よりもはるかに小さく、細い華奢な体つきのこの男に、自分が力負けするはずが無い。それなのに、いとも簡単に腕を振りほどかれた。


 いや、動けなかったのだ。

 自分がこんな小僧に、圧倒されたというのか。


(何者だ……? ただのガキだと言われても俺は納得せんぞ)


 男は目の奥をきらりと光らせながら、少年の背中を目で追った。






「鷲太!! 聞こえるか! 私だ!」 


 良尚は叫んだ。炎の中の鷲太に届くだろうか。 


「もう大丈夫だ! 目を開けろ!」 


 もう、鷲太と良尚の前には数十センチほどの距離しかない。鷲太を包む炎が良尚の髪を焼く匂いがする。 


「良尚様!」 


 背後から鷹雄が駆け寄ってくる気配がする。 

 頬が熱い。

 衣がちりちりと焦げる。 

 それでも、良尚はそっと鷲太に手を伸ばした。 


『良……尚……様……?』 


 その時、ゆっくりと鷲太の目が開けられた。焦点の定まらない目が空を彷徨う。 


「そうだ。もう心配いらない。よく頑張ったな」 


 良尚は鷲太の頬に触れた。触れることができたのだ。不思議と炎に触れている手は焼かれる様子もなく、痛みもない。ただ、無性に熱いだけだった。 


『良尚様……』 


 鷲太が、力なくほほ笑んだ。良尚の胸に、刃物でえぐられたような痛みが走る。


(人間じゃない、だと?)


 こんなに優しい心を持つ子供が人でないはずがない。

 どこからどう見ても、子供が親を奪われて、泣いているようにしか見えないじゃないか!


「もう、いい。おまえは村を護ったぞ。見ろ、焼けなかったじゃないか」 


 良尚は鷲太になんとか微笑みかけた。本当は胸が張り裂けそうなほど痛かった。今にも瞼から涙がこぼれ落ちそうだった。それを必死で絶える。 


(間に合わなかった……私はいつもこうだ……) 


 また、間に合わなかったんだ。

 ここにたどり着くまでに目にしたたくさんの遺体。つい先日笑顔で語りあったばかりの村人たちだ。その中に……松吉の姿も見つけたきがした。 


 女たちはひどい目にあわされていないだろうか。

 子供たちは無事なのだろうか。 

 彼らの笑顔を、彼女たちの明るい笑いを思い出しただけでも、苦しくて息が出来ない。 


 どうして、自分はこんなに無力なのだろう。

 何のための身分だ。

 自分の大切な民を守れなくて何が若様だ。 


(せめて……鷲太だけでも生きていてほしい) 


 良尚はいつのまにかあふれていた涙を振り切るようにぬぐう。そして、両手で鷲太を抱きしめたのだ。

 その様子を背後から見守っていた者には、良尚が炎の中にその身を投じたようにしか写らない。ぎょっとした鷹雄は、自分の頭からさあっと血の気が引く音を聞いた気がした。 


「良尚様!!」 


 悲鳴にも似た鷹雄の声も良尚の耳には届かなかった。 


(ごめんな、鷲太。すべて私が悪いんだ) 

 

 怖い思いをさせてすまなかった。

 不安な思いをさせてすまなかった。

 二度もおまえを死のふちに立たせてすまなかった。  

 もう、大丈夫だから。

 もう泣かなくていいから。


 戻っておいで──。  


 ふと気がつくと、良尚の耳元で泣き声が聞こえてきた。 


「う……うう……」 


 良尚が鷲太から体を離すと、鷲太の体を包んでいた炎が見る見るうちに消えていくのが分かった。そして完全に消えてしまうのを見届けると、再び鷲太を力いっぱい抱きしめる。 


「我慢するな。悲しい時はいっぱい泣けばいい。泣いて泣いて、泣きつくせ。そしたら、明日は笑えるから」 


 鷲太は良尚の胸の中で声をあげて泣いた。両親を失くしてから初めて、声を上げて泣いた。 


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