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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第一話 赤い詩
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4 妖の子(1)

 4 妖の子



 その日は、雲ひとつ無い晴天だった。 

 鷲太は、頭上を見上げた。背もたれにしていた木の枝と葉の間から、太陽が覗いている。


 まるで、ずいぶん長いこと今の暮らしをしているみたいだなと鷲太は思った。あの悪夢のような日が遠い昔に感じる。


 松吉も多恵も、鷲太を自分の息子のようにかわいがってくれていた。その愛情が、自分に向けられたものではないのはわかっていた。 

 自分は夫婦の死んでしまった息子たちの代わり。それはわかっている。 


 それでも、嬉しかった。

 それでも、安心できた。 


 一人ではない。自分のことの存在を気にかけてくれる人がいる。 

 それだけで胸が熱くなる。 

 

 多恵に「ほら、よく噛んで食べるんだよ」といわれればそれだけで、どんな夕飯より美味しかった。 

 松吉に「おまえは、賢いな。よし、これをやってみろ」と言われれば、誰よりももっと働いて松吉の力になりたいと思った。 


(でも……) 


 鷲太は手のひらの握り飯をじっと見つめた。 

 彼はわかっていた。

 こんな幸せは長くは続かない。幸せはいつだって、簡単に奪われる。そして自分にそれを守るだけの力はないのだ。 


「鷲太!」 


 鷲太は、声のする方を見た。松吉が畑の中に小さく見えた。こちらに手を振っている。鷲太は手早く握り飯を口に頬張ると、松吉のもとへと急いだ。 

 松吉は鷲太が近くへ来るのを見ると、自分の分の握り飯を一つ鷲太に手渡した。 


「ツネ婆さんて分かるか?」 


 鷲太は握り飯を受け取ると、口に頬張りながら頷いた。 

 ツネ婆さんとは、村で一番の長寿を誇る元気な老女だ。元気な分だけ口が悪い。鷲太はこの老婆が少し苦手だった。 


「様子を見てきてくれよ。朝から調子が悪いらしい」 


 鷲太よりも頑丈なんじゃないかと思うくらいのツネ婆さんが、と鷲太は目を丸くした。 


(会いに行ったら、蹴られないかな……) 


 鷲太はわずかに眉をひそめた。 

 そのわずかな表情の変化を、松吉は見逃さなかった。松吉はガハガハと笑いながら鷲太の背中を軽くたたいた。 


「あの婆さん、見かけによらず手が早いからな。うまくかわせよ」 


 鷲太は返事をする代わりに、がっくりとうなだれてみせた。

 

 





 鷲太が村に戻ると、入り口に見かけない後姿を見つけた。 


(屋敷の人かな……?) 


 鷲太は首をかしげながら、その後ろ姿に歩み寄った。 

 声をかけるつもりというわけではない。ただ、その人物がツネ婆の家への通路にちょうど居たというだけのことだった。まもなく、鷲太に気がついたその男がこちらに近寄ってきた。 


「おい、上総殿のお屋敷はこのあたりか?」 


 その男は、すらりと背が高く、実によく鍛えられた体付きをしていた。日に焼けた小麦色の肌も、たくましさをさらに強調させる。


 太い眉と力強い光を放つ切れ長の目が顔全体を印象付ける。年は良尚とそれほど違わないのだろう。しかし、どこか繊細でやわらかいイメージの良尚に比べて、この男は無骨者という言葉がぴったり当てはまる。気品や優美という言葉とは対称の位置にある人物と言えよう。


 ぼろぼろの着物と汚れきった袴姿だったが、腰に挿した刀だけが不釣合いに立派で、鷲太の目を引いた。直後、鷲太の心臓が、どくんと大きく脈打った。頭からざあっと音を立てて血が引いていくのがわかる。 


 鷲太は思わず後ずさりする。しかし、足がうまく動かない。尻もちをついてしまう。 


 あの時と一緒だ。

 あの日と一緒だ。 


 あの日も、刀を腰に差した男たちが村に押し入ってきて、あっという間にすべてを奪った。   

 父を、母を、家を、村を、そして鷲太の生きる希望を──。  


(殺される!) 


 足が震えた。逃げなきゃ。そう思うのに足が動かない。 

 ふと鷲太の脳裏に暖かい笑顔がよぎる。 


「……良……尚……さま……」 


 知らず知らずに口をついた。途端に、涙があふれた。 


「どうした。おい」 


 男が怪訝な顔で鷲太の肩に手を伸ばす。反射的に鷲太の体がビクリと大きく震える。その様子に男は思わず手を止めた。 


「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」 


 鷲太はがちがちと震える歯を、必死で抑えた。 


(助けて、良尚様!! 助けて!!) 


 その時だった。 


「おめぇ、そこで何してんだ!?」 


 鷲太も男も一斉に声の方を振り返る。ツネ婆だ。ただならぬ気配に気がついた老婆が、思うように動かない体に鞭打って、家の外へ出てきた来たのだ。


 鷲太には背中の曲がった小さな老婆の姿が、自分でも信じられないほど頼もしく思えた。  






 ツネはその高齢からは想像ができないほど、凛としていた。その眼光は矢のように男を射た。

 ツネの目には、どう見ても幼い少年を図体のでかい男が迫っているようにしか見えない。子供のおびえ用といったらどうだろう。尋常じゃない。それで、思わずドスの聞いた声を張り上げたのだった。しかし、男は飄々としたものだった。 


「何もしていない」 


 何もしていないのなら、なぜ子供がそんなに真っ青な顔をしているというのだ。もしかして、こいつが盗賊ではなかろうか。


「ぼうずをこっちへよこしな」 


 ツネ婆は、相変わらずにらみを効かしながら男に言い放った。男はほとほと困ったというように、肩をすくめる。 


 なんて白々しい演技だろう。きっと子供をさらって、人買いに売り飛ばすつもりだったに違いない。


「何か誤解しているようだが、俺はこいつに道を尋ねただけだ」 

「嘘をつくな」 

「嘘じゃない。俺は、平良兼殿の屋敷へ行く途中なんだ。このあたりのはずだが、と思い、道を聞くためにこの村へ立ち寄っただけだ」 


 ツネの顔に少し変化が見られた。

 確かに、このあたり一帯を治めるのは、平良兼である。だが、こんな汚らしい格好の、どこからどうみても怪しい者が屋敷の主に何の用があるというのか。


 ツネはちらりと子供を見た。ぎりぎりのところで耐えていたのだろう。ツネの登場に気が緩んだのか、まるで川が決壊したように、彼の目から涙があふれている。可哀相に。よっぽど怖い思いをしたのだろう。


「じゃあ、なぜそのぼうずは泣いておるんじゃ」

「こっちが聞きたい。突然泣き出したんだ。俺は何もしちゃいないさ」 


 男はわざとらしくため息をついた。 


「突然? 何もしていないのにか?」

「ああ。誓って、指一本触れてない」


 ほとほと男が弱りきった情け無い顔で鷲太を見下ろすので、ツネはいよいよ真相が分からなくなってきた。ツネの脳裏に、この子供が村へ来た当初の頃のことが浮かんできた。彼が、発作的に村の若い男におびえ、悲鳴を上げたことがあると松吉がぼやいていたような気がする。


 困ったようにツネは子供の顔を眺めやった。

 何があったというのだろう。こんな幼い子供が、どんな恐ろしい記憶を抱えて生きているというのだろう。


 ツネは胸を締め付けられるような痛みに襲われながら、子供によたよたと歩み寄よった。そしてそっと子供の頭に手を置いた。 






 ツネ婆の豆だらけの硬い手が鷲太の頭をそっと撫でた。その暖かさに、鷲太の涙はますますあふれた。

 たまらずツネ婆の胸に飛び込むと、ツネ婆は何も言わずに鷲太を受け止めた。ツネ婆の胸は、広く、大きく、懐かしい匂いがした。  


 すると突然、男が村の外をうかがうように振り返った。 

 鷲太の耳に、悲鳴が飛び込む。見上げた男の顔に緊張が走ったことを鷲太は感じた。 


 間もなく、無数の蹄の音が聞こえてきた。 

 再び鷲太の鼓動が大きく、早く、体中を駆け巡る。


「物陰に隠れろ! 早く!」 


 男は鋭い声で叫んだ。 

 ツネ婆ははっとした顔を見せたが、鷲太はすでに腰を抜かして動けない。  


 男は、ちっと舌打ちすると、鷲太を軽々と担ぎ上げた。そして、最初に目に入ったのが馬の飼葉の山だったのだろう。その中へ、無造作に鷲太を放り込む。 


「絶対に物音を立てるなよ!」 


 そう言うと男は自分の馬を飼葉の脇の馬屋につなぎ、自分も物陰に身を潜めた。ツネ婆も積んである薪の陰に隠れることに成功する。鷲太は何とかもぞもぞと身動きして、全身を飼葉の中に消し去った。 

 


 数分後、鷲太の耳に「用が済んだら、燃やせ」と、まるで鬼が地獄の底から発するような恐ろしい声が届いた────。   


 

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