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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第五話 風にのせて
41/47

(9)

 

 ◇◆

 

 

 瀕死の男を息子の公雅に預け、ふらりと単身、屋敷を後にした良兼は、馬に揺られていた。馬はある場所へと、のんびり向かっている。

 良兼は小さく息をこぼすと、心のなかでつぶやいた。

(あの香りは……もしや……)

 彼は、白き獣に対峙してからというもの、ずっと一つのことに捕らわれていたのだ。

 

 あの香り。

 そして、あの気配。

 確かにあれは……。

 

 だか、そのはずはないのだ。

 しかし……。

 

 その答えを探しに、自分はそこへ行かなければならない。

 あの桜のもとへ──。

 

 ふいに、背後に多くの気配を感じた。屋敷に残っていた家臣たちのようだ。

 公雅が、自分の身を案じて、後を追わせたのだろう。嫡男としては賢明な判断ではあるが、今の良兼はそれを必要としていない。一人になりたかった。

(そうもいかぬか……)

 当主に何かあれば、国が傾く。虎視眈々と領地を狙うものがこの板東には多すぎるのだ。

(……ままならぬものよ)

 もう一度、小さくため息を吐き出すと、良兼は西の空を仰いだ。

 すると、暗闇の中に、さらに漆黒の煙を吐き出す火柱がいくつも上がっているの見えた。

 あれは、先日、尚子が盗賊に襲われたと言っていた村の方角。今そこには、扶が居るはずだ。

 なぜ炎が上がっているのだ。

 何が起きているのだ。

 ふと良兼の脳裏を、扶の妖しい笑みがよぎった。先刻感じた嫌悪感と警戒感が、さっと全身によみがえる。

「…………」

 良兼の顔に険しさが戻る。

(調子にのるなよ、若造)

 この国の領地で、好き勝手するものは、誰だとて許さない。

 たとえ、強大な力をもつ源氏の嫡男だとて、悪戯がすぎれば容赦はしない。

「村へ急ぎ参る。後から参れ」

 良兼は従者にそれだけ言うと、馬の腹を蹴った。

 

 

 村の入り口に姿を現した良兼は愕然とした。

「扶殿。これはどういうことだ」

 首を左右に動かし、村を見渡す。

 すでに、まともに形をとどめる家屋はない。その上、炎に包まれた家屋の脇には、多くの遺体が転がっている。

 ひどい有様だ。とても、人が住む場所ではない。

「これはこれは。義父上様。どうしてこのようなところに?」

 さわやかな笑顔を携えて、扶がゆっくりと歩み寄ってきた。

 その白々しさに、良兼の口元がかすかに歪む。

「村から煙が上がっているのが見えた。これはどういうことなのだ」

「この村の住人が、得体の知らぬ獣を飼いならし、近隣の村々を襲っていたということを突きとめましてございます」

「う、嘘だ!! そんなの嘘だっ!!」

 扶と良兼のやり取りを見守っていた一人の青年が、急に声を荒げた。

 身なりから、この村の住人だとわかる。よく見れば、腕には中年の男を抱えていた。中年の男は血の気の失った顔で、意識もない。虫の息といったところだ。長くはもつまい。

「ここは私にお任せくださり、良兼殿はお屋敷にお戻りください」

 敵意むき出しで、村人が扶を睨みつけている。しかし良兼には、彼が嘘をついてるようには見えない。

 どちらの言葉を信じるべきか、明らかだった。しかし良兼は静かに扶に問いかけた。

「つまり、こやつらが、近隣の村を襲っていた盗賊だったということか?」

「そのようです」

「ということは、私の娘をさらったのもこやつらなのか?」

「そうかもしれませぬ。私が必ずや、姫の居所を吐かせ、助け出してみせましょう。安心して屋敷にお戻りください」

 良兼は、黙って扶を見つめた。そして、再び村人たちに視線を落とす。

(どうも、私を追い返したいようだ。私に知られたらまずいことでもある、かのようにな)

 いったい何を隠そうとしているのか。

 暴き出して欲しいらしい。

 皆の前で恥がかきたいのなら、その要望に応えてやらぬこともない。

 良兼は、扶にかまわず馬を下りた。

 そして、村人たちに向かって足を進める。

「殿様!! こいつにだまされちゃいけねぇ!!」

 後方の老婆が、良兼に向かって声を張上げた。

「殿様!? あんたが良尚様の!?」

 けが人を抱えた青年が、良兼をまじまじと見た。

「いかにも。私が、この国の主だ。今、良尚と言ったか?」

「そうです。俺らは、良尚様に命を救われたから、こうして生きていられるんです! 良尚様が、俺らを盗賊から救ってくださった!」

「ほう。そなたたちが盗賊なのではないのか?」

 良兼は、それはおかしなことだ、と眉をひそめて見せた。

 

 どちらかが嘘をついている。

 この国の当主に。

 それは死にあたいする不敬。

 さあ、いったい、どちらが真実なのだ。

 良兼は、わざとらしく、腕を組み、悩むふりをした。

 

 すると老婆が、駆け寄ってきて青年の横に並んで、ひざまずいた。

「盗賊のわけがないっ! この老いぼれまで、お救い下された若様を、ワシらはお慕いしております。そんなワシらが、若様の大切に思う民の命を、民の生活を脅かすとお思いか!?」

「…………」 

「殿……様……」

 そこで、青年の腕の中で、中年の男がかすれた声を出した。気絶しているのかと思っていたが、意識はあったらしい。

「……盗賊に……村を襲わせたのは、そのお方です」

 中年の男は、重そうな瞼を半分だけ開けて、視線だけでそのお方──扶を指し示した。

「……なに?」

 良兼の眉がぴくりと動いた。彼も予想していなかった言葉に、耳を疑う。

 

 扶が村を襲わせた?

 それが本当ならば、捨ておくことなどできない。

 扶がひとりでやったことか。それとも──父の源護(みなもとのまもる)がやらせたことか!?

(源護め! よもや、この国の力を弱め、この私を殺そうとしているわけではあるまいな!)

 良兼は静かに扶を見た。扶の顔には動揺は見られない。

「たわ言でございます。耳を貸しますな」

 表情を変えずに扶はそう言ったが、この男ならば白を切り通すことなど容易いだろう。

 それに、もし扶が村を襲っていることが真実だとしても、証拠なく問い詰めれば返り討ちにあうに違いない。

(どうしたものか……)

 良兼は再び村人たちに視線を戻した。

 その真剣な瞳には、偽りの色は微塵もない。

 良兼の視線をうけ、中年男は再び、かすれた声で訴える。

「殿さま……この方が……盗賊を……」

 男は痛みに顔をゆがめ、ついに、言葉がつむげなくなった。代わり、老婆が続ける。

「盗賊を使って、村を襲わせ、女子供、食料を奪い、村に火をつけて回ってるのです。さっき自分でそう言っていた!」

「無礼な! 私を盗賊と言うか! 切り捨ててくれる」

 扶が、逆上し、刀を振り上げた。いや、逆上したように見せかけて、この者たちの命を奪おうとしているようにもみえる。

 これ以上余計なことを言うな。そう扶の目が妖しく笑った。

「待て!」

 良兼は制したが、扶はかまわずに刀を振りあげた。反射的に、村人たちは体を硬くし、身構える。

 刀の軌跡は完璧な弧を描く──かと思われた!

 

 ギャイイイイイイ

 

 悲鳴が空気を真っ二つに裂いた。

 老婆のではない。

 青年のでもない。

 悲鳴の主がわかった時、良兼ははっと息を呑んだ。      

(先ほどの!)

 真っ白な獣の首もとに、扶の振り下ろした刀が、深々と刺さっていた。

 獣は、足元に三人の村人をかばうようにして、仁王立ちしている。

「この、死にぞこないがっ!!」

 獣に食い込んだ刀を、扶が引き抜こうとした。再び獣を攻撃し、息の根を止めようと考えたのだろう。

 だが、思ったよりも深く食い込んだ刀は、思うように抜けない。

 そうこうしているうちに、獣が頭を大きく振って扶を振り飛ばした。良兼の頭より高く、扶の体が宙を舞う。

 残った良兼を、威嚇するように獣は歯をむき出しにした。

 良兼の体は、石化したのかと思うほど、思うように動かなくなった。

 額には、いつの間にか汗が噴出し、手もぐっしょり濡れている。

 ギロリと赤玉の瞳がわずかに妖光を放ったような気がした。

 すると、不思議なことに、良兼は、胸の奥底から何かが湧き上がってくるのを感じた。

 見る見るうちに、陽だまりの中で寝転ぶ時のような、暖かさが体いっぱいにあふれていく。

(まずい……)

 このままでは、先ほどと同じく、心を喰われる。

 そう思ったが、もう遅い。

 

 良兼は、いつのまにか、在りし日のぬくもりの中へと、さらわれていった。




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