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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第五話 風にのせて
39/47

(7)

  

 ◆◇

 

 

「…………」

 

 最西の部屋に一歩踏み入れたところで公雅(きんまさ)は言葉を無くした。

 まず彼を襲ったのは、臭気。部屋のあちこちから立ち込める血生臭さ。

 胃を乱暴にかき混ぜられたような吐き気を覚え、公雅は慌て庭に駆け込んだ。

 胃液を吐き出し、咳き込めば、口の中の苦さより何倍も強い嫌悪感が、彼を襲う。公雅の脳裏に、一瞬で、凄惨な殺人現場の情景が焼き付いてしまっていた。

 

 藤乃があそこで首をはねられた。そのむごい情景が、簡単に想像できるほどおびただしい量の鮮血が、部屋の中央からあちこちに飛び散っていた。なんともおぞましい光景だ。

 

 父の話では、藤乃は盗賊を姉の部屋へと手引きし、抵抗する義兄を縛り付け、盗賊逃走の手助けをしたという。そのため姉の誘拐後、藤乃は扶によって処刑された、と。

 

 公雅は再び、変わり果てた姉の部屋に足を進めた。

「…………」

 部屋の入り口に立った公雅の顔が、苦々しく歪む。

 彼のよく知る姉の部屋だというのに、その面影はどこにも無い。

 倒れた記帳。

 粉々に砕けた油差しの皿。

 その日も(しわ)一つ無く床に敷かれただろう寝具は、ぐちゃりと折れ曲がり、枕もあさっての方にある。

 どれほどに、激しい格闘がくりひろげられたのだろうか。

 きっと義兄が、体を張って盗賊から姉を守ってくれたに違いない。容易に、義兄がその背に姉を隠し、それでも、多勢に無勢ではなすすべがなかったのだろう。

 扶の無念や、姉の恐怖にふるえる顔が目に浮かび、公雅の胸はぎりぎりと締め付けられた。

 

(それにしても……信じられない)

 

 本当にあの藤乃が姉を裏切っていたというのだろうか。あの、姉が人生のすべてだ、と全身全霊で訴えている女官が!

 

 だが、そう簡単に、警備の目をかいくぐり、多くの女官に気付かれることなく、姉の部屋へ忍び込むことができるだろうか。その上、乱闘の末に姉を拉致していくなど、不可能だ。

 

 確かに内通者がいれば、話は別だが……。

 

(……本当に、あの藤乃が……姉上を裏切っていたのかな……)

 

 公雅が、腕を組んで思い悩み始めた時、にわかに屋敷の外が騒がしくなった。

 はっとした公雅は、すぐさま、きびすを返す。

 

(父上が帰ってきたに違いない!)

 

 もっと詳しいことが父から聞きたい。何かが引っかかる。

 大股で廊下を歩きながら、建物の外へと出た。

 

 すると、すぐに、門のところにいる父の姿が目に入る。

(……え!?)

 公雅は、自然と駆け足になりながら、だんだんと大きくなる父に視線を送り続けた。

 だが、そこには、馬にまたがった父の姿と、明らかに狼狽えている馬番しかいない。馬番は、父が敷地内に姿を見せた直後に駆け寄ったのだから、つまり、父がたった一人で戻ってきたことになる。

 あれほどに家臣を従えて出ていったというのに。そもそも、国の主たる父が、単独行動をすることがありえない。同行した家臣たちが、それを許すわけがないのだ。

 しかも、父の様子もおかしい。

 まるで、どこをどう通ってきたか覚えてないというように、呆然と一点を見つめている。馬を降りようとしない。

 不思議に思った馬番が首をかしげ、おそるおそる馬上の父に声をかけたのが見えた。

「と、殿……」

 しかしまったく反応がない良兼に、馬番ほとほと弱り果てた顔になる。きっと、父は戻って来てからずっとこの調子なのだろう。どうしていいかわからないようだ。

「父上!」

 やっと、声の届く距離に来た公雅は父を呼んだ。父が首だけを動かし、こちらを見る。

 しかし、やはり様子がおかしい。

(まさか……!)

 公雅の全身をざわざわとした悪寒がかけ上がった。

 何かあったのだろうか。天下一、気丈な父が心を壊すような、衝撃的なできごと、──愛娘の死──のような!

(姉上が死んだなんて、そんなことあってたまるかっ!)

「あ、姉上は!? 一緒ではないのですか!?」

 公雅は声を荒げながら、すばやく姉の姿を探した。そして、はっとなる。騎乗している良兼の背後に、何者かの下半身が見えたからだ。

「……姉上!?」

 弾かれたように、公雅がその人物を馬から引き降ろして、息を呑んだ。見覚えのある顔だ。

 すぐに、姉の背後にいつも控えていた男だという考えにいきつく。

「これは……姉上の……」

 ぐったりとしたその男は、かろうじて息をしていた。

 なぜ、姉の共が一人で!?

 しかも、瀕死の状態で!

「おい、姉上はどうしたのだ!! おい、しっかりいたせっ!!」

 力任せに公雅は男をゆすったが、完全に意識を手放しているため反応が無い。すると、頭上から父のかすれた声が振ってきた。

「手当てをしてやれ」

 それだけ言うと、良兼は馬を引き返した。再び、ゆっくりと屋敷を出て行こうとする。

「父上!?」

 公雅はあわてて、父の背中に声をかけたが、父は見向きもしない。

「お、おまちください!! お一人では危険です! であええーー!! 急ぎ、父上の供をせよーーっ!! であえ、であえ!!」

 夜盗が逃走したと騒がれている中、父を一人で行かせるわけにはいかない。

 だいたい、今の父は抜け殻のようだ。いつもの父のように、息子の自分ですら震え上がるような、恐ろしさがない。そんな父を一人で行かせていいわけがない。

(父上……何があったのですか……)

 良兼が振り返ること無く、街道を西へ進んでいく。

 間もなく、公雅の呼びかけに答え、屋敷に残っていた兵たちが姿を見せた。すぐに父を追うように、指示を出す。

 その様子を見守りながら公雅は胸が詰まる思いがした。彼には父の背中が寂しげに見えた……。

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