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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第五話 風にのせて
38/47

(6)

 

『松吉さん』

 

 

 松吉は薄れ行く意識の中で、確かに聞いた。

(……鷲太……?)

 まぶたを開ける力も残されていないのだろうか。

 体が鉛のように重い。

 何とか、頭を動かそうと、力を搾り出したとき、村が再び騒然とした。

「わああああーっ!!」

「助けてくれえええーーっ!」

 聞き覚えのない男たちの死に瀕したような叫び。村の入り口方向から聞こえてくるようだ。村の外を取り囲んでいた扶の私兵のものに違いない。  

 松吉は、寄りかかっていた鮎太郎の手を借りて、なんとか上半身を起こし、村の入り口を見やる。

「…………?」

 ふと、村の外に再び、静けさが戻った。

 静かすぎる。

 不自然なくらいだ。

 誰もが、今のは何だったのだろうか、と思った時、村を取り囲む生垣の一部が炎を上げて一気に燃え上がった。

「ぎゃああああーーっ!!」

 突如、村を引き裂くような悲鳴が再び上がった。

 その声に驚いた鮎太郎がびくりとなって、鮎太郎が手を添えていた松吉の肩を揺らす。

 次の瞬間、激しい炎の塊が村の入り口に現れた。

(……まさか人か!?)

 炎の中に、人の影がなんとか確認できた。

 それほどに、炎の勢いは激しく、誰にもどうすることもできなかった。

 呻きながら右に左にのた打ち回る炎の塊が、ついに動かなくなるまで十秒間。

 その場にいた誰もが息をすることを忘れた。

 村は水を打ったような静けさに包まれた。

 明らかに、何か恐ろしいことが起きている。尋常ではない何かが。

 松吉は、固唾を飲んで、村の入り口を見つめる。その視線の先で、パチンと、垣根の枝が炎の中で弾けた。

 

 そして、それは───姿を現した。

 

(な、なんだあれは……)

 

 松吉だけでなく、その場にいたすべての者が同時に息を呑む。文字通り、災厄が歩いてきたのだ。

 白く輝く毛をもつ、大きな獣の形をした災厄が!

 その大きさや、牙の鋭さもさる事ながら、松吉の目を奪ったのは、その体を取り囲む赤い炎。

 確かに、炎に覆われているというのに、白い毛が燃えている様子もなければ、熱さを感じている様子もない。文字通り、炎に“包まれて”いるのだ。

 同じく激しい炎に包まれていた先ほどの男とは、似て非なる光景が、いっそうの恐怖心を生み出すようだった。

 

 このままでは、あのバケモノに殺される! 

 さっきの男のように。

 生きたまま焼き殺される!

 

 そう想像するのは一番自然なことだ。松吉ですら、火だるまになった自分の姿を一瞬、想像した。

「……バ、バケモノだ!」

 誰かが、声を発した。その声は、まるで水鏡に一滴の雫をたらす様に、静まり返った村に波紋を生んだ。

 いっせいに人々が、逃げ場を求めて、走り出す。

 恐怖から逃れるため、我先にと駆けていく。しかし、先ほど自分たちが着火した家屋の炎は、もともとそれほど広くはない家屋と家屋の狭間に、横いっぱいにはみ出し、行く手を阻んでいた。おかげで、無傷で通過できそうな道幅は、せいぜい一人通るのがやっとというところだろう。

 そこへ多くの者が殺到すれば、無理が出る。

 その浅ましさといったら、無かった。

 兵士たちの殴り合い、蹴飛ばし合いが、すぐにあちこちで目に付くようになる。それが殺し合いとなるまで、時間はかからなかった。

 しかし、村人たちの多くは、その争いの中心にはいなかった。出遅れたものがほとんどだからだ。

 鮎太郎も、思わず腰を上げたものの、動けない松吉のことが頭をよぎって、その場で立ち尽くしていた。

 そこへ、同じくその場から動かなかった肝の据わった男が、大きな声を上げた。

「何をしている!! 矢を放つのだっ!!」

 村に扶の太い声が響きわたった。六割ほどの扶の私兵が、ぎくりとなって、動きを止めた。

 争いあっていた者たちも、お互いに顔を見合わせたかと思うと、持ち場に戻った。一瞬で本分を思い出したのだろう。

 結局、二十余名が主人と獣の間に立ち、弓を構えた。

「放てっ!」

 扶の声にあわせ、無数の矢が放たれた。矢は放物線を描いて、いっせいに獣に降り注ぐ。

(やったか!)

 兵士たちの奮闘ぶりを見守っていた松吉も、眼差しに期待をこめた。さすがの獣も、これではひとたまりもないだろう。

 しかし、すぐに期待は絶望となって、松吉を凍りつかせた。

(矢が……消えた……。一つ残らず……)

 放った矢は、獣を傷つけることはおろか、触れることすら出来なかった。白き獣を包む炎が、一瞬にしてすべての矢を焼き消したからだ。

 矢は、まったく無力だった。

 誰もが戦意を手放し、立ち尽くす中、ついに獣が動いた。

 松吉が瞬きをした次の瞬間、白き獣は兵たちの手の触れそうな距離に、悠然と立っていた。

(なっ……そんなに早く動けるのか!)

 兵士たちより少し後ろにいた松吉は、ぞくりと寒気を感じた。

 これでは、狙われたら逃げられらない。矢も歯が立たないというのに。

 つまり、戦うことも逃げることもできないという絶体絶命の状況にあり、それに気がついたのは松吉だけではなかったようだ。

 

「わああああーーっ!!」

 

 一人の兵が、たまらず悲鳴を上げて、逃げ出した。

 彼が地面に投げつけた弓を目で追い、その後姿にあっけにとられていた他の兵たちも、駆り立てられたように逃げ出した。

 これで、松吉たちの姿が獣に晒されることとなる。

(!)

 真っ赤な燃えるような目が、まっすぐに松吉を捕らえた。

 本当に獣であれば、動くものを目で追うだろう。それなのに、白き獣は逃げ惑う兵たちには目もくれず、ただ一点を見つめていた。

 今度はゆっくりと、獣の足が前に踏み出される。足音がしない。

(!)

 松吉は、はっとした。

 あきらか、獣の鋭利な視線は自分に注いでいる。

(……ワシ……か?)

 獣の標的は、自分だ。

 ほかの人には、まるで興味がないようにも見える。

 こんなに大勢の中から、なぜか自分が狙われている。

 先ほどは、一瞬で、標的の前に移動した獣は、まるで松吉の反応を確かめるように、大地を踏みしめるように、ゆっくり前進してきた。

 また一歩、松吉に近づいた時、すぐ隣にいる鮎太郎が小さな悲鳴を上げて、腰を抜かした。

 背後にいる村人たちが、這うように逃げ出すのも、振り向かずとも気配でわかる。

 だが、松吉は逃げようとは思わなかった。

 獣の二つの赤玉から目を逸らすことなく、静かに見つめ返した。自分でも驚くほど、呼吸も落ち着いている。

「……ま、松吉さん!」

 鮎太郎が、逃げよう、と松吉を促す。

 その間も、獣は一歩一歩、松吉に近づいてくる。

 と、その時だった。

 

『松吉さん』

 

 松吉は、反射的に辺りを見回した。

「松吉さん?」

「今、鷲太の声がしなかったか!?」

「何、言ってるんだ、こんな時にっ! さあ、逃げよう!」

 松吉には、確かに聞こえたのに、すぐ近くにいる鮎太郎には聞こえ無かったようだ。

 だが、確かに鷲太の声だった。

 空耳だったのだろうか。

 いよいよ、死期が近いということだろうか。

 松吉が小さくため息をついた時、再び松吉の頭に声が響いた。

『松吉さん。僕だよ』

 無言で、松吉は前方を見た。獣の瞳が煌く。

 ふわりと柔らかな風が、松吉の髪を揺らしたかと思えば、松吉のすぐ目の前に、獣が瞬時に移動した。

 いつの間にか炎が消えていて、触れるほどの至近距離で見た獣の白い毛は、透き通るように煌いて見てた。触れば羽毛のように柔らかく、お日様のいい匂いがしそうだ。

「……鷲太なのか?」

 松吉の手が、吸い込まれるように獣の鼻先に伸びていく。

『そうだよ。僕だよ』

「本当に、鷲太なのか?」

 松吉の瞳をじっと見つめながら、獣は口端を少しだけ上げた。

(笑った……?)

 

『みんなを迎えにきたんだ』

 

 その瞬間、この恐ろしい獣が、確かに鷲太に見えた。  

 


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