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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第四話 赤い月が見ている
30/47

(10)

 

 ◇◆

 

 

 

 扶は、馬にまたがったまま、僅かに首をひねり、あたりを見回した。彼の従者たちが手にしているたいまつで照らし出された村は、不自然なまでに静かに感じられた。

 何かあるな。扶は腕をくんで、顎をさすった。


「つれてまいりました!」


 声に導かれるように、家臣が連れてきた片足の男に扶の視線が移っていった。

 その男はなんともみすぼらしい姿をしている。髪も鳥の巣のようにボサボサであったし、着物もあちこちが破れ、近くに寄れば不快な匂いが漂ってきた。

 扶は、汚いものを見るように顔をしかめ、再び視線を男からはずした。


「お前か、尚姫が連れ去られたのを見たというのは」

「へえ。確かに見ましたぜ」


 男は、地面にはいつくばって、大きすぎる声で答えた。


「盗賊はどこへ向かったのだ」

「あっちです」


 扶の質問に、男は額を地面にくっつけたまま、森の方を指差した。


「ほう」


 扶は、男の指差す方へ首を動かすと、薄気味悪い笑みを浮かべた。


(まるで、口裏を合わせたかのような物言いだ)


 不意に沈黙が訪れたため、片足の男、松吉は顔を少しだけ上げるようにして、恐る恐る扶をうかがった。その松吉の視線が扶の顔に到達する前に、身が縮み上がるほど不気味な扶の笑顔は、すっと消えていた。

 二人の目が合い、松吉は慌て額を地面にこすりつけた。


「時に、この村は盗賊に襲われたそうだな。生き残ったのはお前だけか?」


 松吉には、話が変わるのと同時に、扶の声が優しくなったような気がした。松吉は、思わず顔を上げた。


「いえ、何人かおりますが。ほとんどはやられました」

「そうか。盗賊も、むごいことをする。女たちは無事か?」


 扶は、心から胸を痛めているような顔を見せた。いつの間にか、松吉の肩から力が抜けていることに、本人は気が付いていない。

 松吉はすっと多恵のやさしい笑顔を思い出し、顔をしかめた。


「ほとんど殺されたか、連れていかれました。おらの妻も……」 

「そうか。私の国でも、盗賊は後を絶たない。国を統治するものとしてふがいない思いだ。そなたたちだけでも、無事でよかった」


 扶はふわりと微笑んだ。それを見た松吉は、あれ? と思った。

 このお人は、なかなか良い人なのかもしれない。隣の国のエライ人で、良尚を連れて行ってしまう悪い奴だと、息子は言っていた。鷲太の言葉を疑っているわけではないのだが……。


「もったいないお言葉です」


 内心、首をひねりながらも、松吉は再び、自分のひたいが地面に付くまでひれ伏し、敬意を表した。


「ところで、この村だけ、なぜ全焼を免れているのだ? 近隣の村々では、盗賊の被害にあえば、村ごと焼き払って全滅だという。誰か、村に腕の立つものがおったのか?」

「へえ。それが、村に偶然訪ねてきた男が、盗賊を追い払ってくれたわけであります」

「訪ねてきた男?」


 扶の眉がぴくりと動いた。


「どんな男だ」


 扶のまとう、空気の色が変わった。

 松吉は、それを肌で敏感に感じ、一瞬で悟った。


(しまった、この話をしてはいけなかった!)


 地面を見つめたままの松吉の目が泳ぐ。


「いや、すぐにおらは気を失っちまったので、わからんですわ」

「では、なぜ、その男が追い払ったことをしっている」

「……」


 松吉は言葉に詰まった。話はまずい方へまずい方へと進んでる。

 あの日のことは、すべてを見ていたツネ婆に聞いたのだが、それをこの男に話せば、追求の矛先がツネ婆に移ってしまう。老婆をそんな危険な目にあわせるわけにはいかない。


「なぜ、答えぬ」


 松吉は、体を起こし、とぼけ顔で頭をかいた。


「どうだったかなぁ。思い出せんのですわ。いや、すまねぇ、おらも年だで、堪忍して下せえ」


 だが、扶は実に頭のキレる男だった。松吉の口さきだけの演技でごまかされるような男ではない。扶には、それだけで十分、だったのだ。


「……あの男がここに来たということか」


 扶の顔が、にやりとゆがむのが松吉には見えた。松吉の胸が嫌悪感にざわめいた。

 これは同じ人なのだろうか。先ほどの柔らかな笑みはどこへ消えたというのだろう。やはり、息子の見立ては間違っていなかったのだ。


「おい」


 扶はそばに控えた家臣に声をかけた。家臣は、小さく返事をし、扶の前に進み出た。


「村人を一人残らず、引きずり出せ」


 松吉ははっと息を飲んだ。


(な、なんだと!?)


 従者たち二十余名ほどが、一斉に主人の元を離れ、村の小屋という小屋を捜索し始めた。

 隠れていた村人たちが、次々と扶の足元へと引っ張りだされていく。わめき散らす者、抵抗する者。その中に、二人がかりで担ぎ上げられているツネ婆の姿もあった。ぎゃあぎゃあと、なにやら叫んでいる。

 村はあっという間に、騒然とした。







「これで全部か」


 冷ややかな扶の視線が、無理やり地面に押し付けられた十数名の村人たちへと、投げ下ろされた。

 扶は流れるような動きで馬からおり、近くでたいまつを掲げていた男の手からそれを奪うと、村人たちの背後へ足を進めていった。


 村人たちは皆、胸騒ぎを覚え、体を低くしたまま、体をひねり、食い入るように扶の一挙一動を目で追っていた。それだけ扶の笑みは、彼らに強大な不安と恐怖を植え付ける力を持っていたのだろう。

 先ほどまで、この笑みは扶の優しさを反映しているものだとばかり思っていた松吉も、もう騙されない。

 どこをどう見ても、この男が従えているどす黒い空気は、松吉に危険を訴えている。

 松吉がこれほど全身で恐怖を感じたのは、生まれて初めてだった。肌がぴりぴりとして、産毛が逆立つようにさえ感じ、背中を冷たい汗がすっと落ちていく。


 じゃり。

 じゃり。


 まるで、扶の足音だけが、その場で唯一の音源であるかのようだった。

 扶は、その場から最短距離にあった小屋の前に立つと、一度村人たちを振り返った。

 松吉と扶の視線が交わる。


(まさか……)


 扶の顔に、にたりとしか表現できない笑みが浮かびあがった。扶の腕がじわじわと伸ばされていく。

 松吉は扶の顔と、右手に握りしめられたたいまつを交互に見た。たいまつの火が小屋の屋根の藁へと近づき、ついに、ぼっと音がした。

 発火した家の持ち主、孫一(まごいち)が、たまらずに立ち上がり、悲鳴を上げ、駆け寄ろうとした。だが、すぐさま扶の従者がそれを殴り飛ばし、力ずくで地面へと彼の体を押し付けた。


 そのわずかな間にも、火は小さな小屋を取り囲み、大きく、赤く、強く燃え上がっていった。

 さらに扶は右手のたいまつを放り投げた。

 また一つ、小さな家が炎に包まれ、あっという間に、ごうごうと音を立てる。

 それは、鮎太郎(あゆたろう)の家だった。

 


 鮎太郎は自分の家が形をなくしていく様を呆然と見ていたが、数十秒後、その場で泣き崩れ、妻と息子の名を叫び始めた。

 彼の悲鳴のような泣き声をまともに聞くには辛すぎた。松吉はそっと目を伏せた。彼の胸の痛みを思うと、口の中に苦味が広がってくる気がした。

 先の盗賊の一件で鮎太郎の妻も息子も行方知れずになっていた。

 鮎太郎と妻のかよは、最近結婚したばかりの若夫婦だった。鮎太郎が口説きに口説いて、やっとのおもいで、かよの首を縦に振らせたのが1年ほど前。

 その後の二人の仲むつまじさといったら、村人がうんざりするほどであった。だから、あっという間に子供ができたあとは、鮎太郎の妻自慢に親ばかが加わったと、誰も苦笑いしたものだ。

 そんな若夫婦の幸せな日々は、あの凄惨な出来事により、一瞬にして奪われた。

 鮎太郎の肩には今も消えない矢傷痕が残り、その傷よりもずっと深い心の傷は癒えることなく、今日まで彼に笑顔は戻らないでいた。


 松吉は、燃え上がる炎をしっかりと見つめた。

 きっと鮎太郎は、家族と一緒にすごした、家族だけの大切な空間で、思い出に浸る日々を送ってきたのだろう。

 松吉は、彼の気持ちが痛いほど流れ込んでくるようで、顔をゆがめた。


「さて、もう一度聞こうか」


 村人たちはその声で恐怖へと引き戻された。


「あの男はどこへいった」


 扶の言うあの男とは将門のことだ。だが、村人たち全員の脳裏に、元気な若様の顔が浮かんでいた。


「森へ逃げたのを見た」


 松吉は、堂々と答えた。

 松吉だけではない。村人の誰もが口を割るもんかと、扶をにらみつけていた。

 沈黙が村を覆う。


 時折、パチンと何かがはじける音が、炎の中から響いてきたが、誰も気に止めることは無い。

 皆、ただひたすらに扶から目をそらすまいと、していた。

 先に、行動に移したのは、扶の方だった。

 扶の口元が、ふっと緩む。それは、危機が去ったことを告げるものではなく、最悪を招く合図であったのだが、さすがにそこまで気づくものはいない。

 ただ一人、松吉だけは、今まで以上に肌がぴりぴりとし、野生の獣が己の身の危険を察知するような類の、第六感を働かせていた。


 ────いいだろう。口を割らぬというなら、割りたくなるようにさせてやろう。


 そんな幻聴が聞こえてくる。

 松吉は、このまま、扶が諦めて帰ることを、心の底から願った。

 いや、祈った。


 生まれて初めて、神に。

 全知全能の天に!

 もうなんでもいい。

 どうか、このまま立ち去ってくれ!


(他国の小さな村の盗賊など、どうでもいいことだろう、あんたには!)


 松吉は喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込んだ。

 しかし、扶は涼しげな顔で、従者に視線を送ると、命を下す。

 

「おい、矢五郎(やごろう)を連れて来い」


 すぐに、その従者は一人の男をつれて、村人たちの前に現れた。村人たちの視線が、その男へ集中する。


「この男に見覚えはないか?」


 最高に面白い芝居が始まる、そんな期待に膨らんだ表情で扶は村人、一人一人の顔を見比べていった。


「お……お……おまえは!!」


 松吉の背後から悲鳴にも似た声があがる。ツネ婆だ。松吉は首をひねって、ツネ婆を見た。

 ツネ婆は、がくがくとふるえながら、その男を食い入るように見つめていた。その顔には、明らかな強い恐怖が浮かんでいる。

 そして、ツネ婆の口から、驚くべき言葉が零れ落ちた。


「あの時の…………盗賊!!」


 ばっと、松吉はその男を振り返った。


(ばかなっ!)


 あの襲撃があった日、松吉はあっという間に気を失った。だから、相手の顔を見る余裕も無かった。だから、何度その男を見ても、どれだけ食い入るように見ても、その日の記憶と結びつきそうなものは発見できない。

 だが、ツネ婆の衝撃的な言葉に、記憶の破片をつなぎ合わせた数名の村人が、やはり同じように、悲鳴を上げた。


(まさか……盗賊を仕向けていたのは、この男だったというのか?)


 松吉は扶を見上げる。恍惚の表情を浮かべるその非道な男の姿に、足元から何かが壊れていく感覚にとらわれた。


(こいつは、隣の常陸の国の若様だろう? なぜ、こいつがうちの村を襲う必要がある!?)


 この国の最高権力者、平良兼は常陸の国とは同盟を結んでいたのではないのか?

 どうなっているんだ?

 まさか……!

 松吉はめまいを覚え、額を手で押さえた。


(まさか良尚様!! あんたもそれを知っていったっていうのかい!?)


 知っていたから?

 だから、助けたのか!?

 村を襲わせておいて、良い人ぶって、助けたというのか!?

 扶は、松吉の顔に青筋が立ったのを見つけると、今までにないほど喜びの顔を見せた。その顔が、まだまだ面白いことはこれからだ、と語っていた。


「この村が滅びなかったのは、小さな誤算であったが。今一度、滅ぼせばよいだけのこと。のう、矢五郎」

「はっ。お任せあれ」


 矢五郎と呼ばれた男は、ぴゅうと指笛を吹いた。たちまち、わらわらと男たちが集まってきて、村のあちこちに火をつけて回りはじめた。 

 村人たちに動揺が走る。

 悲鳴があがる。

 松吉は動けない。

 どうすることもできない。心と体がばらばらになりそうだ。


「さあ、知っていることをすべて申せ。言わなければ、一人ずつ殺していく」


 呆然とする松吉を見て、扶は高らかに笑った。


 その時だった。

 どーんっと突き上げるような大地の揺れを感じた直後、目を細める程の真っ赤な閃光が、それほど遠くないところで、空高くかけ上がったのを松吉は見た──。

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