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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第一話 赤い詩
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2 新しい翼

 2 新しい翼




 すがすがしい秋の日光を一身にあびるようにして、良尚は背伸びをした。 

 屋敷から南へ少し馬を飛ばすと、東西へ流れる川に出る。ここの川原から、良尚の父、良兼よしかねが治める領土を眺めるのが、良尚は好きだった。  


 良兼が京都から移住するまでは荒れ野だったこの上総の国(現在の千葉県中部)も、ずいぶん耕地が増えてきた。耕地を増やし、取れる税を増やし、着々と力を付けてきたのが良兼や良尚を含む一族、平氏である。 

 今や平氏は、平良兼の実兄である平国香たいらのくにかを頂点に板東(現在の関東地方)において絶大な力を持っていた。 

 この国香の息子、貞盛さだもりの子孫が、源平合戦で有名な平清盛たいらのきよもりである。 


「う〜ん……良い天気だ!」 


 仰ぎ見た空の青さと、屋敷を忍び出て自由になった開放感を全身で感じた。 

 こんな時、良尚はヒトに生まれた自分を呪わずにいられない。


 ────鳥になりたい。


 体中に風を感じて、自由に気ままに生きていけたらどんなにいいだろう。


鷲太しゅうた……」 


 良尚の口からこぼれ落ちた言葉は、傍らにいた幼い子どもに拾われた。子どもはじっと良尚を見上げる。すると、秋晴れよりもまぶしく暖かい笑顔が彼にきらきらと降り注いだ。 


「鷲のように勇ましく、自由にどこまでも飛んでいけるように。おまえの名は今日から鷲太だ」 


 子どもは微かに唇を動かした。良尚は、その唇の動きが“しゅうた”と読めると同時に、再び破顔した。 


「そうだ、鷲太。気に入ったか?」 


 子どもは、こくんと頷いた。良尚はその様子を見て、頷き返す。そして再び青空を見上げた。その瞳には何が映っているのだろうか。鷲太は必死に良尚の視線を追った。 


「鷲太。おまえは風に乗ってどこまでも遠くへ飛んで行くんだ」










 鷲太は良尚を再び見上げた。その良尚の目が、一瞬、さびそうに伏せられた気がした。急に良尚の背中が小さく見え、鷲太は鷹雄の言葉を思い起こしていた。 


『おまえにも、新しい人生を下さる。だから、あの方のために生きろ』 


 鷲太には、この言葉の意味が少しだけわかった気がした。 

 この人にはいつも笑っていて欲しい。

 悲しい顔をさせたくない。

 鷲太はそう思った。 


「さあ、行こう」 


 良尚の掛け声に、鷲太は何とか馬によじ登る。それを見届けてから、良尚は軽やかに鷲太の後ろにまたがった。 


 川からの風に乗って、ふわりといい香りがした。 

 

 




 ◇◆ 

 




 

「松吉、頼みがある」 


 良尚はすとんと馬から下り、農作業をしている松吉に声をかけたのだった。 

 松吉は顔を上げるついでに、曲がりきった腰を伸ばした。 


「この子を預かってほしい」 


 良尚は、馬からなかなか下りれず、じたばたしている鷲太を指差した。 

 松吉たち夫婦には子供がいない。いや、3人ほどいたのだが、どの子も幼くして亡くなっていることを良尚は知っていた。同時に、夫婦が子供好きなのも、村の子供の対応を見ていれば一目瞭然だ。だから、良尚はこの鷲太を助けてすぐに松吉の顔が浮かんだのだった。 


「どこの子なんです?」 


 松吉は手放しでは喜ばなかった。そのことが良尚には意外だった。てっきり大喜びしてくれると思ったのだ。 


「先日の村の生き残りだ」 


 良尚は自分の顔が強張るのを隠すために、鷲太の方へ歩み寄る。どう馬から下りたらいいのかわからず、まだ馬の背にしがみついている鷲太の姿に、すぐに良尚の口元が緩んだ。そっと手を貸してやると、鷲太は迷わずその手を取った。 


「名は鷲太だ」 


 鷲太はなんとか着地し、良尚と共に松吉と対面した。 


「預かる……ねぇ」 


(そういうことか!) 


 そこで初めて、良尚は松吉の渋っている理由がわかった気がした。預かるとなると、返さねばならない。しかも、良尚からの預かり者となれば、扱い方もぞんざいになるわけにはいかない。これでは厄介者だ。松吉はそう思ったのだろう、と良尚は瞬時に察した。 

 やはりこういう時には、目に見えない強固な主従の鎖を感じる。 


「松吉、お多恵たえ」 


 良尚は松吉夫婦の名を改めて呼んだ。少し離れたところで、作業していた手を止めてことの成り行きを心配そうに見ていた松吉の妻、多恵が慌ててこちらに駆け寄ってきた。 


 改めて名を呼ばれれば、命令が下るものだと、夫婦は思い込んでいたのだろう。二人は固い表情を見せ、黙って良尚の顔を見つめた。だが、良尚は、ふっと笑ったのだ。意表を疲れた夫婦はぼけっとその笑顔に見とれてしまった。 


「松吉たちには子供がいない。鷲太には親がいない」 


 良尚は三人の顔を交互に見つめながら言った。 


「三人で、家族にならないか?」 


 松吉はぽかんと口を開けたまま、良尚の笑顔を眺めた。 


「もちろん、三人がよければ、の話だ。隣の村が盗賊に襲われ、助けられなかったのは国守である我が父、そして、この私の失態だ。しかし、鷲太を屋敷で面倒みるわけにはいかない。だから、この村の一員として、できれば松吉の息子として、育ててやってほしい」 


 良尚はかがみ、鷲太と目線の高さをそろえた。 


「鷲太。松吉ならおまえを、立派な男にしてくれる。たくましく賢い、立派な男になり、私の元へ戻って来い」 


 鷲太は、こくんと頷いた。その瞳には、もう強い光がともっているように良尚には思えた。 


(いい目だ) 


 もう、鷲太が自ら命を絶つことはないだろう。ちゃんと生きていけるはずだ。 

 そのやり取りを見ていた多恵が、松吉より先に口を開いた。 


「鷲太。今日からこれだけは守るんだ」 


 多恵は鷲太の前にしゃがみ込むと、両肩に手をやり微笑みかけた。 


「良く食べ、良く寝て、良く働く、そして良く笑う。これがうちの家訓さ。守れるかい?」 


 鷲太は、再びこくんと頷いた。すると、多恵は本当に嬉しそうに鷲太に笑いかけたのだ。その笑顔は、鷲太に自分の母の顔を思い出させた。 


「……母ちゃん」 


 初めて聞く鷲太の声に良尚は、息を呑んだ。そればかりか、鷲太の顔には笑顔が浮かんでいるではないか。 


(……良かった) 


 良尚の胸に熱いものがこみ上げてきた。本当に良かった。 

 多恵に笑いかけようと良尚が振り返れば、多恵は目にいっぱいの涙をためながら鷲太に暖かい眼差しを向けていた。 


 そこにいたのは、母親とその息子だった。 


 母親とはこんなに暖かいものなのだ。暖かくて、優しくて、安心するものなのだ。 

 良尚は、自分が向けられた記憶のない、母親の愛情をはじめて肌で感じた。 


「……ほら、なにぼさっとしてるんだ。ここまでやっちゃわなけりゃ、今日の飯は抜きだぞ!」 


 そこで初めて松吉が照れくさそうに口を挟んだ。鷲太と多恵の視線から逃げるように、農作業を再開してしまった。 

 しかし、その声が少しだけ震えていたのは、良尚の気のせいではなかったらしい。それは、多恵が良尚に笑って見せたので、確信へと変わったのだった。 

 



 良尚が松吉に新しい家族を紹介したその日から、あっという間に1ヶ月がたった。鷲太は、良尚が舌を巻くほどに農作業が上達し、見違えるほど元気になっていた。 


 もともと、鷲太はまじめで、根気もあり、頭の回転も速い性格だった。松吉などは良尚よりもずっと飲み込みがいい、筋がいい、などと良尚をからかった。確かに、今では、良尚が鷲太に農作業の手ほどきをされるほどだから、良尚も舌を巻かずにはいられない。


 そんな日々の中、鷲太に明るい笑顔が見られるようになってきた。そして、声を出して笑うようになった、とか、村の子供たちと一緒になって悪戯をして松吉に怒られた、などという話もちらほら聞こえてきた。


 いつしか、変化していく鷲太の様子を見に、村を訪れるのが良尚の楽しみの一つになっていた。

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