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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第四話 赤い月が見ている
29/47

(9)

 

「ん、待て」


 鷲太はさっと顔を下に向け、絹の中に隠した。


(ばれた……!?)


 かしゃかしゃと鎧の音を立て、男が近づいてくる。


「近づくな! それ以上近づけば、姫がどうなっても知らぬぞっ!!」


 鷹雄の威嚇も、まるで意味をなさなかった。物ともせずに男は近づいてくる。


「姫……私でございます。もう心配いりませぬぞ」

「聞こえないのかっ! 佐貫殿っ」


 鷹雄には、この男の狙いがわかっていた。

 姫に声をださせようというのだろう。自分の名前がわかるか、答えてみろ、と挑発しているのだ。尚子ならば父の重臣の名を知らぬはずはない。

 そう、佐貫は明らかに、紅布の下に隠れる人物の正体を探ろうとしていた!

 だから、鷹雄はわざと男の名を口にした。鷲太に、男の名前がわかるように。

 しかし……。


 鷹雄は悔しそうに唇を噛んだ。

 鷲太に声をださせるわけにはいかない。いくら、鷲太が女性のような高い声が出せたとしても、重臣まではごまかせないだろう。本人でないことがばれたら、終わりだ。


 どうする。

 どうしたらいい。


 鷹雄の迷いが、佐貫の鎧を軽くさせているのだろうか。彼の歩みは勝者の優越感に満ち溢れていた。

 一歩一歩近づいてくる佐貫。

 鷹雄の視線が、鷲太と佐貫との間をさまよう。


 どうしたらいい。

 何か。何か策は!

 考えろっ!


 そう考えれば考えるほど鷹雄の行動にブレーキがかかる。鷹雄が何度目かの口火を切ろうとした瞬間、彼より早く幼子が思い切った行動に出た。


「従え、佐貫!」


 鷲太はできる限り、短く答えた。しかも、尚子のように威勢よく、ドスをきかせて。

 鷹雄は内心、よしっ、と叫んでいた。やはり賢い子供だと。ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。

 なぜなら、鷲太が一瞬しか声を発しなかったため、女性の声としかわからなかった佐貫は、「はっ」っと反射的にその場でひれ伏したのだ。それを見た従者たちも、佐貫に習い、あわててひれ伏した。ひれ伏しながらも、佐貫はわずかに首をかしげた。そんな声だっただろうか?


「どけっ!」 


 鷹雄は間髪入れずに、声を張上げた。考える隙を与えるわけにはいかない。

 すると今度は、従者たちは一斉に左右に分かれ、鷲太たちのために道をあけた。

 鷹雄は、逸る心を抑えながら、堂々とでも手早く馬を進ませる。走り出した馬が、佐貫の前を通りすぎた、ちょうどその瞬間。佐貫は目の前にはためく紅色の着物の袖をつかんだ。






「あっ」


 鷲太の声とともに、破けた着物の袖。その反動で、頭から絹布が滑り落ち、月下にさらされたその幼い素顔。

 思わず振り返った鷲太は、佐貫の鋭い視線にとらえられた。

 かなりの速度で馬が佐貫の前を通過したというのに、まるでそこだけ時が止まっているかのように見えた。

 鷲太を見つめたままの佐貫の口端が、だんだんとつり上がっていき、微笑に変わった。


 ──見ツケタゾ……。


 そう佐貫の口元が動いたような気がした。

 鷲太は全身があわ立つような寒気に襲われた。あわてて前に顔を戻す。


「鷹雄様!」

「このまま逃げ切る! 飛ばすぞ」


 だが、さして馬を進めることができないうちに、白猫が悲鳴を上げた。


『前からくる!』

「えっ」


 小さく鷲太は声を上げた。


「どうした!」


 鷹雄がちらりと鷲太に視線を落とした時、前方から大群が現れた。

 あわてて鷹雄が手綱を引くと、馬は甲高く嘶き、前足を空中でばたつかせた。

 鷲太は振り落とされないように、馬のたてがみに必死にしがみついた。

 そのわずかな間に、追っ手は二人の側面にも回りこみ、とり囲んでしまった。

 先ほどとは比べものにならない追っ手の数に、鷲太は息を呑んだ。

 さすがの鷹雄も、死に絶える自分の姿が頭をよぎる。


『どんどん集まってきてる。後ろからも、さっきの追っ手がもうすぐここへたどり着くわ』

(ええっ!? どうしたらいいんだ!)


 鷲太はすがるような思いで、胸元の白猫を見た。


『しらないわよっ!』

(そんなぁっ)


 鷲太が情けない顔し、猫は牙をむいて、そんな彼をにらみつけた。

 その直後、何かを感じとった白猫が勢い良く首をひねって、再び前を向いた。鷲太の視線も自ずと前方へ導かれた。


「見つけたか」


 低い声が聞こえたかと思うと、鷲太の視線の先にいた男たちが、さっと道をつくり、馬にまたがった一人の男が姿を現した。

 男は見るからに上等な着物を身にまとっていた。物腰も優雅で、長年の間に染み付いたものであることがわかる。

 鷲太には、薄暗い森の中だというのに、それが誰だかすぐにわかった。このような田舎で、都人のような振る舞いができる人は一人しかいない。


「参ったな。総大将がおでましとは……」


 鷹雄のつぶやきが、鷲太の頭上から零れ落ちてきた。


「お前、鷹雄とか申したな」

「……」


 良兼の刺すような視線が鷹雄を突き抜けた。これが彼でなければ、恐怖で息が止まっていたかもしれない。


「尚子を奪還した、というようには見えないが。お前が尚子を拉致したのか?」


 静かに、しかし、全身から湧き出る怒りを帯びた良兼の声が、ますます鷲太を震え上がらせた。


「なぜ答えぬ」


 表情を変えずに、良兼に対峙する鷹雄だった。

 

 





 その堂々たる姿は、内心、良兼を喜ばせていた。

 このような状況下にあっても、臆することなく自分と対等に渡り合おうとする、その度胸は見上げたものだ。

 それは、やはり命を張っているからこそ。そして、命をかけても成し遂げようとする、内なる思いがあってこそ。


 やはり、目の前にいるのは尚子ではない。尚子の着物をかぶっている偽物にすぎないのだ。

 当然、盗賊も虚言。

 この男が、尚子を連れ出し、盗賊の仕業とみせかけ、さらに、追っ手の目を欺くために陽動していたことは明白。


 ならば、何のために。

 誰のために。

 目的は何だ。

 良兼は、そこまで考え、ふっと笑った。


「……あの男か」


 最初から、良兼の本能がそう言っていたではないか。

 あの男が、そう簡単にくたばってくれるものか。

 そして、大人しく帰っていくものか、と。


「答えよ。尚子は、将門が連れ去ったのだな」


 良兼の目に、隠しきれない怒りが灯った。怒りだけではない。この手で甥の首をはねるまで、くたばるわけにはいかない。そんな、生気があふれてくるようだった。

 だが、鷹雄は、眉一つ動かさない。それが、何よりの肯定だと、良兼は受け取った。

 そんな無言の激戦が繰り広げられる中、、にわかに不届き者たちの背後が騒がしくなり、良兼の重臣が馬で駆け込んできた。


「殿! こやつは姫ではありませんぞっ!」


 息を弾ませながら叫ぶが、良兼はそちらには目もくれず、ずっと鷹雄から目をはなさない。

 

 サワワ……。

 

 秋風が歌う。良兼の頭上に茂る葉が揺れ、良兼の瞳が不気味に光る。

 

 ──殺すには惜しい。

 

 その良兼の目が鷹雄に問う。

 

 ────さあ、どうする。わしに仕える気があるか? ならば命だけは助けてやってもよいぞ。

 

 鷹雄は何も言わない。主人を変えるつもりは毛頭ない。

 しかし、ここで死んでやるには、不安が残る。

 あの将門が、本当に姫をまかせるに値する男なのか。まだ、見極めきれていない。

 どこか危うさが見え隠れしている気がして、いつか姫の命を危険にさらすのではないか。そもそも、良兼の人質として姫を連れ去っただけなのではないか。そんな懸念が断ち切れない。

 だが、完全に、鷲太たちは包囲されていた。逃げる場所も、またその方法も思い浮かばない。


 鷹雄は視線を動かさずに、腕の中にいる少年に意識を移した。

 この少年が死んだことがわかれば、姫は胸を痛める。ただでさえ、老女官、藤乃の死が姫の心を切り刻むのは必至だというのに。

 どうにか、この少年だけでも彼女の元へ届けたい。藤乃と自分の思いを、彼女に伝えてほしい。

 

 


 いつしか、完全に思考回路の袋小路で立ち尽くす鷹雄の心中など知るはずもない少年は、小さく震えながら、ことの成り行きを見守ることしかできないでいた。

 鷲太がどこを振り返っても、従者たちが構える矢や槍、刀の切っ先が、冷たく光っている。

 幼い頭では、さすがに動揺を押さえ込むことはできそうもない。


 どうしよう。

 どうしたら! 


 そればかりが頭の中を往復している。

 それぞれの思惑を覆い尽くす、重い沈黙が流れた。

 鷲太はごくりと生唾を飲み込んだ。心臓の鼓動が、徐々に大きくなり、緊張が最高潮に達する。

 この場の支配者は、表情を変えずに、終結の訪れを告げた。時間切れだ、と。


「やれ」


 一切の抑揚もなく、わずかな期待と共にはき捨てられた良兼の言葉が、鷲太の心を貫いた。

 死を目前にした恐怖で、馬を反転させ立ちさろうとしている良兼の姿を、目で追うことしかできない。

 すべてをまかされた佐貫が片手を挙げ、その指示を見た従者たちは一斉に矢を構えなおした。

 一呼吸おいた後、佐貫の声が響きわたる。


「放てっ!」


 鷲太は反射的にぎゅっと目をつぶるのと同時に、鷹雄が鷲太を庇うように覆いかぶさる。

 

(姫様ーーーーっ!!)

 

 次の瞬間、矢の雨が美しい放物線を描き、二人に降り注いでいった。

 それを最後に、鷲太の記憶は途切れた──。




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