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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第四話 赤い月が見ている
28/47

(8)

 

 

 ◇◆

 

 

 

 ついに、捜索隊があたり一帯に放たれた頃、屋敷からそう遠くない森の中で、青年は馬を止めた。そして、自分の胸の中に包むようにして、ここまで連れてきた少年に視線を落とした。

 少年は金糸の刺繍が施された紅の絹の着物を頭からかぶっていて、その表情を伺うことはできない。


「よし、このあたりで時が来るまで待機だ」


 青年が声をかけると、少年は体をひねるようにして、こちらを向き、絹布の間から大きな目をのぞかせた。


「鷹雄様……この子をどこかで逃がしてやりたいのだけど」


 少年はふたたび身じろぎ、胸元から白い猫を少しだけ青年に向ける。青年の顔がわずかに曇った。


「つれてきたのか……」

「置いていけなくて」


 賢く、聞き分けの良い子だから忘れていたが、まだまだ元服(男の子の成人式。ただし当時は十五歳前後で行う)前の子供。まさか、自分たちの命の保障もないというのに、猫の身を案じて一緒に連れてくるとは、さすがの鷹雄も想像しなかったらしい。


「森に置いていっても、野犬に食われるだけだ」

「え……!」


 猫を抱く鷲太の腕に、思わず力がこもった。


「……では、一緒に逃げます」


 許可を求めるように、少年は上目づかいで鷹雄を見た。

 鷹雄きっと、邪魔だから置いていけ、と言うに違いない。


(どうしよう……こんなことなら見せなきゃよかった……)


 今がどんな状況なのか、十分わかっている。こんなところに猫を連れてくるなんて、浅はかだったのも自覚している。

 でも、置いて行けない。それだけはできない。


「……」


 その強い思いを鷹雄が汲み取ったのかどうかはわからない。だが、鷹雄は小さく息を吐くと、無表情のまま言った。


「姫様の猫だ。おまえが、姫様にちゃんとお返ししろ」


 鷲太の顔がぱあっと明るくなる。彼には珍しく鷹雄の声が明るかったように聞こえたのだ。何だがうれしかった。だから、鷲太は力づよくうなずき、心に誓う。


(絶対に、姫様の所へ帰るんだ。ゆきしろと一緒に、僕は帰るんだ)


 心の中で言い聞かせた。

 すると、頭の中に直接聞こえるように、若い女性の声が響いてきた。

 

『来たわ!』

 

 鷲太は、はっとして腕の中の白猫を見た。白猫は斜め後方をじっと見つめていた。

 目を凝らして、その視線を追っても、鷲太には何も見えない。聞こえない。

 鷹雄も何も感じていないようだ。

 獣の聴覚は人の何十倍も敏感だと、松吉が言っていたことがあった。きっと、この白猫には、人には聞こえない、遠くから近づく追っ手の足音が聞こえているのだろう。鷲太はそう納得した。


(協力してくれるの?)


 鷲太は、心の中で猫に話しかけた。猫にはそれが聞こえたらしく、首をひねり、鷲太を見上げた。


『あんたたちと心中するのはごめんよ。置いていかれて、犬に食われるのはもっとごめんだわ』

(ありがとう。どっちに逃げたらいい?)

『あっちからは気配を感じない』


 猫は斜め前方の木々の中に、顔を向けた。


「鷹雄さま、物音がします。あちらへ逃げましょう」

「!」


 鷲太が背後へ逃げるように指さしたので、鷹雄はすぐさま馬を反転させた。あたりの気配を探るも、やはり何も感じなかったらしい。

 鷹雄がいつもよりもわずかに険しい表情で鷲太を振り返ったため、鷲太は彼のその鋭い瞳に説明を求められた。だが、猫がそう言っている、などと説明するわけにもいかない。


「信じてください。あちらへ、さあ早く!」


 一瞬、考えるように鷹雄の視線がゆれたが、すぐさま鷲太の言葉に従うことにしたらしい。すでに鷲太の不思議な力を目の当たりにした鷹雄には、鷲太の言葉を信じるに足る何かがあったようだ。鷹雄は馬を鷲太が指さす方向へ進めた。

 

 





 時折、猫の指示により方向転換が行われたが、しばらく二人と一匹は無言であたりをさまよった。

 虫の声が大きく聞こえた。かさかさと、草木が揺れる音が、なんとも不気味だ。すでに暗闇に目が順応したとは言え、突然、獣が出てくる危険は多分にある。

 もちろん、出てくるのは獣だけではないというのは、追われる立場ではしかたのないこと。そんな緊張感が鷲太の喉をからからにさせた。

 鷲太は、恐怖を紛らわすために、今まで気になっていたことを問うことにした。心の中で、猫に声をかける。


(ねえ、聞こえてる?)

『邪魔しないで。気が散るわ』


 間髪いれずに、苛立ちのこもった女性の声が返ってきた。胸元を覗けば、白猫の小さな三角の両耳が、右に左にと小刻みに動いていた。どうやら、猫は周囲の音を逃さないように、気を張っているようだ。


(君は、ただの猫じゃないよね)

『……猫だったわ』

(……どういう意味? 今は猫じゃないの?)

『何に見えるというの?』


 猫の返事は冷たい。しかもよくわからない。

 鷲太はあきらめなかった。はっきりさせておきたいことがあったからだ。


(君は、いつからその不思議な力を持っているんだい? だって、人と話せる猫なんて、僕は初めて見たよ)

『人と話せるですって?』


 嘲笑を含んだ声が、返ってきた。

 ちらりと猫に視線を落とすと、二つの瞳がこちらをしっかりとらえていた。暗闇の中にあって、はっきりとその存在がわかるほど、怪しく光る猫の目。


『私は、おまえよりもはるかに長く、この地で生きてきた。あの娘の父親がこの地に居つくそのはるか前からずっとだ。けれども、こうして私の声を聞き取った者は一人もいない』


 突然、猫の声が低く太いものになったので、鷲太は一瞬驚いた。しかも、心なしか語尾に含みのあるような言い方だった。


(じゃあ、なんで僕は聞こえるの?)

『それは、あんたが一番よくしってるでしょう?』


 再び、猫の声が若い女性の声に戻った。

 最近わかったことは、この猫は、かなり喜怒哀楽が激しいということ。

 そして、その感情によって、鷲太の頭に送ってくる声がまるで違うということ。

 若い女性の声の時もあれば、今みたいにまるで良兼のような中年の男の声の時もある。初めて猫の声を聞いたの時は、子供のような声だった。

 いったい何種類の声を持っているのだろうか。まるで、この猫の体の中に何人もの人が住み着いていて、交代で出てきているみたいだと、鷲太は思った。

 それにしもて、少しは聞き手のことも考えてほしい。鷲太はこっそり顔を引きつらせた。


(わからないから聞いてるんじゃないか……つまり、君の声は僕にしか聞こえないんだね。じゃあ、なんで聞こえるんだろう。僕はてっきり、君の不思議な力で声を出しているのかと思っていたよ……)


 ふう、と思わずため息がこぼれた。すると、さもおかしそうに娘の声で猫が言う。


『あんたに比べたら、私の力なんてちっぽけなものよ。私に“あんな”力はないわ』

(えっ!?)

『な〜に、あれも私がやってると思ったわけ?』


 猫の口がわずかに横に開いた気がした。見ようによっては、にやりと笑っているようにも見えなくない。鷲太の全身を鳥肌が駆け上がる。


『確かに、見た目はその男と同じように見えるけど、あんたはその男とはぜんぜん違うよ』


 猫が鷹雄のことを言っているのは、すぐにわかった。だから、思わず体ごとひねり、鷹雄を見上げてしまった。何も知らない鷹雄は、眉をひそめて鷲太を覗き込んだ。


「また何か聞こえたか?」


 鷲太はあわてて、首を横に振ると、ふたたび前を向いた。猫と再び視線が合う。しかし、すぐに猫は鷲太から視線をはずし、また前方を向いてしまった。


(……僕は……君と同じなの? つまり……普通じゃない……?)

『普通? 何をもって普通というのかわからないけど、今、目に見えているこの姿が器にすぎないという意味では、普通ではないわね。でも、私とあんたとでは、大きく違うわ』


 鷲太の喉がごくりとなった。


(何が違うの?)

『あなたは……──しまったっ! 囲まれたわ!』


 猫は、落ち着きなく耳を動かしはじめた。鷲太もはっとして、背後の鷹雄に声をかける。


「鷹雄様! 囲まれたようです!」

「何!?」


 鷹雄は手綱を引き、馬を止めて、あたりを見回す。やはり何の気配も感じないのだろう。何度も首を回転させ、必死に周囲の様子を探ろうとしていた。


『どの方角からも足音が聞こえるけど、あっちが一番、数が少ない』


 猫が示したのは、屋敷の方角だった。屋敷からの追ってだというのに、なぜ屋敷の方角が手薄なのだろう。鷲太は首を傾げたくなったが、とにかく、これを鷹雄に告げた。鷹雄は今度は迷うことなく、鷲太の導く方角へ馬を走らせた。


『こっちへ向かってくる。もうすぐ鉢合わせするわ』

「この先にいるようです」


 片手で胸の猫を抱きしめ、もう一方の手で馬から振り落とされないように必死に馬にしがみつきながら、鷲太は猫の言葉を鷹雄へ通訳した。

 猫は鷹雄の発する言葉が聞こえているらしかったので、多少まどろっこしさが半減されていた。


「どのくらいかわかるか?」

『十人はいる。いえ、もっと多いわ』

「えっ、そんなに!?」


 思わず、鷲太は声に出してしまい、鷹雄が眉をひそめた。だから慌てて言い足す。


「あ、えっと、十人以上だそうです。じゃなかった、いるようです」

「……人数までわかるのか?」


 距離を聞かれていたのか、と猫と鷲太は同時に心の中で舌を出した。

 その時だった。


「いたぞーーっ!!」

 

 前方から男たちが駆け寄ってくるのが見えた。猫の言うとおり、その数は十四名。手にしていたのは、刀ではなく農具であることから、このあたりの村人のようだ。これは鷲太たちにとって、大きな救いの手となった。

 なぜなら、村人たちは姫を見たこともなければ、会ったこともない……ことになっている。

 屋敷の近隣の村々によく出没した、泥だらけになって走り回る自称当主の息子は、良尚という少年として認識されている。だから村人たちは、姫の背丈も、顔も、声も、何一つ知らないのである。

 これは、うまくいけば、一人も殺さずにすむかもしれない。鷹雄は瞬時に、そう思案をめぐらせていた。


「うまくやれよ」


 背後から、鷲太にしか聞こえないで、鷹雄がささやく。鷲太が小さくうなづくと、鷹雄は懐から短刀を取り出し、鷲太に向けた。


「それ以上寄るんじゃねぇ。姫を殺すぞ」


 その声だけで、喉元を引き裂かれるのではないかと思うほど、鋭い声が鷹雄から繰り出された。村人たちは、いっせいにビクッとなって怯み、その足を止めた。

 うす暗くてよく顔が見えないとは言え、鷹雄の演技は完璧だった。誰も演技だと気づいていない。正直、鷲太は彼の演技力と、そのなりきりぶりに腰を抜かすほど驚いていた。

 普段、冷静沈着で、感情表現といえば眉を動かすぐらいの鷹雄が……鷲太にだって、別人にしか思えない。

 村人たちだって、良尚に扮した尚子の従者である鷹雄の顔は何度か目にしているはずだ。印象に残らない影の薄さは尚子がまぶしすぎるだけで、鷹雄のせいではない。

 しかし、この変わり様では鷹雄だと気づく者はいないだろう。


(……尚姫様が、おなか抱えて笑いそう……)


 そんな不謹慎なことを考えながら、鷲太は紅の絹の隙間から村人たちの様子を伺っていた。


「武器を置け。早くしろっ!」


 鷹雄が怒鳴る。村人たちはお互いの顔を見合わせて、様子を伺っているが、誰も武器を手放そうとはしない。


『あまり、もたもたしてると周りからどんどん追っ手が集まってくるわ』


 猫の声を受け、鷲太は少し高めの声を張上げた。


「武器を置きなさい! 私のために死んではならない」


 静かに鷹雄は驚いた。声は尚子には似ていないが、確かに、尚子が言いそうな言葉だ。

 しかし、鷲太の機転を利かせた助け舟を受け、鷹雄はさらに声を荒げる。あまり時間がないのは、鷹雄も状況からして察していたのだ。


「勝手にしゃべるんじゃねぇっ! そのお綺麗な鼻を削がれたくなかったら黙っていろっ!」


 鷹雄の短剣が鷲太の鼻の下の皮膚、すれすれのところで止まった。


(ほ、ほんとに殺されそう……)


 そう思ったのは鷲太だけではなかったようで、尚子に扮した鷲太を心配した村人たちは、しぶしぶ武器を鷹雄の方へ放り投げはじめた。

 こっそりと、鷲太は胸をなでおろした。このままやり過ごせる。そう思った。

 しかし、すべては遅すぎた。

 

『だめ、間に合わない!』

 

 猫の悲痛な叫びが鷲太の頭に飛び込んでくるのと、別の男たちが走りこんでくるのが同時だった。


「そこまでだ!」


 鎧を身にまとった中年の男と、その従者二十名近くが、鷲太たちの側面から現れたのだ。

 さっと、従者たちは鷲太たちを取り囲むように並び、一斉に矢を向けた。なんとか上手くやり過ごせるだろうと思っていた二人は、一瞬にして死の淵に追い込まれたのだ。


「姫を渡せ」


 鎧の男が、戦況の優位からか、それとも元々からなのか、えらそうに言った。

 この男には、鷹雄は残念ながら見覚えがあった。良兼の重臣の一人、佐貫五郎高重(さぬきごろうたかしげ)である。鷹雄が静かに佐貫高重をにらんでいると、徐々に高重の眉がつめられていく。


「お前……たしか……」


 小次郎を“見送る”際に、鷹雄は彼に従行したばかりだったから、佐貫高重も鷹雄の顔にかすかに覚えがあったようだ。


(……鷹雄様のお知り合い?)


 鷲太ののどがごくりと音をたてた。鷲太にむけられた、短刀を握る鷹雄の手に小さいながら動揺が感じられたからだ。


「絶対にしゃべるなよ」


 鷹雄の低いささやきが、ますます鷲太の緊張を煽った。


「おまえ、これはどういうことだ。姫の格別なお取り成しで、お側に仕えていたのではないのか!」


 男の顔がみるみるうちに怒りに染まっていく。


「恩をあだで返すとはっ!! やつを射殺せっ! 矢を放てっ!!」

「なりません、姫が……」


 完全に頭に血がのぼった中年男に、従者のほうがあわててそれを制した。


「そうじゃった、打つな打つな! 姫に怪我をさせたら打ち首じゃぞ!」


 なんて勝手なんだ、という従者のぼやきが聞こえてきそうだな、と鷲太は内心苦笑した。が、かすかにあった、その余裕もすぐに吹き飛ぶこととなった。

 鷲太の視線と佐貫高重の視線が、静かに交差した。

 

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