表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第四話 赤い月が見ている
26/47

(6)

 鷹雄が、滅びそこねたその村へたどりつたのは、尚子たちがその村を発った数分の後だった。

 馬の嘶きを聞きつけたのだろう、数十名がわらわらと姿を現した。皆、手には農具を持ち、なにやら物騒ないでたちである。


「なんだ、あんたか」


 ため息と同時に吐き捨てられた声には、聞き覚えがあった。この村のリーダー的人物──松吉である。彼を中心に、村は主従関係ではない、しかし、実に統制のとれた生活を営んできたのだ。これもひとえに松吉の人柄であると言えよう。ちなみに、影の実力者はツネ婆であるのは、いうまでもない。


「良尚様はすでに発たれたか?」

「ああ、まさに今さっきさ」

「そうか。すでに、屋敷では異変に気がついている。一刻の猶予もない」


 淡々と語る鷹雄の言葉は、村人の肝を一瞬にして凍りつかせた。

 いよいよだ。日ごろのご恩を、命を助けられたご恩を、返す時がきたのだ。

 松吉の喉がごくりと音をたてた。


「聞いたか、みんな! 手はず通り頼むぞ!」

「おうよ」

「まかせろ!」


 待ってました、といわんばかりに、村人たちは松吉にならって声を張上げた。みるみるうちに村全体の士気が最高潮に達する。

 その中にあっても、鷹雄は一人体温を低く保つ。村人の中に、小さな人影をみつけると音もなく歩み寄った。


「準備はいいか」


 大きなドングリまなこが、じっと鷹雄を見つめ返す。

 その瞳の中には、先日までには感じられなかった、何かがあるように感じる。この小さな子供なりに、覚悟があるのかもしれない。

 自分が何をすべきなのか。

 今から何が起ころうとしているのか。

 そして、命をかけて己の思いを貫けるかどうか。

 とても、あの時、真っ赤な火の中に身を投じようとしていた、生気のない顔からは想像ができない良い顔をしている。


「いつでもいいよ」

「尚子様の着物はどうした」

「さっき、ちゃんといただいてあります」

「よし。ではいくぞ」

「はい」


 いつの間にか、村人たちの視線は二人に集中していた。そのほとんどが鷲太の身を案じるものであり、痛いほど村人たちの思いは彼に突き刺さる。

 彼にとって、村人たちは初めてできた家族。生みの親のぬくもりを覚えていない鷲太にとって、肉親と同じ存在。松吉もツネも、かけがえのない父であり祖母だった。


「大丈夫だよ」


 鷲太は村人一人一人を、そして、最後に松吉をまっすぐと見た。


「良尚様のご命令だからね。僕は、死なないよ。死んだりなんかしたら、良尚様に蹴り飛ばされるもの」


 ふわりと彼が笑えば、村人たちも自然とほほを緩ませる。

 松吉だけが、こみ上げてくる熱いものを必死にこらえていた。

 ああ、なんてやわらかい表情で笑うようになったんだろう。

 じわりと、視界がにじんで、最後かもしれない自慢の息子の表情がゆがんでしまう。

 

「健闘をいのる」


 鷹雄の声が親子の別れの時を告げる。

 松吉は、必死に我が子の姿を目で追った。すでに、鷹雄と馬上にあり、尚子の紅色の打ちかけを頭からかぶっている。

 

 鷲太と目が合ったとたん、松吉の顔がくしゃくしゃにゆがんだ。これが最後になるかもしれない。

 そう、鷹雄と鷲太の役目は──陽動。

 先に逃げた小次郎と尚子の身代わりとなって、追っ手から“うまく”逃げなくてはならない大役だ。

 

 行ってしまう。

 まだ、あんなに幼いというのに、一番死に近い場所へ行ってしまう。

 

 俺の息子が!

 また、俺の息子が死んでしまう!

 

 胸の奥から湧き上がる感情を言葉にしようと、松吉の口が動こうとした時。

 

『ありがとう、松吉さん』


 再び鷲太が笑った。そう言ったように聞こえた。


「…………」

 

 だめだ。行くんじゃない。

 死んではだめだ!

 

 喉まで出かかった言葉を。

 今すぐ馬から引きずりおろしてしまいたい気持ちを。……どうやって飲み込めばいいというのだ。

 松吉は目の前の光景から逃げるように、天を仰ぐ。

 気持ちを落ち着かせようと目を閉じれば、松吉のすぐとなりに鷲太がいるような感覚に襲われる。

 

 鷹雄が、馬を蹴る音が聞こえた。

 立ち込める土ぼこりの匂い。

 馬が嘶き、だんだんと遠ざかる二人の気配。

 

 風が、蹄の音を消し去る頃、松吉はそっと目をあけた。雲ひとつ無い夜空が、きれい過ぎてなんだが恐い。

 村人たちが、解散していく中、松吉だけは、しばらく静かに夜空を見上げていた。

 目にいっぱいの涙をうかべながら。


「なあ、お多恵……」


 松吉のつぶやきが空へととけていく。

 

 まだだ。

 まだ、鷲太を連れて行ってくれるなよ。

 さみしいかもしれないが。鷲太はまだダメだ。

 

「なぁ〜に、すぐに俺がそっちへ行くからよ……──」

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
 「まあまあ面白かったよっ、これからもがんばりなさい」ということでしたら、『お気に入り登録』してやってください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ