(6)
鷹雄が、滅びそこねたその村へたどりつたのは、尚子たちがその村を発った数分の後だった。
馬の嘶きを聞きつけたのだろう、数十名がわらわらと姿を現した。皆、手には農具を持ち、なにやら物騒ないでたちである。
「なんだ、あんたか」
ため息と同時に吐き捨てられた声には、聞き覚えがあった。この村のリーダー的人物──松吉である。彼を中心に、村は主従関係ではない、しかし、実に統制のとれた生活を営んできたのだ。これもひとえに松吉の人柄であると言えよう。ちなみに、影の実力者はツネ婆であるのは、いうまでもない。
「良尚様はすでに発たれたか?」
「ああ、まさに今さっきさ」
「そうか。すでに、屋敷では異変に気がついている。一刻の猶予もない」
淡々と語る鷹雄の言葉は、村人の肝を一瞬にして凍りつかせた。
いよいよだ。日ごろのご恩を、命を助けられたご恩を、返す時がきたのだ。
松吉の喉がごくりと音をたてた。
「聞いたか、みんな! 手はず通り頼むぞ!」
「おうよ」
「まかせろ!」
待ってました、といわんばかりに、村人たちは松吉にならって声を張上げた。みるみるうちに村全体の士気が最高潮に達する。
その中にあっても、鷹雄は一人体温を低く保つ。村人の中に、小さな人影をみつけると音もなく歩み寄った。
「準備はいいか」
大きなドングリまなこが、じっと鷹雄を見つめ返す。
その瞳の中には、先日までには感じられなかった、何かがあるように感じる。この小さな子供なりに、覚悟があるのかもしれない。
自分が何をすべきなのか。
今から何が起ころうとしているのか。
そして、命をかけて己の思いを貫けるかどうか。
とても、あの時、真っ赤な火の中に身を投じようとしていた、生気のない顔からは想像ができない良い顔をしている。
「いつでもいいよ」
「尚子様の着物はどうした」
「さっき、ちゃんといただいてあります」
「よし。ではいくぞ」
「はい」
いつの間にか、村人たちの視線は二人に集中していた。そのほとんどが鷲太の身を案じるものであり、痛いほど村人たちの思いは彼に突き刺さる。
彼にとって、村人たちは初めてできた家族。生みの親のぬくもりを覚えていない鷲太にとって、肉親と同じ存在。松吉もツネも、かけがえのない父であり祖母だった。
「大丈夫だよ」
鷲太は村人一人一人を、そして、最後に松吉をまっすぐと見た。
「良尚様のご命令だからね。僕は、死なないよ。死んだりなんかしたら、良尚様に蹴り飛ばされるもの」
ふわりと彼が笑えば、村人たちも自然とほほを緩ませる。
松吉だけが、こみ上げてくる熱いものを必死にこらえていた。
ああ、なんてやわらかい表情で笑うようになったんだろう。
じわりと、視界がにじんで、最後かもしれない自慢の息子の表情がゆがんでしまう。
「健闘をいのる」
鷹雄の声が親子の別れの時を告げる。
松吉は、必死に我が子の姿を目で追った。すでに、鷹雄と馬上にあり、尚子の紅色の打ちかけを頭からかぶっている。
鷲太と目が合ったとたん、松吉の顔がくしゃくしゃにゆがんだ。これが最後になるかもしれない。
そう、鷹雄と鷲太の役目は──陽動。
先に逃げた小次郎と尚子の身代わりとなって、追っ手から“うまく”逃げなくてはならない大役だ。
行ってしまう。
まだ、あんなに幼いというのに、一番死に近い場所へ行ってしまう。
俺の息子が!
また、俺の息子が死んでしまう!
胸の奥から湧き上がる感情を言葉にしようと、松吉の口が動こうとした時。
『ありがとう、松吉さん』
再び鷲太が笑った。そう言ったように聞こえた。
「…………」
だめだ。行くんじゃない。
死んではだめだ!
喉まで出かかった言葉を。
今すぐ馬から引きずりおろしてしまいたい気持ちを。……どうやって飲み込めばいいというのだ。
松吉は目の前の光景から逃げるように、天を仰ぐ。
気持ちを落ち着かせようと目を閉じれば、松吉のすぐとなりに鷲太がいるような感覚に襲われる。
鷹雄が、馬を蹴る音が聞こえた。
立ち込める土ぼこりの匂い。
馬が嘶き、だんだんと遠ざかる二人の気配。
風が、蹄の音を消し去る頃、松吉はそっと目をあけた。雲ひとつ無い夜空が、きれい過ぎてなんだが恐い。
村人たちが、解散していく中、松吉だけは、しばらく静かに夜空を見上げていた。
目にいっぱいの涙をうかべながら。
「なあ、お多恵……」
松吉のつぶやきが空へととけていく。
まだだ。
まだ、鷲太を連れて行ってくれるなよ。
さみしいかもしれないが。鷲太はまだダメだ。
「なぁ〜に、すぐに俺がそっちへ行くからよ……──」