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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第四話 赤い月が見ている
25/47

(5)

 

 

 ◇◆

 

 

「着替えたか?」


 尚子のいる薄暗い小屋に小次郎が姿を見せた。普段の彼ならば「手伝おう! むしろ俺がやる」と言いそうなものだが、流石に表情が強ばっている。緊張してるのだ。危機が迫っていることが見て取れた。


「これで村の若造に見えるか?」


 小次郎の緊張を少しでもほぐそうと、着替えたぼろぼろの着物を見せるために腕を左右に広げた。小次郎の指示で、屋敷から着てきた紅色の着物と、村の若者の着物を交換したのだ。


「あぁ。それで髪も縛ればどこから見ても“良尚”だ」


 小次郎がかすかに頬をゆるませながら、尚子に一本のワラ紐を差し出した。それを受け取ると、後頭部の高い位置で髪を一つに結う。この髪型をすると自然に気持ちも引きしまるのだ。間違えても女言葉は出てこない。身も心も“良尚”という男になれる。

 再び小次郎に全身を見せるように、くるりとその場で一回転した。


「よし。今夜が最後の“良尚”だ」

「……最後?」

「俺の国では、ずっと尚子でいるんだから、“良尚”になる必要はないだろうが」


 そうか。己の姿を偽って、生きる必要はなくなるのだ。


(──好きなものを好きと言えるんだ)


 そんな自由が、この上総の国の向こうにある。


「いくぞ」

 尚子に小次郎の大きな手が差し出される。今度は尚子にも迷いがなかった。しっかりとその手を取る。


「ああ、いこう」

 そして薄暗い小屋から、二人同時に、大きく一本を踏み出した。

 

 





 

 小屋の外では、すでにツネ婆や十数名の村の男たちが集まっていた。


「良尚様!」


 尚子の姿をいち早く見つけた鷲太が駆け寄ってくる。どうやら、尚子たちが出てくるのを今か今かと待ちわびていたようだ。


「来てください、良尚様!!」


 まだ幼さの残るその笑顔は、誰もがつられて微笑んでしまう。鷲太は尚子の腕を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。


「ちょ、どうしたんだ! まて、鷲太! どこへつれて……」


 転ばないようにしながら、引かれるままに一人の男の前へたどり着く。その男は、村人の和の中にあり、なにやら難しい顔で相談している最中のようだった。


(……え……まさか!)


 その男は尚子と鷲太の気配に気がついて、こちらを振り返る。


「若!」

「松吉っ!」


 二人は同時にお互いを認識した。尚子は松吉に駆け寄り、思わず抱きついた。


「うおっ」

「無事だったのかっ!」

「……わ、若! ちょっと勘弁してくだせぇ!」


 嬉しいような、おそれおおいような、そんな複雑な顔をして松吉は尚子を引きはがそうとするが、尚子はお構いなしだ。


「よかった、生きてて!! も〜心配したぞっ!」

「わ、わかったから、若! は、離れてくだせぇ〜!!」


 じたばたと暴れる松吉に、助け船を出したのは鷲太だった。尚子の服を、背後から、つんつん、と引っ張る。尚子は松吉にへばりつきながら、鷲太を振り返った。


「良尚様」


 鷲太が無言で指さした方向に目をやると、遠方に小さく、でもはっきりと小次郎の姿が見えた。今にも飛びかからんとする猛獣のような目つきでこちらを(松吉だけなのだが)睨み付けている。

 反射的に、尚子は「うわっ…」と言いながら松吉の体から手を離した。バランスを崩した松吉はそのまま、良い音を立てて地面に崩れ落ちることとなる。

 一瞬で縮みあがるような身の危険を感じた上に、尻を強打することになった松吉からしたら、良い迷惑以外の何ものでもない。


「ひ、ひでぇな〜若……」


 松吉は尻餅をつきながら笑顔で、頭をぽりぽりとかいた。


「あ……すまん」


 尚子は、松吉を助け起こそうとして、そこで初めて、異変に気付いた。


「松吉……その足……」


 松吉の右足に、膝から下が見あたらない。尚子は、一瞬にして顔を曇らせた。


「ああ、あの騒動で、右足をもっていかれたのさ」

「そうだったのか……」


 尚子はしゃがみこんで、松吉の右膝に、そっと手を添えた。

 尚子の脳裏にあの日の出来事が鮮やかによみがえる。鮮血に染まった村、赤く燃え上がる炎。同時にあの時の感情までもが引きずり出され、尚子は胸をナイフでえぐられた感覚に襲われた。

 尚子ですら、まだこんなに辛いのに。

 松吉や鷲太、他の村人たちは、どれほどの痛みをかかえていたのだろうか。身体的にも、精神的にも。


(……守れなかった)


 尚子の顔が、胸の痛みにゆがむ。だが、松吉はからからと笑って見せた。


「そんな顔なさるな。足が一本なくたって、こうして生きていられる。それもこれも、若のおかげですぜ」

「……松吉……」 

「さあ、さあ、笑った笑った。あんたがそんな顔してちゃぁ〜、鷲太まで暗くなっちまう」


 松吉は鷲太の手を借りて、立ち上がる。鷲太も彼に加勢した。


「良尚様は、いつも笑っていてください。そのためなら、何だってします」

「おっ。よく言った! それでこそ、俺の息子だ!」


 がはははっと松吉は笑い、小次郎の方へと器用に杖を使いながら歩み寄った。


「さぁ、話は尽きないが、時間がないんだろう?」

「そうだ。実は一刻を争う。追われている当事者が無自覚で困る」


 したり顔で小次郎は腕を組んだ。


「よぉ〜言うわっ! ところ構わずあの子にちょっかいを出しているのは誰だ」


 隣から、蹴りと一緒にツネ婆のイヤミが飛んだ。


「はっはっは。さて、良尚。行くぞ」


 逃げるように、小次郎は尚子の傍へと歩み寄ると、ひょいと担いで馬に乗せた。そして、軽やかに自分もまたがる。


「あとは任せる」


 小次郎はそれだけ、松吉と鷲太たちに言うと、今にも馬を走らせようとした。

 村人たちに、何をどのように任せてどう逃げるつもりか聞かされていない尚子は、慌てた。


「まって鷲太はどうするんだ! それに鷹雄と藤乃は!?」

「……心配するな。後で追いつく。あいつらにも鷲太にも、別にやってもらうことがあるんだ」

「嫌だ! 一緒でないと行かない!」

「よせ」


 尚子は小次郎の静止を振り切って馬から降りようとするのを、力で制す。


「皆の気持ちを無駄にするな」


 その声は、尚子の腰を抱き込む腕と同じように、力強く反論を許さない。

 現実を見ろ。

 何が皆にとって最良か、判断できないそなたではあるまい? 

 そう言われている気がした。

 尚子は無言のまま、馬上の二人を見守る村人達を見回す。

 

『逃げてください。無事に』

『後は我らに任せて、幸せにおなりなさい』

『今度は、わしらが若を助ける番だ』

 

 いくつもの瞳が尚子を見守っていた。一人一人の思いが流れこんできて、胸があつくなる。


「しっかり、皆の気持ちを受け取ってやるのも、優しさというものだ」


 小次郎の声がふわりと尚子を包んだ。だから安心して、尚子は頷くことができた。

 

「みんな、ありがとう」

 尚子に柔らかな笑顔が戻る。


「でも、約束してくれ。絶対に私のために死んだりしないと。父上に逆らったりしないと」

 村人たちは、そろって首を縦にふる。


「若もですぜ。無事に逃げ切ってくださいよ。そして、また会いに来てください。お忍びは得意でしょう〜?」

 松吉が答えれば、どっと笑いがおこる。


「言ったな、松吉! ……わかった、また会いにくるから。だから、死んだら許さない。誰一人として、だ」


 いつのまにか尚子にあの、暖かな眩しい笑顔が戻っていた。

 ああ、太陽のようだ。

 村人たちの誰もが、そう思った。この笑顔を守るためならば、何だってしてみせようじゃないか。

 

「さぁ、行くぞ」


 小次郎の声に、今度は尚子も同じ方向を見た。暗闇の向こうにそれが尚子の思い描く自由の国が、浮かび上がって見えた気がした。


(大丈夫……行ける……私は一人じゃないから)






 馬が秋風にのって走り出す。

 尚子は村人が手を振る姿が見えなくなるまで、何度も振り返った。

 最後に、後ろを振り返った時、それまで木々で隠れて見えなかった“それ”が見えた。今まで、気にとめていなかっただけかもしれない。


「小次郎……見て……」


 尚子がふるえる声で指をさした先に、小次郎が見たのは、大きな満月。ただの満月ではない。


「……なんて色だ」

「こわい……あんなに赤い月は初めて見た……」


 低い位置に、まるで嘲り笑うように、妖しく赤色に光る満月があった。

 小次郎は不敵に笑う。

 何が言いたいのだ、天よ。やれるものならやってみろ、そう言いたいのか。

 

 いいだろう。

 受けて立とうじゃないか。

 今の俺には出来ないことはなにもない。そう断言してやる。

 

「見てるがいい」


 小次郎の低い呟きは、尚子の耳には届かず、馬の作る風に乗って後方へ消えた。まるで赤い月が飲み込むように。


「恐ろしいことの前兆でなければいいけど……」


 対照的に尚子の顔は晴れない。 


「なぁに〜恐ろしいことと言ったって、不運な父親が、才気溢れる将来有望な男に、器量よしな深窓の愛娘を強奪された、くらいさ。おお、そうか、これが噂の駆け落ちだな。愛の逃避行ってやつだ!」

「ば、ばか! 冗談を言っている場合か」


 尚子に笑顔が戻ったところで、小次郎は真顔に戻った。


「そう、冗談を言っている場合ではない。馬を飛ばすぞ。舌を噛まないように黙っていろ」


 馬の速度が上がる。尚子の好きな秋風も、尚子の心に立ちこめた暗雲を吹き飛ばすことはできそうもなかった。

 しかし、すぐにその尚子の悪い予感は、現実のものとなる。彼らにとって一生忘れられない悪夢の夜が、静かに幕を開けようとしていた。

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