(3)
◇◆
部屋の外に控える女官の悲鳴で良兼の安眠は妨げられた。反射的に半身を起こす。
それとほぼ同時に何者かが無遠慮に寝室へと侵入し、目の前に仁王立ちした。
(刺客か!?)
恨みを買うには、身に覚えがありすぎた。寝込みを襲われるのはこれが初めてではない。とっさに、枕元に置いてある刀に手を伸ばす。
が、やっと頭に血がめぐってきた良兼は、眉間にしわを寄せる。
本当に刺客なのか? 刺客なら、こっそり来るものだ。わざわざ、標的を起こす暗殺者などいない。
わけが分からず、自分を見下ろす影を睨み返した。
「良兼殿。どうやら、女官の躾がなっていないようですよ」
「……扶殿か?」
「夜分に申し訳ない。だが、お知らせした方が良いかと思ってね」
闇の中に、扶の白い歯だけが薄気味悪く浮かび上がる。異様な空気をまとう扶の姿に、自然と良兼の眉間のしわが深くなる。
こんな男だったか?
戦場において、血の匂いにやられておかしくなる者を何人も目にしてきた。
だが、それとも何かが違う。肌が感じる危険。
「私が処分しておきましたよ。ほら」
扶が紐か何かで吊るされた、大きな石のような“何か”を、良兼のすぐ横に放った。
ゴト。
かなり重量を感じる音がした。
「…………」
良兼は言葉を失う。薄明かりの中、やっと慣れてきた目は、それが何か十分に判断可能になっていた。
紐だと思ったものは、ヒトの髪の毛だ。それも長い。そして……白髪まじり。
(まさか……藤乃か!)
扶は、まだぽたりぽたりと血の滴る老女官の頭部をぶら下げて、良兼の部屋に現れたということか。それは、悲鳴があるわけだ。
長い付き合いの女官なだけに、さすがの良兼も胸が痛んだ。一方で、首だけになった忠臣を哀れむ心はまだ残っていたのか、と冷静にそんなことを思った。
それに、尚子を思うと……。
幼くして母を亡くした娘の母親代わりを勤めていたのは、この藤乃。
その藤乃のこんな姿を尚子が見たらどれほど胸を痛めるだろう。
今、尚子は泣いているのだろうか。
「このものは、良兼殿を裏切っていたのですよ」
「……なんだと?」
「この者は、夜盗を姫の部屋へ引き込み、私を殴りつけ、縛り付けたのです」
「まさか、藤乃がそのようなことを……いや、待て。今なんと言った!?」
夜盗が尚子の部屋に押し入った!?
良兼は思わず、立ち上がり扶の胸ぐらを掴む。
「夜盗は尚姫を連れ去ったようです」
「何だと!?」
「そして、その夜盗に手を貸していたのがこの女官。まさか、良兼殿の指示ではありますまい? 夜盗に見せかけて、娘を保護し、私を殺そうと企んだ……とか」
扶はにたりと笑う。
隙あらば、この国は自分がのっとるぞと言わんばかりのその挑発に、良兼は口元をゆがめた。
見くびられたものだ。こんな若造に。田舎の豪族風情に。
「冗談にしては、できがわるいな。だが、女官のした非礼はわびる」
良兼は、扶の胸ぐらを掴んでいた手をはなすと、吐き捨てるようにそう言った。そして、部屋の外へと歩き出す。
その背中を目で追いながら、扶はくっくっくっと笑った。
「冗談かどうか、楽しみにしていますよ、義父上殿」
良兼は、背後の扶にちらりと視線を向けたが、すぐに「誰かおらぬか─っ!」と大声を発し、尚子の部屋へと足を向けた。
(……まさか……あの男の仕業ではないだろうな……)
死んだと聞かされた。川に落ちたと。
生きていたのか。
いや、しかし。生きていたとしても、なぜ戻ってくる。
わざわざ、この私の怒りをあおるためだけに、戻ってきたのか?
娘を奪い、宣戦布告のつもりか?
良兼は、大股で屋敷の西へと一歩一歩近づくにつれ、大きく膨らむ夜盗に対する怒りの中に、確かに、小さな喜びが忍び込んでいるのをはっきりと自覚していた。