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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第三話 心の声
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  心の声を(4)

 走馬燈のように浮かぶ幼き頃の記憶。

 父の笑顔。母の声。弟たち、藤乃──桜の木。


(違う。捨てるだけじゃない、敵に回すことになるんだ)


 父や弟と、剣を交えることも!

 小次郎へと伸びていた尚子の手が、ぴたりと止まる。それを見て小次郎はふっと笑った。


「良尚……じゃなかった尚子。いやもうどっちでもいいか」


 尚子はぎょっとして小次郎を見上げた。なぜ、それを? いつから?

 問う暇もなく小次郎がたたみかける。


「しっかり生きろ。人の心配ばっかりしてないで。まずは、おまえが自分の生き方を貫け」

「……分かっている。だから私は私の意志で……」

「分かってない」


 小次郎が尚子の言葉を遮った。


「こんな男の妻になりたいと本気で言ってるのか!?」


 さきほどの恐怖が瞬時によみがえり、尚子は小次郎の真っ直ぐな目から逃れるように目をそらす。

 返す言葉が見つからない。


「もう言い訳はよせ。自分の不運を人のせいにするな」

「してない……誰のせいにもしてない」


 ただ、我が身を呪うだけで。

 どんなに泣こうが、自分が女に生まれ、平良兼という男の娘であることは、一生かわらないのだから。


「してるだろう? 人のせいにして、周りのせいにして、我が身の不運を嘆いてばかりの人生を、これから先ずっとおくる気か? 仕方ないから、だとか、良兼殿の命令だから、いや、俺の命を救うためだ、などと自分に言い訳して」


 つらい、苦しい、悲しいと言いながら。尚子は逃げているのだ。本当は扶になど嫁ぎたくない。尚子はそう思っているくせに、それを貫くことから逃げている。父に逆らって生きていくことが、父を説得することが、どんなに険しい道だとわかっているから。






 そんな尚子がやっとの思いで閉じこめた心の声を、小次郎は引っ張っり出そうとしていた。

 たしかに、尚子が心のままに行動することは、この板東(現在の関東地方)の地に大きな火種をばらまくこととなるかもしれない。小次郎自身も大いに巻き込まれ、争乱の中に身を置くことになるだろう。


 骨肉の争いが始まる。敗者には死が待つ、そんな激しい戦いの足音が聞こえるようだ。

 どう考えても、あまり賢い選択ではない。いや、避けるべきだ。


 だが、それでも。


 尚子には、笑っていて欲しい。

 自分の人生を楽しんで欲しい。


 小次郎はそう思うからこそ、厳しい言葉をかけ続けていた。

 




 

 そんな小次郎の気持ちを尚子が知る由もない。

 尚子は、小次郎から顔を背けたまま、頑なな姿勢を崩さない。小次郎のあの眼が怖い。すべてを見透かされそうで。


 自分はまた、裸で立っているのではないかと錯覚してしまう。

 そんな無防備な尚子の心の急所をめがけ、小次郎の言葉の一つ一つが鋭い矢となり、次々に飛んでくる。


「自分の人生は自分で責任をもて。自分の心に従え! 自分の意志を貫け!」


 もう、やめて。聞きたくない!

 これ以上、私の心に入ってこないで!


 背を向け、耳をふさごうとする尚子に小次郎は容赦ない。


「どうしたいのか、自分で決めろ」

「……どうしたいか……?」

「そうだ。おまえ自身が、どうしたいか、だ。それを見失えば、自分自身ではなくなる」


 どうしたいか。

 どう生きていきたいか。

 小次郎の一言一言が尚子の中で広がっていく。


「おまえは、おまえとして生きろ。俺の知ってるおまえなら、それができるはずだ」


 そうだ同じことを自分も思ったじゃないか。尚子はそう思った。

 

『しっかり生きろ』

 

 そう鷲太に告げたのは自分だ。

 鷲太に笑っていて欲しいから。

 幸せだと感じて欲しいから。


「まあ、だけどそれだけじゃ俺が困るんだ。俺はおまえにそばにいて欲しい。だから、俺の意志でここへ来た」


 尚子は小次郎の瞳に映る自分を見つめた。


「無理やりにおまえを連れてっても意味がない。俺は“尚子”という女が欲しい。だからおまえが決めろ。俺と来るか、ここに残るか」


 分かった気がした。このキラキラとした強い輝きの正体が。なぜこの瞳に惹かれるのか、が。

 この人はしっかり今を“生きてる”!


(私は、この人の隣なら“生きて”いられ?)


 自問したが答えは分かってる。しかし。

 尚子は小次郎から顔をそらした。


「でも……父上がお許しには……」

「許しがなんだ! “生きる”のに誰の許可がいる!」

「だって!」

「だってじゃない」

「今ここを出て逃げても! すぐに追ってがつく」


 小次郎を殺す大義名分を与えることにはならないか。父たちが、小次郎の国を攻め入る隙とは、ならないか。

 戦となれば、多くの民が命を落とす。それも、自分のこの決断のせいで! 

 そんなことが許されるのか。民に。天に!


「逃げきる。心配ない」

「でも捕まれば、小次郎が……」

「逃げきる。俺は死なない」


 尚子の瞳からいつの間にか、はらはらと涙がこぼれていた。


「でも……」

「おまえは、どうしたい。言ってみろ」


 尚子はぐっと息を飲んだ。

 

(私がどうしたいか──)

 

 小次郎のためでも。父のためでも。誰のためでもない。

 自分の心の声は。

 

 

 自分は──。

 

  

 

 

「……連れ……てって………」

 

 

 小さな小さな声の、強い意志。

 やっとの思いで吐き出した、ずっとしまい込んでた心の声。


 ぽろぽろと涙がこぼれる。


 悲しいわけじゃない。

 泣きたいわけじゃない。


 勝手に溢れる涙は、キラキラと光りながら落ちていく。そのたびに、尚子の心の壁が崩れ落ちていく気がした。


 小次郎は、ふっと顔をほころばせて、再び手を差し出す。大きな力強い手を。恐る恐る伸ばした尚子の手が小次郎に触れると、そのまま、強い力で引き寄せられた。


 力の限り乱暴に、抱き締められてるはずなのに、真綿で包み込まれる安心感。ますます涙が溢れた。

 おまえの居場所はここだ、と言われている気がした。


「世話の焼ける姫さんだ」


 尚子の頭を撫でながら小次郎は微笑んだ。自身も気づかぬほど、柔らかに。


「小次郎様、早く!」


 二人を厳しい現実へと引き戻す声が部屋に響いた。

 外からの小声に、二人が同時に振り向くと、藤乃、それに鷲太の姿もある。

 どういうことかわからずに、尚子は小次郎の顔を見上げた。


「姫さんの人徳てやつだな。いや実際助かったぞ。俺一人じゃ、どうにもならなかった。さあ、行こう」


 小次郎は、尚子の頬に口づけをすると、尚子を横抱きにした。


「なっ……わっ!」


 小次郎は意味不明な悲鳴をあげる尚子の頬にもう一度だけ口づけする。


「静かにしてろ。続きは国に戻ったら、ゆっくり、たっぷり、何度でもしてやるから安心しろ。寝かすつもりはないから覚悟しておけよ」


 にやりと笑う小次郎。尚子は真っ赤になって口をぱくぱくさせた。もちろん、尚子のその反応を見たくて、わざとやってるのだが。

 そんなやり取りの余韻を楽しむ間もなく、小次郎は軽やかに部屋を出る。

 尚子がそっと小次郎の顔を見上げると、もう先ほどまでの笑顔はどこにもない。

 それが、これからの苦難を否応なしに予見させる。尚子の胸に小さな不安がよぎった。


 だがすぐに、別のことに気を取られ、その不安はうやむやになる。入れ違いに藤乃が部屋へ入っていくのが見えたのだ。


「待って、藤乃!」

「姫、ご無事で……」

「だめだ藤乃! 一緒に行こう」


 屋敷に残れば、尚子の世話を任されていた藤乃の身が危うい。誰にでも分かることだ。

 それに、今夜は客人も来ている。客人に恥をかかせた、父の対面もあろう。藤乃は十中八九……殺されてしまう。


「……後から参ります。ご案じなさいますな」


 すれ違い様に、尚子に微笑む藤乃は、何とも満足げだった。


「だめ! 小次郎、藤乃も……んぐっ!」


 小次郎は、腕の中で暴れる尚子の口を自分のそれで塞ぎ、すぐに尚子の耳もとで囁く。


「静かにって言ってるだろう」

「だからって!」


 人前で口づけすることないじゃないかっ! と真っ赤になりながら抗議する尚子に、再び小次郎の顔が近づく。


 耳元で、ぞくぞくするような、いい声が、「また口で塞ぐぞ。両手ふさがってるんだからな」と、尚子を黙らせる。一瞬、そんな尚子の様子を愛おしそうに見つめた小次郎だったが、すぐに顔を引き締めた。 そう今は生死の瀬戸際。


「頼むぞ」


 小次郎は、一言だけ藤乃に声をかけ、尚子を抱き抱えたまま足早にその場を去った。

 尚子は小さくなる藤乃を不安げに見つめていた。

 




 



 鷲太も遅れないように、小次郎たちの後をついて行こうとして、ふと足を止める。なぜか気になったのだ。

 鷲太は、ゆっくり藤乃を振り返った。藤乃は深々と頭を下げたまま、見送っている。

 

 ────姫をよろしくお願いします。

 

 鷲太はそんな声にならない声を確かに聞いた。胸がじんわりと熱くなる。こんな気持ちは初めてだった。


 きっとこれは、藤乃の強い強い、覚悟。藤乃の気持ちが自分に流れ込んでるんだ。

 尚子の幸せだけを願って。

 命をかけて。


(あなたも、どうかご無事で……)


 鷲太は、深く一礼すると、小次郎の後を追いかけて行った。



 

 ────どうか、どうか、姫をよろしくお願いします。


 いつまでも藤乃は見送り続けていた。

 



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