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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第三話 心の声
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  覚悟(2)

◇◆



 にわかに、屋敷が騒がしくなった。

 屋敷の主は、すぐさまそれが来客を告げるものだと悟る。顔をほころばせ、自室を後にしようとした。

 部屋を一歩、踏み出したところで、ますます皮肉めいた笑顔が彼を覆い尽くすことになった。

 

「尚子。そなたの夫となるお人が、わざわざおこし下された」

「父上」


 尚子の華やかな声が、良兼を鋭く貫いた。


「お話がございます」


 父の眉がぴくりと動く。しかし、穏やかな顔のまま愛娘をなだめるように言った。

 どうせまた、小難しいを言い出すのだろうと思ったのだ。


「今、客人がきたのだぞ。お出迎えすべきであろう。話はその後だ。そなたは、自室でお待ちしていなさい」

「父上」

 

 何故だろう。父は、娘の顔を再び覗き込んだ。大きな瞳の奥から、かつて愛した人の面影と共に、また別の、華やかさをまとっている。これは、本当に自分の知っている娘なのだろうか。こんな大人びた表情をしたことがあっただろうか。


 物腰は柔らかく、しかし、強さをもつ。

 そんな、あの人のような女性に育って欲しいと、思っていた。思っていたのだが。

 

(……いつのまにか娘は女になるのだな)


 良兼は嬉しいような寂しいような複雑な気持ちを隠すように、小さくため息をついた。


「手短にいたせ」


 娘に背をむけ、自室へ引き返した。しぶしぶ、娘の申し出に承知した、という形を取ったのだ。見かけ上だけだが。

 良兼が上座に座ると、尚子はその後を追うようにして彼の前へ。そしてしなやかにひれ伏した。一瞬にして、部屋に甘い香りがただよう。尚子の絹づれの音すら、雅な香りを引き立てた。良兼は、知らず知らず目を奪われていた。


 これが、あの尚子なのか?

 ついこの間まで、泥まみれになり、走り回っていた尚子なのか?

 そう自問してしまわずにはいられない。

 間違いなく、一流の貴族の姫だ。親のひいき目を差し引いたとしても。そのなめらかな動きに芸術的なものすら感じてしまう。


 都にいるどんな貴族に嫁がせたとて、恥じることは何もない。それほどに、品のある物腰と振る舞い。何より、自分が幼き頃からたたき込んできた教養がある。そのへんの男にも負けぬほどの、頭脳と洞察力。武芸にも秀でてしまったことは隠すとしても、こんな都から離れた田舎に、京の都を思わせる女性を育て上げたことが奇跡だ。


(……うむ。こんな田舎の無骨な男に嫁がせるより、尚子は都の良家の貴族に嫁がせたほうが良いかもしれぬ)


 もったいない。

 そう思わずにはいられない。

 

 いつの間にか考え込むように腕を組んだ父を、見上げたまま尚子はじっと言葉を待っていた。


「話とはなんだ」

「父上。単刀直入に申し上げます」

「うむ」


 良兼の喉がごくりと鳴った。相手は娘だと言うのに、気迫に負けている。それを隠すことがやっとだ。


「相馬殿のお命、しっかりお守りするように、同行した者にご命令を」

「……なに?」

「どこで“賊”がでるかわかりません。命にかえてもお守りせよ、とお達しください」

「……そなたが何を心配しているのかわからぬ。もとよりそのつもりだから供をつけたのだ」

「父上」


 尚子の視線が真っ直ぐ良兼を射抜く。

 背筋がぞくりとした。同行させた家臣に、賊に襲われた事にして小次郎を殺せと命じたのは、確かに良兼だ。しかし、娘には何も話していない。それなのに、すべてを見透かされている。たった一五の小娘に!


 自分の娘だというのに、恐ろしい。

 いや、自分の娘だから、恐ろしい。


 良兼は、出方を窺うように愛娘を凝視する。その心中は、当然穏やかでないが、一切表には出さない。

 尚子も、表情を変えずに努めて淡々と続けた。


「この度は、父上に挨拶に参っただけなのでしょう? それを屋敷を出た後、亡き者とするなど卑怯者のすることです。父はそのような器の小さな男ではないと存じてはおります。しかし、重臣の中には、父上とこの国のためと思い、そのような愚行に走る輩もおるかもしれません」

「…………」

「そのような事が、国の民の耳に入ったらどうでしょう。民ばかりではありません。京の都とて同じ。父を失い、心許ない不安な気持ちから伯父を頼って来た相馬殿を、心なく暗殺したとあれば、いい笑いものとなりましょう」

「…………」

「父上、急ぎ伝令を」

「その心配はない」

「今、一度。父上のためです。そうでなければ――」


 いかにも、憂いた顔をしてみせた尚子に、良兼はどきりとさせられた。泣くのかと思ったのだ。

 あの気丈な娘が、男のために泣くのか!

 まさか――尚子は!!


「尚子」

「はい」

「そなた……まさか……」

 

 ――あの男と情を通じたのではあるまいな――――!?

 

 わき上がるようなこの感情は怒りだろうか。憎しみだろうか。

 頭の中で、愛娘があのふてぶてしい甥にとらえられ、良いようにされている姿がありありと浮かぶのだ。

 考えたくもないと言うのに。

 

 あの男の無骨な手が娘の紅色の絹に触れ! 

 白い肌に―――唇を!

 

「小次郎っ、きさまーっ!!!!」


 良兼は勢いよく立ち上がった。そして、鬼の形相で尚子の前を通り過ぎる。壊れてしまうのではと思うほど激しい音とともに、部屋の戸が開かれた。


「小次郎を殺せー!! 今すぐ殺せっ!!」

「ち、父上!」


 突然の父の変貌ぶりに尚子は慌てて、押さえ込むように父にすがりついた。


「違います! 相馬殿とは何もございません!」


 悲鳴のように叫ぶも、父の耳には届かない。父は尚子を簡単にふりほどくと、刀に手をかけ今にも小次郎を殺しに追いかけようとしているように見えた。尋常ではない!


「父上!!」


 尚子が、声を張り上げた。


「お静まり下さい! 相馬殿と私は何もない!」


 太く大きな声が、あたりに響く。屋敷に出迎えられた、客人一行が遠く離れた所から呆然とその様子を見ていたが、そんなこともお構いなしだ。


「私は源殿の所へ嫁ぐ」


 そこでやっと良兼の耳はその機能を回復した。ぴたりと動きが止まり、今なんと言った、と良兼はしがみつく娘を振り返った。


「私は嫁ぐ」

「……いいのか?」

「嫁ぐ」

「……あれほど嫌がっておったではないか」

「嫁ぐと言っている」

「……本当にあの男とは……」

「違う。何もない」

「……本当にいいのだな」

「くどい! 私が承知しなくても嫁がせたくせに、よく言う!」

「そうか……」


 良兼は急に体から力が抜けた気がした。良兼も尚子も、深々と息をつく。

 そして、はっとした。


 先ほどからの親子の激闘を、離れたところから固唾をのんで見守る観客が大勢いることにやっと気がついたのだ。あれが、嫁になる姫様か。なんと恐ろしい。嫁ぐのが嫌だと言っていたぞ。あのような恐ろしい姫で殿は良いのか。そんな視線を痛いほど感じる。


 父と娘は、思わず顔を見合わせた。小さく咳払いをした父に、娘は優雅にお辞儀をしてみせた。そして、何事もなかったかのような顔で、しれっと言ってのけた。


「父上、先ほどの願い、お聞き届けください。それが条件にございます」

「……な、なんだと!?」


 もう激闘は終わったのかと思った観客たちは、ぎょっとした。再び父が声を荒げたからだ。

 しかし、娘の方はそのまま後ずさりし、応戦するつもりはなさそうだった。


「いいですね、父上。では、夫殿に、今宵お待ち申し上げますと、お伝え下さい」


 そう良兼に向かって言ったものの、その夫となる本人にもしっかりその場に居合わせている。聞いていた本人は急に自分が話題にあがり、どきりとした。

 尚子が父に背を向けるときに、その夫となる男――(たすく)――と目が合った。

 1秒も無いが、お互いにその人物だと認識した。男の胸が高鳴る。この男の好みが、じゃじゃ馬であったことは誰も知らないことだ。それはこの場合、幸か不幸か。

 しなやかに去っていく姫の後ろ姿を目で追わずにはいられない。それはその場にいた男、全員に共通して言えることだった。


「…………っ佐貫!佐貫はいるか。兵を引け」


 一瞬で、呆けていた一同が現実に引き戻された。良兼が苦々しい表情で、家臣を呼んだのだ。

 名指しされた佐貫は大慌てで良兼の元へ走り寄る。

 

 それは小次郎に向けた兵の撤退命令だった。

 


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