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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第三話 心の声
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1 目覚め(1)

 

1 目覚め




 その日の目覚めは、非日常的なものだった。

 一瞬にして、期待が眠気を吹き飛ばす。騒がしさが、昨夜、客人にあてがった方角から運ばれてきているのが分かると、ますます良兼の頭に血がめぐる。


 娘がヤツを殺したのだ。

 間違いない。

 それで屋敷が朝から騒然としているのだ。


「……ふふ……ふはははは」


 良兼は、もはや笑みを抑えることができないでいた。勢いよく立ち上がり、夜着のまま寝室の木戸を押し開けた。

 目を細めたのは、朝日のまぶしさからだけではなかったに違いない。


 が。


 良兼は庭の先に、無いはずの光景を見る。息をするのを忘れるほどに、意表をつかれ目を見張った。

 まだ夢をみているのか。

 一度、高揚した感情が一気に凍りつく音が聞こえた気がした。そう、何度自分はこの感情を味わえばよいのだ。


「伯父上、お早いですな」


 少し離れたところから甥がこちらに挨拶をした。そして、再び馬屋番の男となにやら話はじめた。

 若い娘が頬染めるようなさわやかな青年も、彼にとっては憎悪の対象でしかない。それもこれも、忌々しい実弟のせいであり、この青年には関係の無いことだと分かっていても。


 煮えたぎるような怒り。後から後から沸きあがるような、この憎しみを押させることはできない。

 良兼はそのまま、ものすごい形相で部屋を後にした。

 





 数分後、屋敷の西側があわただしくなる。

 女官が悲鳴のように「殿! お待ちください!」とわめくのが聞こえてきたかと思うと、すぐさま別の藤乃が尚子の部屋へと走りこんでくる。


「姫様、起きてください! 殿が!!」


 言い終わるが早いか、床にひれ伏し、顔をあげる。そして、藤乃は部屋の様子に唖然とすることとなった。

 尚子はすでに、身なりを整え、鎮座していた。普段は考えられないことに、扇までもが彼女の手におさまっている。いつもなら藤乃が、取り繕うように持たせるものを。


 何かがおかしい。

 藤乃は尚子を訝しげに見上げた。お具合でも悪いのだろうか。このような尚子の様子は初めて見る。

 凛とした表情からは、普段の無邪気でじゃじゃ馬で無鉄砲な姿は微塵にも感じない。どこから見ても、高貴な姫だった。はかなささえ感じられる。


「尚子」


 見とれていた藤乃は、良兼の気配にすら気付かなかった。慌てて、隣を通りすぎる屋敷の最高権力者にひれ伏す。その声から、ただならぬものを感じた。


 間違いない、何かがあったのだ。

 尚子自身に。そして、これほどに良兼が感情を抑えられぬ相手──将門に。


 藤乃は一礼し、尚子の部屋の人払いを命じる。自らも退室するとき、尚子にちらりと視線を送るも、その姿はまるで……。


(姫様……)


 まるで、尚子の実母、華姫のようではないか。

 まだ幼い尚子のために、強くあろうとした。病弱な体で優しい心を鬼にして。たった一つの大切なものを守るために、多くのものを捨てた──そんな覚悟した女の姿のようではないか──。


 カタン。


 藤乃の目の前で、木戸が閉ざされた。

 木戸の無機質な音に藤乃の胸は張り裂けそうになった。同時に、言い様のない寂しさに襲われる。


(もう、私の姫様はどこにもいないのだわ……)


 守るものを見つけた時、女は男よりも、はるかに強い。


(大人になってしまわれた……)


 嫁ぐまでは、自分の手の中にあると思っていたのに。涙がいっぱいにあふれてきた。

 それは寂しさからなのか、嬉しさからなのか。

 藤乃は頭上を見上げ、ぐっと唇を噛み締めた。

 そうだ。そんな自分の感傷に浸っている場合ではなかった。自分の命より大切な姫が、一人で戦おうとしているのだ。


 何かを守るために。


(……何を?)


 一瞬、藤乃の胸がざわめきたった。その不安が、杞憂であってほしい。


(それだけは……殿はお許しにはならない…)


 藤乃は胸元を押さえて、もう一度だけ、木戸にそっと触れた。そして、祈るように、何度も足をとめながら、木戸の前から遠ざかって行った。

 

 



 ◆◇

 




「どういうことか、つぶさに話せ」


 尚子は扇で口元を隠しながら、父と対峙していた。


「どう、とは?」

「とぼけるな!」


 尚子の冷静な声が、さらに父をいらだたせていたのだが、それも計算のうちだった。


「昨夜は、私の体調がすぐれませんでしたので、早々におやすみを頂いておりました」

「ほう、馬で駆けずり回っておったのに、夜になって急にか」


 まるで吐き捨てるように父は言った。

 しかし、尚子の返答はさらにさらっとしたものだった。


「はい。昨夜急に腹痛で……月のものが……」


 尚子は言葉を濁して扇で顔を隠した。月のもの、つまり月経である。これを言われては、父もぐうの音がでない。たとえ、口からでまかせだと分かっていても。

 聞こえてきたその舌打で、父がどれほど苦々しい顔なのか簡単に想像できた。


(勝った)


 尚子は内心、胸を躍らせていたが、飄々とした表情を保ちながら、再び父の様子をうかがうように扇をわずかに下げると、父の夜叉のような目に心臓を射られたように感じた。背筋が一瞬で凍りつく。


 怖い。

 心を見透かされそうだ。


 怖い。怖い。怖い。


 こんなの父ではない。

 ごくりと喉が小さく鳴る。


 尚子は数秒目を閉じ、そして、しっかりと父を見据えた。

 目をそらしたほうが喰われる。そんな緊張感が、部屋を覆いつくした。


「何をたくらんでおる」


 最初に口を開いたのは父の方だった。


「何をたくらむというのです?」

「分からないから聞いている。お前はいつも、突拍子のないことばかりする。手に負えん」

「私はいつも、この国のためにと」

「この屋敷に、得体の知れぬ“妖の子どもを”引き入れることが、か?」


 思わず尚子は言葉につまった。

 

(な、何で知ってるの?)


「わしが知らないとでも思ったか」


 尚子の表情に一瞬の隙ができ、父の顔に意地悪さが増す。


「妖などではありませぬ。ただの孤児です。聡い子なゆえ、良き家臣になりましょう。私が育て、弟たちの役にたてばと思ったまでのことです」

「ただの孤児……のう」


 父の目が鋭さを増したように感じた。

 どこまで知っているというのだろう。

 尚子は冷や汗が背中を伝っていく感覚にとらわれた。


「まあ、よい」

「……」

「そなたが手を下さぬとも、方法ならいくらでもあるのだ。ヤツがこの屋敷におる間はのう」


 父はふっと口の端を上げた。それは、いつぞや見たはんにゃの顔に間違いなかった。


「……そうじゃ尚子。今日はそなたの婿殿が参られる」

「……え?」


 尚子は予想だにしなかった展開に、目を丸くすることしかできなかった。


 誰か何をしに来るって?

 婿殿って誰?

 そもそも、誰と誰の縁談だって?


 尚子が二の句を告げないでいるのを良いことに、父は揚々と続ける。


「そなたを迎えに見えるそうじゃ。よほど待ち遠しいと見えるのう。そうじゃ、今日はこの部屋にお泊りしていただくがよい。とっとと済ませてしまえ」


(──な……何を!?)


 呆然とする尚子を尻目に、父は上機嫌で部屋から出て行こうとしていた。


(何か、い、言わなくては!)


 このままでは、了承したことになってしまう。

 何か。


(言葉が出てこない……)

 


 ────カタン。

 


 一人になった部屋の中を、木戸が閉まる音が響いた。まるで、尚子の心を粉々に砕き割るように。

 




◇◆ 





 青い空をゆっくりと旋回する比翼の鳥が見える。

 つがいだろうか。


 小次郎は、何とか言いくるめて拝借した屋敷の馬にまたがったまま、その鳥たちの軌跡を目で追った。

 すると、にわかに背後がにぎやかになる。振り向けば、土煙を上げこちらへ向かってくる馬が二つ。だんだんと近づくにつれ、騎乗しているのは、良尚と鷹雄だとわかる。

 小次郎は、待ってましたとばかりに手を上げて合図した。


「よ〜。どこ行くんだ?」


 その声はむなしく土煙と、蹄の音にかき消された。

 良尚たちは、まったく一切さっぱり全然小次郎に視線を送ることなく、通り過ぎていったのだ。小次郎も、一瞬呆気にとられ、見送ってしまった。


「…………って、無視かよっ!おい、待てって!」


 こんな扱いを受けたのは初めてだ。慌てて、後を追う。

 良尚の馬が大きく嘶き、ようやく足を止めるまで、一行は一列に長く連なり走り続けた。

 小次郎が、鷹雄に遅れて、良尚に追いついたのは川原近くの大きな木の下だった。良尚は幹を背に、キラキラときらめく川面を見つめていた。その傍らに、彼の馬と自分の馬を携えた鷹雄の姿がある。


 小次郎は、すこし離れた高台から良尚に目をやる。そして、その横顔の美しさに、小次郎は息をのんだ。少し肩で息をし、頬はうっすらと赤らんでいる。

 その姿が、ふと、昨夜この腕の中に抱いたぬくもりを呼び起こさせた。知らず知らず、胸の中がほんわりと暖かくなる。


 何だ、この感覚は。

 胸が────苦しい。


 彼女は双子と言っていた。

 良尚と瓜二つだと言っていた。

 彼女も、あのような表情で、この川面を眺めるのだろうか。

 どのような表情で、この青い空を見上げるのだろうか。


 あの屋敷の外の世界を見せることが出来たら──。


「良尚様……」


 鷹雄の声に、はっと我に返る。

 どうかしている。


(敵陣の真っ只中だというのに、ぼけっとしている場合ではない。まったく俺としたことがどうなってるんだか)


 自問しても答えは出ない。代わりに出たのは嘲笑だけだった。


「良尚様……屋敷に戻りましょう」

「……」

「何かありましたか」

「何も無い」

「……殿と何かあったのですね」

「一人にしてくれ」

「……それは出来ません」


 苦しそうに鷹雄が返事を返した途端に、「放っておいて!」と甲高い怒鳴り声が響いた。重たい空気とは対照的に、軽やかな水音が二人を包む。


「……お願い。すぐに戻るから」


 良尚の声がかすかに震えていたのは、離れたところで様子を窺う小次郎にも分かった。ただでさえ、か細い体で少女のように愛らしい顔つきの良尚だ。泣きそうに肩を震わせている様子を遠目でみていると、まるで──。



「姫……」



 小次郎は目の前の状況を理解するのに、かなり時間が要した。


(──なっ!?)


 鷹雄が、自分の胸に良尚を抱き寄せたのだ。そればかりか、鷹雄の口からでた言葉も聞き捨てならない。


(……今、姫って……っ!!)


 小次郎の喉がごくりと音を立てた。いつのまにか手がじとっと湿っている。


 なんと言うことだ。

 すっかりだまされた。

 ああ、だから。そうか。そう言うことか。


 小次郎の中で、良尚の謎がすべて一本の線で繋がった。そして、同時にそれは小次郎の心をも、一つの決意へと導いた。

 目の前が一気に開けたような感覚だった。


 そうだ、怖いものなど何もない。

 己自身のほかに、今、自分は失うものなど何も無い。

 欲しいものを手に入れろ。そう、神が言っているのだ。

 自分が自分であるために。


 ────俺には他に何も無い。お前と己の他に、失うものなど何も無いのだ。



「何をする!!」


 再び、良尚の大きな声で小次郎は引き戻された。しかし、我に返ったのは小次郎だけではなかったようだ。鷹雄は珍しく慌てて、その場にひれ伏し、非礼をわびた。


「申し訳ありません!お許しください!」

「下がれ!」

「……しかし!」

「下がれ!!」


 良尚は自分の両肩を抱くようにして、鷹雄に背を向けたまま頑なに拒絶してる。鷹雄はしぶしぶという顔で、一礼し、馬にまたがった。小次郎は慌てて馬と共に木陰に隠れて、鷹雄が通り過ぎるのをやり過ごした。


「あ〜あ〜。大事な姫さん、放って帰るなんて危ないじゃないか」


 そんな小さな呟きも、鷹雄の耳に入るわけもなく。鷹雄の姿が小さく消えるより早く、ケモノの二つの目が、エモノをしっかりと捉えていた。

 

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