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赤い月が見ている  作者: 日向あおい
第二話 女神の輪郭
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4 星たちの宴(1)

 

4 星たちの宴




 渡り廊下に座り、ぷらぷらと足を動かしている鷲太の見つめる空には、だいぶ太った月がぼんやりとあたりを照らしている。池にうつった月が風で出来た波紋にキラキラと反射する。美しく切りそろえられた木々も、鷲太のもちあわせるどんな言葉をつかっても足りないほど、すばらしいものである。

 でも、全部が全部、屋敷の垣に閉じ込められている。 


 美しい。

 素晴らしい。

 でも、物悲しい。


(みんなニセモノみたい)


 鷲太には、なぜかその、池の中で輝く月が良尚であるように思えた。

 

(まるで月が池に閉じ込められてるみたいだ)


 良尚はずっとこの屋敷で、庭の向こうにあるものが見たかったんだ。

 姫としてずっと屋敷の中で閉じ込められていたんだ。

 鷲太は、良尚の寂しげな表情と一緒に、あの時の言葉を思い返した。


 

『鷲太。おまえは風に乗ってどこまでも遠くへ飛んで行くんだ』



 青く高い空を飛んで、どこまでもどこまでも遠くへ。

 自由に──。


(本当は、鳥になりたいのは──自由に飛んで行きたいのは良尚様の方なんだ……)


 鷲太は、胸をぎゅっと掴まれたように、苦しくなった。


(こんな広いお屋敷で、美味しいものをお腹いっぱい食べて、綺麗な着物をきて、働らかなくてもいいのに。お父様もお母様もいて、何だってここにはあるのに。でも良尚様が本当に欲しいものは、ここには無いんだ)


 鷲太はすっかり仲良くなった白猫の雪白を眺めた。雪白は鷲太の膝の上で丸くなってすやすやと居眠りをしている。

 鷲太はそっと雪白の背中を撫でてやった。


 すると、その時、突風が巻き起こる。一瞬で、木々がざわめき、水面から月が消えた。先ほどまで聞こえていた虫たちの合唱が、草の葉音でかき消される。

 鷲太がビクリと体を震わせるのと同時に、雪白が飛び起きて庭の方へ走り去ってしまう。


「あっ」


 鷲太がちいさく声を上げた時には、庭はまるで何事も無かったかのように、すまし顔をした。


「ゆきしろ、待って!」


 鷲太は慌てて子猫の後を追ったが、猫は足音も立てずに、すすっと大きな桜の木の枝によじ登ってしまった。

 鷲太は呆然と、子猫を見上げた。いくら手を伸ばしたところで子猫のいる枝には手が届きそうも無い。


「降りてきてよ! そろそろ部屋へ戻らないと良尚……じゃなかった尚姫(たかひめ)様が心配するよ!」


 人に見つかるわけにはいかないので、つい小声になる。だが、猫に言葉が通じるわけもなく、子猫は悠然と鷲太を見下ろしているだけだった。


「雪白!」


 鷲太は枝の下で手を広げて、子猫を待つしかなかった。

 



 

 ◇◆

 

 



 何もない客室にごろりと横になっていた時、部屋の向こうから女官の声がした。


「相馬様」

「ん?」


 空返事をしながらも天井を見続ける小次郎は、心ここにあらずといったところか。


「ご用意が整いましたので、ご案内します」


 そうだった。夕方、屋敷の主人から小次郎との再会を祝して宴を催したいという申し出があったのだ。その後の良尚たちとのドタバタですっかり忘れていた。


(面倒だなぁ……)


 この屋敷の誰もが、自分を歓迎していないというのに、何でそんな茶番に付き合わされねばならないのだろうか。

 どう考えても何か企んでいるに違いない。わかりやすすぎて逆に恐ろしい。裏の裏を読んでしまいそうだ。


「あの……」


 難しげな顔で天井を見つめている小次郎から返事がないので、部屋の外から困惑した声が届いた。


「ああ、すまん。案内してくれ」


 小次郎は渋々立ち上がり部屋を出た。小さなため息も漏れるというものだ。


「こちらでございます」


 灯りで小次郎の足下を照らしながら、女官の小萩が先頭を行く。少し肌寒くなった夜風が小次郎の頬を撫でていった。


 するとその時だった。


 庭の方から、驚くほどの強風が小次郎達を襲う。女官の持っていた灯りは一瞬にして吹き消され、あたりに暗闇が訪れた。

 誘われるように小次郎は庭を見る。


 目が暗闇に慣れるまでは、半月はとうに過ぎた太めの月が唯一の光源だった。だが、なぜかはっきりと小次郎の目に映し出されたものがあった。


(なんだあれは?)


 ぼーっと白く輝くものが、庭の闇の中に浮いているように見える。

 目をこらしてみてもよく分からない。


「今灯りを! 少々お待ち下さい」


 女官が慌ててその場を立ち去るも、全く小次郎は聞いてない。引き寄せられるように、その淡い白光に歩み寄っていった。


「雪白!」


 その白いモノしか見ていなかった小次郎は、思わぬ方向から押し殺したような声が聞こえて心底驚いた。


(人が居たのか!)


 ずいぶん目も慣れてきたのだろう。やっと周りが把握できる。

 どうやら、白い光は、木の枝の上にいる白猫で、その木の下で子供が猫に降りてくるように両手を広げているといったところだ。


「お前の猫か?」


 小次郎が背後から声をかけると、子供はぎょっとしたように小次郎を振り返った。顔はよく見えない。しかし、聞き覚えのある声のような気がする。


「だ、誰!?」

「屋敷の客人だ」

「ご無礼を」


 子供は慌てて地面にはいつくばって、ひれ伏した。


「いい。気にするな。それより……」


 小次郎は自分の身長よりすこし高い位置にいる子猫に手を伸ばした。


「ほら、自分で降りたくとも降りられなかったんだろうよ。まだ子供だからな」


 小次郎は猫を抱き寄せ、頭を撫でる。

 なんだか懐かしい気持ちになった。

 こんな小さな命を、愛でる気持ちが自分にもかつてあった。あの猫の名前はなんと言っただろう。拾った猫を屋敷に持ち帰り、父に怒られた。あれはいくつのことだっただろう。

 小次郎は、ふっと笑みをこぼした。


「かわいがってやれ」


 子供に猫を手渡した時、遠くから声がした。


「鷲太?」


 どうやら屋敷の西側の部屋からのようだ。人影が見える。


(女?)


 暗闇で輪郭しか見えないが、声や背格好から、若い女性の様だった。声は高く、透き通っていて心地よい。女官だろうか。


「はいっ! ここにいます!」


 子供は、慌てて小次郎に会釈をし、足早に声の方へ向かう。

 しばらくして、二人の会話が小さく聞こえてきた。


「どこへ行ったのかと心配したぞ」

「すみません。雪白が庭に逃げてしまって……」

「ほら、体が冷えてるじゃないか。そんな薄着でいるからだ。こっちへおいで」


 小次郎は、何となくその女性の声にも聞き覚えがあった。

 はて誰だっただろう。小次郎は腕を組んで、う〜んと考え出してしまった。


(まてよ? 今、あの女、鷲太と言ってなかったか?)


 確か、あの子供の名前もそんな名前だったような気がする。あの“燃えていた”子供だ。良尚がそう呼んでいた気がする。


(そもそも、どこかで聞いた声だと思ったが、良尚の声に似ているんだ! でも……女だったなぁ……どういう事だ?)


 う〜ん、とますます唸り声が深くなっていく。


「小次郎様?どこにおられますか?」


 廊下から慌てた女官の声が聞こえてきて、小次郎も庭をあとにすることにした。しかし、その間もずっと考えこんでいてた。そして、一つの結論を導き出した。


「おい」

「何か」

「あそこはどなたの部屋だ?」


 小次郎は、廊下から見える西の部屋を指さした。


「一姫様のお部屋でございます」

「……良尚の姉妹か。さぞ美人だろうなぁ〜……」


 小次郎はぼそりと呟いた。

 あれだけそっくりな声ならば、容姿も良尚に似て整っているに違いない。


「今何かおっしゃいました?」

「……いや、先を急ごう」


 小次郎はなんだかふわふわした気分だった。あの女性の声が耳について離れないし。これから、宴という戦場に赴こうとしているというのに、気分が高揚していた。





 ◇◆





 実に、彼の演技は非の打ち所がなかった。


「さぁ〜飲め飲め」


 そう酒を勧めてくる伯父の笑顔とて完璧だ。

 演じている本人たち以外の誰が見ても、それは久しぶりの再開を祝う伯父と甥の喜びに満ちた宴の席であった。


 小次郎は、にこやかに伯父の酒を受けた。とくとくと、無色透明な液体が朱色杯に注がれると、まるで鮮血にみえてくる。

 いや、事実そうかもしれない。自分たちは笑いながら人の流す血を酌み交わしているのだ。


「伯父上もどうぞ。伯父上は酒にお強い。私はもうだいぶ酔っぱらってしまいましたよ」


 小次郎は赤い顔で伯父の良兼の杯に酒を注ぐ。

 実は小次郎は顔は赤くとも、まだまだ正気であった。敵陣で正体を無くすほど愚かではないし、そんな好機を伯父にくれてやるほど、人間ができてない。それに、この宴会に長居できるほど物好きでもないし。こんな宴は茶番以外のなにものでもない。


 小次郎は、伯父をたてる甥を演じながら、常に四方八方を警戒して神経をすり減らしていたので、すでに限界だった。酔ったふりをして、さっさとこの場から出よう。そう、腹に決めた時だった。


「ところで、殿、尚姫(たかひめ)様の縁談がまとまったとか。おめでとうございまする」


 伯父の側近が、おもむろに立ち上がり、伯父の前に座り直した。そして、軽く一礼すると、「ささ、一献」と、とっくりを伯父に差し出した。水音をたてて、朱色の杯を酒が満たしていく。


「うむ。そうなのだ。これで、わしも肩の荷がおりた」


 嬉しそうに、伯父は破顔した。


(尚姫……先ほどの姫か……)


 良尚の妹姫であろうから、まだ年若い姫なのだろう。さぞ、はかなくもかわいらしい姫なのだろう。

 と、そこで気がつく。そういえば、この宴の席に良尚の姿が見当たらない。良尚が弟と呼んでいた、公雅(きんまさ)の姿はあるが。嫡子がここに居ないというのはどういうわけなのだろう。

 小次郎は、ずずっと、手元の杯を一気に仰いだ。


「しかし、姫様ほどの器量よしであれば、早くに手を打たねば、どこぞの悪い虫がつくかわかりませんからのう。賢明なご判断かと存じます」


 家臣は、まるで自分の娘であるかのように、誇らしげに言い放った。実の父親の方だとて、まんざらではない。酒が入っているのでなおさらだ。


「まぁ〜相手は我が義父の息子の(たすく)殿であるし、何の申し分ない話だとて」

「そうですなぁ〜これで、この坂東(現在の関東地方)も安泰――」


 ――──邪魔な良将が死んだのだから。


 その言葉が、後に続くことは衆知。あえて言う者は、この場にはいない。


(ふん。敵対する父が死に、元々坂東にいた豪族の源護の一族を婚姻によって吸収合併してしまえば国香伯父と良兼伯父の天下、というわけだ)


 小次郎は表情を変えずに杯を空にする。


(それは、おもしろくないな――実におもしろくない)


 しかし、今はまだ、この良兼に刃を向けるのが得策とも思えない。まだ小次郎は、父の跡目を継いでない。自分が跡目と伯父たちに認めさせていない。――牙を向くのはそれからでも遅くないはずだ。


 第一、避けられる戦ならば、しないにこしたことはない。

 同族で争ううちに横から、高みの見物をしていた豪族、はたまた朝廷に全ての土地をかっさらわれてはたまらない。

 だからこそ小次郎の父と二人の伯父たちは、長年冷戦状態にあったのだから。 


(かといって、黙って指を咥えてみている手はないな)



 すっと小次郎の目に黒い闇が宿る。

 その花――この手で手折ってくれようか――。



(なんてな、そんなことしたら、それこそ伯父上のご不興を買うだけだしなぁ〜)


 小次郎は再び、一気に杯をあおると、にこやかに伯父へ向き直った。


「今宵は、祝い酒に酔ってしまったようです。いや、面目ない」


 参った参った、と頭の後ろをかくと、小次郎はよたよたと立ち上がった。


「先に休ませていただきます。伯父上はどうぞごゆっくり」


 小次郎は、ははは、いや参った〜、と言いながら部屋を後にした。伯父たちは、その背中をじっと見送った。 

 その時、伯父と家臣たちがそっと目配せした意味を、小次郎が知る由も無かった。


 小次郎は、部屋まで案内するという女中を丁重に断った。夜風に当たって酔いを覚ませたい。そうは言ったが、その実、小次郎はちっとも酔ってない。

 女官が見えなくなるまでは、「おお〜、これは月が綺麗なことで、ま〜」などと、陽気なフリを見せていたが、あたりから人の気配がなくなると、小次郎の表情からも笑顔消えた。


(さて、用は済んだし、明日にでも下総へ帰るとするか……殺される前にな)


 酒で温まった体には心地よい秋の風が、再び夜空へと舞い上がる。星に誘われて、虫たちが唄いだす。

 あたりを見回せば、なんと風情のある情景が広がっていることか。


 ──よく出来ている。


 色鮮やかな日の元であっても、色の無い月明かりの中であっても。どの季節であっても。美しく見えるように計算しつくされた庭。

 まるで、この庭がすべてを象徴しているようだった。


(あるのは本物そっくりの“まがい物”ばかり、か……)


 伯父と自分の語らいも。両親、兄弟の愛情も。

 自分自身ですらも……。


 小次郎は見上げた夜空に向かって、息を吹く。どこかため息にも見えたが、すぐにその息は星に溶けて形を失った。


 柔らかな風が、無造作に一つに結ばれた小次郎の髪を、そっとなでた。

 庭の草花が、その調にあわせて、ざわめき歌いだす。

 小次郎は、その歌声に包まれながら、ふわりと微笑んだ。


 心の底から笑わなくなったのはいつからだっただろう。

 風の匂い、空の声、星の誘惑が、自分へ届かなくなったのは……?

 人の体温をぬくもりと感じなくなったのは……?


 自分が自分であると感じる時間はいつから無くなったのだろう。


(俺が生き残るためにはこうするしかなかった。それがさだめ──)


 なんどそう自分で言い聞かせても、たりない。

 自分の中の闇は増徴し、いつの間にか自分を食い尽くしてしまった。

 意にそぐわなくても、必要と在らば、頭を下げ、自分を落として、許しを請う。

 利用価値があらば、いくらでも友情を語り、愛を囁く。


 そうだ。

 いつだって、己の力で、己の意思で選び取ったものなどない。

 いつでも、見えない力に操られるように、“さだめ”という名の道を進んできた。

 

(ただ生き残るために──)


 月が照らし出した小次郎の顔は、いつの間にか、再び険しい物へと戻っていた。


 と、その時。

 


 ────かたん。

 


 普段ならば、気にも留めない小さな物音。遠くの木戸が閉まる音だ。

 自然の作り出す音の中に、紛れ込んだその不協和音に視線を向ける。小次郎の今いる場所から、庭を挟んで反対側の西の部屋に、人影が見えた。


 徐々に月明かりに照らされて、浮き彫りになる輪郭。

 こちらには気がついていないのだろう。夜空を見上げるその姿は、今まさに空から降り立った星のようだ。


(────!)


 考えるより先に体が動いていた。

 まるで駆り立てられるように闇の中を進む足音は、秋風に消える。


 この手につかみたい。

 この星が再び、西の部屋に閉じこもる前に。

 手に入れたい。


 人の形をした星が静かに再び戸の中に姿を消そうとしている。まるで時がそこだけゆっくりと流れているかのように、小次郎には見えた。


 戸が完全に閉まる直前──。


「っ!」


 小次郎の手が戸をこじ開けたのだ。

 姫の声にならない悲鳴が発せられたが、それも風が消した。


 秋の風にまぎれて、飛び込んだ黒い影が姫の細い腕を掴む。そして、強い力で引き寄せ、背後から抱き込むように、その小さな口を手でふさぐ。

 

 ────かたん。

 

 再び木戸が音を立てる。二人の姿を飲み込んだ音を。

 いや、それは後戻りできない二人の運命が回りだした──音。

 

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