12話 名手の系譜を辿れ
約束の時間の少し前に到着。女子を待たせる愚行はサッカー部においては禁忌に近い。
『楠先輩ったら約束の時間とか守らないんですよ』とか望月に告げ口された日には、マネージャー全体の評価はがた落ちだ。
プラス司から『あんまり香菜絵の方に迷惑かけないでくれな』とか言われるのも避けたい。
大体男の友情が壊れるのは金か女が絡んだ時って相場が決まってる。相対的評価はなるべくなら下げたくない所だ。
「あ、ちゃんと来てくれてたんですね。良かった」
灘駅はそれほど大きくない為、人通りもまばらだ。ましてや真夏の平日の昼間。用も無くキヨスクしかない駅にくる暇人もそんなにいないだろう。そのため、芝浦は簡単に俺を見つけて小走りでやってくる。
いつものヘアゴムポニーテールではなくリボンで整えてきている。
若干幼く見えてしまう所はあるが、これはこれでいいかもしんない。
『いや、お前が返事も聞かんと電話切るから』とのツッコミはいつの間にか消え失せ、情けないことに気がつけば芝浦に見とれてしまっていた。
「あ、あの先輩?」
「あ、ああ。そのリボンとても似合ってるじゃないかな」
……うぉ? 焦って某日系ブラジル人みたいな話し方になってしまった。
だが芝浦はそれを気にすること無くお礼の言葉を言った後に、「さぁ、どこから行きましょうか?」と謎の言葉を放った。
ん?どこからって何だ? 洋二先生が待ってるんじゃないの?
「急遽診察が3時半まで入っちゃったみたいで……、ホントごめんなさい。でもいつも時間オーバーするので4時過ぎ位に行けば良い感じだと思います。なのでそれまでちょっと時間潰ししましょう」
まぁ、そういう事なら仕方がない。今更帰るのも何だしな。結局、芝浦と町中をうろつくことになった。とはいえ郊外はそんなに発展してるわけでもなく、行きつけのスポーツショップや本屋、喫茶店といった所をハシゴしただけだが。
芝浦医院に着いたの4時を少し回った頃。この前と同じように裏口から応接間へと案内される。
中では洋二先生がビデオを眺めながら待っていた。
挨拶を済ませ、今日の用件を確認すると、見て貰いたいモノが有るとのことだった。まぁ、会話の前にビデオの巻き戻しを始めたからそういう事だとは分かったけど。
まずは、なにも説明なしで見て欲しいらしい。あとで気になった箇所を聞くからそのつもりで見てね、と言われる。こういう時って絶対正解の答えがあるんだよな。見つけられれば良いけど。
テレビが二台並んでいてビデオデッキは一台しか繋いでいない。もう一台はテレビとビデオがセットになっておりテレビデオというモノらしい。ハイテクなのかローテクなのかいまいち判断しづらい所だ。
早速、ビデオの上映会が始まる。最初は一台のみで再生が始まる。勿論、芝浦親子も参加中だ。
映し出された映像はJリーグの試合映像。思った通りキーパーのプレイだけを集めたモノになっているが、どうやら映ってるキーパーは常に同じのようだ。金髪のロン毛……、外人だろうか。フィールドのユニは浦和だな。こんな人いたっけ?
ボールを止めているだけじゃ無く、失点しているところも次々と流れる。セーブ集というわけではないらしい。その選手の映像が終わり、次もやはり外人のキーパーのプレー映像が流れる。今度も舞台はJで変わらない。
共通してるのは、中距離未満でのシュートに対してのダイブやディフレクトだ。横へのステップは基本的に少ないエリアでの対応。一対一のシーンも流れるが、普通に決められてしまっている。
……何だコレ?意味分からん。読みとかコースの切らせ方か?さっぱり分からん。
ある程度流したところでビデオを止めて、答え合せの時間が始まる。
「どうだい?」
「すいません。全然わかんないです」
「だろうね」
洋二先生が笑顔で応える。その答え、ちょっと感じ悪いっす。
「僕も言われなきゃ全然わかんなかったモン。知り合いのプロに教えて貰って、始めて気付いた」
「なんすか?」
「プレジャンプ」
あ、この前に司が言ってたやつだ。ジャンプの前の何たらとか。
「この流しの映像で0.何秒かのそれは普通わかんないよねぇ。だって基本的に人はボールの方を見ちゃうモン。キーパーに目が行くのはボールが行ってからでしょ?でもその時にはもう終わった後だし、しかも映像のフレームもシューター寄りだしね」
――確かに。
どうしても『どこからどんなシュートを打たれたか』いう部分をフォーカスして、どんな準備をしていたかって所は見てなかった気がする。
もう一回同じ映像を流して貰い、今度はキーパーだけを見続けてみる。足の重心に気をつけて見るようにも言われ、意識的にキーパーのみに集中し、他はなるべく周辺視野での情報を集める。
……なんかこの襟足のやたら長いキーパー。やたら小さい足踏みみたいなのしてる様に見えるけど何だコレ?次の口髭を生やしたキーパーもそこまででは無いが似たようなリズムを取っている。映像は二人を流しそこでいったんそこで切れる。
次はもう一台のテレビデオもつけて交互に再生し検証に映る。なるべく近いシーンがやはり連続で準備されており、こちらは日本人GKが多い。あまりというかバタ足はほとんどしていない。一つのアクションをこっち見たら次はこっち、というように交互に再生、一時停止が何度も繰り返されていく。
「蹴られた瞬間に前者の二人は足が付いているのがわかるかい?本当はコマ送りできるくらいの解像度があれば良かったんだけど、そこまでは上手く調節できなくてね。まぁ、普通のテレビ放送を集めただけみたいだからしょうがないんだけど」
そう言うと洋二先生は苦笑いをしながら細かく説明をしてくれた。
ジャンプしようとする前に一度宙に浮いて、膝を落としてバネを使って飛ぼうとする動作。
「例えばスポーツテストの垂直跳びなんかで、跳ぶ前に一度沈むだろ?それを大きくしたモノを思い浮かべれば分かりやすい。最初の襟足の長いキーパーは確かスロバキアから来てたキーパーかな。日本でやってた人では多分、一番それがないと思うよ。国内のサッカー雑誌にも書いてあったから間違いないと思う」
そう言って雑誌の付箋を貼っているページを広げて見せてくれた。
『週刊フットダイジェスト』の中のコラム的な部分だ。ありゃ?この人未来のサッカー協会のお偉いさんじゃなかったっけ? 代表監督とかの選任の時に見たことあるわ、この人。
本題のコラムの内容はと言えば、そのプレジャンプが無い事への素晴らしさ。それなのに高く跳ぶことの出来る身体能力の高さを絶賛し、こういう選手のそういった技術に日の目が当たるようになれば日本のGKのレベル向上に繋がっていくのではないか、といった内容だった。
その後もビデオを何度も見直し、途中途中で一時停止をしながら洋二先生が細かい解説を入れてくれる。
バタ足みたいな小刻みの動きはボールが動いた瞬間やコースが変わったりしたときに、宙にいないためのモノ。ヨーロッパではプレジャンプは『贅沢な動作』と言われ、できる限り少なくしていくように教育されてきているらしい。
「今まで日本ではプレジャンプは予測してシュートを打たれる前に済ませるもんだ、って考えだったみたいだけど、これからはそれ自体無くせって言うのが世界標準になるのかもしれない。今までも、おおよそ名手と言われたキーパー達が優れてた部分とかってこういう気付きづらい所だったのかもしれないね。僕の方でも『プレジャンプが無かったから止められた』っていうシーンを探して検証してみるから」
一見脳みそまで筋肉のような先生だが、説明や映像の解説などを聞く限りどうも理論派の様だ。医者だし当然と言えば当然か。一つ一つのプレーにエビデンスを求めていくスタイルは割と嫌いじゃ無い。
「それでここからが本題。君が上手く飛べない気がするって所。司君からも、君の力になって欲しいって連絡があってね。その時に少し話したんだけど、今の君の上手くいかない感覚はこのプレジャンプのタイミングがズレていることに起因してるんじゃないかな? それを上手くボディコーディネート出来てないことも合わせてね。プレジャンプ自体は脳が勝手に伸張反射してしまうものだからゼロには出来ないんだけど、だからこそ、その一連の流れに最初の課題があるのではないか、と僕は思っているんだ」
他のもっと詳しい部分に関しては、実際のプレーを見てみないと判断出来ないと言うことで、来週の練習試合を見に来ると言う。もうすでにお腹いっぱいな感じなんですけど。
『今言ったことは触りの部分程度だからね』と念を押される。
「君のポテンシャルを見せて欲しい。練習試合楽しみにしてるからね。娘が頑張ってるのも見たいしね」
あ、そっちが本命か。つか、こんな映像集めるの大変だったろうに。深く感謝の気持ちを伝えようとしたところ、
「気にしないでいいよ?知り合いのプロから借りてダビングして編集しただけから。ホラ、二人目に映ってた口髭のキーパー覚えてる?彼に頼んだの。知ってる? 前に日本代表のGKコーチだったんだよ。今でも現役だけどね」
「!? あ、あんですと?」
「少しは僕の言うことに泊が付いたかな。今後の信用関係も大事だからね」
洋二先生は無邪気な笑顔を見せ、今日はこの辺で終りにして今度は試合の後に都合を付けてくれることを約束してくれた。最期にコーヒーを飲みながら軽く談笑して終りの流れへと向かう。
「そういや今日は来るの遅かったね。何か昼間忙しかったの?」
「はい?」
いや、貴方のお仕事が忙しかったんじゃないの?こっちはあなたの娘と時間潰しに明け暮れてたというのに。……とはいえ『娘さんとずっと一緒にいました』とは流石に言いにくいしな。
「そ、それよりほら。渡すモノあるんでしょ?」
芝浦が慌てた様子で話題を変えてくれる。助け船サンキュ。
「あ、そうそう。忘れてた。ビフテキ予防」
渡されたのは膝当てと肘当て。土のグラウンドでの擦り傷予防に効果があるからとも教えてくれた。
怪我や痛みで無意識にダイブを躊躇してしまわないように、とも付け加えられる。何から何までありがたい事で。カサブタの事、ビフテキって言うのも始めて知ったし。
『将来有名になったとき、僕のおかげです』と言ってくれればいいよ、とは果たして本心かどうかはちょっと分からないが。それでも力強い協力者を得たことは間違いない。少しだけ希望も見えてきた気がする。
まずは次の練習試合。この先生に良いとこ見せようと思う。
丁寧にお礼を言って俺は芝浦医院を後にした。
※カッコのつけ忘れ等、細部を修正しました。
浦和に現実にいた人がモデルになっています。今から20年以上前の週間サッカー雑誌(多分、週間ダイジェストの方かと)に書いてあったのを覚えています。実際のコラムを書いた人は忘れましたが多分ライターか元代表とかの人だったと思います。その時はプレジャンプとかピンと来なかったんですが、今になって当たり前の様になってくるとそのコラムの人に凄く先見の明があったのと、そんな昔からヨーロッパでは当たり前のようにやっていたんだな、という今更ながらの驚きもありました。その当時のチェコスロバキアはスルニチェクやスティスカル、ミクロシュコなど名手と呼ばれるGKの輸出国でもあり育成のレベルも高かったんでしょうね(どちらかというとチェコの方かな)。
あと当時の浦和はルルというFWもいて結構好きだったのを覚えています。懐かしいなぁ。