視線の先は
静かでどこか冷たい夜の中で、月明かりは穏やかに私たちを照らしていた。
「月が今日はとても明るいわね」
私はさりげなく貴方が月を見るように促す。
そうですね、と貴方は小さく頷いた。しかしその視線は空には向かず、足元の湖に固定されている。
湖の傍には美しい花が咲いていた。
美しい花。月よりもずっと綺麗な、美しい花が。
「…とても、綺麗ですね」
貴方はそっと呟いた。
「そう」
私は物悲しくなって、ふいと湖に背を向けた。
いつも貴方は私のことを見てはくれない。
視線は他所に向けられていて、それを私は受けることが出来ないのだ。
こんなに近くにいるのに、こんなにも寂しいと思うことがあるのだろうか。
いっそのこと、私のことが嫌いだと言ってくれた方が楽だと思った。そのまま、貴方のことを忘れてしまいたいとさえ。
気が付けば、口から言葉を滑らせていた。
「…ええ、花が綺麗ね。とても、綺麗、で、」
頬が静かに濡れるのを感じる。
背を向けていてよかった。いや、背を向けていなくても大差ないか。だって、貴方は私のことを見てなんていないのだから。貴方の視線は、いつだって花にあるのだから。
「私なんて、見えなく、なってしまうほどで、…」
ああ、はやく。
貴方のその口から、別れの言葉を聞きたい。
はやく、はやく、はやく。
貴方は静かに口を開いた。
「花?
私が見ているのは、いつも月です。
私は臆病者なので、あの優しい月明かりにさえ、いや優しいからこそ、目が潰れてしまうのではないかと恐れを抱いてしまうのです。だから、いつも水面に映った月しか見る事が出来なくて。
…そうか、花。こんなに近くに咲いていたのですね。
いつも月しか見ていなかったので、気が付きませんでした。ああ、そうですね。
花の彩りを添えられても、尚月は美しい。
穏やかに、淑やかに、その身に光を纏っている―」
そのとき貴方はようやく私を見て、
「月が綺麗ですね」
と告げた。