乞食の場合
いつも死と隣り合わせなら、有事の時でも余り気にならない。死人が溢れている町を歩き回るのは、家がないものだけだ。俺は腐りかけの鰊を咥えながら、いつも通り町を眺めていた。
この町の、汚いことは名状しがたい。家からは怯える声や、悲しみの声が聞こえるが、俺からすればどうでもいいことだった。自分さえ、ただ自分さえ生き残れればいいのだ。とはいえ、食事にありつけるかどうかは死活問題だった。
貧民街と呼ばれる路地裏には、ぐったりと横たわった老人やらが、煉瓦積みの建物の隙間にいる。ボロボロの服を着た聾者やらが小さくなっていた。また細い路地の隅にいる彼らの中での最近の流行は、誰が明日死ぬのかを賭け合うことだった。
「俺は片足爺さんを選ぶぜ、ヨハンさんはどうよ」
「俺は、じゃあ……ボロ布の餓鬼だな。あいつの学校の寮って閉鎖されたんだろ?」
俺がそう答えると、男は不思議そうに言った。
「餓鬼ぃ?餓鬼でいいのかい?こりゃあ、明日の鰊はもらったな」
「馬鹿いえ、こんな時に老い若いなんてあるかよ。俺たちだって、明日の朝日も拝めねぇかもしれないぜ?」
「やめてくれよ、縁起でもねぇ」
男は汚いものでも見るように言った。自分たちがしてることをそれでも正当化しようとするのか、本当に滑稽だ。
貧民街に最近やってきたのは、ペスト医師としてあちこち行き来している子供だった。あれは、大学の寮が封鎖されてから、いる場所がなくて彷徨っているのだそうだ。ここから逃げようとしても金がなく、門をくぐることができないでいるという。早いうちに逃げた学生たちは、どれも金持ちばかりで、うじゃうじゃと学生が町をさまよっては、倒れていくのを見てきた。学生だって、それなりの生活を行える方法はある。俺らと同じ乞食生活をしながら、本を売り、聖説を説き、金を片っ端から集めていけばいい。こいつは普段から医師としてたまに歩き回っているのを見かけたし、それなりに金の蓄えもあったのだろうが、全部盗まれてしまったらしい。とろいやつだ。俺はそいつの具合が良くないのを知っている。金が無い、お腹が空いたなどとのたまううちは、まだ元気があるというものだ。黒くなった銅銭などを眺めつつ、男から離れて路地裏を後にした。
大通りの道端に銅貨が落ちている。それを拾い、誰も見ていないのを見計らって、それを懐へ入れた。
大通りを一台だけ荷車が通っている。その荷台の上には、布がかけられており、そこから人の手が見え隠れしていた。これだけで今日1日分の死人を運んでいる。彼らは罪人で、この仕事を受けて無罪放免をいただこうという魂胆なのだろう。
ある家から女が出てきて、男を引きずって運んできた。女はそれを家の前に放り投げ、さっさと家に戻ってしまう。その男を荷台から降りた男が担ぎ上げ、荷台に放り投げた。
瘴気に当てられた人々は精神が侵されてしまう。その証拠にあの女は同居人さえも無感情に放り投げるのだ。が、それも俺たちの間ではいつもの光景だ。みんな動かなくなるし、それを表通りに放り投げておけば誰かしらの役人が回収していく。俺たちはいつも瘴気に侵されているのか、と自嘲気味になった。
共同住宅の水汲み場で、水を頂戴する。無論、無許可であるが、そんなことを気にしていたら俺は死んでしまう。いつもは人の目を盗んで水を頂戴するが、最近は専ら誰もいないので堂々としている。冷たい井戸水を汲み、少し飲み、ボロボロの革袋に一杯に注いで持ち運ぶ。
こんな場所ならば、貧民街のほうがまだ活気がある。井戸水をひとしきり楽しんだ後、道端の木片や汚物を拾う。大通りには俺と裸の女がふらふらと一人さまよっているだけだった。女は施療院の方角からゆっくりと城壁の方へと向かっていく。門の前で兵士に捕まり、質問をいくつか受けているらしい。町から出る予定など、あの女にはあるはずが無い。兵士も頭が硬いやつばかりだ。頭に瘴気が回れば、俺もあいつらのようになるのか。
その日は木片やら汚物やらを商人に預けて、幾らかの駄賃をもらった。どうしてあんなもので金がもらえるのかわからないが、あれで銅貨一枚にでもなれば儲けものだ。
夕方になると貧民街に人がぞろぞろと集まっている。中には、野菜の切れ端などというとても大きな収穫をしたものもいたようだ。
「ヨハンさん!負けたよ!」
今朝の男だった。彼に買ったということは、あの学生は運ばれたということか。俺は手放しに喜べなかった。
「いやぁー、また持ってかれるとはなぁ」
「どうだ?俺の勘も捨てたもんじゃ無いだろう?」
男はしてやられたとばかりに自分のおでこを叩いて見せた。貧民街では、あの学生は耐えられなかった。寧ろ、汚い環境を生きる同志たちの方を信頼するべきなのだ。男からは黒くなった銅貨を一枚渡された。そして、俺の手持ちは十二枚の銅貨になった。ゴミの中から見つけたであろう汚い野菜の切れ端と、銅貨を交換した。とりあえず、食事にはありつけたし、銅貨も一枚増えた。男はその銅貨を別の男のところに持って行き、捨てられていた干し肉を買っていた。彼の手持ちはこれでなくなったはずだ。
俺は水で濯いだ野菜をかじりながら、今日の出来事を思った。
あの学生が、施療院に運ばれた。そして、あの老人はまだ生きている。俺は煉瓦積みの壁に寄りかかり、この家の主の豪華な食事を思った。この家の男は俺にとって命の恩人であり、飢えていた冬の頃に温かいスープをくれた。木の食器に入ったそのスープがどれだけ俺を救っただろうか。その男も、この前施療院に運ばれた。寄りかかった壁に沿って腰を下ろした。壁の間から覗く空を眺める。宵の青い空に、月が煌々と照りつけている。野菜を食い尽くすと、俺は金をもう一度数えた。
あのスープは、いくらだったのだろう。一人、また一人、よく知る者が連れ去られていく。施療院が、手招きをするように見えた。金を仕舞い、胸のポケットに入れる。穴があかないようにゴミから見つけた布を中に入れてある。皮袋の水を飲む。その皮袋を、ポケットの反対側にある腰紐に結びつける。見つけた時は景気がいいと思っていたが、もう、だいぶ傷んできている。
目を瞑る。眠りにつく。明日、朝日を拝めるように祈りながら。




