退屈しのぎの一団の話 8
マクシミリアンは月の沈み切る前に目を覚ました。小さな月がのんびり空を浮遊している。
日が昇りきるまで、机に向かうことは出来ない。このご時世、蝋燭代だって馬鹿にならない。銭袋の中を確認しながら、地図を眺めた。
ここから追い出されたときに、向かうべきは病魔のない北の地かもしれない、と考えたからだ。しかし、残念ながらそんな蓄えはなかった。旅のための毛皮は薄いものしか持っていないし、凍え死なない準備をするにも金がいる。ましてこの町の物価は高い。封鎖されてからはなおさらだ。
仕方がないので、少し早いが顔を洗いに行くことにした。
マクシミリアンが顔を洗いに行くと、そこではヤンが手を洗っていた。
ヤンはマクシミリアンに気がつくと、姿勢を正して礼をした。
「おはようございます」
「おはよう。はやいね?」
マクシミリアンが何気なく言うと、ヤンは頷いた。
「ちょっと、眠れなくって……」
マクシミリアンが顔をゆすぎ、ヒゲを整える。ヤンは桶から水を捨てると、片手に挟むように桶を持ち、 じっとマクシミリアンの支度を見ていた。マクシミリアンがそれに気づくと、呆れたように言った。
「おいおい、人の支度なんか見ても何もないよ?」
「いえ、なんだか珍しくて」
マクシミリアンはキョトンとする。ヤンがハッとして目をそらす。
「いえ、その、僕は……髭が……ない……ので……」
「あー、そのうち生えるよ。大丈夫。まさか、女じゃないんだから」
マクシミリアンは微笑んだ。甥の悩みを聞く親戚のような優しい目を向けた。
「そ、そうですよね、アハハ……」
マクシミリアンは、ぎこちなく笑うヤンの服装を舐めるように見た。
「ふーん、成る程」
「えっ?」
「ポーランドの騎士の家系かな?それとも、貴族?或いは、豪商?」
マクシミリアンはヤンの首にかけられた質の良い宝石を凝視していた。普段は服の中に隠していたものだが、水を汲んだり捨てる際にかがんでいるうちに、宝石が顔を覗かせていた。
「……これは、えと……」
ヤンが吃る。
「よく見れば服もいいものを着ているね。結構金持ちだろう?贔屓して、お願いしますよ?」
ヤンは恥ずかしそうに顔を下げている。マクシミリアンは整えた髭をのんびりと摩っていた。
「ポーランドの……商家で生まれました。銀山と大農園を所有してます……。ごめんなさい、顰蹙を買うかな、とずっと黙ってました」
マクシミリアンは途端に満面の笑みを浮かべた。
「それでかぁ、成る程。カールさんも人が悪いなぁ」
ヤンは狼狽えてすぐに部屋に逃げて行ってしまった。
朝日が昇りきると、一同はロビーに集まった。ヤンは少々ソワソワしているが、一同は誰一人見向きもしなかった。マクシミリアンはちらりと顔を伺うことこそしたが、それ以上は何もしなかった。
「さて。次はどなたですかな?」
アブラヒムが第一声を放つと、囲まれたテーブルに注目が集まった。まだ話していない者はカードをめくり、朝食から手を離す。あかぎれのあるウィリアムの手が、そのまま持ち上がった。
「ウィリアムさん、テーマは夫を騙した妻の話です。よろしくお願いします」
ウィリアムは、そっと手を下ろし、水に口をつけてから、のんびりと語り出した。
昔から女というのは強欲、強情、豪奢と、兎に角業が深い。男はだらしないと影では囁き、ひとたび男から眼をつけられれば、途端にあれよあれよといじらしくまとわりつき、宝石も権威も奪ってしまう。男はいつでも愚からしく、わかっていても騙されてしまうのだ。そんな男の性分だから、女は妻になって損はない。私の生まれ故郷でも、男は女に騙されて破滅し、東の彼方、清でも似たようなものだ。
さて、はるか昔の東彼方、オリエントにはサーサーン朝という国があった。国の男はどれも奇妙な布を頭に巻いて、女も素顔を滅多に見せない。そんな国でも恋というのはあるようで、王も庶民も女を探し、肌も見えない女の中身を想像しては興奮していた。
王族には二人の兄弟がいた。その男たちはどちらも妻を娶って、幸せそのものの暮らしをしていた。砂が目に入るような風の日には、女と共に宮殿で戯れ、会議もないような休みには、王は趣味の狩りに行く。
ある時、弟は兄の家へ住む宮殿へと赴くことになった。砂漠の砂が延々と続く道の中で、弟は土産物を忘れてきたことに気づく。引き返すにはそう遠くない場所のため、従者と二人で道を引き返した。ラクダのコブも乾燥しだす頃、弟の住む離宮が見えてきた。頃合は夕刻少し前で、陽炎が徐々に弱っていく頃であった。
男は離宮の自分の書斎にあった、珍しい菓子や陶器などを土産として、持って行こうとした。大きな回廊を周り、ふと階下を見下ろすと、妻が横になりゴロゴロとしていた。一際広い部屋のその真ん中に、自分の妻が横たわっている。不審に思い様子を伺うと、黒い肌の男と抱き合っているのがわかった。彼はあまりのショックに倒れそうになったが、危うく落としかけた陶器を気遣いなんとか持ちこたえた。彼らからは弟の姿は見えなかった。黙って弟は立ち去り、休む間も無く王宮へと向かって行った。
さて、弟はその間ずっと顔色が優れずに、萎れた林檎のようになっていたので、不審に思った家臣たちは、体に細心の注意を図り、彼との旅を引き返すべきかと話し合っていた。然しながら、彼はそのままの表情で、道をズンズンと進んでいく。家臣たちはそれに従うより他になかった。
宮殿についても、弟の顔色は優れなかった。兄王は、弟を歓迎し、土産にも大いに喜んだが、弟の顔色が優れないことに気付いており、気晴らしに狩りにでも誘おうと考えた。宮殿の裏には大きな森が広がっており、森の中には大小様々な動物が生息しており、王の格好の狩場であった。
兄王は弟に対して狩りに向かうように誘ったが、弟は気が優れないと、断り続けていた。兄王もこれは何か深い事情があると気づき、弟のためにあれやこれやと策を練るが、一向に変化がなかった。
兄王が狩りに出かけると、弟は宮殿から一度市場へ向かうふりをして裏口からまた入り、宮殿の広間へと向かった。宮殿の広間では、黒い肌の奴隷が複数人おり、それぞれが女と絡まっていた。その中には、やはり兄王の妻がおり、あろう事か奴隷を侍らせ、あちこちで快楽を覚えていた。
吐き気がした弟は、直ぐに宮殿から飛び出して、市場の小さな食堂に向かった。
店員は突然の王族の来訪に舞い上がっていたが、余りにもひどい顔をした彼を見て、ひどく緊張していた。
彼はライ麦のパンと肉料理などを食べながら、小さなため息をついた。狩りを終えて帰る兄王は、あの事実を知るべきなのか、彼にはそんな思いがよぎっていた。どうして女は悪なのだろうか?彼にとって、もはや女が信用ならなくなっていた。
食事を終えると、店員が彼の為に一時の慰みとして芸人たちを手配したが、彼はさっさと帰ってしまった。店には群がるような見物客がいたが、彼が出て行くといつもの生活に戻っていった。
兄王は弟の為にととても大きな鹿などを見せ、最高級の料理を作らせた。
彼の姿が出会った頃よりさらに沈痛な姿になっていた。兄王は力になろうとして、しつこく事情を尋ねた。弟は渋々昼間の出来事を知らせた。兄王は弟の言葉に思わず息を呑んだ。自分の知らないところで、妻が他の男と行為をしている。兄王はその真偽を確かめる為に、翌日妻に狩りに行くと偽って様子を見ていた。
その光景は余りにもショッキングなものだった。自分ですらしたことのないあれやこれやを、目の前で、しかも妻のものを見せつけられた。高いドーム天井が、その汚らしい一団を見下ろしていた。兄王は直ぐにでも妻に問いただしたいところだったが、弟がいる手前それもできなかった。
然し、怒りを抑えるには余りにも業が深すぎる裏切りだった。彼は最も激しく行為をしていた奴隷を招き、八つ裂きにした後、窓の外に放り投げた。
女が自分を愛しているのではない、ということに彼は気がついてしまったのだ。それをあたかも愛しているかのように振る舞い、金を掠め取ってはあの男達に一物を押し付けていた。兄王は再び妻を信じようと、用事で出かけたふりをして、宮殿に忍んでいた。妻がやってくる。妻は男と手をつないでいる。彼と手をつないだのは契りを交わした日だけだ。妻と男が、部屋で共に寝る。共に寝たのは、子供を残そうとした数回だけだ。その後、いやがりもせず口づけを交わし合い、金も身分も何もないみすぼらしい男との夜を始めた。
彼は危うく腰に下げたサーベルを振りかざすところだった。乗り込もうとした瞬間に、遠くに扉の開く音を聞き、直ぐにその場を後にした。
弟が帰ってしばらくした夜、職務を終えて妻と共にいた彼は、妻に対して浮気について問い詰めた。妻は、そんなことはしていないと頑なに否定した。
彼は、奴隷との夜を詳細に説明してやった。妻の顔が青ざめていく中、彼はゆっくりとベッドに座り込んだ。妻の喉をかまう。そして、口をふさぐ。静まり返った部屋に慟哭が聞こえる。みすぼらしい女の、声が響いて、サーベルを鞘に収める小気味の良い音が響く。赤く染まった床の上に、首のない女の姿があった。王は血のべたりとついた服を女のそば放り投げ、服を剝ぎ、夢のような一夜を過ごす。
夜の帳に隠された、千夜一夜の一幕が上がった。
一同は言葉を失った。ウィリアムは静かに目をそらす。ヤンは泣きそうな顔をし、マルガレーテがそれを抱き寄せていた。マルガレーテの袖を濡らしたヤンは、薪の弾ける音に飛び上がって、部屋から出て行った。
「なんて、ことなの……」
絞り出すようにマルガレーテが呟く。ピョートルはニヤニヤとしながらウィリアムの口の動きを気にしていた。そのグラスには、水ではなくワインが注がれていた。ワインを一気に飲み干したピョートルは、小さくゲップをし、開けたワインボトルをウィリアムに差し出した。ウィリアムは手でそれを差し止め、小さく礼だけ述べた。
レオポルトの顔が石像のように固まっている。マティアスは、口を手で押さえ、おえ、おえ、と喉の中で響かせている。
アブラヒムがマティアスを手洗い場まで連れて行った。
暫くは呆然としていた部屋であったがヤンが泣きそうな顔で戻ってきた。足をガタガタ震わせており、よく見ると、ズボンが湿っていた。
「おや、お子さんには刺激が強かったかな……?」
ウィリアムは意地悪な笑みを浮かべた。
マルガレーテは優しくヤンに寄り添った。ヤンは真っ赤な目で、申し訳なさそうに言った。
「大、丈夫、です。手汗ですから……」
マクシリミアンがヤンの服を見ると、湿っているのは確かにズボンの側面、両横の腰あたりだった。
アブラヒムとマティアスが戻ってきた。マティアスは先ほどとは打って変わって随分と元気そうだった。
「さて、随分刺激の強い話でしたな……」
レオポルトが固まったまま動かなかったが、一同は特に気にとめるでもなく、話の続きを気にしていた。
「次は、私ですね」
マクシミリアンが手を挙げた。
アブラヒムが頷くと、マクシミリアンは分厚い本を取り出した。
「えっと、男が女を、女が男を騙す話、ですか。なるほど……」
ヤンがぴくりと動いた。それを見てマクシミリアンは、笑いながら言った。
「はは、ちょっとした笑い話にしますよ、大丈夫です。それとも、ウィリアムさんの話の方がお好きですか?」
ヤンは首を思いっきり横に振る。一同の中からどっと笑いが生まれた。
「さぁて、ではちょっと旅の中で起こった珍事をお話ししましょうかね」
マクシミリアンは手を叩いて、注目を集めた。陽気で大きな声が、蝋燭の火を揺らした。




