退屈しのぎの一団の話 6
世の中には自分の行いで堕落する輩もおりますが、運命というものはそれにも増して残酷なのでございます。抗うことができれば良いのですが、その道はすでに見えているわけです。そのような運命さえも、抗えばこそ命というものは輝くのかもしれません。
さて、皆様、このウィーンといえば音楽ががあまりにも有名でございます。男も女も音に熱烈な注目を向けて、この町にやってまいります。かくいうこの男もその一人。音を愛してやまない、フルート奏者の男でございます。
彼はこの町に音楽の研究のためにやって参りました。この男、音楽については才能がない、たいしたこともない男だったのですが、独学で何とか習得し、仕事を掛け持ちながらですが、この町で食いつなぐ金を稼いでおりました。
ある時、男は街角で演奏をしながら、チップを稼いでおりました。すると、彼は演奏しながら通り過ぎる麗しい女性を見つけたのでございます。この女性、彼には見向きもせずに通り過ぎて行きましたが、男はその横顔が忘れられない、また会いたいとその通りに毎日の様に入り浸ったのです。
そんなことを繰り返す日々の成果でありましょうか、はじめは女性は通り過ぎるばかりで目どころか耳をも貸さなかったのですが、暫くすると彼女も立ち止まって聞く様になりました。調子に乗った男は女に声をかけます。
「そこの美しいお嬢さん、いつも聞いてくれてありがとう。お礼にお食事でもいかが?」
「結構です」
あっさり断られてしまったのです。男は意気消沈して、食事もうまいものしか喉を通らなくなりました。
そんな生活を続けると、栄養が偏って、風邪を引いて喉を枯らして、さぁ、大変。仕事は一度休めば大変なことになります。飯を食う金もなくなれば、音楽の道は諦めるより他にありません。男は後悔しました。嗚呼、あの女さえ見なければ……。
風邪を引いた身で仕事に赴き、食うために必死に仕事をこなします。仕事を終えて、男は今夜は声は出せないから、さっさと帰りたいと思い、大通りをサクサク進み、いつもの場所を素通りしようとしました。そんな時、女が声をかけてきた。
「今夜は直ぐにお帰りですか?」
女にちょっとした怒りを覚えつつ、ぶっきらぼうに答えると、女は心底残念そうに「何かあったのですか?」と聞いてきます。あんたのせいだよと思いつつ、男はいたって普段通りに「野暮用でね」と答えました。ところがここで話したことで、声の枯れがばれてしまい、彼女は自宅まで来て、男は看病されるのです。男は良心が過ぎると疑いましたが、一度は夢見た身、少しの期待を胸に家に入れてやるのです。
「なぁ、君はどうしてこんなに良くしてくれるんだい?」
「あなたの音楽に勇気をもらったから」
「勇気ぃ?俺のにかい?」
男の胸は高鳴りました。自分の音が心に響く、そんな言葉をもらったのは初めてでした。
「下手くそだったあなたが、こんなに弾けるようになるなんて思わなかった。なんだか勇気をもらったの。だから」
「早く治して、私をもっと楽しませてよ」
女はそう言うと、彼に口づけをしました。この時から、二人の付き合いは深くなったのです。
男は、女の生い立ちを知りました。彼女は宮廷生活に嫌気がさして、この町にやってきたそうです。しかし、世間知らずのお姫様がこの町にやってきてうまくやっていけるはずもなく、宮廷から持ち出した金を少しずつ使いながらの極貧生活をしていました。その頃は男のことを見ている余裕はなく、仕事を求めてずっと無視して駆け回っていたのです。しかし、ついに万策つき、落胆の中に蹲り、腹はなり、もう体を売るしかないと思ったその時、男の不器用で陽気なフルートの音色が聞こえたのです。上手いわけでもないのに、体に染みる音色でした。宮廷で一級品の音楽を楽しんでいた筈の彼女に力を与えたのは、まさにその音色でした。
その後、なんとか一つ仕事を見つけ、そこでは下っ端ではあるが金を稼いで暮らしているということでした。男は、宮廷に戻る気はないのか、と尋ねました。彼女は首を横に振りました。
「つまらない場所にはいたくないから」
男にそう言うと、彼女は子供のように言い放ちました。
「さ、仕事に行かなくっちゃ!」
それからというもの二人は毎日男の借り部屋でささやかで幸せな毎日を過ごしました。
ところが、運命は突然二人を分かつのです。
彼女がこの町にいることを聞きつけた宮廷の人々は、彼女を保護するため極秘にウィーンへやってきたのです。彼女は逃れられず、そのまま宮廷に連れ戻されてしまいます。男はそれを友人から知り、仕事を放り出してすぐに彼女の語った宮廷へと赴くのです。
西へ西へと進み、時にフルートで旅賃を稼ぎ、時に自分の持ち物を売って、二週間をかけて彼女の宮廷の城下町に着きました。彼女の宮廷へ着く頃には、持ち金もなく、ただフルートだけがありました。
男はフルートだけは手放しませんでした。彼女に届けるために、挫けそうでも彼女を想うために。
宮廷の門を叩くと、中から二人の兵士が出てきました。
「旅の者です。訳あってこの場所にやってきたのですが、どうやら道に迷ってしまいまして。今夜は遅い、どうか牢屋でも良いので止めていただけませんか?」
二人の兵士は顔を見合わせ、奥に入って行きました。暫くすると、兵士が現れ、牢屋でいいのか?と尋ねました。
「はい。お礼と言えるかわかりませんが、フルートの演奏などいたしますよ?これしか持ち合わせがありませんので」
兵士はもう一度顔を見合わせ、着いてこい、と言って門を開きました。彼は地下の空いた牢獄に案内され、そこで一夜を過ごすことになりました。
朝になると、彼は兵士に鍵を開けてもらい、それではお礼にとロビーでフルートを吹きました。兵士たちは穏やかな顔でそれを聞き入っていました。一曲、また一曲と彼は知る限りの曲を吹きました。交代を繰り返し、休憩を行う兵士たちに対しても、彼はフルートを吹きました。すると、奥の部屋から彼女が走って来ました。彼女は驚きとともに涙を浮かべていました。男は彼女に近づき、こう言いました。
「ほら、もっと楽しませてあげる」
男はフルートを吹きました。今度は兵士にではなく、彼女に。ボロボロの服は彼女の涙で濡れています。男のフルートからは、いつになく優しい音色が響いていました。
男が領主である公爵の元に案内されると、跪こうとしたのを止められました。公爵は、金持ちの道楽に付き合ってくれて感謝すると言い、更に彼女が宮廷の第三姫であること、上に二人の兄もいることを聞かされました。そして、彼女に対してこう尋ねました。
「お前は、本当に後悔はないんだな?」
彼女は黙って頷きました。男に険しい顔が向けられます。男は背筋を伸ばした。男はポカンとしましたが、すぐにその意味を理解し、フォローするように言いました。
「殿下共々幸せにする自信があります」
公爵は深く頷き、その場から離れました。二人は暫くそこに佇んでいましたが、兵士や公爵夫人の拍手の音に我に帰りました。二人はこの宮殿で式を執り行い、ウィーンへ戻りささやかな幸せを手に入れたと言います。
マルガレーテが拍手をした。ピョートルは突然の音にびくりとし、眠気が吹き飛んだと言わんばかりに舌打ちをした。
レオポルトはまるで恍惚しきっていたが、威厳を保とうとマティアスにこう尋ねた。
「さすがに虫が良すぎるのではないかね?貴族はそこまで、愛を求めてはいないよ」
「でも、あなたはもう魅せられたのでしょう?」
マティアスがしたり顔で言うと、レオポルトは少し赤面したが、咳払いをしてから、まぁ、作り話とはそう言うものですかな、と呟いた。
カールが香草の束を担いでやってくると、アブラヒムが切り出した。
「愛に溢れた、素晴らしいお話でした。では、次のお話の方は?」
そう言うとイワンが静かに手を挙げた。パチパチと香草の焼ける音がし出すと、甘い香りが一同の鼻を包みこみ、ピョートルは咳き込んだ。ヤンはむせて、テーブルの上にある水を気にしていた。顰め面のイワンが、大きな咳払いをした。
「では、お願いします」
アブラヒムの言葉にイワンが小さく頷くと、重苦しい声が響いた。




