退屈しのぎの一団の話 1
かつて娯楽に溢れたこの地も、再びやって来た災厄に活気を失ってしまった。マクシミリアンは、この町で唯一営業している宿へと駆け込んだ。生きる為に来た旅先で死ぬなど、冗談ではない。間も無く町は封鎖されるだろうが、外へ追いやられても帰るあてがない。この都市もそうであるように、近隣は皆このような具合だ。
町にはほんのりと死臭が漂っている。この宿は対照的にほんのりとした香草の香りが漂っている。マクシミリアンは入り口で宿主に対して挨拶をし、少し多めに宿代を支払っておいた。
「全く、商売あがったりですよ」
マクシミリアンは大仰に肩を持ち上げて見せた。当然ながら宿はガラリとしており、そんな話しかすることもないのだ。
「お宅もそうですか。うちなんか旅人が来たくたってこれやしない」
宿主であるカールはやれやれと首を振り、無言で羽ペンと記帳を取り出した。元々は綺麗ではない宿であったが、小さな木の樽に目一杯入った水や、香草の香りのせいか、いくらか清潔に見えた。
外は静まり返り、閉ざされた木窓の先には賑わいがあったとはとても思えない。カールから鍵を受け取ったマクシミリアンは、入口の正面の急な階段を上り、自分の部屋に向かう。ギシ、ギシ、と気持ちの良い床の音を聞きながら、三階の奥の部屋へと向かった。
この宿はいい宿ではないが、古くて由緒ある宿として、時折とても似合わないような大物が宿泊することがある。そのため、豪華絢爛な部屋が一区画設けられており、今は泊まる人もないので、この良い部屋を提供された。
「あら、旅のお方?」
部屋に入ろうとすると、派手な衣装の女性に声をかけられた。整った顔立ちの白い肌の女性で、何処となく娼婦のような雰囲気を醸し出している。マクシミリアンは少し恥じらうよう笑って見せた。商談用の爽やかな好青年の笑顔だ。
「えぇ、そんなところです。これは、なんと、美しいご婦人。こんな危ない町に用事でしたか」
女性は目を細めて唇を釣り上げて見せたマクシミリアンはあえて深追いはせず、話題を逸らした。
「いやー、参りましたよ。市場は閉鎖寸前、忙しく駆け回るのは薬屋と医者ばかり。厄介な話です」
女性は笑顔のままで、閉ざされた窓を見た。
「ほんと、観光もしていられませんものね。嫌だわぁ」
「全く残念です。マクシミリアンです。暫くお世話になります」
「マルガレーテと言います。どうぞよろしく」
マクシミリアンと女性は、他愛もない話を少し続けた後、それぞれの部屋に戻った。部屋は上等なもので、マクシミリアンがいつも泊まるような辺鄙なものではなかった。
派手なペルシャ製の絨毯を敷いた部屋には、天井付きのベッドが置かれており、特別な部屋であることがわかる。窓の付近にあるチェストの上には、小さな鉄の花瓶が置かれ、枯れそうな花が供えられていた。天井付きの寝台に腰を下ろすと、壁にかけられた絵画と目があって、マクシミリアンは優越感に浸ることができた。
絵画など、なかなか部屋で見ることはできない。まして、天井付きのベッドまで付いている。フカフカの布団も暖かかった。そんな優越感に浸りながら、マクシミリアンは眠りに落ちた。
マクシミリアンが目を覚ますと、外は雨が降っていた。普段ならば市場へ向かう準備をするところだが、市場は休みである。やることもないため、宿のロビーへ顔を出すことにした。
窓の外は静まり返っており、外には誰もいない。階段を下りながら、昨日のことを思い返した彼は、ため息をついた。城壁の中の静けさに嫌な予感がしたのもつかの間、死体を積んだ荷車が教会の方へと向かっていったのを見たのだった。彼は首を振って、嫌な気持ちを振り払おうとした。
「お早うございます。体調はいかがですか?」
下の階からはやや高めの男の声がした。ロビーでは小僧が掃除をしており、カールが眠そうに机に肘をついていた。
「お早う。いやぁ、カールさん、いい小僧を雇いましたな」
マクシミリアンは笑みを浮かべながら、カールの方を向き言った。カールはすぐに跳ね上がり、失礼、と言って笑顔を見せた。
「いやいや、こんないい小僧雇ったことはありませんよ。彼はうちのお客様です」
「え?」
マクシミリアンは思わず小僧の方を見た。まだ独り立ちをするようなその姿形、年ではなかった。もう一度カールを向き直ると、カールは香草に暖炉の火を移そうとしている。
「彼は学生でしてね、この度の流行で学生寮が封鎖されてしまったそうで、うちで預かっているんですよ」
香草を香炉に移し終えると、カールは楽しそうに言った。それを見た小僧は恥ずかしそうにはにかんだ。
「はい。ヤンと言います。カールさんには、何とお礼を申し上げれば良いか」
マクシミリアンも名乗り、片手を差し出した。ヤンは無邪気な笑顔で握手に応じた。
「おい!小僧!小僧!水もってこい!」
二階から怒号のような声が聞こえた。一同が驚き同じ方を向く。カールは、困った顔でため息をついた。
「またピョートル氏だ。ヤン、悪いがいってきてくれないかい?私が行くとぐちぐちうるさいんだ」
ヤンは頷くと、水差しを持って樽の中の水を汲み、階段へと消えていった。
「ピョートル氏とは、常連の方ですか?」
マクシミリアンが尋ねると、カールは汗を拭いながら引きつった笑顔を見せた。
「えぇ、まぁ。なにぶん偏屈な方でしてね・・・。この時期になると北方からはるばるいらっしゃるのですがね・・・」
マクシミリアンはカールの困った顔を見ながら、手で会話を制した。階段を降りる音が聞こえてきていた。暫くロビーは沈黙を取り戻した。階段からヤンが降りてくると、その後ろから背の低いしかめっ面の男が現れた。
「ピョートル様、お早うございます」
カールがそう言ったので、マクシミリアンも軽い会釈をしたが、ピョートルは一瞥しただけで、すぐに椅子に腰掛けた。
暫くすると他の宿泊客も降りてきた。全部で10人だった。
カールはワインとグラスを持ってくると、それぞれに手渡して注いで行った。ヤンは厨房から人数分の黒パンを持ってきた。
「ケッ、もっといい飯はないのかね」
ピョートルは一言悪態を吐くと、ワインに黒パンを思い切り浸して食べだした。
各々が丸い机を5人で囲みながら、各々のペースでワインに黒パンを浸す。カールは受付の机から離れ、入り口の扉から左端にある樽から水を汲んでいた。部屋の反対の端にある香炉からは香草の香りがほんのりと漂ってくる。時折マクシミリアンは欠伸をした。
「しかし、まぁ、暇ですなぁ」
間延びした声の老人が呟いた。マルガレーは退屈そうにうなづいた。
「では毎日テーマに沿ってお話を語り合うなどいかがですかな?」
修道士が言うと、マルガレーテは目を輝かせた。
「まぁ、素晴らしい案ですわ、早速始めましょうよ!」
「よせよ、めんどくさい」
ピョートルは背中を丸めて言った。ヤンがグラスにワインを注ぎに行くと、刺すような目でカールの方を見た。カールは視線に気づいたのか、冷や汗をかきながらピョートルに水差しを渡した。
「臨時会議で都市外の者はいつ追い出されるかも知れぬ。それほど多く語れるものですかな」
シルクの服を着た貴族風の男が言った。
「おそらく勅書が出るとしたら、三日後くらいではないでしょうか」
マクシミリアンが言うと、老人はよく蓄えたヒゲを触りながら、では、一人一つずつのテーマを受け持つのがよろしいですな、と言った。それに対してヤンが何かを紙に書いて、修道士に手渡した。修道士はその紙を確認すると、ヤンの頭を撫でた。
「なるほど、よく勉強をしているね」
ヤンは恥ずかしそうに笑った。
カールが空いたグラスを片付け始めると、すぐにヤンは全員分のパンの受け皿を片付け始めた。
修道士はピョートルを一瞥した。ピョートルは面白くなさそうに顔を机に付けた。
「勝手にしろ」
かくして、奇妙な一団は退屈しのぎの話を始めたのだった。
ロビーに集まった集団は、ろうそくの火を消して、話の雰囲気を味わうことにした。彼らはマルガレーテが持参したカードを配り、話す順番を決めることにした。カードを配り終えると、修道士が思い出したようにいった。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたな」
一同は顔を見合わせ、確かにそうだと話している。そこに、ヤンとカールが水差しと人数分のグラスを持ってやってきた。
「では、話す際に自己紹介するのはいかがですかな?」
修道士は少し得意げに言った。カールがグラスを各テーブルに配っている。透明なグラスには、ヤンによって透明な水が注がれた。
マルガレーテが最も繊細な細工の施されたグラスを取ろうとすると、ピョートルはすかさずそのグラスを手に取った。
「めんどくせぇなぁ、さっさとやればいいだろ」
一瞬部屋が静寂を取り戻した。カラン、というグラスの音とともに、マルガレーテがため息をついて言った。
「わたしはマルガレーテ。イタリアから来ました」
暖炉の火が弱まったのを確認したカールが、木を焚べるために立ち上がった。マルガレーテはそれを眺めて微笑んだ。それに気づいたカールは薪を持ったままその場に止まり、少し恥じらうように顔を下げた。
「この人はカールっていうんですよ」
軽い会釈をすると、すぐにカールは薪を暖炉に放り込んだ。
暖炉の火が勢いよく薪を包み込む。パチパチという音が、賑わいに加わった。
「わたしはアブラヒム。この街で修道士をしております」
「僕はヤンと申します。ポーランドから来た学生です。学生寮が封鎖されてから暫く、お世話になっています」
ヤンは丁寧に頭を下げた。
「わたしはマクシミリアン、行商人です。マックスとでも呼んでください」
マクシミリアンは口角を少し上げて、穏やかに言った。向かいに座っていたピョートルが欠伸をした。
「ピョートル。まったく面倒なことになったもんだ」
マルガレーテはピョートルの自己紹介に合わせるように席を立って、水の入った樽の隣に進んだ。ピョートルはもう一度大きな欠伸をした。
マクシミリアンがマルガレーテのいた席に座った。マルガレーテはマクシミリアンに向けて微笑むと、満足げにその席に座った。その席からは、ちょうどピョートルと隣でもなく、向かいあわずに済んだ。ピョートルは舌打ちをした。
マルガレーテが移動を終えると、隣の机に向かい合った五人が自己紹介を始めた。誰から自己紹介をするともいわず、真っ先に立ち上がったのは貴族風の男だった。
「私はレオポルト。訳あってこの町の主を訪れたのだが、宿がどこも閉まっていてな。封鎖令の事もあとで聞いたから、仕方なくここに泊まったのだよ。然し、まぁ、死体と仲良く野宿するよりいくらかよかろう」
「話なげーな」
「君、誰に向かって口をきいているのかね。全く下品でならないね」
貴族風の男は襟を正しながら言った。ピョートルは机を思いっきり蹴った。木の呻くような声が静かな部屋にはより一層響いた。
しばらくの沈黙の後、ピョートルは首で続きを促した。
「私はマティアスです。今、隣に見えるジェームズくんとは古い付き合いでして、彼はブリテンから来たのですがね、この町を案内しようと思いましてね」
滑るように語っていたが、ピョートルの方を見て、言葉を止めた。ピョートルは眠そうにしているだけで、マティアスは明らさまに胸を撫で下ろした。
一方で、マティアスの紹介を受けて、ジェームズは手を上げて反応した。こちらは特に動じていないように見えた。そして、彼ははすぐに隣の男に自己紹介を催促した。
「ウィリアムです。薬を卸しに来ました」
すると、ピョートルは途端にウィリアムの方を見た。まるで救いの手を見つけたかのように、目を輝かせている。
「残念ながら品切れですがね」
部屋に、大きな舌打ちが響いた。
ウィリアムは申し訳なさそうにしながら、汗を拭っている。暖炉の火がぼんやりと彼の背中を温めていた。
「イワン。ピョートルと同じ北の出身だ。帰ろうとしたら、貸し馬がなくてね。よろしく頼みますよ」
「マルガレーテさん、マクシミリアンさん、ピョートルさん、アブラヒムさん、レオポルトさん、マティアスさん、ジェームズさん、ウィリアムさん、イワンさん。これで、全員ですかね。」
ヤンは丁寧に名前を挙げていった。カールが黙って頷くと、ヤンははにかんで、机の上のカードを見た。
「では、皆さん、カードを開けて順番を確認してください」
一斉にカードをめくる音がした。マルガレーテは楽しそうにカードを見せびらかした。
「見て、4番ですって」
ヤンが何か言おうとすると、ピョートルが悲痛な声を上げた。
「うわ、俺からかよ」
「あら、よかったじゃない?」
「話のネタなんかねーよ。あるとしたら、鬱陶しくて我儘な女が周りに迷惑かける話くらいか」
ピョートルの視線はマルガレーテに向けられていた。今度はマルガレーテが舌打ちをした。香草の匂いが薄くなる中、ヤンが言葉を挟んだ。
「いや、二人とも、落ち着いてください。ピョートルさん、初回は自由テーマです。なんでも良いので話をしてください。きっと楽しいですから、ね」
ピョートルの刺すような目線に怯えながらも、ヤンは必死に説得しようとした。ヤンの言葉が虚しく響いて暫く後、ピョートルが大きな溜息をついた。
「・・・なんでも良いんだな?じゃあ、これは友人から聞いた話なんだが・・・」
周囲がざわつきを取り戻すと、ピョートルは舌打ちをした。沈黙の始まりが、億劫な声を響かせた。