第一話:RE
実験は第二段階に移行した。
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真っ白い空間。
ガラスの破砕音じみた大音声が突如鳴り響いた。
次いで真っ白い世界をノイズが走っていき、通り過ぎた先から緑が、茶が、青が、赤が、とりどりの色が零れ出す。
柔らかに吹き始めた風に遊ばれ、足元の下草が揺れる。
壁のように立ち上がる広葉樹たち。
雲一つない、突き抜けるような青空を小鳥が飛んで行く。
そして、
「――ん」
眼前に人影が立ち上がった。
いたずらな風がやや長めの白髪をかき乱す。
眇めた双眸は血のような赤。
華奢な体を包むのは簡素な麻の上下だ。
頭の上に「Crow」という文字が表示されているのを確認。「彼」は、プログラミングされたシステム通りに第一声を発した。
「ようこそレストモワーレへ!」
「彼」――NPCの姿は、眼前の人影とは対照的な黒だ。ゆるくカールしたブルネットは胸元まで垂れ、白衣ならぬ黒衣を着込む長身。性別は設定されていない。名もない。
『Treasure Online』。それが、パッケージングされたこの世界の名前で、レストモワーレはこの大陸の名前だ。さらに区切るとここは「始まりの間」という何の飾り気もない名前でマップに表示されている。
NPCの役割は、これから『Treasure Online』を訪れる人間にチュートリアルを行うことのみ。
「レストモワーレでの生活を送ることを許可しよう!」
男性にしては高く、女性にしては低く聞こえる声。
「もし君が、これから宝の奪い合いに参加するつもりならば――味方じゃないプレイヤーは、どんなに良い人そうだと判断しても敵になる可能性がある」
『Treasure Online』のプレイヤーは、全員がトレジャーハンターである。
しかしそれは職業ではなく、あくまでも各地に眠る「宝」を探す人間のことを指していうものであり、たとえば職業魔法使いのトレジャーハンター、騎士のトレジャーハンターなど、二五の基本職とその派生・進化職の数だけトレジャーハンターが存在することになる。
最終クリア条件は、全部で三二種類ある『伝説級宝』をすべて手元に集めることだ。
ただでさえ希少な『伝説級宝』は各種類一つしか存在しない。
しかし、個人所有だけではなく、所属するパーティ、ギルドで全種類揃えてもそれはグランドクエストを達成したことになる。
すなわち、徒党を組むこと、そして所有者を倒して奪うことが、この『Treasure Online』では推奨されているのである。
「……ぁ……あッ、の、す、すいません……」
細い声だ。仮想空間での発声も問題なしであることをNPCは確認した。
NPCに、プレイヤーからの応答を受け取るだけの能力は設定されていない。
彼は白い少年の言を無視――したわけではないが、必然的にそう見えてしまう――し、言葉を紡ぐ。
「君も、トレジャーハンターになるんでしょう? この道は厳しく辛いよ。もしかしたら、命を落とすかもしれない。でも、やめる気は無いんでしょ?」
少年の眼前に「はい/いいえ」と書かれた表示枠が浮き上がった。
NPCは、少年が選択肢を選ぶのを待つばかりとなる。
「も、もちろん、やめる気はありません。トレジャーハンターに――なります」
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始まりの間は三方を林立した木々に囲まれ侵入できないようになっているが、一方には道が伸び、そこを通っていけば一番目の街にたどり着けるようになっていた。
ぴょこん、という擬音がふさわしい。女児、といったくらいの矮躯が林道を駆けていく。頭上には「Sara」の文字。
広葉樹が適度な間隔を持って林立し、枝葉の隙間から木漏れ日が差し込んでいる。下草は踏み固められていて、獣道のような細い道が続いていく。
サーラは拡張現実のように視界に重なって表示されるマップに『ビギナーズ・フォレスト』と書いてあるのを見た。
……要するにチュートリアル用の超初級エリアってことだよね。
始まりの間の出口から出て次のフロア、北に位置するこの『ビギナーズ・フォレスト』は、たいして危険なモンスターもおらず、新米のトレジャーハンターが必ず通る道、らしい。フロア移動の際、視界の端に新マップの簡単な情報の書いてある表示枠が浮かんだのだ。
と。
見えた。
そうと悟らせないように配慮されて設置されている木々が造る一本道が折れ曲がった先、視界に「Crow」の文字を捉える。サーラはそのまま、跳ねるように走る速度を上げた。
「お兄ちゃん!」
背後からかけられた声に、クロウは歩みを止める。
初期装備の麻布の上下の上から黒いローブを着込み、ねじくれた木の棒をつかんでいたクロウに、ほとんど飛び掛からんばかりの勢いで突っ込んでいく。
「なんで待っててくれなかったのさー!」
飛び蹴りはクリーンヒットだった。
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「始まりの間」は、新たに『Treasure Online』を訪れたプレイヤーのためだけに存在する。一度チュートリアルを受け、初期職業を選択したのちはなにか特別なアイテムが拾えるわけでもなければモンスターも出ないしイベントが存在するわけでもない。
ゆえに黒のチュートリアルNPCは、同じプレイヤーが二度ここに来るところを初めて見た。
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サーラは自分の記憶をひっくり返し、セーブポイントがなかったことを思い出していた。
すなわち死んだプレイヤーは、始まりの間で復活する。
ゆえにせっかく来た道を引き返していると、目の前から兄と、長身の男が歩いてくるところに遭遇した。
「お兄ちゃん……と、誰?」
「やあ、サラ……じゃなかった、サーラちゃんか。俺だ。セイヤだ」
頭上に「Seya」の文字が浮かぶ長身の男。百八十は優に超える上背を麻の上下に包み、腰に直剣を佩いている。左手には円形の盾。
「さ……サーラ! サーラ? サーラ! お前、いきなりドロップキックはねーだろ! 殺す気か!」
クロウが杖を振り回して言った。
……いや、殺したんだけどな。
サーラは自分に都合の悪いことは口にしない主義である。
そんなことより、と話題転換。
「セイヤさんも来れたんだね! 発売日当日は怪しいかもって言ってたのに」
「あー、うん、なんか運よく時間が取れてな。といっても今日はすぐにログアウトするが」
「おーい一人死人が出てるんですけどなんで和やかに会話できんの」
兄がうるさい。
足を向けるとさっと走って逃げたので、この威嚇は使えると認識する。
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サーラは初期職に「盗賊」を選んだようだった。
『Treasure Online』では、素早さと器用さが伸びやすい職業。
「自分は『兵士』だ」
セイヤはそう言って、サーラから避けて自分の後ろに回り込んだクロウに目線をやった。
「俺か? 俺は『死霊使い』」
「そんなジョブあった?」
サーラが小首をかしげつつ、問う。
……小首傾げプラス唇に人差し指のコンボ……! なんとあざとい、あざと可愛い……!
内心そんなことを考えていることはおくびにも出さず、セイヤは言う。
「自分は見ていない。なにせ、兵士は初期職業一覧の一番目に載っているからな」
「始まりの間」で行われるチュートリアルを突破すると、初期職業を選ぶことができる。セイヤは操作説明などの細かいチュートリアルを終えるとすぐに兵士を選んだ。選ぶ職業は初めから決めているのだ。
「私も、盗賊は五番目か六番目だったかな?」
「もしかすると一番後ろに載ってたから見落とした、とか? 俺、ああいうの全部読んじゃうんだよな」
「お兄ちゃんは優柔不断だからねー」
うるせえとクロウが言ってサーラに威嚇されてセイヤの後ろに逃げ隠れた。何をしたいのだコイツ……!
「まったくどんな職業なのか想像がつかんな」
「まあこういうのは実戦で慣れるもんじゃねーの」
まったくもってその通りだ、とセイヤは思い、言った。
「よし、それじゃあ早速戦闘だ」
クロウの腰あたりを軽く蹴り、転がす。
「えっ、ちょっと、待っ」
「お兄ちゃんがんばれ!」
振り返るクロウの後ろで、ちょうどゴブリンが棍棒を振り上げていた。
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というわけで前身「死体がないなら作ればいいじゃない♪」を経た「友達はいないけどゾンビなら大勢いる」のリメイク版です。
リメイクのリメイクってなんぞや。