そして、十年後
第一章の序幕とも言うべき部分です。
幼馴染との別れの日の翌日から、リュウ・パンパンと爆空の厳しい修行が始まった。
最初は小さなバケツで川から水を汲み、家にまで運ぶ修行だった。
爆空はバケツの重さのせいで何度も地面にバケツを落としてしまう。
しかし、爆空はその度に川まで戻ってまた同じ事を繰り返す。
パンパンにそうするように言われたからではない。
自分の中途半端な行いを、自分で許すことが出来なかったからだ。
幼い爆空の手の皮が過酷な修行に耐え切れず裂けてしまっても漠空はひたすら水汲みの修行を続けた。
熱い夏の日も、寒い冬の日も、爆空は弱音一つ吐かないで水汲みを続けた。
小さなバケツはやがて大きなバケツに変わり、さらに大きな水瓶になっていた。
最初は一つきりだった水瓶も時間が経過するにつれて道具を使い、一度に四つ運ぶことができるようになった。
パンパンは当然のように爆空の姿を見守った。
彼にとって爆空が厳しい修行に耐えることは特筆すべきことではなかったのだ。
小さな体に秘められた内なる強さ。
これらはパンパンと爆空が出会った日から全て知っていたことだった。
次に林の中に落ちている木の葉を全て拾う修行が始まった。
最初は何日もかけて落ち葉がなくなるまでやらされた。
やがて爆空が修行のコツを理解するようになった時、森の木の葉を全て拾って集めてくるように言われた。
爆空は文句を言わずに』師匠の言いつけを守った。
最初は全身泥だらけになっていたが、一年も同じ修行を続けていればほとんど汚れることもなくなっていた。
そして、修行三年目になる頃には落葉が地面に接触する前に手で掴むことが出来るようになっていた。
森の中で長い時間を過ごすことにより自然環境の微妙な変化を感じ取れるようになる為の修行であることを聞かされたのは、始まってからかなりの時間が経過してからの事である。
水に浮かべた丸太の上を渡る修行。山に昇り、崖を走り抜ける修行。
そして、大きな岩に拳を打ち込む修行。
これらの厳しい修行によって爆空は強靭な肉体とそれに勝るとも劣らぬ精神を手に入れた。
爆空は川に落ちて、水で体を濡らすことはない。
素足のまま山に入っても枝を踏んで足の裏が傷つくようなことにもならなくなった。
山の頂から平地を歩くように崖を走りぬけ、そのまま戻ることができるようになっていたのだ。
「ハイッ!!」
小枝のような細い腕はいつの間にか巨木を思わせるような逞しさを備え、一撃で岩を砕けるようになっていた。
パンパンは無言のまま、爆空の成長を見守った。
「爆空よ。この程度の岩ごとき砕けて当然だ。本当に実力を見せつけたいなら、岩を傷つけずに動かして見せろ。ただし、掌を使って押すのではない。あくまで拳で軽く触れてから、岩を動かすのだ」
「はい。お師匠様っ!」
爆空はその日から数年費やして、この課題も達成する。
来る日も来る日も、爆空は拳の皮一枚を岩に当てた。
最初は何も感じることが出来なかったが、今は違う。
爆空は拳を通して岩の中の状態を知ることが出来るようになっていた。
砂粒。石くれ。土。そして鉱物のようなもの。
それらが幾星霜の時を経て集積分散を繰り返して巨岩という形を成したことを、
爆空はこうやって拳を当てることで知覚することができるようになっていた。
「お前から見て少し右上の方に微かな意思を感じる。そこを拳を当てて、圧してやれ」
爆空は静かに目を閉じた。
そしてパンパンから教えてもらった場所に意識を向ける。
再び、爆空は目を開けてその場所に拳を当てた。
あえて爆空が命じる必要はなかった。
不動の巨岩にも動こうとする意志があったのだ。
変革の意志に干渉は不要。
子供を諭すように優しく、そっと手を触れてやるだけでいいのだ。
後は自分で動く。
それが自らの選択であると言わんばかりに、爆空の目の前の大きな岩は拳を当てられた後に自力で転がり出したのだ。
「これが気というものですか。お師匠様」
「たわけ。これはそんな大層なものではない。これは門、万物に宿っている神気を導く技にすぎぬ。爆空、早く岩を止めた方がいいぞ。あのままでは村まで容易に到達してしまうからな」
爆空は急いで、ごろごろと地面を転がる岩まで向かった。
そして、両手で押し上げて岩の動きを止めた。
爆空は片手で額の汗を拭う。
修行により心身共に鍛えられた爆空にとって自分より大きな岩を止める事など大した仕事ではない。
以前の頼りなかった彼の背中は、日々の鍛錬によって鋼鉄の鎧に匹敵するほどの頑丈さを獲得していたのである。
「爆空よ、いつまで遊んでいる。次は水汲みだ。早くしろ」
「はいっ!お師匠様っ!」
爆空は岩を元あった場所にまで移動させると、パンパンの魂が宿るバターロールが乗せられた皿を持って村に帰った。
このバターロールもパンパンから教えられた技術によって、爆空が作り上げたものだ。
パン職人としても、拳士としても爆空は成長していた。
こうして日々の厳しい修行を糧に爆空は研鑽を、ついにファイティングカナブン・アーツの習得を許される時が来た。
セシルと別れてから実に七年後の出来事である。
この日のパンパンはいつもと違う鬼気迫る様相だった。
そして、重々しい口調で爆空に最後の選択を強いる。
パンパンは己の血塗られた前世を語り、それでも尚自分の後継者になる道を選択するかどうか聞かなければならなかった。
「爆空よ。これは以前にも話したが私は前世において理由も無く多くの人々を傷つけ、殺した罪人だ。お前はこれからその罪深き咎人から死の技を教わることになる」
「はい!」
師と弟子の間に余計な問答は不要だった。
爆空自身、これまでの修行で理解したつもりだった。
恩師リュウ・パンパンは正義の人には違いない。
しかし正義とは時として誰かの命を奪ってしまうかもしれない危険なもの。
爆空は師の葛藤を自分なりに理解した上で、ファイティングカナブン・アーツの伝承者となることを選んだのだ。
「爆空よ、お前はこれから理由も無く私の業を引き継ぐことになるのだ。その覚悟はあるか?」
「はいッッ!!!」
「しかと聞き届けたぞ、爆空・バーンズ。今日よりお前はファイティングカナブン・アーツの伝承者候補として遇することになる。これからは常に死を覚悟して、修行に励むがいい」
この日から爆空の修行はさらに厳しいものとなった。
多くの血を流し、死にかけたこともあった。
だが、爆空は踏み止まる事も恐れをなして逃げ出す事も決してしなかった。
恩師の信頼が、両親の愛が、セシルとの約束が彼を支え続けていたからである。
額から流した血を拭い、足の骨が折れた痛みに耐えながら爆空はさらなる修行の日々を送る。
全ては一人の立派な男になるために。
そうしてさらに三年の月日が経過した。
爆空とパンパンは、村から遠く離れた山奥で今日も拳法の修行を続ける。
ある日には 道具を使わずに木の上に駆け上がる修行が行われた。
そしてまたある日には長時間、滝に打たれながらひたすら拳を打ち込む修行が行われた。
三年の間にさらに鍛えられた爆空の心と体は並大抵の出来事では動じない。
風のように木の天辺まで駆け上がり片足立ちのまま姿勢を保つ事も、滝の上から大きな倒木が落ちてきても上段突きで破壊することも今の爆空にとっては容易な出来事だった。
爆空は砕いた木片を縄で縛って背中に担いだ。
この湿った木切れも天日で干せば、薪くらいにはなるかもしれない。
爆空は自分よりも大きな一まとめにした木切れを担いで村に帰った。
村の入り口では爆空の父親、倫空が彼の帰りを待っていた。
爆空の無事な姿を見つけた倫空は笑顔で息子の帰りを迎えた。
「おかえり。爆空」
「ただいま。父ちゃん」
以前は倫空が爆空を見下ろす格好だったが、今では立場が逆転して爆空の方がずっと大きくなっていた。
爆空は村の入り口近くにある空き地に、山から持って来た木切れをどっと降ろす。
大木一本分の重さのせいで地面が少し揺れた。倫空は驚きながら息子に木のことを尋ねた。
「すげえな、爆空。それを担いで山から帰ってきたのか」
「これ、外で乾かしてから鉈で切ったら薪にならないかなって」
「ここまで湿ってたら難しいかもな。まあ、何とかなるだろ」
倫空は大きくなった爆空の背中を叩きながら笑った。
昔は小さい爆空をこうやって叩くと爆空が嫌がってメリンダに怒られたものだが、今の大きくなった爆空はビクともしない。
どんな理由で息子がここまで鍛えたのか、未だに聞いたことはないが息子の成長とは父親にとって嬉しいことには違いない。
爆空と倫空は仲良く二人で家に帰って行った。
ここからがようやく本編です!よろしくお願いしまず!