龍への道。爆空、パンケーキを知る。
書いている時に思いっきり詰まりました!三行くらいで済みそうなエピソードなのに!
爆空とセシルが父親に連れられてパントーネ村に戻ると、村の入り口には大勢の村人たちが待っていた。
その頃はすっかり空は真っ暗で村人たちは行方がわからなくなった二人を心配して集まったのだろうか。
倫空と一緒に帰ってきた二人の姿を見つけてようやく安心できたという雰囲気だった。
「お前たち二人は、森は危険だから子供だけでは入ってはいけないとあれほど言ったのに。ワシらがどれほど心配したことか」
村一番の年寄りである村長だけは、二人の姿を見つけるなり真っ先に説教を始めた。
普段は物静かな老人が顔を赤くして怒っている。
村長は村の人々を常に自分の家族のように思っている温かい心の持ち主であることを爆空たちは知っていたので、爆空とセシルは頭を下げて村長に謝る。
「ごめんなさい。村長さん。でも悪いのはセシルちゃんじゃなくて僕なんです。僕が普段からしっかりしていれば今日みたい帰りが遅くなることもなくって」
「ごめんなさい。村長さん。悪いのは爆空君じゃなくて私なんです。私が爆空君に森へ行こうって言ったりしなければみんなを心配させるようなことにならなかったし」
爆空とセシルは今日の失敗の責任は自分にあると言い出した。
これほどまでに互いを思いやる気持ちがあれば、もう二度と同じような過ちはすまいと考えた村長は二人を許すことにした。
と、そう考えた矢先にセシルが倒れてしまった。
セシルの母親が慌てた様子で彼女の元に駆け寄った。
気を失ってしまったセシルは汗を流して、苦しそうに呼吸している。
セシルの母親が彼女の額に手を当てて体温を確かめた。立っていることが困難になるほどの高熱だった。
セシルの母親の様子を見て、事態の重大さを察した村長はすぐにセシルを家で休ませるように言い渡す。
セシルは父親に抱きかかえられながら自分の家に帰っていった。
村長はパントーネ村で診療所を開いているので、すぐ家に帰ってセシルの熱に効きそうな薬草を探しに戻った。帰り際に爆空に何も心配はいらない、と言い残して。
そして、爆空は両親に手を引かれながらいつまでもセシルの家の方角を見ながら帰宅した。
次の日、爆空のことを心配したセシルの父親がセシルの容態が落ち着いたことを教えに家まで来てくれた。
娘のことが心配なはずなのにわざわざ爆空の家にまで教えに来てくれたセシルの父親に爆空の両親は礼を言った。
同じくらいの年齢の子供を持つ親同士、何かしら思いが通じることがあったのだろう。
セシルの父親は爆空と彼の両親に娘のことを気にかけてくれた礼を言ってから自分の家に帰って行った。
その日は爆空も昨日の疲れが残っていたので、セシルの見舞いには行かずに家で休むことになった。
爆空は母親に頼んで、パンパンの魂が入るためのパンを一切れ用意してもらった。
爆空は粗末な黒パンを皿の上に乗せる。
「お師匠様、パンを用意しました。どうぞ、この中に入って下さい」
「ありがとう。爆空」
用意してもらったパンの中はとても臭かった。
おそらくはパンパンの暮らしていた元の世界に比べて小麦粉を加工する技術が劣っていたことが原因だろう。
さらにパン生地はカチカチに乾燥しているので口当たりも相当悪い。
しかし、爆空が心を込めてパンパンの為に用意してくれたのだから文句を言うわけにもいくまい。
パンパンはこの粗末な黒パンを仮の住まいにすることにした。
黒パンには黒パンの長所が存在する。
日持ちが良い、カビが生えにくい。
乳酸由来の酵母やライ麦独特の風味も慣れてしまえば味わい深いものとなる。
そう考えると切り分けた黒パンに生バターやミルクジャムを塗って食べるのも良いだろう。
案外、これからは黒パンとして生きるのも悪くないかもしれない。
「ところで爆空、あまり元気がないようだが。もしかしてセシルさんの調子は悪いままなのか?」
パンパンは爆空の耳を介して、ある程度は外の様子を知ることが出来た。
事件の後、村に戻ってからの彼女は家の中で寝たきりだと聞いている。
パンになってしまったのでパンパン自身が何かしてやれるわけではないが、弟子の悩みを聞いてやるくらいは出来るだろう。
生前、パンパンが何かに行き詰った時には師匠が自分にそうしてくれたように接してやるのが師匠たる者の勤めだ、と考えた末だった。
「お師匠様。実は明日、セシルちゃんの家にお見舞いに行く事になっているのですが、どうすれば彼女を元気にしてあげられると思いますか?」
女人の気持ちを理解する。
リュウ・パンパンにとってそれは史上最大の難問だった。
リュウ・パンパンは五十二年の生涯において一度も女性と付き合ったことがない。
言葉を交わした経験もほとんどなかった。
しかし、ここで自身の過去を暴露して師匠の権威を失うわけにはいかない。
パンパンはとりあえず人生の先輩を気取って、爆空の相談に乗ってやることにした。
「彼女の喜びそうな贈り物を持って、お見舞いに行くのが良いだろう」
「流石はお師匠様です。それならセシルちゃんもきっと喜んでくれますよ。ありがとうございます!」
「喜ぶのはまだ早いぞ、爆空よ。お前はセシルさんの好みを知っているのか?」
爆空は師匠の言葉を聞いて、セシルと過ごした日々に思いを馳せる。
村の近くにある野原でお花摘みをしたこと、森で木苺を探したこと、爆空がお母さん役でセシルがお父さん役のおままごとをしたこと。
どれも素敵な思い出だった。
活発なセシルは家の中でじっとしていることよりも外で遊ぶ事を喜んだ。
セシルはお花摘みも木苺探しも、おままごとも遊びそのものよりも外で体を動かすことに喜びを感じていたのかもしれない。
彼女を喜ばせるためには木苺のジャムや野の花よりも別の贈り物をした方がいいのだろう。
爆空はさらにセシルと過ごした日々について思い出すことにした。
その時、爆空はある食べ物について思い出した。セシルはパントーネ村に来る前によく食べていた大好物があったと話していたのだ。その食べ物の名前は何といったか。
「何か思い当たる事があるのか。爆空よ」
「お師匠様。実はセシルちゃんがパントーネ村に来る前によく食べていたという食べ物がありまして、あれは何ていう名前だったかな」
実はこの時にセシルから聞いた食べ物を爆空は全く知らなかった。
爆空の生まれたパントーネ村はお世辞にも裕福な村とは言えず、食べるものも麦のミルク粥や焼き野菜ばかりだった。
( 水資源が豊富ではなかったのでポトフやシチューは収穫祭のような特別な日にでもならなければ食べられなかったのである )
他に食べるものといえば村の近くに住んでいる猟師さんが持ってくる獣の肉の塩漬け、大きな町からやって来る神父様が配ってくれる黒パンだったのである。
爆空がどれほど考えても、セシルが嬉々として語ってくれたあの食べ物の名前は何だったか爆空は思い出すことができなかった。
爆空は何かを思い出そうと考え込んだままになってしまった。そこで、パンパンは助け舟を出してやる事にした。
「爆空よ。その食べ物にはどんな特徴があったのか。まずはそれを思い出してみるといい」
爆空はセシルの言葉を必死になって思い出そうとした。
甘くて、ふわふわで、温かい。バターの香りがする夢のような味。
それは爆空にとっては見たことも聞いたこともない食べ物だった。爆空は思いついたことをパンパンに聞いてもらうことにした。
爆空にはこの博識な師匠様ならきっと何か知っているかもしれない、という期待があった。
「お師匠様。それは甘くて。ふわふわで。温かい。バターの香りがする夢のような食べ物だったとセシルちゃんは言っていました!」
パンパンは爆空の言うセシルの大好物について思い当たる節があった。
しかし、ここに来て本日二度目の史上最大の難問に直面する。
まさか爆空に子供が大好きな食べ物が、自分の大好物でもあると告白することは出来ない。
ここは一つ、師匠の面目を保つ為にも威厳を持って接しなければ。
パンパンはいつも通りの厳しい態度で爆空の質問に答えることにした。
「それはおそらくパンケーキという食べ物だろう。以前に私の暮らしていた場所でも子供たちが大好きな食べ物だったからな。無論、大人の私にとっては些か縁遠いものだが。あの温かく、そして甘くて、ふわふわで、バターの香りが食欲を誘うパンケーキは少女のセシルさんにとってはとてつもなく魅力的な食べ物なのだろうよ」
パンパンの思い描くイメージは爆空に伝わった。
表面がこんがりと焼けた円盤型のパンケーキの姿。
それがナイフで均等に切り分けられ、断面からは湯気が上がっている。
そして、パンケーキの一片がフォークによって口内に運ばれた時のふっくらとした歯ざわりが、パンケーキ生地に含まれた素朴な甘さとはちみつの濃厚な甘さが混然一体となって爆空の脳内で再生される。
それは爆空が今まで体験したことのない素晴らしい美味の世界だった。
食欲を刺激された爆空は知らないうちに口内の唾を飲み込む。
食べたい。是非、このおいしそうな食べ物で腹の中を満たしたい。
だが、すぐに爆空は反省した。
パンケーキという至上の美味を自分も自分の両親も知らない。
きっとセシルの家族を除いた村の住人たちもパンケーキの存在自体を知らないかもしれないのだ。いくらセシルがパンケーキを欲しても、パントーネ村にはパンケーキを知るものがいないのだ。
「お師匠様、ごめんなさい。僕はパンケーキがどんなものかも知らないのに勝手に舞い上がってしまって。本当にごめんなさい」
「爆空よ。この村にはパンケーキはないのか?」
「多分、僕のお母さんとお父さんも食べたことはないと思います」
幼馴染の女の子の為に自分は何もすることが出来ない。
そういった無力感に苛まれ、爆空は俯いてしまう。
パンパンは弟を守る為に拳法を学ぶ事を決意した時のことを思い出した。
彼は暴力が嫌いだった。
暴力がパンパンとプンプンの父親の命を奪った。
結果、幼いパンパンは力そのものを憎むようになっていた。だが、暴力に対抗するにはやはり暴力が必要だった。
パンパンは内面に矛盾を感じながら、拳法の達人パオパオに弟子入りすることを考えた。
しかし、その時にパンパンはパオパオに入門を断わられた。
今にして思う。
一生涯の恩人パオパオはあの時の自分の葛藤を見抜いていたのではないだろうか、と。
後日、パンパンは拳法を自分が学ぶことをプンプンに相談した。
プンプンは自分も一緒に拳法を学ぶと言ってきた。どうやらパンパンがプンプンを守る為に拳法を学ぼうとしていることを知っていたらしいのだ。
兄さんばかりに無理はさせられない。今度は自分が兄を守るのだ。
その力強い言葉をパンパンは今でも忘れない。
パンパンはプンプンの強い決意に胸を打たれ、兄弟で一緒に拳法を学ぶことを決意した。
後日、二人でパオパオの元に訪ねたときに、パオパオは兄弟で弟子入りすることを許してくれた。
おそらくパオパオ師匠は半端な決意で彼のもとに現れたパンパンの将来を心配してくれた為に最初の訪問では断わったのだろう。
爆空は優しい心の持ち主だが、その優しさから何をするにしても気を遣いすぎてしまう為に決意が鈍ってしまう傾向が強い。
ここは一つ、師匠らしいことをしてやらねば。
パンパンは助け舟を出してやる事にした。
「爆空よ。人間の手は何かを作り出すためにも存在するのだ。お前の手は飾りか?」
師匠に言われて爆空は自分の小さな手をしっかりと見つめる。
だが、何をしていいかわからなかった。
再び、黒パンに宿ったパンパンの方を見た。爆空は師の言葉を待っていたのだ。
「僕は運動も苦手だし、意気地無しです。こんな僕の手で何かをしようなんてそんな大それたことを考えたこともありません。お願いします、お師匠様っ!僕はこの先、何をするべきか教えてください!」
「作れ、パンケーキをッ!ミルクで小麦粉を解きほぐし、一晩ほど寝かせた後にフライパンで焼くのだッッ!!!お前の無限の可能性が秘められたあの手でッッ!」
爆空は絶句した。この師匠は何と恐ろしいことを言うのだろうか。
パンケーキを、至上の美味をこの自分の小さな手で再現しろと言うのか。
そんな大それたことが許されるわけがない。
「しかし、僕はパンケーキの作り方を知りませんッ!こんな無知で愚かな僕にパンケーキが作れるわけがないんだッ!」
「安心しろ、爆空よ。パンケーキの作り方ならこの私が知っているッ!私は大人なので滅多に食べる機会がなかったわけだが!近所に住んでいた子供たちがどうしてもというので作ったことがあるのだ!パンケーキをッッ!!!」
リュウ・パンパンはまたも嘘をついた。
本当は彼はパンケーキが大好物だった。彼は大の甘党だったのだ。
そして、彼の生前に住んでいた場所は絶海の孤島だったので勿論、近所に子供など住んでいるはずもない。
「教えてくださいっ!お師匠様、パンケーキの作り方を!」
次回、爆空少年編のラストです!