キャサリンとの出会い
書いている最中に誕生したキャラクター、キャサリンちゃんの登場です。
油断していたつもりはなかった。
先ほどの戦いで消耗した分はその後の連戦に耐え得るほどのものである。爆空は自分が包囲されていることを十分に承知しながらも敵の戦力分析に尽力した。拳法家たる者はまず己の戦力を熟知して、次に相対する敵の戦力を知るべし、とは彼の師の言葉である。
不覚にして集団の先頭に立つ金色の鎧を着た女性以外の姿は爆空の位置からは確認することが出来ないでいた。敵の戦術の巧妙さもさるものであったが、たとえ何者であろうとここまで接近を許してしまったことは爆空のつかの間の勝利によって生じた気の緩みが原因である。こちらからうかつに声をかければ思わぬ誤解を生むかもしれない。
爆空はこれらのことを踏まえながら集団のリーダー格の女性の動向を待った。
その時、爆空の青い瞳と女性の緑色の瞳の視線が重なった。爆空は堂々とした女性の態度に好感を抱き、そして女性は爆空の鍛え上げられた分厚い胸板としなやかな稜線を描く腹筋に目を奪われていた。彼女に随伴していた周囲の兵士たちも爆空の肉体に視線を釘付けにしている。次の瞬間、女性は白い肌を紅潮させながら爆空を大きな声で叱りつけた。
「そこの男ッ!こんな森の中で、どうして裸になっているんですかッ!いろいろ聞きたいことはありますが、まず服を着なさいッッ!!!」
なぜ彼女は怒っているのか、爆空はそれを理解出来ないでいた。現に爆空は裸ではない。上半身こそ何も見につけていないが腹にはさらしが巻いてあり、下半身には調理用の白ズボンを履いているのだ。
腰の辺りまで伸ばした三つ編みに結われた髪が男性らしからぬと腹を立てているのかもしれない。
しかし、この髪型は修行が終わるまで切るつもりはなかったので彼女の要求に応じるわけにもいかない。説得すれば理解してくれるのだろうか。爆空は自分より人生経験が豊富なパンパンに今後どうすればよいか聞いてみる事にした。
「師匠、彼女は何故怒っているのでしょうか?」
なぜそんな難解な事を私に聞くのだ、爆空よ。パンパンは自分の持つ知識を総動員して、弟子の質問に答えようとした。姑息となじられても文句は言えない。だが、ここは人生の先輩として決して譲れない場面だったのだ。
「ここは彼女のお気に入りの場所で、お前が無断で用を足しているのではないかと勘違いしているのではないか」
これが拳法一筋に生きてきた享年52歳の独身男性の異性に対する想像力の限界だった。だが、この時リュウ・パンパンは別のことをも考えていた。
目の前の女性の上等な装備一式と彼女の部下と思われる兵士たちのやはり整った装備についてである。先頭の女性を中心に左右広がるようにして三層に分かれた陣を敷いている。一人を相手に取り囲むような素人くさい対応ではない、兵学に通じた軍人の仕業に違いあるまい。彼女たちが先ほど仕留めた巨人の仲間づれではないにしても警戒に値する状況だろう。
「どのような理由があるかはわからぬが我々は彼女たちに誤解されいるかもしれないぞ。たとえばお前に良く似た裸の男が近隣の村で悪さをしているとかな。その人物が山の中に逃げたところを追いかけている途中でお前に遭遇したというのはどうだ?」
爆空はもう一度、彼女の顔を見た。怒ってさえいなければさぞ気品に満ちた美しい顔立ちの女性だろう。彼女の顔を元通りにするためにはこちらの身の上が潔白である事を証明しなければならない。拳士は常日頃からは目に見えない帯を腰に巻いた紳士でなければならない。紳士の礼節を伴わぬ義憤など暴力と同じものだ。
爆空は師匠の言葉を心の奥深くに刻み込む。そして、決意も新たに爆空は出来る限り穏やかな態度で彼女に接する事にした。手は拳の形を作らずに相手を篤く遇するような心持ちで、また手の中には武器を持っていないことを証明する為に手の平を見せる。表情はいつもの熱気を含んだものではなく、春の日差しのような穏やかなものに変えた。爆空は細心の注意を払ってみっともないつくり顔にならないように目を細めながら、口はごく自然に笑みを含んだものにした。
「ご安心ください、お嬢さん。私は怪しい者ではありません。まず第一に私は裸ではありません。ちゃんと下にズボンを履いています」
これでこちらの誠意は伝わったはずだ。しかし、どうしたことだろうか。彼女の表情は最初に見た時よりも厳しいものになっているような気がする。
「貴方は、なぜ上には何も身につけていないのですか?」
「これはいつ如何なる時も十全の状態で戦えるようにする為の修行です。やましい気持ちは微塵にもありません。私を信じてください」
女性は目を閉じて、腰に差してある剣の柄に手を添えた。自分が淑女と呼ばれるに値する者だと思ったことはない。周囲からはじゃじゃ馬と陰口を叩かれてもそれは仕方のないことだろう。生来の苛烈な気性も欠点には違いないだろう。だが、目の前の男の失礼な振る舞いは一体どういうことなのかとも思う。もしもこれ以上、接近してくるようなことがあれば斬ろう。
「信じるも何もまず服を着なさい。話はそれから聞きましょう」
これは困った。相手は目を閉じて前よりも頑な態度を取っている。爆空が服を着ていない事情も説明したはずだが、どういう理由かはわからないが気に入らなかったのかもしれない。これはもう拳法の演舞でも一通り見せて納得してもらうしかないだろう。だが、その時爆空は上から迫り来る悪しき気配を察知する。それは爆空たちに向けられた悪意。間違いない。先ほど倒した巨人と同じ気配を持つ何かがこちらを見ている。爆空は女性を後ろに突き飛ばし、その時に備えた。
「何をするのですか!」
「皆さん、ここから離れてください!」
爆空は女性を小脇に抱えてその場から大きく跳躍する。二人の頭上からオレンジ色の雨粒のようなものが降り注がれる。地面に落ちたそれは一瞬で爆発した。爆空に抱えられた女性は音と衝撃で思わず悲鳴を上げてしまった。それから女性は顔を真っ赤にして手足をバタバタさせて懸命に暴れだした。
「私の名前はキャサリン!さあ、名乗りなさい変態男!このような屈辱を受けたのは生まれて初めてです!天上の神々やご先祖さまが許しても私は絶対に許しません!私が直々に貴方を成敗してさしあげます!」
激昂して喚くキャサリンを抱えながら、爆空は敵の姿を探していた。攻撃の方向から察するに上にいることには違いないだろう。次いで爆空は周囲の状況を確認する。キャサリンが連れて来た兵士たちは攻撃を受けること無く散開してくれたようだ。謎の敵の攻撃が当たった場所は焼け焦げてはいるが、何かが燃えている様子は無い。不幸中の幸いというものだろう。荷物のように脇に抱えられたキャサリンという女性にも怪我はないようだ。
次の瞬間、爆空は眼前に鋭い槍の穂先を突きつけられたようなプレッシャーを感じ取る。今度はキャサリンを両腕で前に抱き直してから、大きく跳躍する。爆空は以前の倍の速度で放たれた光の飛礫を何とか回避することに成功した。
「お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫です。それより名前!」
「爆空・バーンズです。どうかご安心下さい。この近くにあるパントーネ村に住んでいる善良な農夫の息子です」
爆空は女性を持ちやすいように抱き直した。敵の攻撃の命中精度は回数が増すごとに上がっている。彼女をしっかりと持っていなければそのうち落としてしまうだろう。爆空は女性を抱きかかえたまま周囲への警戒を怠らず、敵の姿を探した。
「いい加減に私を地面に降ろしなさい。痴漢は犯罪ですよ!爆空・バーンズさん」
「キャサリンさん。何度も言いますが私にそのようなやましい気持ちは少しもありません。それよりも今我々は正体不明の敵に狙われています。敵の居場所に目星がつくまで少し黙っていてはくれませんか」
爆空は上を盗み見た。だが敵の姿を見つけることは出来なかった。正体不明の先ほどからこうまで派手な攻撃を仕掛けている。むしろ何らかの痕跡が見つからないことの方が不自然だった。敵の気配が消えていない今の状態でキャサリンを解放すれば、今度は彼女が敵に狙われる可能性がある。ずいぶんと高価な鎧を着ているが敵の攻撃を受けて無事でいられる保障はどこにもないのだ。また先ほどの回避行動で彼女の仲間が待機している場所までかなりの距離が出来てしまったのも事実。敵の追撃を逃れて、反撃の態勢を整えるにはわずかな時間が必要となることだろう。
一方、キャサリンは爆空の顔を見ていた。都会の男性のように洗練されてはいないが目鼻の整った美しい顔立ちをしている。もしもキャサリンが身分を明かせば態度が変わるのだろうか。特に理由はないが爆空という男性に負けたような気がするので今は止めておこうと考えた。爆空という男性は敵の動向を探るために周囲の様子を観察している。まるでキャサリンのことなど最初からどうでもよいと考えているのだろう。
あの吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ輝きを放つ大きな瞳を何とかして自分の方に向けることは出来ないだろうか。こんな非常時に一体自分何を考えているのだろうか、とキャサリンは頭を左右に振る。気を抜くとこちらに目を向けさせる為に彼の顔に触れてしまうかもしれない。というか両手で爆空の頬に触れていた。
「あの、私の顔に何か?うごっ!?」
ゴリッ。キャサリンは爆空の顔を両手で掴むと左に傾け、そのまま大きく右の方に捻った。こんなことをするつもりはなかった。キャサリンは自分の中にある下心を悟らせない為に故意に爆空の首を捻ったのである。
「とにかく降ろしなさい。次は首の骨を折りますよ?」
美人が怒ると怖いとはよく言ったものだ。爆空は反省しながらやや歪んでしまった首の骨を自力で元の位置に戻す。爆空の父親もおふざけが過ぎてよく母親に叱られている。もしかすると現場の説明が不十分であった為に誤解が生じ、結果爆空は彼女のプライドを傷つけてしまったのかもしれない。自分の力にある程度の自信を持つ者が、他者から戦力外と見なされるのは屈辱以外の何者でもないのだから。そういった弱き者の心苦しさは爆空も過去の経験から理解している。
「わかりました。ですが今この場所が危険であることには変わりません。敵の居場所がわかるまでおとなしくしていてください」
爆空はキャサリンを地面に降ろした。キャサリンは爆空から開放された直後に、彼の側から急いで離れた。結果として爆空のおかげで無傷のままでいられたが、部下に無様な姿を見られたくないからだった。
爆空は再び呼吸を整えて、周囲の気配を探る。敵はまだ爆空のことを諦めてはいない。ぬるい感触のそよ風が流れる。敵は移動しているのだろうか。木々を渡り、こちら側からの死角から死角へと必殺の一撃を狙っているのだろう。
キャサリンも周囲に気を配り、石弓を構えている。石弓がどこまであの異形の敵に有効かはわからないが、敵もキャサリンに対して警戒心を抱いている。即ち、こちらへの攻撃を躊躇っているのだ。
ザザッ。木々の枝や葉が何かと接触して音を立てる。上だ、上に何かいる。
「きゃああああっ!」
木の上にいるそれを見てキャサリンは悲鳴を上げた。爆空はすぐにキャサリンの前に立ち、木の上にいるであろう敵の姿を両目で捉えた。