理外の力
この世に理外の力というものが存在するとしよう。この力を得たものは大よその出来事を自分の意のままにすることが出来るという前提条件を提示する。たとえば創世の神というものがこの世に存在して神が定めた摂理を越えた力を一人の人間が手に入れたとする。その人間がある困難や障害に遭遇した時に果たしてこの力を使わずにいられるか。当事者の資質や当面の問題の度量などが関わってくる命題だろうが多くの人間の場合は理外の力に頼って解決してしまうだろう。
かつてリュウ・パンパンの師匠パオパオはファイティングカナブン・アーツの正統後継者となったパンパンに問うた。
この時のパンパンの実力は既に師匠を超えていた。流派に伝わる幻の黄金カナブンの試練を乗り越え、ピザ・マーン帝国最強の拳法家の一人として数えられていた頃の話である。生まれ変わった今よりも当時のパンパンは自身と力に満ちていた。
「パンパン。もしもお前がさる理不尽な出来事が原因で光と音を失い、自力で歩く事も出来なくなってしまったらどうするのだ?」
パンパンは顎に手を当て口元を隠すような動作をして考えた。
そしてある日突然闇の中に放り出された自分を想像する。何も見えないなら肌で感じ取ればいい。何も聞こえないなら鼻で匂いを嗅ぎ取れば用は足る。歩けないなら動かなければいいだけの話だ。おそらく師の聞きたいことはそういう類の話ではあるまい。ここは一つ、間違った答えを出すことにしよう。最近、風の噂で自分の名前が挙がることでいささか慢心しているのではないか、と師は心配しておられるのだ。まだまだ自分は未熟でありパオパオから多くのことを学ばねばならないはすなのだ。
パンパンは鼻先で笑うような態度で師に答えた。
「師よ。例え目鼻口、手足を失うようなことになっても我が心が変わるようなことは決してありません。日々の修行が師の尊い教えが私を正しい道に引き戻してくれるはずです。むしろファイティングカナブン・アーツを極めた私から何かを奪う方法が存在するわけがない」
パンパンの言葉を聞いて、パオパオは無言で弟子の顔を見上げる。パンパンはそれだけで心の中まで見透かされたような気分になった。
「パンパンよ。私はいつまでもお前の側にいてやれるわけではない。この世は広く果てしない。いくら肉体や精神を鍛えてもどうしようもないものは存在する。また過分に強くなってしまったことで克服出来なくなることも」
パオパオ自身はついにその境地まで達することはなかった。だがパンパンがこのまま強くなり続ければそうなってしまうのだろう。パオパオはこの時からパンパンの強さと彼の未来に不安を感じていたのだ。結論から言えば弟子より師匠であるがゆえに、パオパオは真意を伝えることが出来なかった。今にして思えばパンパンにとっての理外の力とは武力では無く人と人の間で働く絆の力だったのである。生前、心の支えであった師匠や友を失い生きる道に迷った挙句ついには自ら命を絶ってしまった苦い記憶は今もパンパンの中で生きている。過去に戻る事は出来ないが全てをやり直したいという気持ちがあるのもまた事実だ。これも理外の力に頼りすぎた結果なのだろう。
だがしかし、唯我独尊に生きろというわけではない。何かを頼みにしてそれだけの為に生きれば必ず偏りが生じて、そこから破綻する危険性がつきまとうのが世の常だ。ましてパンパンや爆空は強大な可能性を秘めたファイティングカナブン・アーツを使う拳法家なのだ。肉体の有する力と知性の有する技術、それらを支える精神の在り処。いずれも扱いを間違えることなど許されるわけがない。爆空ならばパンパンを超える逸材となる日もそう遠くはないだろう。闇洞夜風の持つ魔の力、爆空とパンに転生したパンパンの魂が合体することにより発揮されるハイ・パンダーの力。近い将来、これらの力が衝突する日が来る事も十分に考えられることなのだ。
今のパンパンにどれくらいの時間が残されているかは彼自身にもわからないことなのだ。だからパンパンはかつて師匠がそうしてくれたように可能な限りは爆空の側についてやることにしたのだった。
「お師匠様。どうされましたか?」
爆空の声で、パンパンは現実に引き戻された。巨人の進行によって作り出された崖下には半分以下の大きさになってしまった巨人の死体が転がっていた。巨人の体内に溜まった毒気は外部に放出されることはなかった。爆空の技が巨人の外側をなるべく破壊しないようにした為である。
今回は結果から言えば巨人の撃退に成功したわけだが、いろいろと問題点が残った。別段、爆空に落ち度があったわけではない。敵の無秩序さが特に目立っただけの話である。闇洞夜風に侵蝕された怪物の破壊や進行の動機を考えるには現状では判断の根拠となる情報、資料が少なすぎる。今後はこういった事態に素早く対応するために予め何らかの対応策を考えておく必要があることを認識させられたのだ。なにせ相手がただ歩いただけでこの始末なのだから。
パンパンは爆空と共に周囲の光景を一瞥した。森の木々は薙ぎ倒され、地面の一部は巨人の放った瘴気によって溶解している。山や森が元通りになるまで数十年の月日が必要とされるだろう。加えて爆空の故郷であるパントーネ村やその周辺の村は資源が豊かな村ではない。山や河といった自然環境に依存しなければ生活が成り立たなくなる可能性もあるのだ。
「せめてあの怪物がどういった理由で出現しているのかを知る手立てがあれば、と思ってな」
爆空は項垂れた。偉大なる師は既に先のことを考えていたのにも関わらず、自分は目の前の勝利に浮かれていたのだ。
なんという不覚ッッ!!!
「お師匠様。どうかお許しを。私は目の前の困難を乗り越えたことに心を囚われ、これからどうするべきか全く考えていませんでした。どのような叱責や罰でも受け入れる覚悟は出来ております」
爆空は深く頭を垂れて、師の裁定を待った。
リュウ・パンパンはとても困っていた。今さら別のことを考えていたとは非常に言い難い。どんな見苦しい言い訳をしても爆空はパンパンの言い分を美化して受け入れてしまうことだろう。
「それこそ慮外というものだ、爆空よ。お前の年齢ならば私でもまず目の前の勝利に歓喜したことだろう。先のことなど一晩寝てからゆっくり考えてしまえ。疲れた頭では何を考えても無駄だ」
パンパンの言葉を聞いて爆空の表情が明るいものになった。こういうところは幼い頃から変わらないものだな。後で絶対に後ろめたい気分になりそうな説教をしたパンパンもこの時ばかりは、爆空の純朴な性分をかいま見て頬を緩ませる。いつの間にか自分の孫を見ているような心境になっていた。
その時、一瞬にして爆空とパンパンの周囲に人の気配が生じた。金属と金属が打ち合う音。板金造りの鎧を着た兵士が接近しているのだろうか。これがパントーネ村の近くを巡回している警備隊の人間ならば爆空に一声かけてくるだろう。隊員たちの何人かは爆空と顔見知りなのだ。
「そこの男、こんな場所で何をしているのですか!」
数人の武装した兵士と共に顕れたのは、金色の鎧を着た女性だった。
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