隻腕の拳鬼、夕暮れに散る
今回は誰でも楽しめるようなほんわかハッピーなスローライフファンタジー作品を書くつもりです。
秋は夕暮れの頃。
ここではないどこか別の世界のどこかで男は人を待っていた。
男は記憶もおぼろげな場所まで歩き出す。
耳を澄ませば、滝壺に向かって激しく流れ落ちる水の音が男の記憶を過去へと誘う。
その時は過去の戦争で死別した父の葬式の後に、この世でたった二人の兄弟である弟とともにこの場所に来たのだ。
天を目指した一匹の鯉が滝を昇りきって竜に成ったという伝説が残るこの場所で二人はこの世で誰よりも強くなる。そう誓い合ったのだ。
あれから四十年の月日が流れ、二人とも口ひげを蓄える壮年の男性になった。
兄の方は由緒正しき伝統を受け継ぐ孤高の拳法家、そして弟の方は誰もが尊敬の眼差しで迎える国家の要人を守る軍人。
兄弟の運命は互いの立場の違いから敵対者として交差することになる。
兄はかれらの故郷を統治する最大の権力者、皇帝の士官命令を断わったのだ。
それこそどれほど彼が強かろうと一介の拳法家が皇帝の命令に背いたのだ。許されるはずはない。
しかし、この男には拳法家としての矜持があった。伝統ある武門の人間が権力に媚を売るような真似をしてはいけないと、そう考えた末の結論である。
そういう事情から彼は国中を追われることになった。皇帝は彼を捕える為に国中に追っ手を差し向け、彼を庇うものたちを厳しく罰した。
そして、時には捕縛された彼の旧友に減刑と家族の安全の保証を引き換えに刺客として向かわせたこともある。
おかげで彼は親友を殺し、数十年の友情と修行の苦楽を伴にした右腕をいっぺんに失う事になったのだ。
しかし、彼は誰も恨まない。全ては己の身勝手さが招いた結末だと自分自身に言い聞かせていたのだ。
「誰よりも強くなろうと誓いを立てた結末がこれか、我ながら五十二年の人生とは一体なんだったんだろうな」
彼ことピザ・マーン帝国最強の拳士リュウ・パンパンは誰に聞かせるわけでもなく独り言を呟く。
幼い頃に病気で母親を失い、戦争で父親を失い、自分の身勝手の巻き添えを食らって師匠と兄弟弟子たち、そして親友のチャン・ポッポも失うことになてしまったのだ。
どうやら冥土の死神はたいそう自分を好いているらしい。
彼は我知らずのうちにニヒルな笑みを浮かべていた。
その時、林を駆け抜けて一人の男がパンパンの前に立ちふさがる。
その男こそが生誕よりパンパンと切っても切れぬ因縁を持つ唯一の肉親、リュウ・プンプンである。
この時のプンプンは怒りに支配されていた。
国家反逆者となった実兄への失望と長年の盟友チャオ・ポッポの死が彼を憤怒の復讐鬼に変えていたのである。
ポッポはパンパンだけではなくプンプンとの交流を持っていたのだ。
プンプンは彼をもう一人の兄のように慕っていたのだ。実兄に裏切られ、兄と慕った男を失う。
この時のプンプンの内なる葛藤はどれほどのものだったか。余人には計り知れぬというものだった。
プンプンは夕日を浴びて全身を茜色に染める男をついに見つけた。
右の片方の腕は既に失われ、中身のない袖は穏やかな風に揺られている。プンプンはその姿を直視できないでいた。
二人の兄がどれほどの死力を尽くして戦ったのか。想像するまでもなかったのだ。
「パオパオ先生も、ポッポさんもみんなアンタ一人のせいで死んだ。リュウ・パンパン。アンタはもう俺の憧れた天下無双の拳士ではない。おとなしく捕縛され、獄を抱け。大罪人がっ!」
身寄りのない自分たち兄弟を育ててくれた恩師ミン・パオパオ。
彼はパンパンの逃亡に責任を感じ、自分から軍に出頭して監獄の中で息を引き取った。
プンプンは助命嘆願の為に何度も恩師への求めたが会ってはもらえなかった。
おそらくはプンプンがこの件に関われば投獄されてしまうかもしれないと考えた末の対応だろう。
プンプンは恩師が獄中で一人寂しく死を迎えた時に声を殺して泣いた。
それでも兄を心の奥底から憎むことは出来なかった。
「拳侠たるものが権力者の側にいるべきではない。そんな簡単なこともわからんのか」
パンパンはプンプンの言葉を断ち切り、彼に拳法の構えを向けた。
彼なりの兄弟の縁を切るという意思表示である。
プンプンは手に持っていた長い棒を投げ捨てた。
兄を相手におそらく武器など役に立たない。敵として向かい合って始めて実感する衝撃の事実。
隻腕の拳鬼というパンパンの異名は伊達や飾りではない。
あれほどまでにプンプンの体内を熱していた義憤や激情は一瞬のうちに冷水をかけたように冷やさてしまった。
プンプンは兄は片方の腕を失うことにより、さらに拳士としての格が上がってしまったことに気がつかされる。
こうなっては防具も不要だ。プンプンは身に着けていた鎧を脱ぎ捨てる。
プンプンは重心を中腰の姿勢にまで落とす。それから左手を前に突き出し、右手は膝のあたりに添えるように落ち着かせる。
それはピザ・マーン帝国に伝わる最強の拳法と名高いファイティング・カナブン・アーツの構えだった。
「その構えは、枯葉に隠れる秋のカナブン。ようやく覚悟を決めたか、ひよっこよ」
対してパンパンは左腕を前に突き出して、両脚を揃え直立不動の状態でこれに立ち向かう。空になった右袖が木枯らしに乗って激しく宙を舞う。
例えるならば、それは天から大地を睥睨する龍の尾。
「無傷のまま生きて帰るなどと考えてはいない」
兄には絶対に勝てない。それは彼の前に立ったプンプン自身が一番、実感していた。
だが、プンプンはそういった状況だからこそ己の魂を奮い立たせる。
力で及ばない相手に敢えて立ち向かう。そして、その相手に勝利して相手に自分という人間を認めさせる。
これは二人が幼いころに父親から言い聞かされたことである。
力に屈するくらいなら、ここに立つことはない。例え自分が殺されるようなことになっても兄に自分の間違いを認めさせる。その熱い想いがプンプンの闘志に火を点けた。
「今ここで俺は、お前の魔槍を折る」
リュウ・パンパンの掌底打ちは一度打たれれば必ず相手の心臓を止めていた為に、魔槍というあだ名を持っていた。
魔槍を折るというプンプンの大胆な発言は、兄の拳法家としての生命をここで断つということを意味していたのである。
「出来ないことを口にするな」
弟の悲愴な、否、勇壮な覚悟を受けてパンパンもかねてからの己の運命に決着をつける覚悟を決めたのだった。
師と親友の横顔を思い出しながら、パンパンは前に向かって進む。
これが最後の戦いになることを祈りながら。
兄との距離が縮まる毎にプンプンの精神は削られる。
一度、気を抜けば身動きすら出来ないほどの圧力を感じていた。
魔槍の威力に屈するな。
カナブンだ。今こそ一匹のカナブンになれ。
空と大地を自由に翔る、あの素晴らしい昆虫になるのだ。
魔槍の拳士何する者ぞ。極限のプレッシャーが五体に眠るカナブン・パワーを高める。
内なるオーラの昂揚に影響されて魂は炎に、筋骨は鋼に変化する。
プンプンは今、一匹のカナブンとなった。
対して、兄のパンパンもまた夏の夜に焚き火に飛び込むカナブンのような気勢を得ていた。
目の前の名ばかりの悪鬼に押しも押されぬ不屈の闘志を抱く実弟の姿が、彼の胸を熱くする。
我はカナブン。世界に一匹の孤高のカナブン。破岩天衝の槍を持つ血染めのカナブン。
生殺与奪を賭けた決闘に終止符を打つべく凶悪なオーラを纏うリュウ・パンパンの魔槍が今宵の生贄を求めて唸る。
その時、パンパンもまた、一匹のカナブンとなった。
この世に二匹のカナブンは要らぬ。
より優れた方が生き残れば良い。
数多の宿命を越えて、激突する二匹のカナブン。
互いに呼吸する暇さえ与えぬ神速の攻防が続く。
誰が相手であろうとも決して譲れぬ想いゆえ二人の兄弟は戦い続ける。
血を吐き、肉が裂け、骨が折れても戦い続ける。
やがてパンパンの放った後ろ蹴りがプンプンの水月を直接入った。
衝撃のあまり呼吸することが出来なくなるプンプン。
「次で最後だ。さっさと立ち上がれ。プンプン」
プンプンはよろめきながらも立ち上がる。
いまだかつてプンプンは兄に勝利したことは一度も無い。
どんな時も彼にとって兄は目標であり、最大の障害でもあった。
優秀な兄に引け目を感じることはあっても兄と手合わせする時は全力で立ち向かった。
だが、今にして思えばどんな時でも兄が見ていてくれる、兄はどんな無様を晒しても許してくれる。
そういった甘えが自分の中にあったことを今さらながらに自覚した。
プンプンは気力を振り絞って立ち上がる。誇らしい兄の為に。
プンプンは痛みを堪えて兄の前に立ちはだかる。愛する兄に己の過ちを認めさせる為に。
パンパンはプンプンが立ち上がるのをずっと待っていた。
何があろうとも弟は必ず立ち上がる。彼の不屈の闘志は魔槍の脅威に屈することはない、というある種の絶大な信頼の表れだったのだ。
いつも自分の後ろを追ってくるだけの弟が命の限りを尽くして愚かな兄を止めようとしている。
兄は弟の成長を心から喜んだ。
嗚呼、最早この世に一片の悔いは無し。
「何か言い残すことはあるか」
パンパンは掌底の形を手刀に変化させた。
熱気を帯びた陽炎のように揺らめくオーラが指先の一点に向けて収束される。
見よ、これがどんな鎧も盾も用を成さずままに貫き徹すという隻腕の拳鬼が誇る最大奥義ファイナルヴァニシングカナブンスパークだ。
対してプンプンは両手を交差させた状態で全身のオーラを丹田に集中させる。
彼が狙うのはパンパンが攻撃を仕掛ける瞬間のみ。
パンパンの手刀を両腕で掴んで投げる秘伝の当身返し技、デッドリーカナブンアヴェンジャー。
この技が決まればパンパンは自分が放った技の威力をそのまま受けることになるのだ。
パンパンの技の威力は十分に理解している。
成功すれば兄は死んでしまうだろう。
だが、それでも己の命を犠牲にしてもやらねばならぬことがこの世にはあるのだ。
「たとえ無念の屍を野に晒すことになったとしても、この世に正義がある限り我が魂は不滅なり」
「見事だ」
パンパンは弓より解き放たれた矢のように飛翔する。
魔槍に込められたオーラは紅玉の如き色を発して、ただ己の渇きを癒すためだけに敵の心臓に向けられる。
もしもこの手刀に触れようものなら絶命することは必至だろう。
一方、プンプンは目を閉じてこれを迎え撃つ。
プンプンの実力を遥かに凌駕する達人パンパンは技を発動する起こりというものを一切感じさせないの
だ。
もし目を開けて対処しようものなら殺気と速度に翻弄されて何も出来ないまま殺されてしまうだろう。
故にプンプンは完全に視界を遮断することで敵の攻撃を察知するオーラを精錬させていたのだ。
かくして最強の魔槍と無敵の盾がぶつかり合う。
果たして決着は如何に。
そして、一陣の風がプンプンの体を通り過ぎて行く。
宿命の戦いの勝敗は一瞬で決した。
結局、プンプンはパンパンの魔槍に触れることも出来ないまま、起死回生の奥義は不発に終わっていまったのである。
プンプンは手刀によって傷つけられたであろう己の胸を覗き込む。
兄の必殺の魔槍を真正面から受けた傷を見せたなら、あの世の師匠や両親にも弁解ができるというものだ。
しかし、彼の胸には傷一つ無い。これはどうしたことか。
プンプンが後ろを振り向くと既に兄の姿は見えなくなっていた。
プンプンは兄の姿を追う。
これでは約束が違うではないか。
どうしても自分一人で何もかも背負うつもりなのか。声無き叫びを胸にプンプンは最愛の兄の姿を捜す。
その頃、パンパンは滝が見える崖っぷちまで歩いてきていた。
師の遺言を聞き届け、親友を殺害し、多くの同胞の命を奪った。
武門が権力の色に染まれば、やがて取り返しのつかない過ちとなる。と、そう自分に言い聞かせながら。
追われる立場になってからこの数年、パンパンは霧の中をひたすら彷徨っているような心境だった。
しかし、パンパンは弟の確かな成長を見たときに心に渦巻く霧が晴れ、ようやく自分自身を取り戻した気になったのである。
「もはやこの世に未練無し。さらば愛しき人々よ」
パンパンは左腕を振り上げて、自らの心臓を突き刺した。
彼の体を流れる赤い血が左胸と口から一気に吹き出る。魔槍と呼ばれた恐るべき技の最後の餌食は持ち主のパンパンだった。
「まだだ。まだ死ねない。もう少しだけ」
パンパンは滝に向かって歩き出す。
左胸を抑えてあと少しだけの間死なない為に、最後の力を振り絞って歩き出す。
恥辱に塗れた己の死体を隠すことはリュウ・パンパン最後の意地でもあったのだ。
そうしてパンパンは滝にまで辿り着く、足元に己の流した血を残しながら。パンパンは今まで殺してきた罪のない人間にひたすら謝りながら、滝の中に身を投げた。
意識を失う最中、パンパンは幻影を見る。
それは伝説の幻獣、麒麟の姿をしていた。
白い鬣の麒麟は死にゆくパンパンをじっと見つめる。
「自ら犯した罪を呪い、己の運命を憎まずに死にゆく人の子よ。これは我の他愛ないただの気まぐれ、たった一つだけでいい。お前は何を望むのだ」
麒麟との対話。これ以上ないほどに自分らしくもない最後の時に苦笑するパンパン。
「もし許されるならば、次に生まれ変わった時に私はパン屋さんになりたい。私の作ったパンを口にした人がみんな幸福な気持ちになれるようなパン職人になりたい」
それはパンパンのもう一つの夢だった。
立派なパン職人になり多くの人々のために役に立つ。
弟のプンプンでさえ知らぬ彼の密かな夢。
伝統ある武門の継承者になった時に封印した彼のささやかな望みだった。
だが、今は死にゆく身の上。口にするくらいは問題ないだろう。
「お前の行く先に幸あらんことを」
麒麟の姿は光の中に消えていった。
やがて、パンパンは意識を失い滝の底に身を沈めた。
後から国中の兵士たちがパンパンの死体を探すために滝壺の中を調べたが、彼の死体は見つからなかったという。
ここは神の国。ユニコーンに変身していた若い神様が上機嫌で先輩の神様に話しかける。
下界デビューの経験談を語りたくて仕方ないといった感じだった。
先輩の神様は後輩の若い神様の話しにつき合うことにした。
こういう話を聞いてやるのも先輩の仕事のうちだ。
彼はデスクを離れて、休憩室で後輩の話を聞いてやる事にした。
「先輩、先輩。今日俺実は下界デビューしてメチャ善行したんすよ」
後輩の神様は相手の了承も得ずにポケットから出したタバコに点火する。
相手に受動喫煙のリスクを背負わせる行為なので、せめて相手の許可を取ってから喫煙しようぜ( 作者の意見 )。
「何よ。善行って。他所の神様のところの聖職者でも殺したの?」
先輩の神様は目線で後輩の蛮行を非難しながら話に合わせてやることにした。
ここでタバコくらいで愚痴をこぼす器の小さい男だと思われたくないためにあえて注意しなかったのである。
「いや違うっすよ。何かブラック上司に追い詰められて自殺した人を転生させてやったんすよ。無償の愛で」
「無償の愛?飛ばしてんな、お前。一応、神パワーって寿命削るんだよ」
復活の奇跡や異世界転生などの奇跡を起こした際に使用される神パワーは使用した神の寿命を削る。
これは神の世界での常識だった。
「ジブン人助けの為に神やってますから。すはー」
「くはっ!いいねいいね。そういうの好きだよ、俺も。で、何に転生させてやったの?巨大ロボット?宇宙戦艦?」
「それアンタのなりたいもんでしょーが!いや一応リクエスト聞いたんですよ。それでマジびびったんすよね。最近のニンゲンぶっ飛んでるなーって」
「何よ、そいつのご希望の来世って」
「パンになりたいって。いやマジびびったっすよ。生き物じゃなくて食べ物。あれっすかね、人に食べられて快楽を得る極度のマゾヒズム?」
「ぶはははっ!マジこえー!ニンゲンすげー!」
これはいかなる運命の悪戯か。こうして悲運の拳法家リュウ・パンパンは滝壺に身投げしたばかりにパン職人になりたいという願望のはずが、パンになりたいという風に聞き違いされてしまった為に来世はパンになってしまったのである。
次回から絶対にほんわかハッピーなスローライフファンタジーになりますから!