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深夜0時の逢瀬の時間

作者: 綾戸いずな

 深夜0時の逢瀬の時間。

 僕はごくごく普通の高校生で、彼女は大企業のお嬢様。毎日毎日遊んでばかりの僕とは違って、彼女はいつも大変そうに、ピアノにバレエに勉強に。逢える時間はほとんどない。

 それでも僕ら愛しあっている。だから唯一、彼女の予定のない時間、つまり深夜0時に、僕らはこっそり家を抜け出して、十五の春には言葉を交わし、夏には手を取り合い、肌寒い秋には彼女の矮躯わいくを抱きしめた。

 僕らふたり一緒ならば、どんな冗長なくだらない話も笑い合うことができた。

 だけれども、どれだけ二人一緒が楽しくても、たった一時間あまりで別れの時はやってくる。辛くても、残懐ざんかいに思っても、タイムリミットはきてしまう。

 深夜一時に家に帰って、喟然きぜんとして、それから二人の時を思い出す。もっと一緒に、もっと長く二人っきりでいられたのなら、そんな考えばかり浮かんでしまう。

 しかし仕方ない。彼女は素晴らしい悟性ごせいかどをもっている。そんな娘を両親が手放しておくはずない。だから仕方がないと飲み込んだ。



 僕らの出会いは二年前の夏休み、僕が十三で彼女が十四。

 その日、僕は両親と喧嘩をした。仔細は語らないが、今にして思えばホントにくだらないことだった。

 とにもかくにも、激昂した僕は一銭ももたず家を出た。時刻は確か夜中の十時。

 向かった場所は秘密基地。二年先輩の人から譲り受けた場所で、ここを知っているのはその先輩と僕ひとり。当時先輩は遠く離れた高校で寮暮らしをしていて、僕のほかに秘密基地に訪れる者などいなかった。

 真っ暗な夜空に一面に散らばる星々。天の川は繽紛ひんぷんとしていてキレイだった。その横で、織姫と彦星がふたたび出会うことを待ち望んでいる、そんな気がした。月はない。きっと新月だったのだろう。心の落ちつく、しみじみとする夜だった。

 そんなんだから、自転車で十分かけて秘密基地についたころには、喧嘩のことなどどうでもよくなっていた。しかし、しばらく外で過ごすことにした。この広い宇宙の彼方を眺めていたい、そう思ったからだ。

 道路の傍に自転車を停め、僕は鬱蒼とした茂みを分け入り、古くなった橋の下に行った。

 あとちょっとで秘密基地、そんな時、近くから少女のさめざめとした涙声が漏れ聞こえた。秘密基地に入ると、四畳半ほどの広さのコンクリートに、ひとりポツンと身を抱え泣いている女の子がいた。

 僕は怖くなった。昨晩観た心霊番組で、泣いている少女が、実は幽霊だったというのをやっていたからだ。その時は笑って、ありえないなんて言って馬鹿にしたが、似た状況が自分の身に襲いかかると、途端脂汗が滲み出て、畏怖の念を覚えた。

 でも何を思ったのか、僕は女の子に近寄り声をかけた。どんな言葉かけたのかは憶えてない。恐怖で声が震えてたかもしれない。もしかしたらその震えは緊張だったかもしれない。

 女の子は顔をあげた。すごく大人っぽかった。化粧をしていたからだ。しかし泣きじゃくれたせいか、目元はクマのように黒く、ピンク色のキレイな口紅は色がとれていた。純白のドレスを着ていた。道中でつけたのか、生地のあちこちに茶色い汚れが目立った。ヒールは右足にしかなかった。左足はどこかに落としていったのかもしれない。その左の裸足は泥でまみれていた。

 これだけの情報を押し並べてみて、やはり女の子は不思議だった。初めて見る同年代のメイク姿、近所じゃ見かけないような華やかな風采、何者かに襲われたのではないか疑うほど汚れたドレス、シンデレラを思わせる靴。そして何より、女の子はこれまで見た人々の中でも抜きん出た美しさをもっていた。その端然とした華美なおもては、中学生の僕、いや、どんな文豪でさえも言い尽くすことはできないだろう。

 きっとすでに、僕は女の子、すなわち彼女に恋をしていたのだろう。

 目を潤ませた彼女は、ズッと鼻をすすって言った。

「あなたはどうして生きているの?」

 戸惑った。彼女がどんな意味を込めて尋ねたのか、そして僕がなぜ生きているのか、まったくわからなかった。

「どうしてかな、考えたことないや。僕はまだ中二だし」

「気楽な人なのね。羨ましいわ」

 彼女の言葉には小さな棘があった。僕の人生を咎められているように感じられた。

 まだ彼女のことをよく知らなかった僕は、この時わずかだが怒りを覚えた。星がキレイじゃなかったら、僕は怒鳴って帰っていただろう。

 彼女と同じ問いを彼女に送った。

「君は何か生きる意味を見つけたのかい?」

「いえ、見つけてないわ」

 なんなんだこいつ。僕は叫びかけた。しかしそうする前に、彼女は悲しげな低い声で加えた。

「だって見つける必要がないんだもん。私の人生を決めてるのは、いつも私じゃなくてパパやママ。ホントは勉強もバレエも絵も茶道もバイオリンだってやりたくないの。だから今日、大事なピアノのコンクール抜け出しきちゃった。帰ったら怒られるな。たぶん、もう警察が捜してるだろうな、五時間くらい経ってるし」

 彼女の話はよくわからなかった。僕の住む世界とは次元が全然違って、想像すらできなかった。だから僕は、そうなんだって生返事しかできなかった。

 彼女の一メートルほど離れたところに腰を降ろした。

「帰らなくて大丈夫なの?」

「大丈夫なわけないじゃない。今ごろパパとママはカンカンよ。だから余計帰りたくない。それに……」

「それに? それにどうしたの?」

「あなたには関係ない」

 彼女はふてくされのように言って、また抱えた膝に顔をうずめた。

 風が吹く。冷えた空気が身体の周りを抜けていく。夏といっても夜は寒い。僕はそのことも考えて少し厚着だけど、彼女のドレスは半袖だ。もしかしたら寒いんじゃないか。

「寒くない?」

「……」

「寒くない?」

「聞こえてる。別に寒くない。寒くてもあなたの上着なんか着ないわ。汚いもの」

「ひっでぇ。あんたのそのドレスのほうがよっぽど汚いだろうが」

 彼女は目の端に残った涙を拭って、薄く笑った。

「冗談よ。あなたって単純なのね。おもしろい人。気に入ったわ。ちょっとあなた、私の暇つぶしになってくれない? なんでこんな遅くにひとりでいるの?」

 僕は言い淀んだ。くだらないことで両親と喧嘩だなんて言えなかった。

 そうして黙っていると、どうして? と彼女は僕を急かした。美しく可愛らしい表情が僕の心を鷲掴みにして放さなかった。後のなくなった僕は嘘をついた。

「散歩だよ」

 彼女は冷たい目をした。

「あなたって嘘つきなのね」

 どうしてばれたのか、彼女は嘘を見抜いた。のちにそのことを尋ねたのが、彼女は勘よ、とひとつ口にした切りで、それ以上語らなかった。

 嘘を見抜かれついでに心まで見透かされているように感じた僕は、正直に家出のすべてを話した。すると彼女は、クスクスを両手で顔を隠してながら

「やっぱりあなたはお気楽な人」

 と一笑した。

 僕はムッとして、あんたこそこんなとこで何やってんだよ、と責め立てるように言った。

「別に、なんでもいいじゃない。あんたは私の暇つぶしなんだから、私の質問に答えてればいいの」

 彼女の放埓ほうらつな態度に、ついに僕は怒った。

「その言い方はねーだろ。まぁ理由なんてなんでもいいよ、僕はもう帰る」

 立ち上がろうとした。しかしそれを邪魔するように、彼女は僕の袖に手を伸ばして掴んだ。そしてふたたび、うるっとした声で言った。

「ごめんなさい。私、あまり人付き合いが得意じゃないの。周りの大人達も、気位きぐらいなんてないみたいに私にへつらってばかりで、そんなんだからこんな性格で。あなたがすごく怒っているのはわかってる。でもお願い、あとちょっとだけでいい、私のそばにいて」

 ここまで言われて応えないわけにもいかず、少し上がった腰を戻した。彼女はそのまま僕のすぐ横にはまで膝行いざり、肩と肩を密着させた。

 それから何十分くらいだろうか、僕らはしゃべり続けた。天気いいねとか、星キレイねとか、ちょっとお腹空いたとか、この場所が秘密基地だとか、どうでもいいことばかり話した。僕は敢えて、彼女がどうしてここにいるのかは聞かなかった。彼女も自ら口に出そうとはしなかった。そんなこと知らなくても、僕らはふたり楽しく愉快にともにいられた。

 しかし話が尽きて寡黙な時間が増えたころ、実はね、と彼女は身の上話を始めた。

「実はね、私、お嬢様なの」

「なんとなくわかってたよ」

 彼女の挙措はいちいち上品だった。おしなべてみやびやか身のこなしで、ただならぬ家系の娘だってことは見事に発露していた。

 彼女は白眼はくがんをした。話の腰を折るなという意思表示だろう。僕は彼女の語りに傾注した。

「S社って知ってる?」

「もちろん」

 S社は日本を代表する大企業で、この国に住む者なら必ず耳にするほど大きな会社である。

「私ね、そこの社長の娘なのよ。両親は厳しい人でね、特に教育面に関してはそうで、いろんな習い事をさせられたわ。今だって、毎日毎日することいっぱいで、友達と遊んだ記憶なんてほとんどない。遊びに誘われてもいつも断ってたから、小学生のころ仲のよかった女の子達も、みんな私から離れていっちゃう。それでも、初めは習い事も楽しかったの。やればやるだけ上達していくし、研鑽けんさんを積むっていうのかな、そういうのが好きだった。

 でも中学生になったころから、そんな日常が辛くなった。界隈かいわいの子らは遊んでいるのに、私は親の言いつけ墨守ぼくしゅしてさ、どうして私は苦しまなくちゃいけないのって。そして今日、ついに私は逃げちゃいました。てへってね。ホントは笑ってられるような状況じゃないんだけど」

 どう返していいかわからなかった。やっぱり彼女の世界は僕の世界とまるっきり違っていて、模糊としたイメージしかできない。お気楽な僕には到底理解できない、殊勝でいることを望まれ懈怠けたいな気持ちに打ち勝つ。そんな彼女だけの艱苦かんくが存在するのだろう。

「ごめん、よくわからない。大変だねとか、辛いねとか、言えたらいいんだけど。僕にとって、友達と遊んで、親と喧嘩して、放課後ダラダラすごして、そんなのが普通だからさ、君の言う自由のない日常が想像できないんだ。ごめん」

「謝る必要はないよ。これはたんなる私の愚痴なんだから。そうだ、じゃあさ、その友達とのおもしろいエピソードとか教えてよ。私聞きたいな、あなたがどんな人生を送ってきたのか」

「もちろんとも。僕も君の話を聞きたい」

「ええ」

 それからどれくらいの間、彼女と語り合っただろうか。ふと見上げると、星辰せいしんのはっきり映る黒々とした空は、かわ誰時たれどきを通り越して、朝焼けの唐紅がたくさんの光芒こうぼうを率いて、燦然さんぜんと辺りを照らす空に移ろっていた。

 ヒュー、と冷たい風が肌を切る。僕の上着を羽織った彼女が、暖でもとるように僕の腕を自分の腕に巻きつけた。

 鳥たちが鳴き出した。朝が来たのだの実感した。

 僕は大きな口を開けてあくびをする。釣られたように彼女も小さくあくびをした。目が合い笑が込み上げてきた。ふたり一緒に破顔した。なんだか彼女と繋がることができたような気がして胸が熱くなった。向来きょうらいの中で一番優しい気持ちになれたかもしれない。

 日が徐々に高くなり、それに連れ気温も上昇する。すると溜まった一晩分の睡魔が僕たちを襲い、夢へと誘った。

 屹立きつりつする峡谷きょうこくもとで、登攀とうはんした先にたたずむ自分を探す。僕の夢はそんな夢だった。

 彼女がどんな夢を見たのか、僕は知らない。

 目が覚めたら、時計がグルっと回って夕方になっていた。驚いた僕は、彼女を起こす前に一度秘密基地を抜け、辺りを見渡した。

 勤務を終えたサラリーマンが、額に汗を浮かべながら帰宅する姿があった。部活帰りの野球少年の姿もある。間違いなく夕刻だった。

 秘密基地に戻る。彼女はまだ起きてない。

 幅十五メートルほどの川をちらっと見る。残照で水面が綺麗に夕映えしていた。暮れなずむ夏の草むらが揺曳ようえいする。

 くしゃみをひとつして、僕は慌てて彼女を起こした。目をこすった彼女は、夕暮れであることに気がつき、顔がゾッと青ざめた。僕らは周章しゅうしょうして、昨日の出来事なんて忘れてしまったかのように、一秒でもはやく帰ろうとした。

 秘密基地を抜け、僕は自転車を跨いだ。

「君はどうするの?」

 彼女は眉を曲げた。どうしていいのかわからないのだろう。家に行けば、必ず叱責が待っているのを知っているからだ。僕も似たようなものだが、彼女に比べればずいぶん軽いものだろう。

 彼女は意を決するように言った。

「お願いがあるの。家の近くまで送って。私、なんだか怖くて」

 迷った。僕だっていち早く帰らなくてはならない。しかし彼女を送ることにした。今の僕は、親に激怒されるよりも、少しでも長く彼女のそばにいたかったのである。

「ああ、わかった」

「ありがとう」

 僕は自転車を降り彼女の隣を歩いた。どうやら彼女の家、正確には別荘は近所にあるらしく、到着するのに三十分とかからなかった。夏休みだけ遊びに来ているらしい。

 別荘の塀の裏側で、僕と彼女は別れを告げなくてはいけなくなった。

 彼女は消え入りそうなほど儚げな声を出した。

「時間ね」

「そうだね」

「楽しかったわ、あなたといれて。本当にありがとう」

「こっちこそ、楽しかった」

 思うように言葉が出てこない。代わりに、目に力を入れてなければ涙が出そうだ。

 彼女は目の端を光らせた。

「たぶん、もうあなたと会うことは二度とないでしょうね」

 わかっていた。彼女と僕とでは住む世界が違う。今日出会えたのが奇跡だったのだ。

 頭では理解していても、なかなか受け入れがたかった。

「そう、だね。もう君と会うことない。肩を並べて語り合うことも、隣で歩くことも」

「ええ、そうよ。だから、思い残すもののないようにしなきゃいけないんだわ」

 彼女は上着を脱ぎ、僕に返した。そして、ポツリ、ポツリと涙をこぼし、それを隠すように僕に抱きついた。

「私、あなたのことが好き。今日一日でわかったの、あなたのことが大好き」

 驚いた。だって、

「僕も。僕も君のことが好きだ。大好きだ」

 視界が濡れて見えなくなった。まぶたを閉じて、彼女の身体の温もりだけを感じた。

 二三分ほどそうして、名残りおしそうに身体を離した。

 そして僕は、彼女にキスをしようとした。

 しかし彼女は唇の前に手をかざし、キスを未然に防いだ。

「どうして!」

「キスはダメ。だってしちゃうと、あなたのこと忘れられなくなるもの。そんなの辛すぎるわ」

 僕は唇を噛んだ。そんな僕に彼女は、

「じゃあ、これだけ」

 と言って、僕の頬にチューをした。その時の彼女の顔は、すっかり真っ赤に染まっていた。きっと僕も彼女と同んなじだ。

「じゃあね、バイバイ」

 彼女は苦しそうに手を振り、背中を向けて走り出した。その姿を目で追いながら、乾いた喉から絞りだすように、僕は言った。

「じゃあね」


 それからすぐに僕は家に帰った。予想通り両親にこっぴどく叱られ、しばらく外出禁止となった。そんな親の瞳に小さな水の反射があったのを、僕は一生忘れないだろう。

 そして彼女と過ごした、一日余りの夢を忘れることはないだろう。

 


 

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