7 彩夏4
素晴らしい朝だ。最初は違和感バリバリだった緑色の空も、人は慣れるものだと知った。
目覚めたら、彩夏はまず外に出て太陽の光を浴びて思いっきり深呼吸する。空気が美味しいのだ。
それからサードを誘ってファーストの所に朝ごはんを食べに行く。
大きく伸びをすると、彩夏はバタバタと屋内に戻ってサードの部屋へと行った。
「サード、朝だよっ、起きなさいよっ」
「勝手に入ってくんなっ、この痴女っ」
「ぶっ」
声を掛けながらサードの部屋を開けると、遠慮なく彩夏の顔に枕が投げつけられた。
羽毛の枕だから痛くないが、朝から可愛い女の子に起こしてもらって、文句を言うとは何事か。
彩夏としてはムッとせずにはいられないが、反対の立場なら自分なら枕と言わず色々とぶつけるだろうと思うと、あまり怒るわけにもいかない。
落ちた枕を拾ってサードのベッドに投げ返すと、シャツを着てから振り返ったサードに文句を言ってみる。
「サード、あんたねえ。普通、世の中の男ってのは、どんなにしてもらいたくても、こうやって女の子に起こしてなんてもらえないものなのよ? ありがたく思いなさいよ」
「とっくに起きてたし、着替えてた所に入ってくる女なぞ、ただの覗きだ。ディアこそ、ありがたく思えよ。言っとくが、俺達は別に伴侶じゃなくても手を出せるんだぞ、男なんだから。・・・これが俺達じゃなきゃどんなことになってたと思ってる」
「知らないわよ、そんなこと。仮定の話をしてもしょうがないでしょ。あるのは今っていう現実だけなんだから。・・・さっ、ご飯、行くわよっ」
「・・・ああ。ディアがどんなに暑苦しい女なのか、よく分かったよ」
彩夏とて馬鹿ではない。この世界に限らず、サード達は紳士的だと分かっていた。サードはファーストの家にも部屋があるし、そこで寝るから、彩夏にはこの家を一人で使えばいいと言ってくれたぐらいだ。
しかし、それこそ一人の方が何かあった時には危険な気がしたので、彩夏はサードと同居生活をしている。自分に手を出しそうにもない男との同居より、周囲に民家のない場所で一人暮らす方がよほど恐怖だ。
「今日の朝ご飯はなっにかなー。お昼はバーベキューにしてくれるって言ってたよねっ」
「あれ程、反発しておいて、飯につられて懐柔されるって何なんだよ、お前」
「食べ物に国境はないのよ」
「はいはい」
欠伸を何度もしているサードはまだ眠そうだ。しかし歩いている内に目も覚めるだろう。
彩夏は、ファーストの家に続く道へと、サードを無理やり引っ張り出した。
ファーストの作る料理は悪くない。
昨日の夜はお好み焼きだった。朝は簡単にパンと目玉焼きとサラダとコーヒーだが、時にはオムレツも出てくる。
ファーストの所でサイズ的に合う服やサンダルを貸してもらったことも影響していないとは言わないが、ファーストの食事は、両親の不在時に鈴音が彩夏に作ってくれていたメニューと酷似していた。
(別に、それで絆されたってわけじゃないけどねっ)
あの無愛想なファーストは、だからといって、彩夏に何かを言うわけではない。美味しいかどうかも訊かないし、彩夏に気に入られようとする会話をしてくるわけでもない。
それでも何となく・・・。
昨夜の会話が耳に甦る。
「これ、お姉ちゃんの作るサラダに似てる。小さく刻んだゆで卵が振り掛けられている所とか・・・。昔、私がそういうミモザサラダが食べたいって言ってから、お姉ちゃん、こうしてくれるようになったの」
「そうか」
「お好み焼きも・・・。最初にこうやって豚肉をカリカリに焼いてくれるの。私のだけ」
「そうか」
まさに、「そうか」しか言わないワンパターン男だ。どこが良かったのだろう、鈴音は。
けれども、それらはまさに鈴音が彩夏の好みを話していたという証のようで・・・。
そうなると反発するのも悪い気がしてくるのだ。だって普通、過去の恋人の会ったこともない妹の好みを覚えているような男なんてまずいないだろう。いくら鈴音が話したにしても。
鈴音を盗っていくような男など許す気はないが、料理に罪はない。
そう思うことで、彩夏は自分の気持ちに折り合いをつけることにした。
そんな彩夏の気持ちはお見通しだったのか、サードがニヤリと笑った。
「本当に素直じゃないな、ディアは」
「ほっといて」
彩夏が唇をとがらせると、サードは道端にある石を拾い、それをどこかに投げつけた。そしてさっと走っていく。取り残された彩夏が、わけのわからないままファーストの家へと向かっていると、やがてサードが手にくたりとなった鴨の首を持って走ってきた。
「鳥殺しの現行犯よ、サード」
「何だ、ディアは生きた鳥を食べるのか? 踊り食いするってんなら、生きたまま捕まえてやるぞ?」
「なわけないでしょ。言っとくけど、捌かれて小さくなった鶏肉しか、普段見ないものなのよ、私達は。怖いから見せないで」
「へいへい。・・・どうせ、そう言いながら真っ先に食うくせに」
「あんたはどうしてそう一言多いのよ」
しかし、否定できないのが辛いところだ。この三兄弟は、彩夏をまるで四人目の弟のように扱ってくる。まずは彩夏に、「ほら、ちゃんと食え」と、いっぱい食べさせようとするのだ。
「弱くて小さな子は、大事にしてやらないといけないからね」
と、セカンドに言われた時には、「誰が弱くて小さいんじゃ、こら」と、否定したくなったが、この三人に比べたら小さいのは事実だったので、何も聞かなかったことにした。
(真っ先に食べるのは、まず私に食べさせようとするからだもん。別にがっついてるわけじゃないもん)
そんな彩夏の思いはどうでもいいのか、サードはプラプラと鴨を揺らしている。
「鴨もいいよな。食べたことは?」
「鴨南蛮のお蕎麦なら・・・」
「ふーん? その料理は知らんが、ま、油で煮込んでも美味いんだぜ。期待しとけ」
石で鴨を打ち落とせるってどんな腕力なのか・・・。しかも走る速度も凄かった。
だが、彩夏は深く考えないことにした。考えたら負けだ、・・・多分。
ついでにセカンドもサードも料理はしないと言っていたが、・・・彩夏よりは出来るような気配が濃厚だった。勿論、それについても考えないことにしている彩夏だった。
そんな二人だが、あれこれ話していればあっという間にファーストのログハウスが見えてくる。歩いても五分程度の距離なのだ。
「おはようございまーす」
「おはよう、兄貴達。鴨、仕留めてきた」
二人が勝手に玄関を開けて入って行くと、ファーストとセカンドが食事の用意をしていた。
「ああ、おはよう」
「おはよう、二人とも。朝から元気だね。その鴨は食事の後にでも処理するか。どうせなら処理してから持ってきてくれりゃ良かったのに」
「来る途中に見つけたんだよ。じゃ、外の処理小屋に置いとく。後で俺がやればいいだろ?」
セカンドとサードの話を聞いていたら、何やら処理をするらしいが、・・・見たくないのと知りたくないので、会話に口を挟まない彩夏だ。
「ディア。皿を四人分出しておいてくれる? 俺はコーヒー淹れるからさ」
「分かったわ、セカンド」
テーブルの上にはパン籠が置かれており、そこから勝手に食べたいだけ取る。オーブントースターはあるが、オーブンレンジは無い。
パン籠の横にあるまな板の上で、自分が食べたいだけパンをカットし、彩夏はオーブントースターに入れた。他の三人は特にトーストしないで食べるからだ。
「ディア。今日はチーズオムレツだが、チーズは入れない方がいいか? 今日、ハムは何枚食べる? 焼くか? そのままか?」
「チーズは入ってる方が好き。ハムは一枚、そのままがいいです」
「分かった」
ここのハムは美味しいので本当はもっと食べたいのだが、お昼が入らなくなるのでやめておく。何と言ってもハムは普通にスーパーで売られているハムの二倍以上はある大きさなのだ。それを好きな厚さで切り分けるのだが、彩夏はなるべく薄くしてもらっていた。
最初はパンにジャムを塗っていた彩夏だったが、三人の真似をしてハムとチーズをパンに載せて食べたら、そっちの方が美味しかった。
今日はトーストしたパンに、切り分けたハムを載せて食べよう。その上にチーズオムレツまで載せたら、更に美味しいに違いない。
誰がどう見ても餌付けされていたが、彩夏は深く考えないことにした。
(だって・・・、考えたら終わりになってしまうじゃない。いくら円満に別れたって言っても、元の世界を選んで帰ってしまった昔の恋人の妹なんて、普通は優しくなんかしたくないわよね)
無神経を承知で、鈴音とはきちんと切れているんでしょうねと、最初の夕食時に詰め寄った彩夏だったが、ファーストは、
「鈴音はここよりも元の世界に帰りたいと言ったからその希望を叶えた。だから戻っていた筈だ。今更、その話を蒸し返してどうなる?」
と、言われてしまい、さすがの彩夏も
「ごめんなさい」
と、謝らざるを得なかったのだ。
そんな状況で自分がここに居座っているのはどうかと思ったが、セカンドに
「そりゃね。一応、やってきた人達が配偶者を決めるまでの間、使われている収容施設はあることはあるよ? 行きたいって言うなら連れて行ってあげてもいいけど、・・・まず、元の世界には帰れないよ。そこの施設に入った時点で、配偶者を求めている男達が押し寄せてくるから、断るだなんて無理。逃がしてもらえない。というか、即日で誰かの嫁に決定」
と、言われてしまった。
最初に彩夏が指摘した通り、女性が存在しない世界において、そこに紛れ込んだ女性を逃がす筈もない。それが普通だ。
そんなわけで、三兄弟の厚意に甘えつつ、生活している彩夏なのだった。
(あ、だけどこのチーズオムレツ美味しい。カロリーを考えたらヤバイけど)
そこで、ふと気づいて、彩夏は尋ねた。
「ねえ、ファースト。このオムレツって、卵、何個入ってるの?」
「ディアのは二つだな。俺達のは三つだ」
「・・・・・・」
卵は一つで十分だ。彩夏はそう言いたかった。しかし、作ってもらって文句を言うのは最低だ。
しかし、セカンドが合点したと言わんばかりの顔になる。
「ああ、分かった。ファースト、ディアは卵を一日一個程度しかとらないって決めてるんだよ。たしか鈴音もそうだった。ほら、だからいつも鈴音ってファーストから分けてもらっていたじゃないか」
「ああ、そう言えばそうだったな。鈴音にはいつも俺のを分けていたから忘れていた。・・・なら、半分残せばいい」
「・・・・・・イエ、結構デス。オ気遣イナク」
「どうしたんだ、ディア。棒読みになってるぞ?」
「ほっといて、サード」
彩夏としては、複雑な気分なのだ。
さっき、鈴音のことを持ち出したセカンドの言葉に、ファーストが微かに笑ったように見えた。
だが。彩夏としては聞き捨てならない言葉だったような気がする。
鈴音に、いつも何を分けていたと?
まさかと思うが、ファーストの皿の物を分けてもらって鈴音が食べていたとか?
(それは、オムレツだけなんでしょうねっ!?)
訊きたいが、答えを聞きたくない。だが、気になる。
あの鈴音が他人に自分の食べ物を全て譲ることはあっても、まさか他人の皿の物を分けてもらうだなんて、・・・・・・考えたくもない。想像もできない。
(だけどっ、この壮絶な女性不足の中でお姉ちゃんを元の世界に返したなんて人に、そこで何かを言える程、私は無神経には出来てないのよっ。ああっ、ここで何も言えない自分の気の弱さが憎いわっ)
そんなことを思いながら、彩夏はもしゅもしゅと、無言で食事を再開した。別に卵を二個食べたって問題など無い。というより、このオムレツの話題から全速力で離れたい。
(なんか、自分の家族の恋愛的なことを他人から聞くのって、凄いダメージがあるわ)
彩夏にとって鈴音の話をされることこそ、自分の精神力をカンナで削られていく思いだ。
苦笑いをしつつ、サードが声を掛けてくる。
「ディア。オレンジでも食うか? そんな眉間に皺よせて飯を食うなよ」
「ん。あるならもらう。少しでいいけど」
そんな彩夏の思考が、三人には筒抜けだと思いもせずに、彩夏はオレンジを受け取った。
彩夏は思っていることが言葉だけではなく、顔にもしっかり出るタイプだった。
【なんか、かなりダメージ受けてるけど、ファースト?】
【知るか。お前のせいだろう、セカンド】
【あー。だけど俺、気持ちは分かるかも。やっぱりファーストと鈴音の時、結構きたもんな。兄貴達には分からねえんだよ、こーゆーの】
武士の情けということで、その後は自重した三兄弟だった。