5 彩夏3
二人に付き添われて歩いてみた森は、どこか不思議だった。
「ここは、森、・・・なのよね?」
「ああ、そうだな」
サードが答える。
「どうしてそれなのに、木々がほとんど等間隔に植えられているの? 人工的に考えられて作られた森なの? だけどかなり樹齢を重ねていそうな大木もあるわよね? しかも生えている草は全て背が低いわ。普通、もっとわさわさと茂って歩きにくいものよね?」
「そういうものだ、そうとしか言いようがないな。俺達にしてみれば、ディア達のいる世界の方が不思議だ。どうして世界が、そういった調整を行わずに放置しているんだ?」
「何よ、それ・・・」
意味が分からない。
彩夏は隣を歩くサードを見上げた。色の薄い茶色の瞳が自分を見下ろしてくる。サードは髪の根元まで本当に薄い茶髪なのだと、彩夏は思った。
「ディアがここを不思議に思うように、俺達もディアの世界を不思議に思う。それだけのことさ。・・・さ、ここをずっと歩いていくと、泉がある」
サードに促されて真っ直ぐ歩いていくと、前方でぼんやりとした光る何かがあることに気づいた。それに向かって歩いていくと、彩夏は目にしたものに驚かずにはいられなかった。
「何よ、これ・・・」
「だから泉」
大きさとしては、公園にある噴水のような程度の小さな泉だった。
だが、その泉はぼんやりと光っていた。
「なんで、泉が光るの・・・?」
「水は生きる為に必要なものだ。泉はここに水が湧き出しているのだと生き物全てに知らせる為に光るものだろう、普通。森の中を旅する者、そして森の中で迷子になった者にとって、泉は生命を繋ぐ希望だ。だから泉は生きとし生ける全てのものに向かって、その慈悲を光りながら示す」
サードはそう言うと、彩夏に向き直った。
「この世界に生きる全ての生き物にとって、それは至極当然のことだ。ディアにとって異常だとしても」
そう言われると、おかしいでしょと、言い切ることもできなくなる。そう、常識などという曖昧なものは、所が変われば様々に変化する形のないものだ。
彩夏は、その泉を少し手に掬ってみる。光っていた泉の水だが、汲んだら光らなくなるらしい。
ちょっと舐めてみる。涼やかな清水だった。
「あのさ・・・、やっぱり、ここ、地球じゃない、の?」
その質問に、サードはどこか困ったような笑いを浮かべた。
彩夏がセカンドを見ると、彼は答えてくれた。
「その通り。ここは全く君達の住んでいる世界じゃないよ。あなたの知らない世界へようこそ」
芝居がかったその仕草は、どう見ても彩夏に同情などしておらず、面白がっているとしか言いようのないものだった。
混乱している彩夏を、二人は元のログハウスへと連れて帰ってくれた。
「あまり急にアレコレ考えると、頭がびっくりするだけだよ。ゆっくり考えるといい」
「いや、セカンド。しっかり実情を突きつけたのは、あんただから」
人間とは、混乱していても、突っこめるものらしい。セカンドに指摘しながら、彩夏はそう思った。
「心配すんな。鈴音だって大丈夫だったろ?」
「そりゃそうなんだけど。・・・いや、サード。あんた、もう少し悩むことを覚えなさいよ」
それでもあまり深刻にならずに済んだのは、鈴音という前例があったからかもしれない。少なくとも鈴音はここに来て、元の世界に帰ることができているのだから。
が、屋内で落ち着いて色々と話を聞いていたら、そう思う気持ちも解消されるものである。
「って、あんたが諸悪の根源だったわけっ?」
「諸悪の根源って何だよっ。そもそもディアがあの首飾りをしていなけりゃ、こんなことにはならなかったんだっつーの」
「何よっ、人のせいにする気っ!?」
「そのまんま、その言葉、返してやるよっ。ディアが鈴音のを黙って持ち出さなきゃこんなことにはならなかったんだっ」
そんなサードと彩夏の言い合いを、セカンドはのんびりと眺めていた。
「いやはや、青春だね。若いっていいなあ。俺にはそんなことで言い合える気力なんてとてもとても・・・」
「他人事みたいにしてんじゃねえよ、セカンドッ。少しは止めろよっ、この爆走女をっ」
「誰が爆走女よっ、この単細胞の間抜け男っ」
「いや、なかなか気は合ってるよ、君達。ほんと、ディアは鈴音と姉妹というよりも、サードと兄妹って言われた方が納得するぐらいだ。兄としては、弟が遠くへ行ってしまったような・・・・・・気にはならないもんだね」
毒気を抜かれるというべきなのか、彩夏はセカンドをまじまじと眺めた。
ファーストが「むっつり」ならば、セカンドが「脱力系」、サードが「ノータリン」、まあ、こんなところだろう。
「ディア、・・・お前、今、ろくなこと、考えてないだろう」
「まさか。サードってば被害妄想の気があるんじゃない?」
そうとぼけてみせながら、彩夏は聞いた話をまとめようとする。
「つまり、ここの世界は、時々、空中や地面や色々な所に、水たまりのようなものが出来ることがあって、その水たまりみたいな水面には様々な世界が映し出されるのね。そしてその水たまりを通って、女の人がこの世界にやってくる。そして、この世界に生きている人は男ばかりなので、そのやってきた女の人はこの世界で結婚して生きていく、と」
「そうそう、ディアは賢いね」
セカンドが頭を撫でてくるが、どう考えても適当に褒めてやってるという感じだ。
「ただし、女の人にも選択権があり、この世界に居つかなかった場合は元の世界に返される。その場合はまた水たまりが現れて元の世界に戻ってしまう。女の人がこの世界に居つく条件は、こちらで相思相愛になった人から贈られた物を身につけておくか、もしくは子供を産んでこちらに定着するか、そういった、この世界から見て分かりやすい意思表示が大切になる、と」
「その通り。森の木々にそれなりの秩序があるように、この世界の全てに秩序は存在する。その秩序から見て、全く何もこの世界に属していない存在は、排除されるんだ。だから、今のディアはファーストの首飾りを持っていないし、このままいけば確実に元の世界に戻されるよ」
安心させるように目を合わせて微笑んでくるセカンドは、本当に綺麗な薄茶色の瞳をしている。
日本人の割に髪も少し茶色がかっていた彩夏は周囲からも浮いた容姿で、鈴音のまっすぐな黒髪が羨ましくもあったのだが、こうして自分よりも薄い色合いの人を見ると、綺麗だなとも思う。
そんな彩夏に、セカンドはクスッと笑った。
「そんなに大きく見開いちゃうと、綺麗な目が落っこちちゃうよ、ディア?」
「落ちないわよっ。・・・単にそういう薄い色の目が珍しいから見てただけっ」
ぷいっと視線を逸らすと、彩夏は二人とは全く違う方向を向いて考え始める。
つまり、彩夏がこちらに来た理由はこうだ。
ちょうど森を歩いていたサードの前に水たまりが出来、そこにファーストが鈴音に贈った首飾りが映し出されているのが見えた。だから驚いたサードは水たまりに手を突っ込んで、その首飾りをしていた人間の腕を掴んでこちらに持ってきてしまった。
その際、水たまりは小さくて、顔は映し出されていなかったのだという。
こちらに姿を現した彩夏を見て、サードは人違いに気づいたものの、その時にはもう水たまりは消えていたのだとか。
「だけど、おかしくない? だってお姉ちゃんはそのファーストに首飾りをもらってたんでしょ? なら、どうして元の世界に帰ることができたの?」
セカンドとサードはそれには答えなかった。困った顔でお互いを見ている。
「ちょっと。二人とも肝心なことはだんまりなわけ?」
嫌そうな顔になりながら、サードが答える。
「俺達の母親は、鈴音やディア達と同じ世界の人間だったんだよ。・・・別に俺達の父に問題があったわけじゃない。ただ、母はずっと元の世界を懐かしがっていた。俺達はそれを聞いて育った。だから、・・・ファーストは鈴音を不幸にしてまで、こちらの世界に留まらせたくなかったんだ」
「ばっかじゃないの。そんな綺麗事を言えるような状況じゃないでしょうが。大体、その水たまりとやらだって、毎回、女の人をこっちに引っ張り込むわけじゃなく、ただ景色を映し出すだけの時が多いって言ったのはあんたじゃないのっ。そんな中で出会いがあったなら、ぐいぐい行かなくてどーすんのよっ」
「はぁっ!? お前、それは誘拐だの犯罪だの言ったそばからそれかっ!?」
「それはそれ、これはこれよっ」
「じゃあ、鈴音をこっちでずっと留めておけば良かったんだよなっ」
「何言ってるのよっ、このクソボケがっ。うちのお姉ちゃんを誘拐だなんてしてみなさいよっ、地の果てまで追い詰めてチョン切ってやるからねっ」
「何をだよっ」
偉そうに言い切った彩夏に、サードはセカンドへと助けを求めた。
【どうよ、この女。ほんっと、わけ分かんねえ】
【面白くていいじゃないか。退屈はしないだろ、サード?】
【まあ、そりゃな。・・・ただ、俺達は女に無理強いってのはあり得ないが、他の奴らは実際にそんな余裕をかましてるわけじゃねえ。はっきり言えば、拉致監禁って奴だからな。いや、俺達がおかしい方なんだろうけどよ。どこまで教えたもんかな】
【こちらに留まらないと分かってる存在だからな。あまり詳しく教えてしまうのもまずい。実際、俺達はこの秩序を利用して様々な世界を訪れている。変な警戒体制をされかねない情報を与えるのはよくない】
【早く、ディアを戻す水たまりが現れてくれるといいんだが・・・】
そんな二人に、彩夏は嫌そうな顔になる。
「ちょっと、二人して何、変な口パクパクしてるのよっ。陸に打ち上げられた魚じゃあるまいしっ」
「口パクパクって、・・・普通の会話をしてただけさ。ただ、こういう俺達の会話は、ディアの耳では聞き取れないんだ。だから声が出ていないように感じるんだろう。気分を害したなら謝るが、元々、俺達はこういう会話であって、ディアの前でだけディアの言葉を話しているだけだ」
そんなサードの説明に、彩夏は首を傾げる。
「そうなると、二人とも二つの世界の言葉を話せるってこと?」
「いや? 話せるというレベルにもよるが、そういう意味ではかなりの言葉を話せると思うよ? ただ、この辺りは俺達の祖父母達や両親達もずっと住んでいた地域だから、ディアのいた世界と繋がることが多いね。だからその世界の言語は特に身近なんだろう」
セカンドの話は分かりやすいが、全くもって意味が分からない。
彩夏はその言葉の意味を考え始めた。
サードは、そこで電灯の明かりをつける。室内が明るくなったことで、もう日が暮れていたのだなと彩夏は気づいた。
「さて、そろそろ夕食の時間だしな。ディアの分は運んできてやるから、大人しく待ってろよ」
「ちょっと。それなら私、そこまで行くわよ? わざわざ運んできてもらうの、悪いし」
「来るのはいいけど、ファーストの所だぞ?」
サードが念を押してくる。
あのむっつりした男の家か。・・・だが、やはり運んできてもらうのは悪いと思う。
彩夏は覚悟を決めた。
「行くわよ。行かいでか」
女には戦わねばならない時があるのだ。
あんなムッツリに鈴音を渡して「お義兄ちゃん」などと呼ぶのは論外だが、そいつが作った食事を運んでもらっておいて偉そうにするほど、自分は子供ではない。
ここは小姑というものがどんなに恐ろしい存在なのか、あのムッツリに叩き込んでおくべき時だろう。どうやればいいのかは、分からないが。
(小姑っていえば、あの熊本のおばちゃんよね)
こんなことなら、うちの母をいびってくれた、熊本に住む父の妹をよく見ておくんだった。
ただ、父に見えない所で母をいびっていた叔母に関しては、しっかり録音もした上で父に直談判した上で、叔母に対する我が家への出入り禁止と母への接触不可、それらを父に約束させた彩夏である。
ああはなるまいと思っていた叔母だけに、ここはかなりの思案どころだ。
(ああいう陰湿なのって嫌いなのよ、私。ねちねちするのって性に合わないし)
それに鈴音は家に戻ったのだ。あのファーストとやらと接触することは二度とない。
だから自分が敵愾心を抱いてしまうのはおかしいことなのだろう。
姉を弄んで捨てたとなれば許す気もないが、どう考えてもそんな気配を感じないのだ。
(本当に別れたのかな。・・・いや、遠距離ってレベルじゃないからそうなんだろうけど)
けれども・・・。
数日間の不在を経てからの一年。どこか変わってしまった鈴音。
ズキンと、彩夏の心で何かが痛んだ。