3 彩夏2
サードに泥棒扱いされて爆発した彩夏だったが、撃沈されたのも彩夏だった。
「その首飾りってさぁ、ファーストが鈴音に贈ったものなんだぜ? 男が女に贈った物を違う女が身につけてりゃ、そりゃあ泥棒だって思うだろ? ・・・本当に鈴音が妹だからってお前に貸し出したのか? そう簡単に貸すとは思えないんだがな」
「え? ・・・そりゃ、お姉ちゃん、いなかったから、黙って借りちゃったけど」
サードの瞳が冷たくなる。呆れ返っているらしい。何も言わなくても、サードの顔は「それを泥棒って言うんだよ」と、語っていた。ううっと彩夏も怯む。
「だけどっ、ちゃんと『借りるね』ってメモは残してきたんだからねっ」
「ああ。つまり鈴音の許可もとらずに黙って持ち出したんだな」
がしがしと頭を掻いて、サードは大きな溜め息をついた。
「とりあえずファーストにそれを返せ。ディアがそれをここで持っていたら、お前はファーストの女だと見なされる。お前の家に帰れなくなるぞ」
「うげっ。いや、私、あの融通きかなさそうなタイプって好みじゃないのよ」
「安心しろ。ディアもファーストの好みじゃない」
はっきり言われると、それもそれでムカつくのだが、ここで鈴音の名前を知っていることといい、それは本当のことなのだろう。彩夏はネックレスを外してサードに渡した。
「はい、返せばいいんでしょう、返せば」
「ああ。鈴音以外の女が持っていたってんでファーストもかなり不機嫌になっていたからな。これで少しは落ち着くだろう。・・・けど、これでディアはフリーってことになる。なるべくこの家の周囲から離れるなよ。俺達はそうでもないが、この辺りには、女というだけで攫っていく奴もいるからな」
「犯罪って言うのよ、それ。誘拐なんて許されると思ってんの」
「そりゃそうだ」
何が面白いのか、サードはクッと笑った。
「私、彩夏って言うのよ。ちゃんとあんたも名前、教えなさいよ。お姉ちゃんの名前も知ってるなら」
だが、そこでサードは困ったような顔になる。
「悪いが、俺達が名前を交換するのは伴侶同士に限られるんだ。鈴音はファーストと名を交換したから俺達も知っているだけで、ついでにファーストの名前を呼ぶのも鈴音だけだ。・・・そりゃお前が俺と結婚するなら話は別だが、ディアにその気はないだろう? だからディアはディアでいいのさ」
「へえ。・・・って、ちょっとどーゆーことっ!? お姉ちゃんが結婚前提でお付き合いしてるだなんて、聞いてないわよっ! ざけんじゃないわよっ」
「うわ。すげーシスコン。・・・姉が誰と付き合おうが、妹が口出しすることじゃないだろうが」
「るっさいわね。お姉ちゃんなんてすぐ男に騙されるに決まってるじゃないっ。私が許可した男以外、お姉ちゃんとのお付き合いだなんて許さないわよっ」
「それを言うなら、親が許可した男以外、だろ? 妹が姉の付き合う男を許可だなんて聞いたことないぜ? 姉が妹の付き合う男を、なら、まだ親代わりで分かるけどさ」
「・・・ふっ、これだから世間知らずなお子ちゃまは困るってものなのよ」
チッチと、彩夏は人差し指を立てて振ってみせた。
サードは自分の耳がおかしくなったのかと思った。
(誰に言われても、こいつにお子ちゃま呼ばわりされる覚えだけはねえぞっ!? って、何であの鈴音の妹がコレなんだっ?)
あまりの驚きに、サードも二の句が継げない。が、そんなサードの反応など、彩夏にとっては目の前にあるコーヒー未満の価値しかなかったらしい。
コーヒーを啜ってからガタンとカップをテーブルに戻すと、彩夏はいかに鈴音が頼りないかをつらつらと言い始めた。
「大体、お姉ちゃんなんてね、大学に行く以外はほとんど家で引きこもってるだけの人なのよっ。あんたはどこの隠者かってーの。男に声かけられても断り方の一つすら未だに身についてないのよっ。あんたはどこの幼稚園児かっての。・・・いーい? ああいう人はねっ、私が騙されないようちゃんと相手を選んであげるのを待って、それからそこへ黙って嫁に行って幸せに生きればいいのよっ」
拳を握りしめる彩夏に、サードは黙って肩をすくめた。やれやれといった風情である。
そこに落ち着いた、しかし不機嫌そうな低い声が響いた。
「誰も騙していないし、お前に選ばれる必要などない」
「・・・へ?」
彩夏が振り向くと、出入り口にはファーストとセカンドが立っていた。どうやら今の声はファーストだったらしい。
「やっほー、兄貴。はい、これ渡しとくよ。黙って鈴音お姉ちゃんのを借りちゃったんだってさ、ディアってば」
サードが水色の石のついたネックレスをファーストに放り投げる。ファーストも、ぱしっと受け取った。
愛想笑いの一つもないファーストは、どうも彩夏とそりが合わない。
(というか、何なの、この威圧感。お姉ちゃんってば、どうしてこんなムッツリが良かったのよっ)
目を逸らしたら負けだ。
彩夏は、散歩中に大型犬と出会ってしまったスピッツのように、下からきつい目つきでファーストを見据えた。
ここは野生の掟に則って、睨みつけておかねば。大事な姉に手を出そうという男など、畑を荒らす猪レベルで駆逐しなくてはなるまい。うちに小さな庭はあっても畑はないが。
そんな彩夏だったが、ファーストはそこであっさり視線を逸らすと、彩夏が食べ終えた皿を重ね始めた。
彩夏としては拍子抜けするが、ファーストにしてみればどうでもいい問題だった。
「皿の回収に来ただけだ。・・・それよりサード。ちゃんとガードはしとけよ。機会があれば、すぐに戻せ。他の奴らに見つかる前にな」
「了解、ファースト」
そこでセカンドも苦笑しながら口を開く。
「どうも水たまりがうちの森に多く出現してるらしいぜ? もしかしたら他の奴らが入り込んでくるかもしれん。とはいえ、なあ・・・。気持ちは分かるだけに、拒否もできやしねえ。ま、ディアにとっては良かったかもな。お前がついてやれない時には俺がついておくが、一番揉めないのはお前が彼女に渡しておくことだろうよ、サード」
「生憎、ディアはなぁ。全く渡す気になれない。ならセカンドが渡せばいい」
「うーん、俺もそんな気には全くなれないんだよなあ。・・・ハハ、やっぱりそういうものなのかな。それとも俺達だからなのか」
そんなセカンドとサードを無視し、ファーストは皿を持って出て行ってしまった。
「あ。ありがとうって言うの、忘れてた」
「ディアは真面目だな。ファーストはどうせ気にしてないよ。それより、この辺りの森でも案内しよーか? それとも俺よりサードがいい?」
セカンドが愛想よく散歩に誘ってくる。別に彩夏に気があるわけじゃなく、素でそういったタイプらしい。
「別にどっちでもいいわよ。ファーストでなけりゃ」
「え? ディアってばファーストが嫌い? 何でさ?」
サードが不思議そうな顔になる。彩夏は立ち上がり、偉そうな態度でサードに人差し指を向けた。
「人に指を向けるのはお行儀が悪いよ、ディア」
「うっ、ごめんなさい。・・・って、あんたはお姉ちゃんかっ」
セカンドが彩夏の指を持って天井方面へ逸らした為、つい謝った彩夏だったが、格好がつかないので、そのまま部屋の隅を指さしたまま、言い切った。
「私からお姉ちゃんを盗っていこうとする奴は、全てにおいて敵よっ」
「・・・マジでシスコンだったか、お前」
げんなりとサードが首を振る。セカンドは面白そうな顔になった。
「そうなんだ? 俺、今来たばかりだからよく分からんけど、さっきも楽しそうに熱弁してたよな。・・・、ま、今のセリフ、ファーストがいる時に言えたら見物だったのにな」
「ほっといてちょうだい、セカンド。大体、何よ、あのファーストって奴」
面と向かってはファーストに何も言えない彩夏に、セカンドは気づいているようだった。
うまくは言えないが、ファーストは何か分からない恐ろしさがある。彩夏はそう思った。
あんな男、世間知らずな鈴音が丸呑みされてしまうだけではないか。しかも無愛想すぎる。
そんな彩夏の言葉に出来ない感情を、二人は正しく読み取ったらしい。
「ま、あれでも兄貴は俺らのファーストだからな。ディアみたいな普通の女の子なら怖くて当然さ。けど、誰よりも頼りになるんだぜ?」
「そうそう。敵にまわさなきゃ面倒見もいい男だって。ちゃんと飯だって作ってくれただろ? 俺もサードも料理しないしな」
「げっ。あれってファーストが作ったの?」
それをぱくぱくと平らげてしまった自分は何なのだろう。
女としても負けた気になる彩夏だった。
(いっ、いやいやいやっ、可愛い女の子は全てが許されるのよっ。だって私、まだ高校生だしっ)
うん、どう見てもファーストは自分を可愛いと思ってはいなかったけどね。
自分で自分を鼓舞したつもりが、正直な自分ゆえにセルフつっこみしてしまったのと、その内容があまりにも正しすぎて、彩夏の心は自爆した。
サードのログハウスのような家を出て、彩夏は目を大きく瞠った。
「ね、セカンド、サード? ・・・ちょっと私、叫んでもいい?」
「耳を押さえるから待ってくれる? はい、どうぞ?」
ふざけた返事をしてくるセカンドだったが、遠慮なく彩夏は叫んだ。
「しんっじらんなーーーいっ!」
遠くで、「らんなーい」とか「なーい」とか、エコーが響く。それを聞いて、ちょっと彩夏はスッキリした。やはり溜め込むのは良くない。何事もちゃんと体内の物は出しておかないと健康的にもよろしくない。ストレス発散は大事だ、うん。
べ、別に、ピンクの小粒的なそっちは悩んでないけどねっ。
「信じらんないのは、ここで叫べる女が存在するってことだろ。鈴音はそんなことしなかったぞ?」
「うっさいわよ、サード。お姉ちゃんが叫ぶなんてこと、するわけないでしょっ。ぼーっとしている内に時間が過ぎてて、それから『あれ?』とか言ってるのがオチよっ」
呆れたようなサードの感想を叩き落とし、びしっと片腕をまっすぐ天に向けて彩夏は詰問した。
「どうして空が緑色なのよっ!? あり得ないでしょっ、信じられないでしょっ、どうしてこんなことになっちゃってんのっ」
セカンドとサードは同時に答えた。
「「空は緑色をしているものだから」」
「・・・・・・へ?」
彩夏は肩を落として、二人を見つめた。
「まずは森でも散歩してみよう、ディア。ちゃんと自分の目で納得したいだろ? さあ、行こう」
そう言って、セカンドが彩夏の肩を抱いて歩き出す。それに流されるように歩き出しながら、彩夏はもしかして自分はとんでもない場所にいるのではないかと、思い始めていた。
とはいえ、彩夏は彩夏である。
黙って分からないまま歩くような殊勝さはない。
「そう言えばさ、ダイアが言いにくいからディアってしてたけどさ、・・・こう言っちゃなんだけど、ダイアよりスズネの方がよっぽど言いにくくない? こっちを縮めるぐらいなら、スズネの方を縮めるよね、普通?」
ふと気づいて、彩夏はセカンドとサードに話を振った。
「うーん。俺はダイアでもディアでもどっちでもいいけど、ファーストが決めたからそれに統一したってだけだしなあ。・・・何、ディアはダイアの方がいい? そっちが良かったらそう呼ぶよ?」
「そういう意味じゃないの、セカンド。単に、ダイアすら呼ぶのを縮める男が、どうしてお姉ちゃんの名前を縮めなかったのかなって思っただけ。大した問題じゃないけどさ」
左脇にいるセカンドの提案を断りながら、彩夏は説明する。すると、彩夏の右隣にいたサードが両手を頭の後ろで組みながら言った。
「そんなの決まってるだろ。女が男の名前を舌足らずに呼ぶのは可愛いけど、男の場合は別じゃないか。鈴音の名前はたしかに言いにくいけど、練習すれば何てことなかったぞ? 男なんてそんなもんだろーが。本命の女の前ならどこまでも背伸びするさ。・・・けどディアはどうせ偽名だし、どうでもいいと思っただけじゃないか、ファーストも」
「うん、本名か偽名かといった問題はともかく、本気で差をつけられてることだけは分かったわ。・・・つーか、そんな理由かいっ」
訊くんじゃなかったと、後悔すらしてしまう。
扱いの差というのであれば、いつも鈴音が彩夏に譲ってくれるし、周囲も鈴音よりは彩夏を優先してくれることが多かった為、何とも説明しがたい思いも出てくる。
(ここまで露骨にお姉ちゃんを優先されたのって初めてかも)
そんなことでぶすくれるのはおかしいっていうのは、彩夏も分かる。だから何も言わない。
けれどもいつだって鈴音も周囲も、彩夏を優先してくれていたのだ。
二つしか無いものを分け合う時も、両親や鈴音もまずは彩夏に選ばせてくれた。
鈴音が買ってきた可愛らしい小物も、彩夏の方が似合うからと譲ってくれていた。
・・・いつだって、鈴音は彩夏を大事にしてくれる人だったのに。
(分かってる。お姉ちゃんは大人しいだけで、本当は魅力的だってことも)
とろくてのんびりしているとは言われていても、鈴音はじっくり考えるから反応が遅いだけだ。
だから何かをするとなったら、かえって信頼がおける。そういう鈴音を評価する人だってちゃんといた。
彩夏は俯いた。
(お姉ちゃん、お姉ちゃんはここで何をしてたの・・・?)
せめてここに鈴音がいてくれたなら。きっと何も怖くなかったのに。
彩夏はそう思わずにはいられなかった。