プロローグ
受験戦争が終わり、無事に大学に合格することができた。
この辺りではそこそこなのある大学で、両親も鼻が高いようだ。楽しみにいている大学生活にワクワクしながら、それと同時に対処しなければならない問題があることに少し懸念をしていた。
僕の家は決して裕福な家庭ではない。
多少の奨学金は無事にもらうことができたのだが、それだけでは足りない。
両親に出してもらうわけにはいかず、仕方がないからお金を稼ぐことにした。
そんな中たまたま見た広告で家の近くに塾ができたということを知る。
いつもなら興味を示さない広告だが、この時ばかりは気になった。
なぜなら家から自転車で5分しかかからないではないか。
この機を逃すものかと、速攻で携帯電話にその塾の番号を打ち込んだ。
「あっ、もしもし。アルバイト募集の広告を見て電話したんですけど……」
「お電話ありがとうございます、小春塾です。アルバイトの件ですね?それでは面接のため一度校まで来ていただいてもよろしいですか?」
すごく丁寧な対応で少しびっくりした。
僕にはとてもじゃないけどこんなのできないなぁ
「はい、大丈夫です。ええと、日時はいつがいいですか?」
できるだけ丁寧な言葉で話すように努めるが、失礼になってないよねこれ?
「そうですね……。では明日の午後十時はどうでしょうか?」
「……わかりました」
「ではお名前の方をよろしいですか?」
「涌井 新太です……」
よくよく考えてみるとわかることなのだが、塾ってやっぱりそんなに遅い時間までやってるんだ。軽い気持ちでかけちゃったけど大丈夫かな?
そうこうしているうちに翌日の午後十時になった。
持ち物は筆記用具だけって言われた。服装はスーツを着ていくように言われた。大学の入学式用に買ってもらったやつがあったからそれを着て行こう。
定刻より十分ほど早く目的地に到着する。この時間は生徒たちもまだ残って勉強しているらしく、駐輪場には数台の自転車がとまっていた。
ガラス張りのドアを開けるとやはりまだ授業中だったようで、数人の生徒がこちらに視線を傾ける。正直、見られるのはあまり得意ではない。
見た感じだと、先生らしき人は二人。奥の仕事机に座っている小太りの男性。と今子どもに数学を教えているインテリ系男子。
その生徒の前にいた先生がこちらに向かって言った。
「すいません、今手が離せないので奥の部屋で待っててもらえますか」
声からして、昨日電話で話した人に間違いなさそうだった。その人はメガネをかけていた。絶対この人勉強できる!
靴を脱ぎ、揃える。この辺りは万事ぬかりはない。もう試験は始まっているのだ!というハ⚪︎ター×ハ⚪︎ターで習った知識をフルに活かして臨戦態勢をキープした。
言われた通りに奥の部屋へと歩いて行く途中もやっぱり子どもたちの視線が突き刺さる。あまり見ないでよ、人見知りが発動しちゃうじゃないか!早くも帰りたくなってきた……
奥の部屋でしばらく待つと、先ほどの先生が入ってきた。
「はじめまして、私は青葉 誠司というものです。この塾の塾長をやっています」
「あっ、どうも」
電話口で話した通りの丁寧な口調。でも、外見が合わさると怖いなぁ。それにしれも、あっ、どうも、はないだろ僕。
その後少し面談のようなものがあり、テストを受けさせられた。それがけっこう難しかった。だけど精一杯頑張った。せっかくだから合格したいという気持ちと共に……。
「お疲れ様でした。合否の方は後日追って連絡しますので、今日は帰ってもらって構いません」
「ありがとうございました!」
先ほどの駐輪場に戻ってくると女の子が困った顔でカバンを覗き込んでいた。
そんな顔をしてたら、声をかけるないわけにはいかないじゃないか!!いや、でもまだここの先生になれたと決まったわけじゃないから通報された時に言い訳ができない……。
……でもやっぱり小さな女の子が困っているのを見過ごせない!
「どうしたの?」
できる限り優しく問いかけるとはじめは驚いた表情を見せたが女の子は答えた。
「自転車の鍵をなくしちゃって、自転車が使えないんです」
女の子は今にも泣きそうである。これはどうにかしないといけない。だが、こういう場合はだいたいある場所は決まっている。普段使わないが大事なものはなぜかそこに入れてしまう。僕の経験則だ。
「胸ポケットは探した?」
「……ちょっと待ってください……あっ!あった!!」
少女は先ほどの顔とは一転して満面の笑みを浮かべている。やっぱりこの顔が少女には一番似合う。
「お兄さんはこの塾の新しい先生なんですか?」
「いや……まだ正式に決まったわけじゃないんだ。今日試験があって、それに合格すれば先生かな」
「そうなんですか!じゃあまた勉強教えてくださいね!わたしは遠山 小鳩って言います!鍵見つけてくれてありがとうございました」
いやいや、小鳩ちゃん、まだ決まってないっていったでしょ!?そんなに可愛い笑顔と慣れない敬語で話しかけられたらお兄ちゃんこの塾に来ないわけにはいかないよ……。
やっぱり子どもの笑顔は核兵器よりも抑止力があるな……。
後日、無事合格通知をもらった僕は晴れて小春塾の一員となることが出来た。だけど、この選択が僕の人生に大きな衝撃を与えることになるなんて僕は知る由もなかった。