祭りとパイとアンニュイな王太子3
劇場を境に向こうは歓楽街、こっちは割りと健全な繁華街。お茶を優雅に口へ運びながら、デイは説明してくれた。せっかくのオープンカフェなんだから、道側が良かったのに、奥へと詰められてしまった。店員さんにじゃなく、デイユーキ様に。私は珈琲みたいな飲み物を珍しさから頼んだ。撹拌されてる粉が下に沈んで上が澄んできたら飲み時なんだそうだ。フィルターを売り出したら儲かるかと期待したものの、すぐに諦めた。似通った文化で、択一で選び取られた方法ならば、あっちの世界のものを持ち込んでも売れないぞと瑞樹兄に言われたことを思い出したからだ。布がある。漉すこともできる。あえてそれをしないのは、それなりの理由がある。味よりも、例えばこれが様式美だったら人は曲がらないだろう、と。
「三年前、俺は収穫祭の夜に劇場に行ったんだ」
デイが唐突に言った。珈琲がそろそろかとスプーンで掬って様子をみてたのに、ぐるっと掻き回しちゃったじゃないかー。また待たなきゃいけない。
「へえ。面白かった?」
面白いわけ無さそうだけど、一応。
「死にたくなっただけだ」
こらー、またぐるっとやっちまった。
だから。祭りの夜にその演目チョイスは間違ってるとだれか王に直訴しろ。
「お祭りなんだから騒いで楽しめば良いでないの? わざわざ泣きにいかなくても」
デイはゆっくり首を振り、
「俺より苦しい想いを抱いている者が居るなら、それが作りゴトでも、同情することで己を慰める事ができると思ったんだが」
あまりのネガティブシンキングにまたもやグルっと。
「……そう」
責められてるのか、これ。たぶん、そうだ。受け答えは慎重に。
自分に確認しておこう。
まず、私は悪くない。ここからスタートしないと負のスパイラルになる。
私は、デイが嫌いではない。デイを見守るためにこの世界に居る。デイの気持ちも知っている。今後の展開は成り行き任せ。現時点では何の決断もしていない。押し切られる覚悟もそれなりにはしている。流されるともいうが、流されても良いほどには思っているとも言える。ただし、相手はデイに限ってのみ。他は認めない。本末転倒になってしまうから。しかし、デイは変態フェチだ。本当にこれでいいのか。負のスパイラルまんまだな、うん。
「歓楽街にある色街は、祭りの間は営業しない」
真剣に考えてるのに、唐突なんだってば。珈琲をぐるぐる回したよ。
「ざ、残念だったね。ああいう場所も稼ぎ時なのにね」
少しだけ、ほっとした。行く気はあっても行けなかったと。普通の男だったと。そんなことで安心する私も私だけど、妄執変態よりいい。
「娼館は人肌恋しくなった者達へ、無料で宿として提供される。これが、祭り後の婚姻率と出生率が上がるからくり。冗談だと思っていたが、その狙いが正しいと身を以て知ったというわけだ」
私を見て、クスリと笑う。
もう、この珈琲は飲むの諦める。
浮かれた後の寂しさで効果倍増。すごい露骨だ。策というより悪戯だ。落とし穴だ。さすがルーさんの兄上。そしてソヤンクワのおっさんもこの企みを知ってるから高危険度バージョンなのか。これからあの兄弟全員の見方を変えよう。
「で? 観るのか?」
まさか。
「どうせなら楽しいのが観たい」
お祭りで寂しくなってどうする。
「では王宮まで戻るか」
うんうん頷く。
「良かった」とデイが笑う。「今年はサユと踊りたかった。これからは毎年……」
翳る瞳に、「ん?」と促せば、
「本当は、今も怖い。今の方がずっと怖い。サユをまた失ったらと思うと気が狂いそうになる」
ストーカー度が増すから、私も怖い。
「大丈夫。大丈夫。その時は私がデイを見つけてみせる。奇跡の一族の名にかけて」
都合良く使わせてもらいました。
「それでまた何年も待たせるつもりか?」
「う…」
言い訳できないけど、したい。私は悪くない。
「確証が欲しい。サユ。お願いだ。俺を安心させて欲しい」
テーブル上の私の手を持ち懇願する。
「どうすれば安心するの?」
デイは何も言わずに私を見つめてる……マズイ。
すごい注目されてる気がする。
いい男はどんな時でも目立つ。
内面を見せてやりたい。
「ルーさんに手枷で繋がれとこうか?」
恐る恐る言ってみる。首を振られ、胸を撫で下ろす。
店内しーんと静まり返ってる……マズイことを上塗りしたのかも。
「いつもデイにくっついてるのは?」
目が優しくなったけど、頷いてはくれない。
「デイの側で働くのはどうかな? 王宮のお掃除係に空きはない?」
料理や裁縫を求められたら困るけど、お掃除なら。
私に手の届かない場所はない。屋根も天井も洗ってみせる。
「それはダメだ」
はっきりと拒絶。打つ手無し。
そうだ、こんな時には、
「真樹姉と竜樹兄に相談してみる。私の居場所をデイに知れるようにするとか、できるかわからないけど、頼んでみる」
瑞樹兄の一件が尾を引いてるんだよね、これ。
デイはふっと諦めたように目を逸らし、
「そろそろ戻ろう」
と席を立つ。
不満だった? 他に方法あるの?
呆然とする私に手を差し出し、
「少し遠回りする。着く頃には頭も冷えるだろう」
頭に血が上ってた? 誰の? なんで?
◇◇◇◇◇
「こっちの紅いの、と」
珠を繋げて簡易アクセサリーにする出店に惹かれた。キラキラした珠が無造作に入ってる箱がいくつも並んでるから。
私、金銭感覚ないけど、大丈夫かな。お財布に入ってるお金と、珠の価格を頭で計算してみるのは、実は意味が無い。莫大なお金がお財布に入ってる可能性があるから。千円のつもりが一万円だったりして。二桁ぐらい楽勝でズレてるかも。ルーさんならやりかねない。竜樹兄だって、一応伯爵位だし。屋台でイカ焼き買う感覚でお小遣いくれてたらいいんだけど、宝石店に入って本物の宝玉でも買って来いってつもりなら、全然違ってくる。この前のカトラリーのお店と宝石店は金額が表示されてなくて、さっぱりわからなかったし。やっぱりどこかで働いたほうが良さそうだな。王宮は、デイの言う通りやめておこう。どうせ、法外な時給になるはず。うぬぼれや謙遜は棚上げして、自身の価値を正確に把握すればそうなる。ここで下手に安くすれば他国からのお誘いもあるだろうし……。そうか、それを考えると、王宮で時給で働くのは確かに止した方が良さそう。王関連は無給の一択だな。
「その、白いのと透明なのをベースにしたら?」
金勘定してたのを、珠選びで迷っているとでも思ったのか、デイが指して私の顔を窺う。どうにも彼の私へのイメージは『白』らしい。それは鎧だけだっていうの。
「そうだね…」
言いつつ、周りのお嬢さん方の手元の小篭を覗き見る。ここに入れて最後にお勘定をする。何個も選んでるから、気軽に買えるんだろうと、ちょっと安心。それならとデイが勧めた白い珠を取ろうとすると、手が幾つも伸ばされてるよ。急に混雑してきたよ。少し様子見していたら、瞬く間になくなってる。なんでー。
「ほかに白いものは無いのか?」
デイが店主に聞いてる。祭りも序盤、さすがに品切れということはなく、「いえいえ」と店主は台の下から三つほど箱を出し、空箱と置き換えた。白と透明、それに薄い緑の斑だ。これは新顔だ。
「旦那の瞳の色に似ているかと」
店主は私にニヤリと笑いかけた。
そうかなあ? こんなに濁ってるか?
デイの瞳をじっと見れば、やっぱりもっと透明だ。違うな、と、視線を戻すと、その斑珠がもう殆ど無い。要らないからいいけど。
「青い珠も奇麗だよね」
ひょいとつまんで陽にかざす。ガラス珠かな。すこし陽が透けてる。みんなどこに着けるんだろう? どのくらいで、アクセサリーになるのかな。とまたお嬢さん方の手元を見る。動きがありませんがな。さっきの勢いはどこへいった。
「サユはどこに着けるんだ?」
それを探ろうとしてるんじゃないか、空気読め。
「どこに着けて欲しい?」
質問で返す。責任も返す。
「……あしかな?」
小首を傾げてる。私が傾げたいわ。
「足のどこよ」
ちょっとイラっとしてしまったのは大目にみてほしい。
「足首しかないだろう」
待った。また何かのフェチ発動なのか。それ以上は喋らない方がいいぞ。と思ったのに、
「皆が踊るのを見てると、足が目立つ。今日のサユは足首が見えるから…」
私の足下を見てる。だから私も見てしまった。正直、裾が膨らんでいるので、上からでは足首は見えないと思う……。
デイ、あなた、毎年、踊りの輪を遠くから見てるんじゃないの? もしかして椅子に座ったりもしてない? 今年もその姿勢で見る? どうなの?
「……見えないな」
私が口火を切る前に気付いたようだ。なにより。
しかし、その提案には乗った。手首につけてると隠れてしまうし、襟も詰っているので、見せるつもりなら足首だ。
「足首にする」
店主は麻紐の巻を渡し「では、これで足首のサイズを」と。
測れということですね。よいしょと体を折り曲げようとしたら、デイに紐を取られた。すいと屈んで私の足首に紐を回す。
「くすぐったい」
デイ、無言。周りのお嬢様方も無言。おまけに店主も無言。だれか何か言え。
「この長さだ」
デイが店主に紐を示して渡した。
「両方作られますか?」
デイは私を見て、どうする? の所作をする。
「片方でいい」
店主は紐をハサミで切り、
「では、留め金を嵌めますので、珠をお気に召す順に通してください」
できたら、もう片端に留め金をつけるんだね。受け取ろうとしたら、店主はデイに紐を戻した。
「篭の珠では足りませんからもう少し選んでください」
そして、また下から新しい箱を取り出して開けてみせる。今度は透明な翠珠。奇麗だ。思わず手に取ってしまった。
「旦那の瞳はこっちでしたね。失礼を」
金額が他のより倍する。でも、これがいい。いっそ、これで全部作りたい……って店主の術中にはまったのか。悔しい、悔しいけど、両足分買ったと思えばいい。
「これだけで…作りたい」
「そう」
デイが朗らかに笑ったから、ヨシとしよう。店主も翠珠の箱ごとデイに渡してくれたから、許してやろう。
それから早速着けてみた。歩く度に気になる足首を上げたり下げたりしていたら、デイに裾を押さえられた。
「俺でさえ見てないのに、他のヤツに見せるな」
「見たでしょ、ほら」
と足を高くあげて足首を見せる。
「中だっ、ばか」
足首を掴まれて下ろされた。
下着が見えるほどあげてないが、はしゃいだのは認める。
「ありがとう。嬉しい。大事にする」
お礼は既に言ったけど、もう一度。
結局、私は財布を開けることがなかった。デイが全部払ったから。持ってるお金だってもともと自分のお金じゃないし、ここは私が払います! とかいうのも違うような気がして、強く言えなかった。出店は現金が基本で、お店を構えてるところはツケが基本なんだそうだ。あまり現金を払った事が無いと言っていたが、デイは財布の出し方までスマートだった。
貰ってばっかりで本当に申し訳ない。自分でお金を稼いだら、デイに一番にプレゼントしようと決意。
パイ審査会場に戻ってみれば、審査は既に始まっていた。仕上げのみ、この会場で作る者と、最初から全部作るものと、釜を宿屋に借りるもの、会場即席釜を使うものと、本当に様々で。出来上がった順に審査となっていて、そこはもうさながら戦場だった。
「発表は夜になる。それまでここで見てるか? それとも…」
「デイユーキ将軍っ」
一人の騎士が駆けてきて、デイにそっと耳打ちする。前フリで叫んで耳打ちはちょっといただけないんじゃないのかと。
デイの眉間に皺が寄ってる。仕事かな。デイは、二言三言その騎士に告げ、最後に、
「タツキ殿はどこにおられる?」
騎士の返答とともに会場隅へと視線を飛ばす。
「わかった。すぐに行く。サユ」と私を呼び、
「今から兄上様のお側に連れて行く。俺が戻るまで、兄上様から離れるな」
そういって、ぐいぐいと手を引いて歩き出した。
何があったのか訊くヒマもなく、私は竜樹兄に引き渡された。
竜樹兄に会った途端、劇場のこと、珈琲のこと、足首の翠珠のこと等を喋りまくって、一息。その間、竜樹兄は黙って頷いているといういつものパターンで。でも、会場をうろついて(審査)いる姫様からは目を離さない辺り、ちょっと寂しい。自分の感傷が鬱陶しかったので場をリセットすべく、お茶でも貰って来ようと、腰を上げたとき、トッテンの姿が見えた。久しぶりで、つい手を振ったらこっちに来た。呼んだつもりは無い。忙しいのに悪い事したと両手で来なくていいジェスチャーをしてみた。…でも来た。
「ごめん、呼んだつもりなくって」
違う違うとトッテンは手を振り、
「デイユーキ将軍がサユを連れて来るようにと」
そして竜樹兄にぺこりと礼を取る。
「用件は?」
竜樹兄、無表情で訊く。
「は」とトッテンは一度敬礼して、
「詳しい事は聞いておりません。清流庭園へとのことです。私が共に参ります」
竜樹兄、トッテンをちらっと見て、私を見る。
『城なんか壊しても構わんからな』
久々の日本語でびっくり。どうした兄ちゃん。日本語使うのは一切禁止って決めてなかった? 内緒話みたいにこそこそするのは気分が悪いと…………みたいじゃなく、正真の内緒話だからいいんだ? でも、建物壊すの? 私が? どうして?
「おまえは考えなくていい。行って来い」
そしてまた姫様へと視線を戻した。兄ちゃん、健気だなあ。
◇◇◇◇◇
そして、今、部屋ごとぶっ壊そうかどうしようか迷ってる私が居るわけで。
清流庭園は、後宮の中庭の一つだった。王族の警護を任されている東軍といえども、男は本来は後宮には入れない。よって、東軍に在籍する女性騎士が後宮騎士となり警護に当たる。で、後宮に入る前に、トッテンは後宮騎士と交替した。
ここまではいい。
この後宮、実は機能していない。現国王には妾妃が一人も居ないからだ。居たら跡目にデイの名が挙がる事なんか余程でなきゃ無いね、とその時に気づいた。りっぱな後宮だ。中庭がいくつもあるということは建物はとても長い棟で構成されていることになる。後宮というより迷宮に思えた。妾妃が容易に顔を会わさぬような配慮らしい。一人も居ないが。それで、これはもったいないと考えたエラい王妃が、この後宮を侍女や後宮騎士、つまり王宮に勤める独身女性の寮とした。一部屋に数名、大きな部屋になると十数名が暮らしているらしい。バストイレベッド家具付き。男は一人も居ない。なんて快適。姫様も竜樹兄に付いて王宮を出るまではここで暮らしていたそうな。
これは後宮騎士さんに聞いたことで、ここまでも別にいい。
そして、思い出すに、王太子の許嫁さんだ。
彼女はここに住んでいない。まだ嫁いでいないのだから当然だが、妾妃ではないからというのが重要らしい。よくわからない。トランヌー ケイアット 十三歳。王の三番目の弟の娘である。デイとも従兄弟になる。いつぞやこの方に後宮の雑事を任せたいと言われたが、ここの雑事ならやっても良い。妾妃としてではなく、小間使いとして。
清流庭園は、この部屋に面する中庭のことだ。涼やかなせせらぎの音と、緑の葉擦れが心地よく、眺めているだけで心穏やかになる。
視線を部屋へと戻さなければ。
ここ、清流の間と名付けられた部屋は、寮化されていなかった。代々、一番の寵妃が住まう場所で、設備が豪華すぎ&マニアック過ぎるのだそうだ。改装するほど部屋数に困っていないから放置されている。後宮のベッドは、かなり大きい。成人男性をしても、八人ほど乗れるんじゃないかな。これは伝聞や予想ではない。目の前のベッドが大きいから。そして、その真ん中に、なぜかデンセンが正装のまま寝てるから。
私にデンセンを襲えとおっしゃる?




