虹の守護神プリズム 現世降臨! 1
デイは、第一王女ルサラシャ姫の従兄弟に当たる。現国王のすぐ下の弟がデイの父親だ。王族は従兄弟同士で結婚することが多いらしい。姫様が妙に私と義兄弟の関係を意識していたのもこれが理由。姫様と王太子は八つほど歳が離れている。それは王が実子継承を諦めるには十分な間隔だったとも言え、歳の近いデイと姫様は暗黙の婚約者となった。姫様七歳、デイが六歳の時だ。つまり、王太子が生まれるちょうど一年前。そしてすぐに王妃がご懐妊。それでもまだ腹の子が男子と決まった訳ではなかったから、のち一年ほどは婚約と王位継承の話が消えなかった。消えないだけで成立もしていない。が、やっぱりというべきか、生まれたのは福々しい男の子だった。
デイの父親は、王太子が生まれてすぐに王籍を外れ、爵位を受けることになった。王には弟が多く、他の弟達は既に領主として立派に自立していた。王籍から外れたとはいっても後継者問題があれば王籍復活もあり、継承権をなくすこともない。が、デイの父親は独立していなかった。できなかったと言ってもいい。この父親、ヘタレなくせに野心はあるという厄介な人。布団の中心で世界征服を叫ぶ人。蟻の巣を潰して陣地取ったと思う人。可愛い女の子に同級生をけしかけてうまくいってしまうと、靴箱に鋲を入れて(もういい)。
デンセンがそう言ったのだ。
このヘタレ父親の息子であるデイユーキが姫様の夫となり、次期国王となるには相応しくないと、親戚家臣の皆が皆思っていた。王太子が生まれ、ヘタレ二世への王位譲渡の危機は去ったが、婚約の問題は残った。これでは姫様があまりに気の毒、追々にして王家の恥になることをしでかすだろうと。そして暗黙の婚約者はついに公表されることはなかった。
父がヘタレでも子はわからない。そこまで父親の責を子に負わせるのは酷ではないかと、同じく父親の重圧を背負ったデンセンに聞いてみた。
— 息子も輪をかけてヘタレだったんですよ。口先だけで傲慢奔放。王太子が生まれた後も姫君の婚約者としてさも当然のように親子ともども振る舞っていたのですから。
この父にしてこの子ありかー。そうだよね、親は子の鏡、逆もあり。
いやいや、でも、今は将軍でしょ? 実力だよね? 剣の腕もぞわぞわするくらいだし。見た限り、デイ以上の剣士は居なかった(ブルー視点だけど)。
— その謎が、私もつい最近解けました。あなたのせいだったんですね?
私のせい?
— 七年前から、彼は、大規模演習の度に暗闇の森で寝起きしていました。そこから演習場に通っていたんです。どんなに遅くなっても宿には泊まらず馬を飛ばして戻っていました。鍛錬のためとのことだったんですが、私はてっきり女のところに入り浸っているものだと思っていたのです。ですが、それがサユ様のところならそれもあながち間違いではなかったでしょう? 他の人間は嫌味ではないかと思っていたようです。七年前のことを恨んでいるのではないかとね。
恨みとか嫌味とか女とか、なぜそんな風に思うんだろう。思う方が異常のような気がする。
— なぜなら、七年前の暗闇の森での演習は、彼にだけ課されたものでした。
それなら恨むかも。でも、どうしてデイだけ? 当時は王騎学の一生徒でしかなかったはず。
— 皆は 彼はすぐに逃げ帰ってくるだろうと予測していたようです。我侭ですから。もちろん危険のないように、見えない所に護衛は配備されていました。
それは嘘だ。でも私は黙っていた。
護衛が居て、監視していたのなら、私に気付かなかったはずはない。毎日のようにデイに会っていた。半日のときも数時間のときも、休みの日は朝から晩までのこともあったんだから。
大型の獣や有象無象出る森。夜は絶対に入っちゃダメだと辻馬車の親父さんに厳しく言われた。そこに13歳の子を一人きりで置く? この様子からして、当時、デイに剣の腕は全く無かったと思われるのに。
怠慢な暗殺だ。姫様から引き離すために。うわーえげつなーい。
デンセンは暗殺とまで考えが至ってない。彼は、デイより三つ年上だという。当時十六歳。この話は英雄である父親から聞いたに違いない。違わないほうがいい。他から聞いたとなれば、この策謀、おおっぴらに行われたことになる。
デイの父親もたいがいかもしれないが、あんたの父親も相当だ。
デイは、そうやって、一人暗闇の森に籠り、命賭けて有象無象倒しているうちに剣の腕を上げ、デンセンまで押し退けて出世した。
それでも、デンセンがイマドキの騎士様で憧れで、三つ下のデイは、『将軍』という呼称だけ。将軍だから偉い、将軍だから強い、将軍だからetc。デイだから、とは言われない。
そうか、将軍なのに真っ先に戦場へ出るのは、そういうこと? まだ謀略の続き? 誰か言ってたなあ。将軍に任せておけば良いとか、無責任に。
とにかく、立派な将軍になったデイには、結婚の話が引きも切らずに押し寄せた。姫様は暗黙の元婚約者だったので、ここでめでたく公の婚約者になるはず。
ん? お姫様はハッピーエンド! じゃないの? 違うの?
— 今では、女性をとっかえひっかえですよ。これと思った女性には気を惹くために高価なドレスや宝飾品を買っては贈っているそうです。そのくせ姫様をも離そうとしません。王座への未練がまだあるんでしょうかね。王になれば妾妃を娶れますから。
王太子が居るから、王にはなれないと思うけど、女性はいいんじゃないの? それも実力があるから勝手に寄ってくるんでしょうし。
— しかし、逆に言えば。あなたが妾妃になれば、王座も夢ではなくなるでしょう。なにせ奇跡の一族ですからね。
これが当事者以外から聞く方が良いと言われて聞かされた話。
今、私はデイと蝋燭の灯火揺れる幌馬車の中に居る。
「なにいってんの!! ジョーダンじゃないっ」
デイは、いきなり、何の前置きもなく、王都に着いたらその足で、教会で私と結婚の誓いを立てると言ったのだ。
外に居る人々が息を殺すのがわかるけど気遣う余裕はない。
「逃げる、絶対逃げてやる」
早速、この馬車からも逃げようとして立ち上がった。即座に転ばされたけど。
「落ち着け」
いーや、私は落ち着いている。この場から逃げるという正常な判断ができている。
「サユ、もっとゆっくり話がしたい」
人を足払いして転ばせたヤツがそれを言うか。あまつさえ両手首がっしり掴んで。
ドタンバタンと音させて、馬車もぐわんぐわん揺れた。蝋燭の心配をしたけれど、さすが馬車用。揺れても落ちない、たとえ落ちてもいいように、燭台は鉄製の鳥かごみたいな形になっている。馬車ごと破壊されたら知らないけど、早々に火事にはならないと思う。
「相変わらず、火には神経質だな」
私の目線を追ってデイは言った。
「当たり前でしょ。火は怖いんだよ。山火事とか山火事とか山火事とかー」
以前、お客さんの花火の不始末で、夜中に火薬が弾けたことがある。木々に燃え移ってゆく火を、寝ぼけ眼もこすらずに細いホースの放水とバケツリレーで消し止めた。大惨事になるところだった。燃えた木は三本。幸いにも庭の中央だったため、山には被害がなかった。以降、火の始末、念には念を、が私たちアルバイトの合い言葉だ。
……落ち着いてないな、私。
デイはフっと呆れたように、そして優しげに笑う。前はこんな顔しなかったよなあ。記憶に新しいから対比がカンタンにできる。便利。
「それにしては、ドラゴンの火流撃に自ら飛び込んだろう?」
首を傾げる。飛び込んだ覚えはない。
「いつ?」
「再会した時、闘技場で、だ」
あれか、と思い出すも、
「あれは飛び込んだとは言わない。一方的に攻撃されたと言う」
デイは頷いて、
「兄君が来てくれて良かった。今でもぞっとする」
私もぞっとする。あの時変身しなかったら確実に死んでた。
「最初は幻だと思った。会いたいとばかり願っているから、また、幻を見たのだ
と」デイは溜息し「サユの幻が、のほほんと遊んでいる、と思った。こんな場面でそれを見せるのかと心でおまえを罵倒した。だがドラゴンが幻に反応したんだ。それで、幻ではない本物だと気付いた」
「遊んでいたわけじゃないんだけど……」
そうは見えなかったんだね。ま、いいけどね。罵倒ってなに? それもいいけどね。
「間に合わないと悟った時、俺がどれほど後悔したと思う? のほほんとしたお前の顔がどれほど俺を責め苛んだと思う?」
のほほんのほほん言うな。私は真剣だったというに。
「でも、こうして無事だし、兄ちゃん居なくても、私だって防げたと思うし、だからもう…」
あの時は、ホワイトのことは全く頭になかったけど。
デイは首を振り、
「白騎士では、地竜の火流撃には耐えられない」
断定ですか。そうですね、私もそう思います。つくづく良かった。咄嗟に浮かんだのがブラックで。
でも悔しいから反論する。
「防げなくても、逃げることはできる。距離を取れば攻撃だってできる。翼竜の時だってそうだったでしょ?」
翼竜は運べても、あのどでかいドラゴンが運べるかは疑問だが。
デイはまた首を振り、
「それは、距離が取れなければ攻撃できないと言ってるも同然。そして最初の一撃を白騎士の反応速度で逃れられたかも怪しい」
くううう、ことごとく否定か。だから、適材適所で戦いに挑んでいるでしょうが!
思い出した。苦情を言わなきゃいけなかった。
「どうして私の荷馬車だけ避難させたの? 姫様も王太子も居るのに? 私だけ? いくら白騎士がトロくてもそんな必要ない」
サユ=白騎士設定はミスだったのか。
いいや、いくらトロくたって、全体攻撃の威力は凄まじい。それはデイだって認めてくれると思ったのに。
デイは視線を逸らし、
「命を削ってまで戦わなくていい。おまえは無理をするから」
無理ではないです。命も削ってないです。ただの仕様です。
というか、
「いい加減、退いてくれない? 重い」
馬車が揺れた後、外の様子がさらにおかしい。剣の音やらマントさばきの音やらがわざとらしい。『聞こえませんよー』アピールしているようだが、誰の話し声もしない。自分が喋ってると聞こえないもんね。みんな好きだなー。
「だから、退いてってば」
「体は預けていない。重いはずは無い」
確かに重くはない。けど狭い。って、言ってる端から体重かけるな。
「とにかく退いて」
「俺の重みが知りたいんだろう?」
……耳、大丈夫か。
「知りたくないけど」
「照れなくていい。とは言え、話を続けるのには不向きな体勢だ」
ふっと軽くなって、上体が起き上がった。
なんとなく、負けっぱなしている気がする。おねえさんとしては面白くない。
実際には、七年もの月日がデイの上を駆け抜けていったわけで、先に生まれていようが、私は年少者に違いなく、その分負けても当然といえば当然なんだけど。
「私より小さかったのに」
たった数日前まで。
「惚れ直したか?」
どうしてそうなる。それじゃチビなデイに惚れていたみたいじゃないか。
「そういうことを軽々しく言うのはよくないよ。誰も本気にしなくなる」
「サユだけ信じてくれればいい」
くじけるな、私。
「国のためにそこまで言う?」
そうだと言え。
「国がどうした? サユを初めて見た時、俺は震えるほど嬉しかった。見つけた、絶対に捕まえると」
ほらやっぱりね。
「奇跡の一族だからってこと?」
「そんなもの知らん。サユが俺の特別だとわかったんだ」
「特別って、なに?」
「俺の嫁」
あんたは竜樹兄ちゃんかと思いました、まる。
「どうした? サユ?」
「……べつに」
脱力した。
「さっきは、王都に戻ったその足で教会に行くと言ったが、それはやめる」
「え……」
どうした急に。でもそれは良かった。考え直してくれたのか。
「心配しなくていい。教会には行く。少し後で」
「心配してないっ」
そう見えたのか。都合が良い目だなー。
「サユにドレスの一枚も贈らずに、俺も何を焦ってるんだか」はにかむように笑い、「この七年考えに考えた。それが会えた途端に全部飛んだ。サユに贈る最初のドレスはウェディングドレスと決めていたんだ。サユにも好みが有る。それはわかっている。が、俺が選んだものを着て欲しい」
「ウェディングドレス?」
話についていけない……。
「他にもドレスを何着か、普段着もたくさん見立てた」
「見立てた?」
過去形? ええと、ちょっと待って。何かが引っかかるんですが。
「サユの民族衣装も悪くはないが、王都では目立ってしまう」
「民族衣装?」
意識していなかったが、言われてみればそうかもしれない。ジーンズとTシャツ。
「これ以上目立つと俺は寝ずにサユの番をしないといけなくなる」
「……番って?」
そろそろ1フレーズ疑問系オウム返しを止めたいのだが、そうもいかず、
「国王陛下への挨拶は、教会へ行ってからでいい。いや、その方が絶対いい」
「……国王が後?」
「そのあとで、父上に会って欲しい」
父親も後かい!
「父上は野望溢れる人だ。先手を打っておかないと安心できない」
「……先手?」
それは後手というのでは?
「その後、サユの兄君達と手合せ願う」
「デイ、順番が違うような気がするけど」
違うというより、むしろ下から順に追ったほうがいいと思うの。
いや、そうではなく。それもあるが、もっと前もある。
「あなたには婚約目前の人がたくさん居るんでしょう? その人たちはどうするの?」
「目前なだけで婚約はしていない」
「姫様はどうするの?」
「きかなかったのか?」
「なにを?」
デイは目を丸くして、少し考えた後、
「じゃあ、何を言ったんだ。まさか……」
デイの顔が歪む。私を見る。また歪む。さらに私を見て下を向く。
「私はあまり気にしないよ。同情の余地あるし」
今だってかなり同情してる。お父さんがアレで息子がおかしくならないわけないもんね。
「う、」とデイが詰まった。やれやれ。
「まあ、女グセが悪いってとこだけは、ちょっと引くけど」
「はあ?」
デイが素っ頓狂な声をあげた。全くもって予想外。そんな顔だ。
「姫がそう言ったのか? あり得ない」
姫様じゃない。違う違うと首を振った。
「だろうな。誰だ、そんなことをサユに吹き込んだのは」
と言いつつも犯人を突き止めようとはしていないのが不思議。
まったく、とデイは天を仰いだ。
「散歩に行きたいと言ったな? 行くか?」
上を向いたまま、あんまり気軽に言うものだから、
「うん」
確認せずについ素直に頷いてしまっていた。
デイも一緒に行くと私が知ったのは、麒麟が背後で唸ってからだった。
◇◇◇◇◇
星が瞬いている。この世界にも星はあって、かなり大きいが月もある。潮の満干が激しそうだ。
「王都へは明日着く」
デイは歩きながら言う。
また住込みで働く所を探さないといけない。現実が両肩に圧しかかる。右も左もわからないから誰かに紹介してもったほうがいいな。無難なところでスナイフか。彼はチャラいが己に正直だ。後はみんなクセありそうだし。後腐れもありそうだし。
どうしようかな、と思っていたら、
「……の部屋は、用意してあるから」
ポソっと声がした。
「え?」
あまりに声が小さくて、最初が聞き取れなかった。
「サユの、部屋は、もう、あるから」
あるからなんなの? なにこの中途半端。冷たく突っ込もうかと思っていたら、デイがその場にしゃがみ込んだ。どうした一体。腹でも痛いのか。
「あー、だめだ」
頭まで抱えだした。
「姫が言ったことは本当だ。昔のことだがっ」
いきなりのやけくそカミングアウト。でも、該当する記憶が私には無い。
「姫様は、私の立場を説明してくれたんだよ。かなり冷静で頭の良い人だと思った」
正直に感想を述べてみた。
「あとは、私の兄弟のことを私が話した。デイのことは何も喋ってない」
「え? 喋っちゃったーって、あいつ言って……」
またこの目だ。まんまる。それにしても、姫様あいつ発言は、傲慢認定されますよ。従兄弟だからいいのかな。人前ではちゃんと敬語だったよね。ならいいのか。よくわからない。
ごちゃごちゃ考えて黙っていたら、
「俺から言っておいたほうがいいか」
一人納得して、立ち上がった。
「もう少し、先」
前方を指差し、さりげに私と手を繋いだ。騒ぐのもなんだし、大人しく手を引かれたままに歩いた。麒麟も後ろを歩いている。見ると目を逸らした。麒麟も気まずいのか。私もちょっと気まずい。
デイは、木の根に気軽く腰を下ろし、私をその横へと招く。麒麟は背もたれになってくれた。これなら全員ともに目が合わないから安心。
呆れず最後まで聞いてほしいと神妙な顔をしてデイは話し始めた。とても小さな声で。おかげで私はデイの口元に耳を寄せるしかなかったけど。
「俺は、昔、泣き虫で弱虫で、誰かが居ないと毛布からも出られない子供だった。母は物心ついた時には、とうに亡くなっていたから、俺を叩き起こし引っ張り起こすのはいつもルサラシャだった。あいつ……姫は、昔から強くて頼もしくて、そして怖かった。張り飛ばされることは日常茶飯事で、それでも俺は姫の後を付いて歩いていた。そんな俺に、背筋を伸ばせ、胸を張れ、前へ出ろ、腐ってもおまえは王族だ威厳を持て、と姫は叱咤した」
あれ? 話の風向きが……。
「騎士になるつもりもなかった。才能もないと思っていた。俺を王騎学へ突っ込んだのは姫だ。逞しくなれと言って。俺はそれに大人しく従った。婚約者とか従兄弟とか言われても、俺にとって姫は『姉』であり『母』だ。言われれば従う。父上は俺には何も言わない。誰かの意見に従うのが俺の父であり、俺でもあった」
あちゃー、と思ったが、頷くだけに留めた。最後まで黙って聞こう。
「王騎学へ行って、俺も少し変わった。それまで逃げてばかりいたんだ。それがわかっただけでも大収穫だ。それすら気付かなかったんだから。きつい訓練だったが、今まで逃げていた分だから仕方ないと腹をくくった。あとはがむしゃらだ。何でも受けた。講義も目一杯。演習も課題も自由強制全部を。それがよかったんだ」
ふうと息をついて、
「サユに会えたから。実を言うと、サユに会ったのは暗闇の森に入ってから二日目で、既に音をあげそうになっていた。昼間なのにテントから出られなくて、前の自分に逆戻りだ」
そして笑う。
「女の子の声に呼ばれて出てみれば頬を膨らませたサユが居た。こんな恐ろしい森に、なんて能天気な娘だろうと。よほど強いのか慣れているのか、または魔の者か、見極めようとして……見極める前に……惚れてた」
語尾が小さい。
「それからは知っての通り、サユに会いたくて森に通った。周りも煩くなってきて諦めようともしたんだ」
サユ、と私を呼ぶ。
「自信なんか本当は無い。サユは俺のことをなんとも思ってない、俺のことなんかとっくに忘れてる。現れたのだって、俺に会いたかったからじゃない。そう言われるのが怖かった。だから聞けなかった」
情けないだろ、と眉を下げてまた笑う。
「だから、答えは要らない。サユがどう答えても、俺は変わらないと決めた。俺がサユを捕まえておけばいい」
そこの、肝心な私の気持ちを無視したら今までの感動っぽい話が全部おじゃんになる。どうして気付かないのか、こいつは。
まあ、でも。予想はついた。確認しておこう。
他人の言ったことを鵜呑みにしてはいけないと竜樹兄ちゃんも常々言っている。それも竜樹兄ちゃんの言葉を鵜呑みにしていることに他ならないこの矛盾。そこはまあいいや。私に竜樹兄ちゃん語録が多いのは、彼がお家大好きっこで共有時間が一番長かったためである。
それはさておき。
「ちなみにいいかな?」おずおずと手を挙げて、
「お父様は蟻の巣を弄るの好き?」
デイは、眉間にしわ寄せ、
「どうしてそんなことを?」
当然の疑問を口にする。だよね、そうだよね、私もなぜと思うよ。でも、
「いいから。蟻を観察するのが好きとか、研究してるとか、単に眺めてるだけとか、してない?」
蟻の巣と言えば思いつくのは、と諦めたように項垂れ、
「俺は虫も苦手だった。それで父上が、自分の子供の頃にやった遊びを俺に教えた。それからしばらく、蟻の巣潰しを熱心に……」
「お父様とやってたんだ」
デイは無言で頷いた。
根も葉もない事ではなかった。試しに訊いてみて良かった。これは面白い。セコさの例え話なら、どうしようも無いヤツと思えるのに、実際に本物の蟻を相手にやっていたのなら、蟻には悪いがほのぼの親子の昔話にしか聞こえない。後は聞かなくてもよさそうだけれど、もう少し確認。
「お父様が野望溢れるっていうのはどういうこと?」
デイは、半ば自棄に、
「父上はさっきも言った通り、従属したい人だ。気高く強き人に惹かれ、付き従うことを強く望み、そのためには一切の犠牲を厭わない」
……根っからの執事体質か。消極的に従うヘタレとは方向性が真逆。積極的に従う執事の野望。なにかの題名みたいだ
「王の元を離れ、皆に従われてばかりの現状に父上は辟易している。だからといって、中身の無い者には従えない。女性に対しても、身も心も凛として強かった母上が理想で、未だに母上を越える人は居ない。そんな父にサユを紹介したらどうなると思う? サユはこれ以上ないほど強い。父上を信頼しているが、サユを狙う事が絶対ないとは言い切れない。先に俺と結婚してしまえば、余計な心配はしなくていい」
大丈夫か、この親子。
「強いの意味が違うから、そんな心配はいらないと思うよ」
ちょっと休憩いれよう。脳が酸欠だ。
それにしても、姫はどこまでこの悪意満ちる情報操作を知っているのだろうか。
あの姫のことだ。少しも知らないなんてことはないだろう。知っていて、何もしないのだったら、デイに自分で乗り越えろということなのか。デイ自身がこの悪意に気付いてないのに、それって意味あるのかな。
……なにも気にしていないに、一票しておこう。あの方は、かなり図太い。




