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プロローグ



 それは高校二年の夏休み。


 私、笹山紗雪ささやまさゆきの民宿でのアルバイトは長期休暇の恒例だった。春夏冬春夏とこれで5度目。その民宿は、夏は避暑地、冬はスノースポーツの中心地ともなる山あいにある。


 義両親を説得し、中学卒業を目前にしてアルバイトの許可をもらったのは、別段、学費を心配してのことではなかった。義父母家族は私にとてもよくしてくれたし、亡き両親が残してくれたもので十分だと知ってもいた。さらに義母は爪の先ほども実子と私との差をつけないように奮闘し、義父、義兄×2、そして既に嫁した義姉も私には甘甘だった。それがたとえ同情の延長線上にあるのだとしても愛されていると実感していたのだ。


 

 あの日。実の姉が中学を卒業する日。

たまたま休みが取れたと父さんが笑った。紗雪が学校から帰る頃には家に戻っているからと母さんが言った。左胸に花を着けたお姉ちゃんはいつになく奇麗に見えた。それが実家族との最後の思い出。



「気を使いすぎじゃない? そんなに良い人たちならさあ?」


三シーズン一緒に働いている一つ年下の美保子が言う。お互いに自分のことをぽつぽつ打明けるほどには仲良くなった。彼女はお金を貯めて自費留学したいのだそうだ。


「気は使ってないよ。これは、ささやかなお礼かな。長期休暇ぐらいはね」


お小遣いも貰ってる。服も季節ごとに新調してくれるし、使わないって言ってるのに化粧品だって義姉さんが揃えてくれる(義母さんのセンスは古いから任せられないとのこと)。上の義兄は社会人、下の義兄は大学生、もう家族で行動する歳でもないのに私につきあってくれちゃって、たまには旅行とかもしたりして。それが長期連休ともなると、さらになんだかんだと連れ回される。嬉しいけど申し訳ないのも事実。だからその期間は、こうして外に出ることにした。お金も溜まるし、全てにおいてそこそこな私からの脱却もできるかもしれないし。


「なーんかやんなっちゃう。サユってババくさい」


この口の悪さにももう慣れた。


「枯れてる女にババア言われる覚えは無い」


悪態には悪態で返す道理。


「それはサユもでしょっ」

「私はこれで満足。美保は違うよね?」


胡乱な目で見てやれば、


「はあ、どっかにいいオトコ落ちてないかな」


やっぱりな返事。この話題で絡まれると先が長い。


「あ、香草摘まなきゃ。じゃあね」


わざとらしい言い逃げで、後ろ手を振る。

美保子も近くの養鶏所から卵を調達する予定があるはず。その後は二人とも自由時間になる。それが自分の磨き時間とも言う。去年から始めた乗馬もなかなかサマになってきたと思っている。めざせそこそこ脱出だ! 



 そんな決意をしたのが、良かったのか悪かったのか。



 民宿の裏山。中腹あたりに民宿所有の畑とビニールハウスがある。裏山と言っても高さは丘だ。木々は森というより林、さわやかな風が吹き抜けるほどまばらな状態。山菜は結構採れるが、風通しが良いせいか茸の類いはあまり採れない。


 畑で夕食用の香草を摘んでいる時、ふと山の上方へと視線を移してみれば。


 テント、かな?


 この位置からだと見え難い。確認するためにずんずん歩いて登った。


 やっぱりテントだ。また勝手に張ったな。私有地だっていうのに。もう少し上ると湧き水溜まりもあるから、絶好のキャンプスポットだとは思うけど。


「あのーすみません、お客さん?」


客では無いと思う。そんな連絡は無かった。でも一応そう呼びかける。


「お客さん、ここね、猪とかも出ることあるから、キャンプをするなら安全のために連絡が欲しい…」


オブラートにくるみまくって言う。でも、このテント、珍しい。形もいびつだし、分厚い布みたいなもので作ってある。かなり小さいけど、結構重そう。


「ーー?」


中から声がしたけど、よく聞き取れない。


「すみません、ここ…」


出てきた人物に絶句した。絶対お客さんじゃない。狭いテントから顔を覗かせたのはどうみても子供だった。しかも外国人っぽい。場所は民宿の裏手。危険というほどでもないが、完全な安全地帯でもない。子供の一人キャンプはお勧めできない。


「ーーーーー? ーーーー?」


言ってる言葉がわからない。英語ではなさそう。銀髪なのに。偏見承知で言わせてもらえば、この手の髪色の方々というのは、たいてい英語を喋る。母国語じゃなくても、日本に来てるなら最初に英語で話してくれればいいのに。私は英語苦手だけど。


などとふて腐れて愚痴るだけでは前へ進まないので、とりあえず、こちらから英語で、


「Strike a tent, please」


地面とテントを順に指差し大きくバッテンを作って言ってみると、凛とした眼差しで、すっくと立ち上がる子供。


「ーーー ?」


どうやらちょっぴり怒ってるようだ。見かけは麗しい王子様みたいだが、立ち姿は堂々として威厳さえ感じる。それにしてもやっぱり英語がわからないらしい。短い単語だけなのに。私の発音がダメダメだとはあまり考えたくない。


 でも、この子の言葉、日本語に似てるような? 


私に確認するように一言ずつ区切って話している。語尾が上がると疑問系なのがわかる。


試しに、「テント」とテントを指差し、「ここ」と地面を指差し、「ダメ」と両腕でバッテンを作ってみる。


かの麗しき王子は、首かしげつつ、


「 テ ン ト コ コ ダ メ 」


発音ばっちりです、王子。意味がわかってるかどうかは別。


 うーん、どうしようかな。この様子じゃ追い払っても、またどこかでテント張りそうだし。危ない所でキャンプされるのもイヤだし。


悩んでいたら、王子は私を指差し首をかしげた。


 名前を教えろってことかな。


「わたし、さゆき。あなたは?」


できるだけゆっくりと言い、王子を指さす。


「すはらや、でいゆーきゅ、ますらま たおらん」


おお、聞き取れた。聞き取れただけで意味わからんが。


私が「すはらや?」と王子をまた指差せば、首を振られ、「でいゆーきゅ」と彼は言った。こっちが名前らしい。


「でいゆーきゅ?」


と確認すれば、首をブンと縦に振り、私を指差し、


「ますらや、さゆき?」


そうそう、さゆき、と頷いてみせた。ますらや は『あなたは』らしい。


「さゆき、ますらま たおらん わきおえすくるみと」


途端に王子がニコーっと笑った。


 あ、だめ、まぶしい。無垢な笑顔が心に…、なんて三文芝居はおいておく。悪い子ではなさそう。


だから、警察や他人を介在させる前に、自分で自分の保護者を呼んでもらおうと思ったんだ。






◇◇◇◇◇






夕食の準備に追われるママさんに香草を手渡し、私もその準備に加わる。


「今日、牧場に行かなかったのね? 見かけなかったってゆうちゃんが言ってたから」


この民宿の主の妻、陽子さんことママさんは、かなりなポジティブシンキングをする。乗馬もいいけど他にもやればいいじゃない、あなたには無限の可能性があるのよ、が信条だ。その結果のそこそこ器用貧乏の生証人たる私にも容赦なく言い放つ。それは禁句だと何度も言ってるのに。


「今日は語学の勉強をしたかったんです」


 よくわからない異文化の。


「そうねー、それも良いわねえ。なんでもやってみることね」


ふんふんと鼻歌で軽いリズムを刻んで、大根も刻んでゆく。


ボールにさらっと大根を流し入れつつ、

「美保ちゃんと一緒に語学留学もいいんじゃない?」


ママさんの人なつこい笑みに、釣られて笑い返す。


「あの子と一緒じゃ日本語ばっかり喋っちゃいそうです。お風呂掃除してきまーす」


そそくさと場を退いたのは、デイユーキュのことがやっぱり後ろめたかったのかもしれない。






◇◇◇◇◇






 次の日。


 自分の仕事を早々に終え、デイユーキュのテントへと向かった。


 デイユーキュが操る言語は、やはり日本語によく似ていた。聞き違いが無いというのがこれほど都合が良いこととは思わなかった。一発で覚えられる。こんなわずかな時間でもそれなりに意思の疎通ができた。テントの中も見せてくれたし、彼が自給自足しているらしいこともわかった。よくよく見れば服装はボーイスカウトをもう少し豪華にしたようで、これは何かの訓練かとも思わせた。実際に彼はこれを訓練と言い、ここに何日か居なくてはならないとも言った。一人で。


そんな馬鹿な。



 そして十日が過ぎた。


 そろそろ誰か気づいてもいいのにと思いつつ、私のテント通いは続いている。一昨日行かなかったら随分機嫌が悪かった。怒られる筋合いは無いと思う。彼を信じるならば、彼は責務を負ってキャンプしているのだから。


って、子供なのにそんな馬鹿な。



 さらに十日が過ぎた。


 この間、2日ほどさぼった。やっぱり怒ってた。だって馬に乗りたいし、私にも夏休みの宿題というものがあるんだし。ほとんどは夜に頑張ってるけど、昼間でなきゃできないこともある。誰だよ、女子高生にミミズの生態を観察しろっつったのは!



 そしてまた五日が過ぎた。


 会話もスムーズになり、私の発音も全く違和感ないと褒められた。知らない国の知らない言葉なんかできたって仕方ないのに嬉しかった。そもそもどうして習っているのか考えだすと疑問ばかり浮かぶので、あまり深くは考えないようにしている。とにかく楽しい、それに尽きると。そしてまた器用貧乏への道が開く。


 言葉を習っていくうちに、彼の国のことが少しわかった。ずいぶんレトロな印象を受ける。想像するのは、途上国の片田舎。紛争もあるらしい。


 でもどこまで本当かわからない。なんせ相手は子供。私が知らないと思って適当なことを言っているかもしれない。たまに絵本の世界も混ざるし。これは私にも経験あるから責められない。こんな世界だったらいいな的に親を相手にさも実在するように話す黒歴史…。


 このとき、ふと、言葉そのものが彼の作りゴトだったら、私って相当オマヌケじゃないか? と怖くなったのも事実。それにしては出来過ぎなので、たぶん大丈夫だと思う。



 そのまた五日後。


「郷に入れば郷に従えと言ってね。どうして私があなたの言葉を覚えて、あなたがこっちの言葉を覚えないわけ?」


ちょーっと難しいことを言っちゃった。覚えたのが嬉しくて、つい使ってしまいました。


「おかしなことを言う。おまえが困るだろうから教えてやってるんだ。感謝しろ」

言葉を覚えていくうちにわかった。このおぼっちゃま、相当ナマイキ、相当口悪。 


「デイユーキ? 困るのはあなたでしょ?」


そしてこいつ(もうこれでいい)の名はデイユーキだ。名前の語尾にキュウとつけるのは尊称で、キで終わるこいつの名に尊称をつける場合はキュウではなくキとウをとってュだけつける。私は知らずに、デイユーキ様と呼んでたことになる。悔しい。だいたい自己紹介の時に、私はデイユーキ様です、なんて言うヤツいるか!


「サユキのほうが間違いなく困るんだぞ」


やれやれとため息をついている。ちなみに私に様をつけるとサユキュとなり、かなり気持ち悪い。


「サユでいい。皆にもそう呼ばれてるから」


うっかり、様、を付けてもいい予防策だ。まだサユキュウのほうが許せる。そんな心配はこれっぽっちもないけどね。


「では、俺のこともデイと呼べ」


なぜに? でも、この提案には乗った。デイユーキ、言い難い。しかも私と名前が一部被ってる。


「皆とは、おまえの仲間か? 一族か? 彼らはどこでどう暮らしている?」


一族は、家族と同じ意味でいけるはず。


「バイト仲間はすぐそこに居るけど、『一族』は遠いところ」


電車で何分とかの説明いらないよね。


「嘘をつけ。おまえの仲間など見たことはない」

「デイが見つかってないだけだってば」


逆だよ、逆。


「では言うが、俺はおまえの後をつけた。何度もだ。その度にまかれてしまう。どんな術を使った?」


ストーカーしておいて、人を忍者呼ばわりするか、このガキ。


「デイに土地勘が無いだけでしょが」

「トチカン? なんだそれ。俺にそれが無いと」


しまった、日本語まんまで言っちゃった。


「かわいそうに迷子なのね、ってこと」


そして日が暮れるまで延々言い争った。




 また五日が過ぎた。夏休みもあと一週間を残すのみ。


「俺はもう帰らなきゃならない」


唐突にデイが言った。ものすごく安心した。歳のわりにしっかりしてるけどやっぱり心配だったからね。私より三つ下で十三歳。とてもそんなふうに見えないと言ったらちょっと嬉しそうだった。もっと年下に見えたんだと付け足したら怒りだした。やっぱガキだなガキ。


「ちょうど良かった。私も帰るんだよ」


この頃になると客足もかなり減り、アルバイトもお役御免となる。多少は残るけど、私は御免組。寄り道しつつ帰りたいから。


「いつ? どこへ?」


焦ったように聞くから、


「明日の昼ぐらいかな。荷物まとめなきゃいけないし。デイも自分の国へ帰るの?」


ランカワンマクスラルスとかいう国。聞いたことが無いと言えば傷つくかもしれないので黙ってる。家に帰ったら調べてみよう。もしそんな国がなかったら、黒歴史として封印しよう。


「俺は王都に戻る。で? おまえはどこへ?」


まだ焦ってる。


「自分の家だよ。『一族』のところ」

「あ、ああ、そうなのか。遠いところ、か」


なんだか肩を落としてる。


「距離はあるけど、時間にすればたいしたことないから」

「そう、か」なぜか諦めたように言い、「また会えるか?」と。


なんだか必死っぽくて少し笑える。傲慢なおぼっちゃまのくせに。


「来年もこの時期ここに来るつもり。デイも来る?」


冬も春も来るけどさ、テントで生活できるのは夏ぐらいでしょう。


「次回の殖月だな。約束だぞ」

「うん、わかった」


そう答えてはみたものの連絡先の交換はお互い言い出さなかった。縁があればまた会えると私は思っていたし、デイもそうじゃないかと勝手に思った。





 次の日。お昼前。


「それじゃ、ママさん、また冬に来まーす!」


元気よく手を振るママさんに、こっちも負けずに手を振り、荷物を落としそうになりつつ裏山へと向かった。もしかしたらまだデイが居るかもと思ったんだ。会ってから帰ろうと。でも、いつもの場所に行ったら、そこにテントはなかった。 


 ふわっと風が舞う。いい思い出になったなあ。夏も終わりだ。うーんと伸びをしたのは、感傷を吹き飛ばすためだった。


 さて、帰ろう。


 踵を返そうと思ったが、この丘を越えても行ける。どうせなら戻らずに進みたい。レッツポジティブシンキング~~なんて言いながら歩き出した。






 それが悪かった、なんて思いたくない。





 迷った、完璧に。途中から全く見覚えのない風景になった。初志貫徹は迷子には厳しいから、デイがテントを張っていたところまで素直に戻った。なのに、まだ迷子ってどういうこと? この場所は間違いない。デイのテントの跡が残ってる。薪の燃えカスも残ってる。火の始末をくどくど言ったせいで、この辺りはまだ水浸しだ。だから間違いない。デイはここにテントを張り、生活していたんだ。


 でも、あるはずのビニールハウスも、民宿も、見えない。何もない。この先に広がるのは荒野だけ。


「ここ、どこーー!!!」


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