理由
神様というものは酔狂なことに。
ある者にはすべてを与え、またある者には何も与えなかった。
パラメータの振り方を間違えてしまったのだろう。
別段、俺は神様を信じているわけではないけれど、
この世界には彼らの酔狂としか思えないほどに他を超越する存在がいるのは事実だ。
それを理不尽だと糾弾する者もいれば。
それを運命だと受け入れる者もいるわけで。
とかく、六小瀬神海はあらゆる面において、
公立嚥下高校の一般生徒を超越していた。
成績優秀、容姿端麗、才色兼備、品行方正、運動万能。
何においても非の打ちどころがなく、人当たりもよく人気もあった。
以前は俺も彼女のことを選ばれた人間だと思っていた。
神の気まぐれにより生み出された完璧人間。
何でも出来る天才少女。
―――しかし。
「屑。何をボーっとしているのかしら。病院でもいった方がいいんじゃない。」
「・・・・・・・・・・・。」
今隣で話しかけてくる六小瀬神海は、我々嚥下高校生徒が描いた人物像とは
大いにかけ離れていた。
というか一部分のみが度を超えて酷い。
粗野で横暴で傲慢で冷徹で、今の彼女には品行方正なるものは全くもって見当たらず、
逆に甚だしいまでに欠落している。
「屑。聞いてる?」
「聞いてるよ。」
「なら返事をしなさい。」
「・・・・はい。」
「三回まわってワン。」
「三回まわってワン。」
「繰り返すのではなく実践するのよ、屑。本当に病院に行った方がいいんじゃない?」
「・・・・・やらない。」
「やるのよ。」
「・・・・・・・・・・。」
時刻は下校時間をとっくに過ぎた放課後。西日の射す二人だけの教室。
ありふれたドラマなら、まず間違いなく男と女の愛の契約を結ぶ場面なのだが、
二日前に俺たちが取り交わした契約はあろうことか、主人と奴隷の血の契約だった。
あの時の彼女の口上を俺は一生忘れはしまいだろう。
『屑。あなたは私に罪を犯させたの。人を憎むという罪を。分かる?穢れなき私の心に泥を塗ったの。
だから絶対にあなたを許さないし、これからあなたには、私に罪を犯させたという罪を償ってもらうわ。
罪には罰なの。拒否権はないわ。』
言って。
とどめとばかりに彼女は携帯を俺に突きつけ、
『もしそれが守れない場合、これを私のブログに張り付けるわ。』
と、感情を全く滲ませない声で平然と言ってのけた。
俺はそんな横暴が許されるものかと反論する気満々で。
彼女に法治国家とは何かということを説いてやろうと言葉を紡ごうとして。
その内容を読んで口をつぐむことになるのだった。
『三組の屑山御瑠田君とよく目が合う。
彼はいつも下卑た笑みを浮かべ、まるで私を舐めまわすように見るのだ。
怖くて、それがとても怖くて。
だから最近、私は視線をなるべく合わせないように心掛けるようにしている。
それが私にとっても彼にとっても最善の選択だと思ったからだ。
でも、、、。
目を合わせないようになったのと時期を同じくして、偶然かもしれないのだが
下校中に後ろから視線を感じるようになった。
私に纏わりついてくるような卑しい視線だ。
意を決してぱっと振り返ってみてもそこには誰もいない。
誰もいないのだ。
恐ろしくなって私が走り出すと、一緒になってその誰かも走り出す。
怖いです。本当に怖いです。
そんなことがここ最近ずっと起きています。
口にすることが恐ろしいので誰にもこんなこと言えません。
でも今日は思い切って書くことにしました。
そうしないと、私の中の何かが壊れてしまいそうで。
誰か、助けてください。お願いします。』
つっこみどころは山ほどあったが、正直な感想を言うと俺は恐ろしかった。震えあがった。
彼女が単純に怖かった。
おそらく、彼女の作り上げたこの『彼女』よりも、俺は恐怖を覚えていたに違いない。
人気者のブログほど恐ろしいものはないのだ。
俺はそんなネット社会の恐ろしさを目の当たりにすることとなった。
こんな爆弾が人口に膾炙された日には、俺は荷物をまとめて学校を去らなければなるまい。
――さらば俺。
――さらば愛しくもなく、大事でもなく、楽しくもない日々よ。
ていうか爆弾なんて物は彼女がでっちあげた架空の話で、
最初からそんなものはない。
それに躍らされるなんて腹立つことこの上ないし、馬鹿げている。
――しかし。
彼女は神に選ばれし人間。
すべてを兼ねそろえた超人。
人気も高く人当たりもいい。
などと生徒が勝手に思い込んでいる・・・いや、この際はっきり言おう。
生徒を色香で惑わし、意のままに操る術を持つこの性悪女の発言力の高さは異常だ。
偉そうに教鞭をとっている先生なんかよりもよっぽど高い。
そんな彼女が創作した、ストーカー被害に遭いその犯人が俺であるかもしれないという全くの虚構は、
あろうことか通ってしまう。
俺がどんなに異を唱えようと通ってしまうのだ。
黒でも、彼女が白と言えば白になってしまうのだ。
世の中はとことん、持たざる者には冷たい。
結論を言うと
俺は、あるはずのない嘘を人質に取られたばかりに、
何とも横暴な言いがかりを罪と認め、彼女の奴隷となることを受諾したのだった。
その恭順の証として、今。
「・・・・・・・・・ワン。」
三回回ってワンと言った。
・・・・何か大切なものを失った気がした。
「本当にやる人間ていたのね、屑。とても気持ちが悪いわ。」
「・・・・・・・・・・・。」
六小瀬神海はそう言って、俺の前の席に後ろ向きに腰掛ける。
俺は自分の席にすでに座っていて、紅と黒の境界線で彼女と区切られているわけだから、
この構図は二日前と全く同じだ。
いや、言い直そう。
構図だけは・・一緒だ。
「あら、元気がないのね。それとも何か言いたいことでもあるのかしら、屑。」
良くわかったな悪魔め、言いたいことは沢山ある。
「六小瀬さんは・・・。」
「神海って呼んで。」
会って二日でそれはどうなんだ。
「・・・・神海さんは美樹菜が・・。」
「美樹菜は尾山。」
ああ、もどかしい。
「神海さんは、みき・・尾山さんを好きだって言ったよな。」
「そうよ。」
「それで、尾山さんは・・その、俺のことを・・好きだと。」
「そうよ。」
「だから、神海さんは俺を妬んで、憎いと思った。
憎いと思わせた俺を許せなかった。」
「正確に言うなら、初めて人を憎いと思わせたあなたを許せなかったよ、屑。」
そこがまず、おかしい。
今までの十七年間、一度たりとも人を憎んだことがないだって?
冗談だろ。そんな人間いるかよ。もしいるのならお目にかかりたいぐらいだ。
きっと神によって選ばれた天才なのだろう。
常人とは思考回路が全く違う、神通力すら持ち合わせた超人なのだろう。
だから耐えられるし、恨みもしない。
そんな人間がこんな田舎の公立高校に・・・・・。
「いたんだよな。」
「何?どうしたの?」
「いや、こっちの話。」
事実、超人は目の前にいる。
彼女は、とある男のせいで人を憎むという感情を知ってしまった。
人の心に、こんなにも醜い感情があるんだということを知ってしまった。
彼女の純真無垢な心はそれを罪だと認識し、その上で贖う(あがなう)ことはしなかった。
おそらく出来なかったのだろう。初めて犯した罪に対する対処法を彼女は知らなかったのだから。
つまり、彼女は今試しているのだ。
罪に対する対処方法を検討していて、その試運転として俺に罪を背負わせる方法を選んだ。
俺に罪を背負わせることで、自身の罪を償おうとしているのだ。
そんな償いの仕方は間違っている。
彼女にはしっかりそこのところを分かってもらわないといけない。
これが昨日、学校を休んでまで考えた末の俺の解釈であり結論だ。
いきなりまくしたてるように言われても頭の回転が追い付かないが、
二晩も考えれば冷静に分析できる。凡人でも天才の思考にある程度追いつくことが出来るのだ。
時間は偉大だ。時間万歳。
俺は意を決して集大成をぶちまけた。
「俺を恨むのは筋違いだと思うんだけど。神海さんは自分で罪を償うべきだよ。
それを他人になすりつけて、しかもあらぬ理由で無理矢理償わせようとするのは
倫理的にもおかしいし、自分に対する逃げだと思うんだ。ちゃんと向き合えよ。」
YOU、向き合っちゃえYOU!
俺は最高に気分がよかった。鬱憤が晴れた。
おそらく今の表情を写真に取られたら、ドヤ顔の代名詞として
後世にまで残ることになるだろう。
よし、帰ろう。
俺は椅子をすっと丁寧に引き、机横の鞄を取り颯爽と踵を返す。
これほど学校を気持ちよく離れられるのはテスト終わりぐらいだなと呑気なことを考えながら、
優雅に教室の扉に手をかけたところで・・・。
「えい。」
「うぐ。」
灰色の木扉に額をぶつけた。
「何をする。」
「それはこっちの台詞よ、何をしてるの。」
「いや、帰ろうかなと。」
「何で?」
「何でって。」
「契約を忘れたの、屑。あなたは私の奴隷。
勝手に帰ってもらっては困るわ。」
ですよねぇ。いや、分かってはいたけれど。
『一生許さない』って言ってたもんな。
二晩考えた忠告が果たして彼女の胸に届くのか賭けだったけれど、
胸というか耳にすら届いていない様子だ。
昨日一日の俺の頑張りを返してくれ。
「でも。」
と、彼女は右手を差し出して言う。
「悪いようにはしないわ、屑山君。それだけは安心して。」
そう言う彼女の笑顔は、花が咲いたかと思えるほど魅力的で可愛くて、
俺はまたドキッとすることになった。
きっとこうやって何人もの男を誑かしてきたんだろうと意地の悪い考えも沸き起こったけれど、
それすらどうでもよくなってしまうような笑顔だった。
男ってのは女の笑顔には弱い。
ましてやそれが六小瀬神海の笑顔ならなおさらだ。
彼女はやっぱり神に選ばれた人間なんだなと、西日の差す二人だけの教室で、
俺は渋々、彼女の白磁のように白く小さな手を握り返した――。