HEN―SIN
その意味は……。
此処の世界にも風呂は、各一般家庭にも普及している様だ。
勿論、“疎開村”名物(緊急時のみ)である銭湯の様な公衆浴場もある。
この村の建築物自体、疎開者を受け容れる事に特化した造りになっているので、当然浴槽もある程度広く、十人位は余裕で入れる。
掃除は大変だが、一人で入るとなるとこの空間を独り占めしたくなるくらい豪勢に感じられた。
「どうするよ、相棒?」
「どうするもこうするも、先ずは“ディブレイカーズ”に向かうしかねぇだろ?」
現在、神とライドは同じ浴槽に居、同じ湯に浸かっている。
神は顔にだらだらと溢れ流れる汗を、両手で湯船に溜まった湯を掬い、ばしゃっびしゃびしゃ、と顔に掛けて洗い流しながらライドの問いに受け応えた。
いずれにしても、この世界を知らな過ぎる事に危機感を感じていた。
光が差したとはいえ未だに暗闇で手探りしながら前へ進まざるを得ない状態なのだ。
――一寸先は闇、針の穴から天井覗く。
故に、先へ進むには入念な下調べが必要だ。
「今はグダグダ考えるより、明日に備えた方が良いぜ?なぁ、相棒(神)?」
悩むだけ、無駄、という事なのだろう。
「……けっ。美味しい所、てめぇ独りで掻っ攫いやがって」
腕を浴槽のヘリ一杯に、肘を掛け合いを投げ出した状態で、神は悪態を吐いた。
――――しかしながら、風呂場という密閉された空間に男女二人きり……の筈なのだ……。
が、そう感じさせないのは、神の、緩急少ないなだらかで平坦な残念体型と合いまった、男子と見違う程の逞しい細マッチョな体躯、更にそれに見合ったイケメン顔にある。
本人も自覚が在る様で。
普段男装しているせいか本来ならモテる筈なのだが……どっかの主人公(笑)にお株を取り上げられてしまっている、といった、ふざけた構図となっていたりする。
ライドでさえ、「こんなに素材が良いのによぅ、女共(お前等)ときたらこいつの魅力が解ンねぇなんて勿体無ぇな」と啖呵を切ってくれるのだから。
「素直じゃねぇな」
「お互い様だろ」
学生独り身の朝は早い。
そうで無くとも初回召喚時は、修行のために毎朝早く起きていたし、朝食を作らなければならない状態だったのでその習慣が身に付いてしまっている。
午前五時半現在、二人は魔力を練り、循環させながら正拳を突いていた。
それが終わると蹴り、それの繰り返し。
この世界では、拳闘術は衰退していまっている。
理由として、魔物・魔獣・そして魔法使いの存在が大きい。
無手の体術で攻撃するよりも武器を振った方が効率がいいからである。
だから無手式武術と言えば護身術程度の型しか無く、それよりも高次元の様々な流派へと発展しなかった訳である。
神達は武器を使えるが、大体は無手式武術でカタを着ける事が多い。
拳と脚の空を斬る音が、ひゅんふ、ひゅんふと鋭く唸る。
何セットか続いた後、村を何周か走る。
魔力は練らない、純粋なる脚力の身でひた走る。
風より速く、もっと速く。
天空より墜ちながら轟き叫ぶ、雷光の音よりも速く。
それらが終わったのは、日が完全に昇る午前六時を回った頃。
これが神達の日課であり、先の説明の通り、反復作用の結果、習慣化するに到った訳である。
「おはよう、ジン君達は朝早いのだな」
門番兵・リードの自宅に戻った神達は彼と廊下で鉢合わせした。
「おはよう、朝一での鍛錬は欠かせないっすからね」
夏の暑さが残っているのか、神とライドの上着は汗でびっしょりと濡れている。
「そうか。しかし無理はしないでくれ」
二人の体から流れ出る汗の量を見ているのだろう、心配そうな目で「大丈夫か」と語りかけながら妻であるフェイとフィリアが待っているであろう居間へと足を運んで言った。
……彼女等にとってこの位の鍛錬は無理の部類には入らず、寧ろ呼吸――動物が口や鼻から酸素を取り入れ肺に送り込み老廃物を吐きだす――の様に日常動作の中にある、と認識している。
つまりそれは、それ相応の相手と実践で戦いの経験と、その中でスキルを身に付けたからこそであった。
この世界でもそれは同じ事。
鍛えなければ、立ち塞がる障害物(敵)を倒し、前へ進めないからだ。
真実を知るためにはそれ相応の代償を求められる、だがそれを目前に倒れてしまっては実質無意味且つ無力と言われざるを得ないのだ。
前進、その一歩を踏み出すために必要な力を手に入れるためには、結局強くなるしかない。
神は最初に勇者として召喚された時、初めてそれを思い知った。
故に強さを求めた。
真実を解くために、導くために。
しかし、漸く頭角を現せる様になったと思った矢先、それが叶わぬまま世界を救という結果に終わってしまった。
ゲームでも何でも、一度クリアしたものはやり直せない。
今回は幸か不幸か、彼女等の計り知れない所で突拍子も無く召喚が行われた。
――――この際だ、納得のいくまでとことん、突っ走ってやる。
「俺達も行こっか」
「そうだな」
二人も彼を追う様に居間へと向かった。
朝食の後、午前中はフィリアと共に文字――此処では世界共通言語であるプリスタ語をフェイから習った後、昼食を経て小さいながらも図書館に来ていた。
先ずはこの世界の年代記から。
とにかく時間が無い。
速読と、召喚された際に手に入れた瞬間記憶能力で調べた後は、英雄譚・神話・伝記・民話など、兎に角必要だと思った物を調べ尽くした。
ぱたりと、最後の一冊を読み終えリードの自宅へ帰ろうとした瞬間、事は起きた。
何処からやって来たのか、ぼろぼろの服装の女の子がふらふらと黒い何かをぽたぽた垂らしながら近づいてくるが、その場で倒れてしまった。
随分苦しそうなのが良く解る、腹が異様に膨らんでいるのだ。
「――――っ!!――――っ!!」
ぐにょぐにょと少女の腹が盛んにうねっており、それが苦痛なのか声に出来ない叫び声を上げている。
野次馬の中から一人の男性が血相を変えて近付き、痛みに悶える少女に介護を求めようとした瞬間、事態は急変した。
「――――――――――――――――――!!!!」
一際長い叫びと共に痙攣を起こし女性器……恥部から大量に流れ出し、現れた黒いタール状の塊が男性を一瞬にして呑み込んでしまったのだ。
突然の丸呑みに遭遇してしまった神は目を剥いた。
(――――何なんだ、あれは!?)
ドロドロと気味の悪い流動隊の中から何かがずるりと地面に落ちた。
地に目を向けると、喰い残された人の顔やら、半分喰い掛けの腸が飛び出ている半身が散らかっている。
どうやら被害者は今さっき飲み込まれた人だけでは無かった様だ。
「おら!」
「ぐぁ!?」
黒い流動体による突然の訪問によって呆然と立ち尽くす神の背中をライドは思いっきり蹴った。
「何ぼさっとしてンだ。さっさととっちめるぞ!」
間髪入れずに檄を飛ばしてくれたお陰か、明後日の方向に向いていた神の意識は戦闘モードに切り替える事が出来た。
「ああってるっつーの」
“コマンドブレッチ”のホロウィンドウを押して“ビッグウィング”と“コモンウルフ”を狩った長銃剣を出現させた。
「“フォトンブラスター・セットオン”『レーザーバレッツ』……シュート!!」
熱量を持った光の筋がタール状のそれをじゅう、という焼け焦げた臭いを発しながら貫く。
「よー……し…………!?」
けれども予想に反し貫き仕留めたと思った瞬間、直ぐに穴は塞がってしまった。
流動体モンスター・スライムでもこの瞬間的自己治癒……いや、自己再生力は有り得ない。
ラグはあるものの何処吹く風、まるで生半可な攻撃ではびくともせず大したダメージが通らない真か裏ラスボスだ。
しかし、神達から見ると、この流動体モンスターはどう見ようが、ただの雑魚にしか見えない。
不意にぎょろりと幾つもの目玉が流動体から現れ、神達を睨み付けた。
悪寒。
ついさっきまで神が居た場所から煙が上がっている。
「ちっ、溶解液かよ」
今でこそ雑魚の部類であるが、スライムは強力な酸性の液体の塊だ。
厄介な事にそれがこの黒いタール状のモンスターにも備わっているというのだ。
被害者の死体の男性を良く見ると、溶けかけている事が解った。
「なぁ?ライド」
「あん?」
「こういうのって、確か核をやればぶっ倒せるって事で良いんだよな?」
「俺に聞くな、神」
流動体モンスターの弱点は熱量を持った攻撃で跡形も無く全てを消し去るか、神が言った様に核を潰せば一撃で倒せる。
しかし、奴はタールの様に不透明。
何処に核が存在するのかなんてどう見積もっても見当が付かない。
(チキショウめ)
手詰まりだった。
一縷の望みである“あれ”は先の大戦で壊れてしまってもう無い。
考えようにも黒スライム(仮)はそれを許さず、溶解液から腕より一回り太いであろう無数の触手を鞭の様にひゅんひゅんしならせながら神目掛けて襲ってくる。
「――――はっ触手プレイ何ざお断りだ、『鬼火弾』!!」
フォトンブラスターから、妖しい炎の塊である『鬼火』を撃ち出し触手を撃退しているが直ぐに再生してしまい、埒が明かない。
ライドも触手を自慢の剣で斬り付けるも、彼には目もくれず、神だけを狙いに行っているばかりだ。
「しまっ……!?」
対応しきれず、触手に腕を絡まれてしまう。
次いで両足も触手に取られ、中空へ上げられてしまった。
見ると絡まれた右腕と両足から煙が立ち上がる……が、不思議な事に溶けたのは絡み付いた部分の袖だけで露出した部分が全く溶けていなかったのだ。
神は先程の少女を思い出す。
――――間違い無い。
一か八か。
「ライド、女は任せた!!」
「あん?」
「いいからいけ。こいつを出した女だ!!」
「お、おう」
ライドは少女の方に駆け付け、声を掛けた。
「おい、大丈夫か?」
「……ぅぅ……は、い……何とか…『お陰さまで、ね』」
不気味な声を発し、隠し持っていたであろうナイフをライド目掛けて突き刺した。
いや、咄嗟に避けたお陰か脇腹を切り裂かれた程度に終わった。
「……てンめぇ、何者だぁ?」
脇腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべて片膝を付いてしまう。
『我は…いえ、私は数多の異世界に死をもたらす『ワールドキラー』が一人・“尖兵長のギグラ”』
「『ワールドキラー』……!?」
『ええ。我々は世界を殺す事に快感を得ていましてね、今回はこの世界を標的にさせて貰いました。まぁ、この体の女も、先兵を派遣してくれるのに一役買わせて貰いましたが……駄目ですね、あまり呈の良い物は出来なかったみたいですね。しかし種は広め終えましたし、後は貴方方を始末するだけです』
ずるりと女性器から珠の様な物が排出され人型の形に変化した。
「やっぱそうか、核は女の“子宮内”だったか」
『おや、気付いておられましたか。流石ですね、母体に適さないというのに頭は回るものですか、そうですか』
ライドの脇腹は血が止まっているが、あまり芳しくなく、此方も触手に捕らえられ身う語具が出来ない状況だ。
絶体絶命のピンチ。
「さ、我々の目標達成のために消えて亡くなりなさい『ジェノサイズ・デストピア』!!」
人型のそれは、掌から黒い塊を出現させ、射出した。
“コマンドブレッチ”も腕を絡められてしまっては機能できない。
「くそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
直撃――――の瞬間、神の体が輝きだし、黒い塊を黒スライム(仮)共々消し去った。
『何ですと!?』
未だ予想だにしなかった事態が起こり、ギグラは驚愕した。
『あー、あー、やっと繋がった』
聴き慣れた女性の声が“コマンドブレッチ”から聞こえてくる。
「ア、アルテミスか!?」
『……そうよ、勇者様が大大大っ嫌いなアルテミス様よ?』
アルテミスと呼ばれた女性は、モニタの向こうで嫌味な表情をしながら高圧的な態度で毒を吐く。
『私の攻撃が、消されただと……』
ギグラは自分の攻撃が無効にされた事で此方に関心が行っていない。
『何あれ』
「ギグラ…『ワールドキラー』っつう異世界を殺す奴等の一味らしい」
『あぁん、その声は英雄ライド様ぁ。神、まさかアンタ、あたしのライド様に手を出していないでしょうね?』
どうやらアルテミスはライドにお熱の様で、神に対してきつく突っかかって来る。
「するか。つーか今の聞いてたんか?」
『ワールドなんとか、とかいうキモい集団でしょ?それより!…兎も角、不本意だけどアンタのCSが修復&パワーアップできたから転送するわね。あ、ライド様には、専用のCSと“コマンドブレッチ”を転送するから待っててねー』
「……お、おう」
ライドはアルテミスの変容振りに戸惑うも、現れた“コマンドブレッチ”を右手首に装着した。
「助かったぜ、サンキューな」
『べ…べべべべ別にライド様のスーツが完成したからだもん。愛は世界を越えるの。アンタはついでだもん、ついで』
神の兄性に充てられ顔を真っ赤にし、うろたえながら通信をぶっちりと切ってしまった。
天は、彼女達を見放さなかった。
対抗しうる、力を取り戻した神とライドは肩を並べ、ギグラの前に立ちはだかった。
『畜生、貴様等ぁぁぁ!!』
醜い叫び声がビリビリと村中に響き渡る。
「ギグラ、もうテメーは終わりだ」
『黙れ!黙れ黙れ黙レダマレェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!』
「お前を此処で、ぶっ倒す」
右腕を目の前に翳し“コマンドブレッチ”から在る魔法を紡ぎ出す。
『変身』
嘗て、神は魔王の唯一の対抗策として特殊なCSを手に入れ、それを身に纏い、戦った。
今でこそ続いている『仮面ライダー』や『戦隊』シリーズの様に変身の掛け声でスーツを身に纏い戦う変身ヒーローと同じ様に。
それが今、此処に復活する。
そしてまた、新たなヒーローと共に。
『何だ……何なんだ、それは!?』
「BHフォース・ブレーカーZ」
「BHフォース・クラッシャー」
『BH……オノレ!!』
ギグラは怒り狂い、猛りながら体から黒スライム(仮)を出現させ神達に襲いかかって来た。
『行ケ、ショゴス。ソイツ等ヲ生キテ返スナ!!』
無数のショゴスが溶解液を一斉に吐き出し襲う。
二人は真横に避け、ショゴスに向かい追撃を入れた。
先程の比では無い威力に、ギグラが幾らショゴスをその身より生成しようとも、次々と消されていき追い付かない。
「流石アルテミス、良い仕事しやがる。前より性能の感度が上がってるぜ」
「こっちも高性能過ぎて気分は宇宙にフライハイだ」
ショゴスを掃討され、怒りの矛先が定まらなくなったギグラ。
『ヨクモ、俺ノ可愛イ我ガ尖兵ヲ!貴様等ダケハ、許サナイ!殺ス、殺シテヤルゥゥゥ!!』
ギグラが苦し紛れに特攻を仕掛けて来た。
神は変形させた剣で、ライドは自前の剣で斬り付けた。
しかし、予想に反し攻撃は弾かれてしまった。
「なぁ!?」
「マジかよ?」
『フハハハハハハ!!!流石ノ貴様等モ、自ラノ武器デノ応戦ハ無理ダッタ様ダナ。クハハハハハハハ、良イ気味ダ!』
ギグラの捨て身の中空突進攻撃が神とライドを襲う。
『サァ、コレデ終イダァ!!』
天高く空へ飛び、構えると、先程の黒い塊を纏い突進してきた。
「あれ、やるか」
「あれか、良いぜ」
『死ネェェェェェェェェェ!!』
『EXPIOSION』
腕から魔法陣が幾重にも重なり、勢い良く回り出す。
『無駄無駄ァ!!』
「無駄かどうかは」
「この攻撃を受け止めてから言って貰おうか」
拳を握り締め、構える。
「「『エクスプローシブ・ダブル・インパクト』ォォォォォォォォ――――――――――――――――!!」」
黒と赤が交差する。
その衝撃は凄まじく、辺りの建設物にひびが入る程だ。
『クソガァァァ!!オノレェェェェェェェェェェェェェェェェ!!』
彼女等の攻撃に押し負け、紅蓮の爆発に飲み込まれギグラは跡形も無く消え去ってしまった。
「本当に良いのかい?」
事が起きた翌日、村の門にリード一家とクレイクは神達を見送るために来ていた。
「ああ」
やるべき事ができたから、と一言付け足した。
「そうか」
騒動の後で、ミア――ギグラの尖兵を媒介していた少女――の命は何とか助けられた。
酷く衰弱して風前の灯火ではあったが、リードさん一家が保護・介助の甲斐あってか少しは元気になった様である。
まぁ最も、エロゲーでも女性を媒介に異形の生物を爆発的に広めていく物があるが、まさかリアルで拝む事になろうとは思わなかった訳で、下手をしたら神もどうなっていたか解らなかった。
「ジンおねーたん、ライドおにーたん、いっちゃうの?」
フィリアが心配そうに神達を見詰めて来た。
「ああ。ちょっくら、悪い奴等をぶっ倒してくる」
神は兄性を持って、彼女の頭を撫でた。
「これを持って行きなさい」
リードから手渡された物、それは手形だった。
「有難うございます」
「気を付けていってらっしゃい」
フェイはにっこりと微笑み、彼女等の旅路の応援の一言を掛けた。
「はい」
「死んで帰ってきたら承知せんぞ?」
「この世界を救うまで、くたばってたまっかよ」
「行って来い、ヒーロー達よ、そして帰ってこい」
「おう!」
こうして、リードの言葉と共に、彼女達の旅は幕を開けた。